益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

美都町

失われた天然記念物「後山都茂屋のヤブツバキ」(益田市 美都町)

益田市には今はもう姿を見る事のできない天然記念物が「高津連理の松」の他に、もう一つあった事をご存知ですか?

それは、益田市美都町にあった「後山都茂屋(うしろやまつもや)のヤブツバキ」です。

「高津連理の松」は国の天然記念物でしたが、「後山都茂屋のヤブツバキ」は島根県指定天然記念物

「後山都茂屋のヤブツバキ」は平成16年12月17日に島根県指定文化財 天然記念物(第33号)に指定され、その7年後、平成23年4月枯死しました。

私は、2009年6月に一度だけ「後山都茂屋のヤブツバキ」の姿を見ています。車を止め、山道、徒歩で20分位の距離だった記憶があります。…私が最初で最後に見たの姿。(今から思えば貴重な画像となりました。)

後山都茂屋のヤブツバキ2009年6月 益田市 美都町
2009年6月撮影
確かに「巨木」ではありますが、既に、葉は枝の先端部にちらほらと…。通常、ツバキが生育するには、周囲が明るすぎていることにすぐに気づきました。ヤブツバキには異常…過酷な環境であったことがわかります。

後山都茂屋のヤブツバキ2009年6月撮影2
2009年6月撮影
現地には小屋があり。その外壁に、当時、このツバキが穿孔虫(ヨシブエナガキクイムシ等)の被害にあっているという事の現状と対策に関する説明が書かれた張り紙がありました。

後山都茂屋のヤブツバキ の状況説明
2009年6月撮影
ちなみに、「後山都茂屋のヤブツバキ」が元気だった頃の画像(PR用のパンフレットからの画像です。)

後山都茂屋のヤブツバキ パンフ 美都町


そして、平成23年4月。この「後山都茂屋のヤブツバキ」が枯死し根本から折れ、崩れるように倒れた状況を撮影した画像。(益田市のサイトにて公開されていました。)

益田市 後山都茂屋のヤブツバキ壊死


2009年6月はじめて見た時感じました。「後山都茂屋のヤブツバキ」は、その存在を目立たせるため(人為的に)周囲の雑木等は伐採され、まるで、「一本ツバキ」。・・・ツバキにとっては、厳しく、不自然な環境下にさらされたといえます。そして、このツバキが枯死した事を聞いた時、思いました。

天然記念物などと指定することが、場合によっては、かえって本来の寿命を削る場合があることを…。
「粛粛成理重理之後山 故巨勢列列 嘗都茂屋之藪椿  見世乍過思美須都成也」


【資料:後山都茂屋のヤブツバキについて(2009年6月に撮影)】

後山都茂屋のヤブツバキ



【資料】
島根県文化財保護審議会が平成16年11月9日に島根県教育委員会委員長に島根県指定文化財に天然記念物の新指定の答申をする際に作成された島根県文化財保護審議会委員の方(杦村氏)による文書(PDF)に、「全国ツバキの巨木一覧」という資料によると、

「全国ツバキの巨木一覧」(幹周3m 以上)

都道府県 所在地     名称           幹周  樹高   指定状況
岩手県   大船渡市   大船渡の三面椿      8.0m  10.0m 県指定
石川県   氷見市老谷  老谷の大ツバキ      3.0m  6.6m   県指定
京都府   与謝郡加悦町 滝のツバキ        3.2m  9.7m   県指定
島根県   美濃郡美都町 後山都茂屋のヤブツバキ  3.65m  7.0m   町指定


※地名、指定状況は平成16年11月9日当時のものです。

仮に幹周と高さをみて巨木度というなら間違いなく日本国内の3本の指にはいるヤブツバキといえるものでした。

※この資料は、「後山都茂屋のヤブツバキ」の存在(価値)が県の指定にして十分たるものがあることの「根拠」を示すためだったと思われます。

比礼振山(権現山)と都茂鉱山 益田市の民話『大蛇のあと』

鉱山の神様を祭る神社「佐毘売山神社」


益田市美都町の都茂鉱山。そして鉱山の神様・守り神である金山彦命を祭る神社「佐毘売山神社」。

「佐毘売山神社」は益田市の比礼振山(権現山ともいいます、標高358.6m)の麓(ふもと)にあります。

益田市の佐毘売山神社(今年2009年の正月に撮影)

(2009年1月1日に撮影)
比礼振山(権現山…ごんげんさん)の山頂には蔵王権現もあります。(昨年2008年年末ごろ撮影)

