益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

送り火のけむりに何を見つむるぞ

徳川夢声、益田市の「送り火のけむりに何を見つむるぞ」の謎

益田市の「辻の宮八幡宮」境内にある徳川夢声の句碑

(このサイトでこの句碑について取り上げるのは3回目になりますネ)

徳川夢声の句碑 益田市


この句碑は「益田市制15周年記念」として昭和42年(1967年)12月9日に建てられたそうです。


送り火のけむりに何を見つむるぞ


この句について私は以前に、「益田市制15周年記念として如何なものか?」といった思いを綴っています。

今回は、徳川夢声さんのこの句「送り火のけむりに何を見つむるぞ」についての句に関する「情報」です。


なぜ?送り火のけむりに何を見つむるぞ


徳川夢声さんは、ご自身作の俳句について、作句年月日とちょっとしたメモの記録を残しています。

それらをまとめたのが、「雑記・雑俳二十五年」(オリオン社出版部 (1959))です。

txt

調べてみたらわかったのですが…実は、この句は連句(3連句)の初句だったのです!!


・送火の煙に何を見つむるぞ
・燈籠の房も焔も揺るるなり
・燈籠の数多並びてまたたける


時は、昭和16年(1941年)7月15日。
以下は、その時の徳川夢声さんご自身のメモ(記録)(「雑記・雑俳二十五年」より)


田園調布欅雨荘で渋沢氏令息追悼句会が催された。

この日始めて連句なるものを試みる。

上欄三句とも当夜嘱目吟、各句とも点数を稼ぎ、第三位であった。

(この翌日第二次近衛内閣総辞職。)

「雑記・雑俳二十五年」(オリオン社出版部 (1959))93ページ

※嘱目吟(しょくもくぎん)…実際に景(色)を見ながら創作した句

※「送火の煙に何を見つむるぞ」は益田市の当該句碑「送り火のけむりに何を見つむるぞ」と表記に違いがありますが、「雑記・雑俳二十五年」(オリオン社出版部 (1959))ママの記載です)


渋沢という人とは…


送り火のけむりに何を見つむるぞの句碑にある句は渋沢氏令息追悼句会でのものであることがわかりました。


渋沢氏というのは渋沢秀雄(しぶさわ ひでお)。かの渋沢栄一氏の4男にあたります。
「いとう句会」でのペンネームは「渋亭」 (ちなみに徳川夢声さんは「夢諦軒」)

連句(3連句)の初句「送火の煙に何を見つむるぞ」と他2句


・送火の煙に何を見つむるぞ
・燈籠の房も焔も揺るるなり
・燈籠の数多並びてまたたける


「送火の煙に何を見つむるぞ」が「益田市制15周年記念の句碑」になりえたのか…


という疑問もさることながら、そもそも、私、連句の一部を抜き出して「句碑」とかにした理由がいまいちわかりません。(私はあまり好きではないですね、連句は(この場合)3つそろって意味をなすからです。)


また、誰が選んだかについて、もし徳川夢声さんがこの「句」を選んだという事であれば…それはそれで、謎めいたものがあります。


はて?徳川夢声さんは昭和42年(1967年)12月9日の当句碑の除幕式に何を思っていたのか…


【追記】
「雑記・雑俳二十五年」(オリオン社出版部 (1959))は益田市立図書館に一冊あります。ご興味があるお方はどうぞ(但し、禁帯出ですけど…

【おまけ情報&画像】

益田市誌 (昭和50年12月20日発行 )上巻910ページに当句碑の画像がありました。

徳川夢声句碑 益田市「辻の宮八幡宮」境内 益田市誌


現在の益田市の「辻の宮八幡宮」境内にある徳川夢声の句碑は実はリニューアルされてたんですね。

当初は、タイル張りだったようです。


ここで発見!!

