益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

飯浦町

益田市飯浦港 かつての「松島」と磁石岩の貴重画像を発見

益田市の飯浦港に「松島」とよばれる小さな岩山があります。
現在、「松島」はコンクリートによる人工的な構造物で陸地と結ばれているようですが、「島」と呼ばれているので、かつては飯浦港内に独立した「岩の小島」として存在していたのかもしれません。今回は益田市の飯浦港の「松島」について昔の画像をもとにいろいろと調べてみました。

松島 益田市飯浦港内


1.なぜこの島を「松島」と呼ぶのか?


この岩山はなぜ「松島」と呼ばれるのでしょうか?

上の画像にあるように、現在この「松島」には細い松の木が数本確認できます。

※ご参照⇒益田市飯浦港の「松島」…磁石岩の今

ですが、これくらいの松の木なら、益田市の海岸の大小無名の岩々にて結構見ることができますよネ。


実は先日、益田市誌にて、この「松島」の古い画像が掲載されていることを発見し…この岩山が「松島」と呼ばれていることに納得できました。

松島 益田市飯浦港 益田市誌より

出処:益田市誌 上巻(昭和50年12月20日発行)
P93 自然篇 第二章 地理 第四節 海岸 三 鼻と湾
写87 飯浦の松島と三生島 より

「これぞ『松島』!!」と感じませんか!?

かつては、一本の大きな松の木が育っていたようです。樹形も趣がありますネ。

(余談になりますが、画像奥の「三生島」の頂にも数本の「(松の)木」があるように見えます。)

2.小野村誌での「松島」の記述をみる


先ごろ復刻された「小野村誌」 P18に「松島」に関する記述がありました。

「松島」
飯浦西ノ浜海岸ニ斗出(突出)セル小島ニシテ、巌上ニ 一老松アリ、島ノ名之ヨリ起ル、又島頂ニ磁石岩アリ、ヨク鉄ヲ吸引ス、蓋(けだ)シ磁鉄鉱ノ成分ヲフクメルタメナラン(以下略)

『小野村誌(復刻改訂版)』平成26年3月30日発行 
編者 小野の歴史を残す会  
発行所 小野地区振興センター

第二章 社寺及旧蹟勝地 第三節 旧蹟、勝地 P18より

巌上ニ 一老松アリ、島ノ名之ヨリ起ル」…やはり、この画像の松の木が「松島」の由来であったことがわかります。

3.かつての「磁石岩」の画像も発見!!


また、益田市誌には、「松島の磁石石(じしゃくいし)」として以下の画像も掲載されていました。

松島の磁石石  益田市飯浦港 益田市誌より


出処:益田市誌 上巻(昭和50年12月20日発行)

P93 自然篇 第一章 地質 第四節 天然記念物 二 『鑪崎および松島の磁石石』
写5 松島の磁石石 より

磁石「岩」という表記が益田市の他の資料で一般的だったような気がしましたが…益田市誌には磁石「石」とあります。実際、この画像を見ると、松島という「岩山」全体というより「頂の石」に磁性(磁力)が備わっていたようですネ。
画像(写真)ですので当然「磁力」を感じることはできませんが…今や貴重な画像です。
益田市飯浦港の松島の「磁石石」には現在は磁性(磁力)はないということです。ちなみに、地元の方によると…「あの石(磁石石)は、だいぶ前じゃが、松島から落ちた…ちゅうことじゃったでぇ」というお話も伺いました…

益田市の鑪崎「神代の肌」と須佐町のホルンフェルスの風景比較

鑪崎…神代の肌ホルンフェルス(hornfels)


以前、このサイトで益田市の飯浦町の鑪崎の岩肌について、「鑪崎「神代の肌hornfels」 」というタイトルで投稿をしたことがあります。


益田市の鑪崎は陸路で探索できるルートがわからないので未だ現地にて探索調査をすることができていません。…その分、鑪崎には(私にとって)未知なる場所としての魅力があります♪

益田市の飯浦町の鑪崎のホルンフェルスを確認したのも、たまたま午前中に人形峠を訪れ、鑪崎の岩肌が日に明るく照らされた刹那「おやっ?」と思ったのがきっかけ。デジカメの望遠機能、最高倍率で鑪崎の岩肌を撮影したあと自宅のPCのモニターで確認できたのです。
その画像がコチラです↓