比礼振山山頂の蔵王権現(昨年2008年年末ごろ撮影)


益田市の民話『大蛇のあと』


今回の「比礼振山(権現山)と都茂鉱山 益田市の民話『大蛇のあと』」から分かったことですが。
どうやら比礼振山(権現山)付近には都茂鉱山で採掘された「鉱石」を運搬する道路があったようです。

「比礼振山(権現山)」と「都茂鉱山」の2つのキーワードが「大蛇のあと」という益田市地元の民話の中で語られている事を発見しました。

「大蛇のあと」

 むかしの乙子の権現さんの道は、都茂鉱山から鉱石を馬で運ぶ往かん還(還は「道」では?)じゃった。

 ある日、益田で用事を済ませた人が、権現さんの道に通りかかると眠むとうなったので、大けな岩の上で一休みしんさった。その時、長さは十二尺(約三、六メートル)、直径は一尺(約三十センチ)ぐらいの大蛇が出てきた。そのあまりの大きさに身震いがして動きがとれんようになった。蛇は煙草が嫌いなのを思い出して、そっと煙草に火をつけ吸いはじめた。そうしよったら大蛇が向きを変えて逃げ去ったというんじゃあ。


 わしも若いころ、わらびを取りに行って、大蛇が這うたように草がなびいているのを見てたまげたことがある。


語り手 城市良吉(乙子)    
「益田の民話(ますだのみんわ)」(益田の文化を育てる会)より引用
>>http://www.group.iwami.or.jp/bfn/masudanominwa/index.htm

ここで、「むかしの乙子の権現さんの道は、都茂鉱山から「鉱石」を馬で運ぶ「道(還は道であろう)」…に関して疑問が湧きます。

(益田市美都町には)銅精錬所跡となる『大年ノ元遺跡(おおとしのもといせき)』があったはずで、「銅」の精錬技術は保有していたはずです。…地元(の精錬所)ではなく、一体どこの精錬所に運んでいたのでしょうか?


因みに銅精錬所跡となる『大年ノ元遺跡』に関しては、島根県埋蔵文化財調査センター編集部による「ドキ土器まいぶん」No.18 2002年7月発行にわかりやすい記事がありました。


発見!銅の精錬工房?

 美都町は古代から銅山開発によって繁栄したと伝えられています。美都町山本地区にある大年ノ元遺跡では、中世の掘立柱建物跡や中世期には珍しい竪穴状の建物跡が4棟見つかりました。

 竪穴状の建物跡の内部や周辺から焼土(地面が焼けた跡)や銅鉱石を溶かすための器(坩堝)片や銅の精錬工程において生じるからみ(不純物の塊)、白磁(中国製の磁器)片、土師質土器片などが見つかりました。これらの建物跡は15世紀頃(室町時代)の銅の精錬工房跡、または銅精錬に何らかの関わりにある施設と思われます。

 遺跡は、9世紀に書かれた「続日本後記」に記載されている丸山銅山から北約5km のところにあります。 この周辺は当時、中世益田氏の支配下にあり、江戸時代には幕府の直轄領でもありました。銅山の歴史、銅の精錬技術などを知る重要な手がかりになりそうです

「ドキ土器まいぶん No.18 2002年7月発行 編集・発行 島根県埋蔵文化財調査センター編集部」より引用



想像を膨らませると…もしかしたら「銀」鉱石があったのかもしれませんね!?(当時は「銀」の製錬技術はなかったはずですし)…


(この益田市の民話「大蛇のあと」がいつごろの話なのかは不明なので想像はこの辺で…)


「権現さんの道に通りかかると眠むとうなったので、大けな「岩」の上で…」
この「巨岩」は何処の岩の事なのか…存在が気になりますネ

益田市の佐毘賣山神社と世界遺産「石見銀山」との関係

益田市乙子の佐毘賣山神社

佐毘賣山神社(佐毘売山神社)(益田市乙子町)」は市街地の東側にある比礼振山(標高358.6m)の麓(ふもと)にあります。(比礼振山は「権現山」ともよばれています。)

佐毘売山神社 前 益田市


佐毘賣山神社(佐毘売山神社)の本来の参道「古い石段」上から撮影。

佐毘売山神社 参道石段 益田市


実は、私、この石段がお気に入りです。(この石段から、「佐毘売山神社」を見上げると、なんだかタイムスリップした様な感覚になるからです。)