この句碑、よく見ると向かって右に「由緒書き」のようなものが見えます。

徳川夢声句碑 益田市「辻の宮八幡宮」 益田市誌 赤丸


「これ、現在の(リニューアルされた)句碑にもあったっけ?」


…実は、先日、辻の宮八幡宮境内にある徳川夢声の句碑の見学の際、そこまで気が回っていませんでした。


「しまった…わしとしたことが…何がかいてあるんじゃろうか?・・・GWは、辻の宮八幡宮へ徳川夢声の句碑を再見学せにゃやれんのう…」

徳川夢声さんの益田市と津和野町の2つの句碑に思う

益田市、縁(ゆかり)の歴史上の人物の一人「徳川夢声」。

徳川夢声さんが郷土、石見地方に残した句碑は2つ。

一つは、生誕地、我ら益田市の「辻の宮八幡宮」境内にある


送り火のけむりに何を見つむるぞ 

徳川夢声の句碑up


昭和42年(1967年)12月9日に建てられたそうです。

送り火のけむりに何を見つむるぞ


はて?「益田市制15周年記念」としての記念的かつ象徴的なはずの碑に「送り火…」


なにか深い意味があるのでせうか?・・・「益田市制15周年記念」としてのこの句の位置づけは、言及することは避けてw…この句についてはわかったことがありました。

コチラのページでお伝えしています♪
⇒徳川夢声、益田市の「送り火のけむりに何を見つむるぞ」の謎


そして、


もう一つは津和野町にあるという句碑。


昨日(2015年4月29日)私は、津和野町にあるという徳川夢声さんの句碑を探しにいきました。

場所はある程度限定できていました。津和野大橋のたもとということです…


津和野町にはいって、当地に一番近いと思われる、多胡駐車場(有料、1日400円)に車をとめ、徒歩にて津和野大橋に向かいました。

ありました!すぐわかりました。場所は。

津和野 徳川夢声 山茶花句碑

山茶花の雨となりたる別れかな


と書いているはずですが…

津和野 徳川夢声 山茶花句碑UP


今や見えにくい状態です。
案内板も1/4が消えています…

徳川夢声 津和野 山茶花句碑 案内板


この句碑が建てられたのは、昭和33年(1958年)4月16日とのことです。当日の津和野での除幕式の際、徳川夢声氏はこう語ったというのです。


「津和野の士族屋敷には、たいてい山茶花があり、私の母の家(天野家)にもあって、山茶花の咲くころにはそのことを思い出す。先年ちょうど山茶花咲く津和野へ来て、花草会(津和野の文化グループ)の人々に見送られて津和野を出発したが、その時、その別れにふさわしく秋雨が降っていた。それを思い出してこの句を作ったもので、山茶花は郷愁をそそるものであり、また母への思慕でもある」


引用元 徳川夢聲百句 松岡ひでたか 平成24年5月28日発行


亡き母に対する思慕…母の死への思慕。亡くなった母への思い、死んでしまった母への悲しみと恋しく思うことと一般的な解釈になっているんですが…


私は違うような気がします。それでは、あまりに陳腐です。

徳川夢声さんについて詳しい方がいるなら…この句が二重構造であることを知っているのでしょう。


ですが、

「二重構造・・・ならば次は、伊澤欄奢がらみだろう!?」


と予想する人…マニアですねい(素晴らしい♪)…でもでも、それも違います。


山茶花、母への思慕。


・・・山茶花、そして徳川夢声さんの思い、記憶に入りこめばわかります。


このあたりは次回にしましょう。(いつかは決めてませんが…)


【おまけ画像…追記2015.4.30】

津和野大橋にたどり着いたとき、ちょうど、山口線の上り列車が見えました。

津和野の徳川夢声さんの句碑と山口線のキハのオレンジ

キハ系の車両です。暗いオレンジ色、朱色、旧国鉄色。
都会に住んでいる益田市出身の方なら、「なつかしいのう・・・」って思うかもしれませんが、山口線、山陰本線ではバリバリの現役です♪

徳川夢声の句碑を見学したらば(益田市 辻の宮八幡宮境内)

益田市、縁(ゆかり)の歴史上の人物として、徳川夢声さんに魅力を感じた勢いで、郷土に関連したこともいろいろ調べています。

今回は益田市にある徳川夢声の句碑について…


とその前に!

