益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

益田音頭

益田市で徳川夢声生誕地と夢声作詞「益田音頭」の楽譜を尋ねたら

益田市郷土の三偉人の一人「徳川夢声

以前、このサイトで、益田小学校の敷地内にある「徳川夢声生誕地」案内板を取り上げています。


「徳川夢声生誕地」案内板があるならば…


「徳川夢声生誕地」案内板があるならば、その近くには、徳川夢声生誕地の正確な場所を示す碑とか立札のひとつはあってもよさそうなのですが…

地元の人、数名に尋ねても「さぁ、わからんのう?」といった応えばかりでござあました。


濱田研吾氏の書籍『徳川夢声と出会った』(晶文社 発行:2003年12月25日)

徳川夢声と出会った 濱田研吾


ならば、

「もしかしたらその辺(あたり)のことが記載されているのでは?」
という期待を持っていました。

濱田研吾氏の『徳川夢声と出会った』には、

益田市立益田小学校の校庭に面した空地のあたりが生家跡とされているが、表札も立っておらず偲ぶよすがとてない。(31ページ)

と記されていました。

益田市のこのあたりは昭和58(1983)年7月豪雨による大水害。実際、洪水でぐちゃぐちゃになった場所の時(当時、私は益高生)を思い出せば(夢声さんが生まれた家が)分からなくなるのもあたりまえなんだよなぁ…と改めて、己の郷土益田市の歴史認識、思慮の不足を反省いたしました。


「徳川夢声生誕地」を確定することに意味(価値)があるのか?


そもそも、「徳川夢声生誕地」を確定することに本質的な意味(価値)があるのだろうか?
という醒めた気持ちにもなってきました。

(似たような思いが、益田市の歴史に絡む、柿本人麿(柿本人麻呂)の存在にもあるのですが)

そのあたりは、(論じると長くなりそうなので)別の投稿にいたしませう。


じゃが!! 「徳川夢声生誕地」を知っているお方が益田市におった!!


益田市の「徳川夢声生誕地」を確認することなど、よく考えてみればそれほど価値はないのう…

と、気持ちは整理されていました。でも、やはり知りたいものなんです。(性分というやつなんでせうか。ハハハハ♪)

本日、益田市の益田歴史民俗資料館の館長様から貴重な情報をいただきました♪


きっかけは、濱田研吾氏の書籍『徳川夢声と出会った』を持ち出してからでした。


「濱田さんの本にもあったんですが…徳川夢声さんが生まれて場所は、水害やらで、今や確定はできんそうですネ…?」と尋ねたところ。

益田歴史民俗資料館の館長様から驚くべきお話が…


「えっ?、そんなことはないですよ!。徳川夢声の生家は、この(ここ、益田市歴史民俗資料館から徳川夢声の案内板を結ぶ直線)先をまっすぐ行って、(益田)小学校の遊具付近に、地元の小学生の通学路(里道)があります。それを進むと駐車場があって、その辺に、かつて長屋があって、そのうちの一件が「徳川夢声」がうまれた家なんですよ、…生まれただけですけどネ、ふふ」


「ハイハイ、生まれただけですよネ、ふふ」

生まれただけ…「ふふ」、共感がありました。

それについては後日お話ししませう。

とにかく、重要な手掛かり(情報)です。

で、早速、行って見ました・・・徳川夢声生誕地。

徳川夢声生誕地


ここかぁ、ここなんだ…なるほどなぁ~

ときたま通る自動車の音の切れ目の中で徳川夢声さんの産声が聞こえたような気がしました…

ふと見ると七尾山には靄が…

徳川夢声生誕地から七尾山


な~んて、おセンチな話しでは、かの夢声さんに怒られそうで…(ハハハはっは♪)