「佐毘売山神社」と世界遺産「石見銀山」との関係

さて、今回のテーマ「佐毘売山神社」と世界遺産「石見銀山」との関係について、
「佐毘売山神社由緒」という説明板内に記載がありました。

佐毘売山神社由緒 全


文章が長く(横に長いので)①前半部と②後半部の2つの画像に分けてました。
①前半部

佐毘売山神社由緒 前半


②後半部

佐毘売山神社由緒 後半


②の後半、赤いラインの部分に

「康暦2年(1380年)には迩摩郡大森銀山へ守護神として、金山彦命を当社より御幣を別けて遷し祭るなり。」
と記されています。

実は「佐毘売山神社」から迩摩郡大森銀山へ分霊されたことについては奥田元宋・小由女美術館(広島県三次市)の村上勇館長(益田市ご出身)によると、以下のような意味もあるそうです。

「祭神の移動は祭っていた技術者の動きを示す。石見銀山開発の前史として、西石見の都茂銅山の開発があり、人と技術が大森にもたらされ銀が採掘された。」

※詳しくは「山陰中央新報 ONLINE NEWS 『特集・石見銀山 : 石見銀山の営み(4)地の恵み 都茂銅山の技術者採掘か~佐毘売山神社を分霊 益田から祭神と移動~(2008年6月22日) 」をご参照ください。


(大森の)鉱山開発のために都茂銅山の人材(鉱山技術者)とそのノウハウと金山彦命…鉱山の神様がセット移動(異動)したとうこと。美都町の丸山銅山での人と技術が大森(石見銀山)にもたらされ銀が採掘されたと考えられます。

美都町の「都茂銅山」は世界遺産「石見銀山」開発と歴史的な繋がりがあったわけです。益田市の「佐毘売山神社」にて貴重な情報を得る事が出来ました。


【佐毘売山神社について】
『フリー百科事典『ウィキペディア』に益田市の「佐毘売山神社」の掲載がありました。

佐毘売山神社
佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)は、島根県益田市にある神社である。式内社で、旧社格は村社。石見銀山(大田市)にある佐毘売山神社は当社の分社である。
【祭神 】
金山彦命・金山姫命を主祭神とし、埴山姫命・大山祇命・木花咲耶姫命を相殿に、闇靇神・廣國押武金日天皇(安閑天皇)を別殿に祀る。

【歴史 】
創建の由緒は不詳である。当初は比礼振山(佐毘売山)の山頂に鎮座し、金山姫・埴山姫・木花咲耶姫の三柱の女神を祀り「姫山神社」と称していた。「佐毘売山」は姫山に接頭語「さ」がついたものである。寛平5年(893年)、美濃国南宮大社より鉱山の神・金山彦命を勧請し、さらに山の神・大山祇命も祀って「五社大権現」とも称した。延喜式神名帳に「石見国美濃郡 佐毘賣山神社」と記載され、小社に列している。
貞治4年(1365年)、一帯に旱魃が起こり、比礼振山で雨乞いをしたところ雨が降ったことから、大和国吉野山から水の神・闇靇神と蔵王権現を合祀し、以降は「蔵王大権現」とも称されるようになった。
(以下略)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用


【画像は2009年04月撮影】

MAP(航空写真)・場所:佐毘賣山神社


丸山銅山跡(旧安養寺跡)の現在の光景(益田市美都町)

県道314号線の丸山銅山跡入口の標識から歩くこと約10分。

当時は、道はぬかるんで、足もとが悪く、しかも、道は殆ど篠竹が覆いかぶさり前方がよく見えない。
かなり我慢が必要でしたが・・・そんな苦労の甲斐があって…こんな場所に辿りつきました。

丸山銅山跡 旧安養寺跡 益田市美都町


画像の下方に相当古そうな石垣があるのがわかりますか?

よくみると、

旧安養寺跡 案内


旧安養寺跡」と!(安養寺といえば、美都町山本の見事なしだれ桜があるお寺ですね。)

別の石垣からは太い木がニョキっとはえています。

旧安養寺跡 石垣と木 能登川


ここを流れている小川は能登川(の上流)かと思われます。


日本三代実録』によると丸山銅山が発見されたのは平安時代、元慶五年(881年)。

丸山銅山跡 旧安養寺跡2


かつて、ここにどんな建物があって、どんな人々が暮らしていたのでしょうか?
丸山銅山跡と旧安養寺跡とはどんな関係があるのでしょうか?