益田市飯浦町の鑪崎の岩肌hornfels

参照⇒鑪崎「神代の肌hornfels」 (人形峠からの日本海(益田市 飯浦町))
この岩肌のデザイン、山口県萩市須佐町のホルンフェルス(hornfels)と似た岩肌ですよね!
(ただ注意してほしいのは…山口県萩市須佐町のホルンフェルス(hornfels)として有名な縞模様の断崖は、正確には広義でのホルンフェルス。厳密なホルンフェルスの定義としては異なるものです。が、まぁ、萩市が修正しない限りは、益田市のこれもホルンフェルス(hornfels)と呼ばせていただいちゃっていいんじゃないでしょうか!?)

最高倍率での鑪崎の岩肌ホルンフェルス(hornfels)
益田市の鑪崎の岩肌hornfels最高倍率

山口県萩市須佐町のホルンフェルス(hornfels)の岩肌


「須佐町のホルンフェルス(hornfels)という岩肌をワシは知らん!!」
あっ、そうですか♪
そんな人のためにこの夏撮影した老舗(?)須佐町のホルンフェルス(hornfels)…厳密な定義のうえでのホルンフェルス(hornfels)ではないようですが・・・画像を今回掲載します。益田市の飯浦町の鑪崎のホルンフェルスと比較してみてください。
萩市須佐町のホルンフェルス(hornfels) 

たまたま観光客が映り込んでいた画像もあったので…
萩市須佐町のホルンフェルス(hornfels) 人

人の姿と比較すれば、山口県萩市の須佐のホルンフェルス(hornfels)のスケールがわかるのではないでしょうか?

ホルンフェルス…益田市の鑪崎と萩市の須佐町を比較して


益田市の鑪崎のホルンフェルス(hornfels)と須佐のそれを比較してみたところ、さすが、老舗というべきでしょうか?須佐のホルンフェルスの岩肌の方がはっきりしていますネ。
バーコードリーダーで読んでみたら…もしかして神々のメッセージがあるかも!?

MAP・場所:ホルンフェルス(hornfels)(山口県萩市須佐町)



益田市飯浦港の「松島」…磁石岩の今

益田市の飯浦港の「松島」


益田市の飯浦港に「松島」と呼ばれる大岩があります。この岩肌には、松がたくさん生えているので「松島」というのでしょうか!?
ところで、この松島の頂上には、かつて「磁石岩」とよばれた岩があったそうです。
磁石岩は磁性をおびた石英斑岩で、その磁力は船舶の方位磁針をくるわせるほど強かったということです。

松島 益田市飯浦港

撮影日は2014年9月7日夕方。松島に日の光がスポットライトのようにあたってたのが印象的でした。「松島」は「島」とありますが、車ですぐそばまで行けます。現在、とても崩れやすくなっていて、近寄れないよう柵が施されていました。

益田市飯浦港の松島(海側)

※海側から撮影した「松島」…こんなゴツゴツした岩肌のわずかな隙間とその養分でも、しっかり生きている岩場の松って本当に凄いとおもいます…いつも♪

現在の「松島」の磁性(磁力)について


現在、「松島の「磁石岩」の磁力(磁性)は失われている。」とガイドブックにかいてあったので、真相を確かめるため地元(飯浦町)の方にお話を聞いたところ。
「ありゃぁ(磁石岩)は松島から落ちたそうじゃ」とのこと。

MAP・場所(航空写真):松島(益田市飯浦町)



この画像をよく見ると、「松島」はかつては「島」として存在していたのかもしれませんネ♪

最後に、今回の「松島」を人形峠の駕篭立て付近から撮影した画像を掲載しておきます。
松島 益田市飯浦港 人形峠より

(「松島」の「大きさ感」をつかんでください♪)

編集後記※益田市で「磁石岩」といえば…

磁石岩といえば…
益田市で磁石岩といえば、今回の飯浦町の松島、そして鑪崎が有名ですよね。実は、もう1ヶ所「比礼振山(権現山)標高359m」の頂上にも「磁石岩」はありました。(「磁石岩」と書かれた「看板」があった事を覚えています。)
今は岩ごと無くなってしまってますが…

「人形岩眺望所」奇岩!人形岩を観賞するなら(益田市人形峠)

人形峠(益田市 飯浦町)のピークにある「駕籠立て(かごたて)」という展望ポイント。
西は、飯浦港、三生島、鈩崎、東は三里ヶ浜、遠く鎌手海岸、高島…
季節や時々の天候、日本海の様子…風景が様々に変化するで、いつも何か新しい発見がある場所です。


さて、人形峠東側の眼下の岩場の中に「人形岩」という「奇岩」があることをご存知でしょうか?