徳川夢声作詞の「益田音頭」について、前回より少し詳しい情報を入手できました。
本記事最後にお知らせします。

早速ですが、「辻の宮八幡宮」境内にある「徳川夢声の句碑」です。

徳川夢声の句碑up

この句碑は益田市制15周年を記念として、昭和42年(1967年)12月9日に建立されたということです。


送り火のけむりに何を見つむるぞ


とかかれています。この句に関する解説資料には、いまだ出会えておらんので、

一体なぜこの場に「送り火」からはじまる句碑を設置したのか?


そもそも、「益田市制15周年記念」としての句碑として、なぜこの「句」が選ばれたのか…誰が選んだのか…夢声さんご本人が選んだのか…いろいろ疑問がわくわけです。(もう少しつっこんで調べてみたいもんです)


ちなみにこの句碑の前から益田市市街地を撮影してみたら、

徳川夢声の句碑から益田市市街地の風景


(電線がいっぱい横切っておりますが)
なんとなく、徳川夢声さん生誕地のあたりを向いているような気がしました♪

徳川夢声の句碑がある場所(辻の宮八幡宮境内)


徳川夢声の碑は益田市の栄町(になるのでしょうか?)「辻の宮八幡宮」境内にあるということは知っていました。しかし、「辻の宮八幡宮」境内の一体どこにあるのか?については情報がありませんでした。


わたくし事ですが…実は「辻の宮八幡宮」の境内に行くことは実に40年ぶりで、最後に行ったのは、吉田小学校時代。図工の時間で写生だったと思います。


そんな超久しぶりの場所なので…

「とりあえず、辻の宮八幡宮が間近に見えてきたけど、夢声さんの句碑は見つかるかのう?」

と不安でしたが、それはすぐに解決されました。


益田の本通り(今は死語でせうか!?)から辻の宮八幡宮の鳥居に向かう道を歩いていたら、手前に道標が。

徳川夢声の句碑への道標


近づくと金鳳花の花々をバックにして(文字は、かすれていますが)「徳川夢声の碑」と・・・

徳川夢声の句碑への道標up


これはわかりやすい!
ここの階段を上っていくと、すぐにありました。

徳川夢声の句碑


(辻の宮八幡宮の参拝した後でわかったのですが・・・)
鳥居から辻の宮八幡宮につながる石段からも夢声さんの句碑を案内する道標があります。ここから、下っていけば、句碑のある場所に着きます。(…が、石段途中からのルートは遠回りになりますね)


徳川夢声作詞「益田音頭」に関する若干の情報追加


さて、話は前回の投稿のつづき

徳川夢声作詞「益田音頭」に関する追加情報です。


レコードがあるようです。(益田市内に現存するかは不明です・・・が、いくらなんでも益田市制15周年記念で作成したもんですけェ・・・益田市役所にはあるでしょう♪)

そのスペックがわかる資料を、本日、益田市立図書館の女性職員の方が見つけ出してくれました。
(忙しいなか、本当にありがとうございました♪)

その資料(実は、徳川夢声作詞「益田音頭」の歌詞のコピーだったのですが)、とある方による、
以下のメモ書き(鉛筆書き)があったのです。(※このメモ書きがリソースです。)

S37.4.13 夢声講演会で発表

※五月みどり。松下真也 唄
コロンビア合唱団
コロンビアオーケストラ
三味線
振付 花柳寿二郎


以上がメモの内容です。レコードのジャケットかレーベルに記載されていたものかと思われます。

五月みどり。松下真也の歌手違いで2バージョンあるようです。…これは益田市立歴史民俗資料館の職員さんから聞きました。

花柳寿二郎…振付師として有名なかたなのでしょうか?ネットで調べてみたら、「幸福はあの星の下に」1956年2月5日公開 振付 をご担当された方のようです。


以上、徳川夢声作詞「益田音頭」に関する若干の情報追加でございます。

徳川夢声 句碑ss