「徳川夢声作詞「益田音頭」の楽譜


すいません。かなり、ひっぱりましたw


で、徳川夢声作詞「益田音頭」の楽譜みつかりました。スイマセン(当然ですが)チラみせです。

すいません。これ、いわゆる「雑」に扱いたくない代物なんで…

徳川夢声 作詞 益田音頭 楽譜チラみせw

益田市には2つの益田音頭がある

明後日(2015年4月19日)は益田市の最大級の祭の一つ…「益田まつり」の日。

昨日図書館入口で、今年バージョンの「益田まつり」のポスターを見ました。
いやぁ~「益田まつり」…すごく立派なポスターですネ♪
益田まつり実行委員会さんの「気合」が感じとれます。

58回益田まつりポスター


実は、私、現在、住まいが益田市の(「元町」から)「高津」に移ったので、帰郷してから一度も「益田まつり」を見に行ったことがありません。高津地区ですからねぇ(ハハハ!


ですが、昭和の記憶なんですが…「益田まつり」は(私にとって)益田市の行事の中で、大の楽しみの一つでした。

(ちなみに、昭和時代の「益田市」での大の楽しみ行事…その他についていいますと、「益田市の商店街(今は消滅したけど)土曜夜市」「高津川河口の水郷祭」と「高津の八朔」でございます。ほんとに楽しかったなぁ~♪)


昭和の頃の「益田まつり」…当日、早朝には「のろし」(…大きな音のでるやつ)を聞くと何だか無性にワクワクしてきたのを覚えています。


余談ですが、昭和のころは、「益田まつり」当日は、日中にも何発も「のろし」…大きな音のでるやつが打ち上げられまして、そいつには仕掛けがあって、巨大な「日の丸の旗」・・・それを、一度だけ鹵獲したことがあるのですが、旗は紙製で、日の丸国旗、四辺の、下の二隅には鉛の錘がついていました。

日の丸国旗が益田市の上空を漂っていく光景の記憶は今でも、何故か、とてもなつかしいですのう。


益田市には2種類の益田音頭がある…



さて、今日の話題。

益田市には2種類の益田音頭がある…

「益田まつり」といえば、テーマソング(?)は「益田音頭」


昭和の時代には、益田まつりの日には大音響で、当時の益田市の中心市街地(今は閑散としていますが)


「市民学習センター」…否!、
「石西県民文化センター」…否!


実は昭和時代には「益田市民体育館」というのがありまして、それと、「益田市商工会議所」の間の広い道路が「益田まつり」のメイン会場でした。

昭和時代…40年代から50年代の「益田まつり」当日は、超大音響の「益田音頭」が一日中鳴り響いていました。
その音量のレベルはすさまじく、まつりが終わった夜も「益田音頭」が耳鳴っていました…これも、いい思い出です♪

で、現在の「益田まつり」の「益田音頭」の歌詞ってコレ↓ですか?

新益田音頭 歌詞


もしかしたら現、平成益田市では歌詞にマイナーチェンジとかあるかもしれませんが…(たとえば「連理松」とか)、でもネットで調べたんですが、、、基本はコレ↑ですよね。


でっ、実は、この益田音頭、正しい名称は「益田音頭


はい、そうです♪「新」益田音頭があるならば、

当然、元祖?的「益田音頭」があるはずです!・・・というか、ございますんです(ハハハッ)


しかも、それは、益田市で選出された郷土の三偉人の一人、徳川夢声さんが作詞したものなんですね。

徳川夢声さん作詞の「益田音頭」の内容は・・・

益田音頭 徳川夢声作詞

この「益田音頭」の歌詞は、昭和37年、益田市の市制10周年を記念して徳川夢声さんに依頼し作詞してもらったそうです。

徳川夢声さん…益田市のお生まれの郷土の三偉人の一人と益田市では言っていますが、益田市名誉市民ではありません。

なぜなら!?…というか、とうに(既に)、

東京都名誉都民(昭和40年)、勲四等旭日小綬章(昭和42年)という称号をお持ちですけぇ。


【次回予告!!】

次回の徳川夢声さんに関する投稿はというと、夢声さん作詞「益田音頭」の「謎」についてです!!


今回の画像。「新益田音頭」、徳川夢声作詞「益田音頭」ともに引用は


書籍名:益田
発行:益田市観光協会
発行日:昭和56(1981)年12月10日

です。…