実は、この岩は「見る場所」があります。

人形道を「駕籠立て(かごたて)」から、戸田方向にしばらく下ると海側に「人形岩眺望所」という案内看板(画像付き)があります。

人形岩眺望所 案内看板


ここが「人形岩」のベストビューポイントです。


ここから撮影した「人形岩」の画像です。

人形岩 益田市人形峠 海岸



高さは海面から頭のてっぺんまでで7.8メートルとのことです。


本体が黒色、肩から腰にかけて白っぽい茶の着物を羽織っている…どことなく高貴な人物がくつろいでいる雰囲気…感じませんか?

と、気持ちが和らぐような表現になりましたが…

この日の撮影現場は、陽の光にこそ恵まれていましたが、日本海からの北風と荒波の濤声…自然の力に圧倒されていました。

人形峠 夫婦岩 益田市


人形峠「駕籠立て」から小浜方面に「人形岩眺望所」過ぎ、さらに小浜方面に下った所からの見える「夫婦岩」とその周辺の海の風景。(夫婦岩は私が付けた名前です。)
【画像は2014年02月19日に再撮影】

人形道碑から中島庄屋の功績を知る(益田市 人形峠)

益田市飯浦町の人形峠(じんぎょう峠)
その最高地点の「駕籠立(かごたて)」から戸田方向に少し下っていくと、こんな案内板がありました。
白いボード状の素材に手書きによる「人形道碑」です。
この人形道碑の内容を知る事でこの道が「単なる旧道」といった感覚は無くなりました。

人形道碑 益田市人形峠

人形道碑 (訳)東京作詞家 伊吹とおる


道はもと山の頂上にあって、非常に険しく、往来する人達にとっては、誠に難儀なことでありました。
庄屋、中島正喜は、その事を大変心配し、ひとつこれはなんとかしようと思い立ち、公の仕事として、人々を動員し、工事にかかりました。弘化三年(一八四六)冬から嘉永元年(一八四八)夏までかかって、道を現在地に移す工事を仕上げたのです。

今ではこの道を往来する人々は何の苦労もありません。以前の山道を知っていた人たちも、何かのはずみで、そのことを忘れてしまい、しかも中島庄屋を初めとする、力役に参加した人々の功績を知らないなど、まことに残念なことであります。

そこで、碑にそのことを刻み、残したいと思います。

山を切り開いて、道を移したというその効果、現在、人々が何の苦労も知らず往来できるという現実として現われていることは、仁(いつくしみ)というものは、剣よりも鋭く強いものであるということを知るべきだと思います。

中島庄屋とその労務に参加し労働を提供した人々の功績は忘れてはならないものであります。
良く心の中の眼のくらみをはらって、もう一度その功績というものをみつめようではありませんか。

明治十五年一月立碑 飯塚正おり書


重機など当然無い時代…しかもこの場所(現場)。…さぞや難工事だったでしょう。
「人形道」は片側は、覗いてみると真下に海と岩場…ほぼ垂直の険しい断崖です。

人形道からの海


「道はもと山の頂上にあって、非常に険しく、往来する人達にとっては、誠に難儀なことでありました。」
どれほど「難儀」か、具体的にその位置的なものを確認してみましょう。

人形道と山頂

現在の人形道の「駕籠立(かごたて)」付近が赤矢印、「道はもと山の頂上にあって」という頂上付近が青矢印
当初は今の約3倍の高さを登る必要があったようです。
現在は、この山を「人形トンネル(国道191号線)」が開通しているのでさらに便利になっています。
「人形道」は既に「旧道」…「駕籠立(かごたて)」等の「景観スポットへの道」というのが主な役割でしょう・・・しかし、この人形道碑の内容を知れば、遠い昔、この道を往来したであろう多くの人々の「感謝の声」が聞こえてくるような気がするのです。
【画像は2008年12月撮影】