実は、丸山銅山の歴史につては、「益田市誌」に関連情報がありました。
次回は「益田市誌」で見つけた「丸山銅山の歴史」に関する内容についてです。


【画像は2009年05月撮影】

MAP・場所:丸山銅山跡(旧安養寺跡)


丸山銅山跡入口…丸山銅山の歴史(益田市 都茂鉱山跡)

益田市美都町の都茂鉱山跡探訪記
前回の昭和時代の「丸山坑入口」から、平安時代の「丸山銅山遺跡」へ。

場所は県道314号線を進み、野々峠を超え、少し下ったところにあります。

目印は、「丸山銅山跡入口」と書かれた杭(くい)看板。

丸山銅山跡入口 益田市


丸山銅山跡入口
この鉱山が発見されたのは平安時代881年ということです…

『※日本三代実録』元慶五年(881)三月七日乙卯条」であるということがわかりました。

出処は、IMES…日本銀行金融研究所における論文(ディスカッション・ペーパー・シリーズ)です。

IMES Discussion Paper Series 2002-J-30

「古代銭貨に関する理化学的研究」「皇朝十二銭」の鉛同位体比分析および金属組成分析(PDF)
>>http://www.imes.boj.or.jp/japanese/jdps/2002/02-J-30.pdf  齋藤努・高橋照彦・西川裕一

の19ページに記載されています。

参考:日本三代実録とは

日本三代実録(にほんさんだいじつろく)は、平安時代の日本で編纂された歴史書で、901年に成立。六国史の第六にあたる。

清和天皇、陽成天皇、光孝天皇の三代、天安2年(858年)8月から仁和3年(887年)8月までの30年間を扱う。編者は藤原時平、菅原道真、大蔵善行、三統理平。編年体、漢文、全50巻。
※フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

さらに、丸山銅山はあの世界遺産の「石見銀山」(島根県大田市)とも歴史的に関係があるようです
※山陰中央新報さんのONLINE NEWSでの特集に

特集・石見銀山 : 石見銀山の営み(4)地の恵み 都茂銅山の技術者採掘か
佐毘売山神社を分霊 益田から祭神と移動 (2008年6月22日)
>>http://www.sanin-chuo.co.jp/tokushu/modules/news/article.php?storyid=504046180

という興味深い記事がありました。(コンパクトで且つわかりやすい記事です))

(尚、島根県の大田市の石見銀山と益田市の都茂銅山(あわせて、益田市の比礼振山(ひれふりやま)(権現山(ごんげんやま)ともいう)の麓にある佐昆賣山神社)との繋がりについては後日特集します。)


また益田市の美都町には銅精錬所跡となる「大年ノ元遺跡」というものがあるそうです。
「webさんいん」さんのサイトにあった山陰中央新報さんの記事
>>美都で銅精錬工房跡 大年ノ元遺跡 炉壁片や滓出土 中世の鉱山都市の可能性 (2002年5月23日)

(上記記事によると「大年ノ元遺跡」は全国的にも珍しく、貴重な遺跡だということです。)


さあ、いよいよ丸山銅山跡へ!

と思って進んでいたのですが!?…こんな状態でした。

丸山銅山跡への道


軽装では無理そうなので、この日はここまで。今回は丸山銅山の予備知識(知的入口)というの事に…

【補足文献資料】
九州大学総合研究博物館の以下の論文(PDF)
>>蛍光X線分析法の製錬津試料への適用(中西 哲也、吉川 竜太、井澤 英二)
九州大学総合研究博物館研究報告 Bull. Kyushu Univ. Museum No.2,149-156,2004

上記論文は、「九州大学地球上源システム工学部門に設置されている蛍光X線分析装置を使用して、銅鉱石・銅製錬津の分析に適用した際の技術的なポイントについて報告する。」ということが主たる論旨にあたります。
※注目すべきは、適用分析例として山口県の長登銅山と島根県益田市美都町の「都茂丸山銅山」の鉱石・製錬津・炉壁試料に関して紹介されています。


【画像は2009年04月撮影】

都茂鉱山跡探訪:昭和時代の丸山坑入口付近(益田市 都茂鉱山跡)

益田市の産業遺産ともいえそうな、美都町の都茂(つも)鉱山跡の探訪記

今回は、昭和時代の丸山坑の入口」付近までです。

県314道号線の都茂鉱山選鉱場が見える地点から、さらに1km強、上り坂の道路を進むと「手書きの道標」がありました。

都茂鉱山 丸山坑 道標


左の未舗装道路(車は進入できません)をいくと「丸山坑」入口だそうです。
(ちなみに匹見町方面の方向へ行くと「野々峠」となります。)


