益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

高津連理の松

「連理の松」の「連理」の意味を知る(益田市『高津連理の松』遺跡)

益田市の高津 浜地区にあった「高津連理の松」

1934年(昭和9年)8月に国の天然記念物に指定~2003年(平成15年)3月に松枯れで伐採。
さて、この松の名称にある「連理(れんり)」という言葉の意味。あなたはご存知でしょうか!?

現在、この地には「高津連理の松」のことを記した「石碑」と「説明板」があります。

・石碑は1973年(昭和48年)3月に設置されたもの。
・説明板は、内容からして「高津連理の松」伐採後、2003年(平成15年)以降に設置されたもの(と思われます。)

そのどちらにも「連理」という言葉の意味について解説がありました。
①まずは、益田市教育委員会により1973年(昭和48年)3月に設置された石碑

高津連理ノ松 石碑 益田市教育委員会


天然記念物
高津連理ノ松(昭和九年八月九日 文部省告示第二三五号)

連理の理は木目、連理とは木目をつらねる意味で比翼連理ということばがあるように夫婦仲のむつまじいことの象徴。この連理の松は南株の一枝が伸長して北株の幹に接触し、その部分の樹皮を剥いでついに合着したもので、完全な連理をとげている点において学術上貴重なものとされている。

昭和四十八年三月吉日 益田市教育委員会

②新しい方の案内板(「高津連理の松」)の当該部の記載
連理の理は木目、したがって連理とは木目を連ねる意味で比翼連理ということばにあるように二本の松が寄り添う姿から、古来から地元の人々からは夫婦松として崇敬され、益田の観光名所のひとつとして広く親しまれてきた。

高津連理の松 説明内容



私は平成時代には、千葉・東京で暮らしていたため、この松の最後の時期は目にする事はできませんでした。
でも、「高津連理の松」が元気な姿は、子どもの頃(昭和時代)は何度も目にしています。

石見交通のバスから、この松の姿を目にするたびに、「あっ、連理松が見えた!!」…と声に出していました。

そして、実は、私…「連理」という言葉の意味は…今回の取材で初めて知りました。

在りし日の「高津連理の松」の樹齢・太さ・高さ(益田市 高津 浜地区)

益田市、高津浜地区にある「高津連理の松遺跡
(※現状については下記リンク先に掲載しています。)
>>今はなき「高津連理の松」とその思い出(益田市高津浜地区)

今回は、当地の案内看板より、「高津連理の松」の大きさ・樹齢等の数値データと略歴(国・天然記念物(植物)指定~伐採まで)について。

高津連理の松 説明


高津連理の松 説明内容


高津連理の松

 高津連理の松は、高津浜地区に鎮座する琴平神社の境内にあり、黒松の枝が地上約4.5mのところで隣接する他の黒松の幹とほとんど水平に合着して完全な連理を遂げている点が学術上有益で、樹齢は三百年ともいわれる二本の松の間隔は1.5mほどで、北側の松の胸高周囲は1.9m、南側は2.5m、松の樹高は、およそ24mであった。(※中略)
 このたび、松喰虫の被害によりやむを得ず伐採し、高津連理の松は、その生涯を終えましたが、高津地区のシンボルであった雄姿が末永く後世に語り伝えられることを念願します。

昭和九年八月 国・天然記念物(植物)指定
平成九年八月 高津連理の松の一部を伐採
平成十年一月 国・天然記念物(植物)指定解除
平成十五年三月 高津連理の松伐採

※中略とした部分…「高津連理の松」の「連理」の意味については
>>「連理の松」の「連理」の意味を知る
をご参照ください。

今はなき「高津連理の松」とその思い出(益田市 高津 浜地区)

益田市の高津浜地区にある琴平神社。この神社の境内に、かつて「連理の松」という松の木があった事をご存知ですか?
高津連理の松」は、国の天然記念物として登録もされていた程、大変珍しい樹形をしていました。

元気だった頃の「高津連理の松」の画像

高津連理松 益田市高津浜地区

2本の松が、H型につながっています。
ただ、残念なのは、この「高津連理の松」は平成15年3月に松くい虫の被害で枯れ、「伐採」されたそうです。
上の画像の出処は当地に設置された案内板からです。

高津連理の松 案内 益田市


「高津連理の松」
現在の当地の状態はこんな感じです。

高津連理の松 石標


現地には「天然記念物 高津連理ノ松」と標された「石碑」のみ…なんだか寂しい気持ちになりますね。


琴平神社(益田市 高津浜地区)の現在の様子です。この神社の右側に、かつて「高津連理の松」がありました。

琴平神社 益田市 高津浜地区

【高津連理ノ松の「わたくし的」思い出】
子どもの頃、よく蟠竜湖へ遊びに行ってました。その行き帰りのバスから「連理の松」の姿が見えたことを覚えています。

また、当時、「連理の松」周辺は、松林でした。NHKの「おかあさんといっしょ」で、当地の松林の中で子どもたちが元気にはしゃぐ姿が放映された事もあります。

余談ですが…昭和40年代頃は「石見交通バス」はワンマンバスではなく、車掌付きでした。近くにある山陰本線の「踏切」をバスが通過の際、車掌さんは一旦バスから降り、笛と合図で誘導していた…という記憶もあります。