時は昭和20年(1945年)舞台は益田市の鎌手地区にある大谷海岸。

終戦間近、昭和20年8月14日夜9時頃、高島付近を漂流していたアメリカ兵10人が地元大谷の漁船団に救助されたそうです。
益田市大谷海岸の奇跡


助けられたアメリカ兵はB29爆撃機の乗組員。同年8月8日に長崎県の壱岐島のあたりで墜落したということ。
益田市大谷海岸の奇跡のお話し

ちょっと、文章の部分を拡大してみましょう。

漂流アメリカ兵上陸地 益田市大谷海岸


なんとゴムボートで漂流6日間…対馬海流に乗り益田市沖まで流れついたというわけです


長崎県の沖になる壱岐(島)から益田市沖の高島まで、直線距離で約200キロメートル強。6日間ですから対馬海流にのって1日あたり30~40キロメートルをプカプカと益田市沖の高島まで。

下の画像は大谷海岸から見える高島(益田市)
益3891~1


まさに海流のおかげで命を救われた話です。


で、益田市の大谷はパニック状態になったとも。

しかも、翌日(昭和20年8月15日)正午には昭和天皇による玉音放送というタイミング、超デリケートな時期の出来事です。


でもさすが益田市の人々。多分漂流者アメリカ人10名への対応は「適切」だったのでしょう。なぜなら、
救助されたマーティン・ザップさんが60年たった平成17年の8月14日に、79歳のおからだでこの地、大谷を訪れたというではないですか(案内板参照)


そして、

「島根県益田市の人ニ救助サレテ ‘マーティン’ラッキー」と。(思ったことでしょう…多分)



MAP・場所:益田市マーティン エピソード看板


編集後記

益田市大谷海岸から

命を救われた彼ら米兵には当時の益田市の地に「まほろば」を感じたことでしょう♪(おっと!彼らアメリカ人だから「サンクチュアリ(sanctuary)」かな?)
画像:益田市大谷海岸から冬の益田市沿岸と夕日を撮影(撮影日:2009年1月6日)