この道標の上方には…コンベア系の鉱山設備の残骸がありました。

都茂鉱山の丸山坑関連設備 残骸 益田市


上から見ると構造がわかります。三本の太いパイプ状のものが配置されています。どうやらベルトコンベアではないようですネ。

都茂鉱山設備の残骸 益田市


歩くこと数百メートル…これが「昭和時代の丸山坑の入口」です。

都茂鉱山 丸山坑 入口


昭和の全盛期のころは、銅と亜鉛の鉱石や、あの都茂鉱tsumoite:BiTe組成 (ビスマス原子とテルル原子の比が1:1の鉱物))が沢山採掘されたのでしょうネ。

倉庫らしき構築物の中には…奥には、巨大な(青色の)モートルの残骸がありました。

都茂鉱山 丸山抗関連施設 残骸 益田市


偶然ですが、都茂鉱山の当時の「岩石採取標識」を発見しました。(沢に向かって落ちていました)

都茂鉱山の「岩石採取標識」


手書きの標識ですね…事務所名からはじまり…採掘の方法:階段採掘法…業務管理者の名前、等々記載されています。

・都茂鉱(tsumoite)の発見
・全盛期を偲ばせる鉱山施設の残骸群
・手書きの道標や岩石採取標識

都茂鉱山跡には昭和時代の益田市の産業遺産・遺跡的なアイテムがゴロゴロありますネ。


【画像は2009年04月撮影】

都茂鉱山跡 その歴史と今の風景(益田市 美都町山本地区)

益田市の美都町山本地区には、「都茂鉱山跡」という場所があることをご存知ですか?

◆かつての都茂鉱山の特徴
島根県を代表する「スカルン鉱床」(※本ページ最下部に用語説明あり)。
都茂鉱(tsumoite)というビスマス(Bi)テルル(Te)から成る独特の鉱物が世界で初めて発見。
最盛期の1970年ごろには、銅と亜鉛の鉱石を日量600トンを処理。


都茂鉱山は最盛期である近現代史的には、「中外鉱業(株)によって操業。1979年以降、都茂鉱業(株)の経営にかわる。1987年都茂鉱業が操業休止。1988年閉山。」という経緯だそうですが、
当地の史料によると当鉱山内の「丸山鉱床」は「平安時代の836年に、すでに採掘が始まっていた」との事です。

※参照:島根地質百選選定委員会による「山陰・島根ジオサイト 地質百選」:都茂鉱山(益田市美都町山本)より

都茂鉱山(益田市美都町山本)
>>http://www.geo.shimane-u.ac.jp/geopark/tsumokozan.html


都茂鉱山跡(益田市美都町山本)の画像をいくつかピックアップしておきます。
(県道314号線を「野々峠」に向かって進んで(登って)います。)
◆まずは、旧鉱山事務所入り口付近

中外鉱業株式会社 都茂管理事務所


◆都茂鉱山選鉱場跡(美都町教育委員会による)

都茂鉱山選鉱場跡と「案内杭」(美都町教育委員会)


かつての都茂鉱山選鉱場…直径10数メートル以上はあるかと思われる大型の円形工場設備等が見えます。(少しわかりずらいですが…画像中央の錆びて赤茶けた設備。)

都茂鉱山選鉱場跡


さらに、採掘石を移送させたと思われる「コンベア設備」の一部も残っていました。

都茂鉱山選鉱場 コンベア設備


このコンベア設備、以前はこの県道をまたぐ形で反対側の斜面にも続いていたようです。(道の反対側の斜面(法面)の雑木林の中にもコンベア設備の残骸がありました。)


とても静かな場所に、巨大な鉱山施設の残骸群…。


都茂鉱山の最盛期を知る父によると、
・この鉱山には、当時、多くの優秀な鉱山技術者が勤めていた。
・美都町の「葛篭(つづら)」という地区は鉱山町で(「鉱山宿舎」や小学校(分校)もあった程)多くの人々が暮らしていた。
との事でした。
※参考サイト:島根地質百選選定委員会による「山陰・島根ジオサイト 地質百選」
>>http://www.geo.shimane-u.ac.jp/geopark/geosite.html
【用語:スカルン鉱床】

スカルン鉱床(すかるんこうしょう、skarn deposit)とは、熱水鉱床の一種である。石灰岩などの大規模な炭酸塩岩帯に花崗岩が貫入した際に伴う熱水により、交代作用が生じ形成される。形成温度が低いため、鉄や銅をはじめ亜鉛や鉛など工業用途として有用な金属を大量に含む鉱石が産することで知られる。
( フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)


【画像は2009年04月撮影】