益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

益田市風景

益田市で泡様の白花の穂を持つ樹木を発見(島根県立万葉公園にて)

昨日、益田市の島根県立万葉公園に行ってきました。

目的は、ウォーキング。天候と空気がいい日には島根県立万葉公園でウォーキングが楽しめるので、足の筋力も徐々にですが復活しています。

皆さんは、益田市の島根県立万葉公園内には、森林内に設置されたウォーキングコースがあることをご存知でしょうか?

今回はまず、昨日(実は今日も)観察した、島根県立万葉公園内の森林内に設置されているウォーキングコースで…偶然、

泡様の白花の穂を持つ樹木


を発見した!というお話です。

早速ですが「泡様の白花の穂を持つ樹木」の画像です。

益田市 万葉公園 白い花の穂がある木


なんだ!この白!…まるで淡雪のような白色です。


幻想モードですが(ハハハッ)

益田市 万葉公園」白い花の穂と月の風景

淡雪のような白色の花が咲く丘の上に、淡い半月もみえておりまする♪


で、今日、地元の尊敬する先輩に呼び出されて、このコースを訪れることとなってしまったので、

ついでで、接写系の撮り方した画像↓

益田市 島根県立万葉公園 白い穂がある木up


【この樹木について…】

島根県立万葉公園のウォーキングが楽しめるコース内の泡様の白花の穂を持つ樹木について

のべ2時間調べたところ…否、実は樹木の名前は正確には分からなかったのですが(汗)


どうやら「椎の木」の系統だと…でも、一般的な椎の花の場合、黄色がかっているのですが、この樹の花は純白でした。

今日現在、島根県立万葉公園のウォーキングコースでは、山桜の花は当然、そして山躑躅(やまつつじ)の花も散り去りる中、唯一の「花姿」。…魅了です♪

【おまけ…万葉藤園の藤の咲がら…2015年4月28日】

島根県立万葉公園 万葉藤園 20150428



ほぼ、満開ですよ♪・・・一方、白華美短藤(しろかぴたんふじ)はギリギリですが…

明日は当地では「万葉まつり」の日ですね♪

役員とかスタッフとかに、よほどの雨男とか雨女がいなければ、天候は問題ないようです。


では、おやすみなさいまし♪

益田市の「風の丘広場」のハクモクレン(白木蓮)の風景に学ぶ

益田市の萩石見空港に隣接する「風の丘広場」の今年3月後半の風景。

益田市も、3月になって、やっと暖かくなってきたせいか(今朝は寒かったけど)、

ここ「風の丘広場」には、平日でコンスタントに10数人の訪問者が見られるようになりました。
(ウォーキングをする方々と、子ども連れで遊戯施設で遊ぶ方々が多いようですね。)


さて、今回のテーマは、久々の「自然ジャンル」……「植物」系です。


益田市の「風の丘広場」3月の「植物」……「花」といえば、コレ!

風の丘広場の白木蓮 益田市の風景

ハクモクレン(白木蓮)ですよネ!?(撮影日時は2015年3月23日15:00頃)

風の丘広場 モクレン2アップ


(モクレンには「木蓮」と「木蘭」という表記があるようですが、ハクモクレンに関して言えば「蓮(ハス)」だよなぁ~と感じています。)

益田市の「風の丘広場」のハクモクレン(白木蓮)


「風の丘広場」のハクモクレン(白木蓮)……

「はぁ?ハクモクレン(白木蓮)?そがーに有名かいのう?」

いえ(汗)、『風の丘広場』の「ハクモクレン(白木蓮)」中低木が3~4本程、

ただ、この時期、このだだっ広い益田市の『風の丘広場』には、他に目立つ花が咲いているわけでもなく、とても存在感があるわけです。


この日の益田市は、珍しく綺麗な青空。
(益田市の大気中のPM2.5の値も概ね10前後…ただし、17時に突如「53」の異常値が出てましたが…)。


青空に「ハクモクレン(白木蓮)」の白が映えますね♪

風の丘広場のモクレン 益田市


とても綺麗です。そして、これだけの花々があると、周囲には心地よい「ハクモクレン(白木蓮)」の香りがただようわけで、とても気分が良かったです。


では!また次回をお楽しみに♪

って、

わけには(このサイトのポリシーとして)いかないので(へへッ!!)

ここまで、読んでいただいた方へのお礼として、「ハクモクレン(白木蓮)」の花言葉でも…

と思ってネットで探していたら、偶然!? ハクモクレン(白木蓮)に関して面白い事を知りました。

モクレン(木蓮)は別名「磁石の木」!?


モクレン(木蓮)が「磁石の木」ともよばれていることをご存知ですか?
(私は知りませんでしたw)

まずは、この画像を見てください。

風の丘広場 白木蓮 磁石の木


なんだか、このハクモクレン(白木蓮)の花々、同じ方向になびいている・・・反っている感じ、しませんか?

私、初めてここのハクモクレン(白木蓮)を見た時点で気づいていたのですが、この現象は、ここ「風の丘広場」で「強い南風が吹き続けたせいだろう…」と思っていました。

ところが!! ハクモクレン(白木蓮)の花言葉を探す中で、いくつものサイトで、「磁石の木」という言葉があるのです。

その理由は、

日当りのよい場所に育っている、ハクモクレン(白木蓮)の「蕾」は北側を差している(北側に反っている)からというものでした。


なぜ、モクレン(木蓮)の「蕾」は北側に反るのか!?


いろいろなサイトを参考にしながら私なりにまとめてみました。

日当りのよい場所に育っている、ハクモクレン(白木蓮)は、蕾のときに太陽の光があたる南側と、太陽の光が当たりにくい北側で、温度差があり、南側の花弁と北側の花弁との間に成長の差がでます。

その結果、蕾は北側に反る形になります(バイメタルの理屈に似ています)。

とりわけ、ハクモクレン(白木蓮)の蕾は(鋭い)先端部を持つので、北側を指し示すように見えるわけです…よって「磁石の木」とよばれる・・・ということでした。

実際の画像を見てください。画像内に3つ蕾があります。その先端です。

風の丘広場のモクレン蕾の先

※全部同じ方向を指していますよネ♪
(撮影時は「磁石の木」なんて全く知らなかったので…蕾がある箇所を探し出して、拡大した画像となりました。)

磁石の木とよばれる花(花弁)の条件を考察してみると…

(そもそも)花が大きい
・蕾の時点での花弁の構造(巻きがほとんどない。カパッと咲くタイプ)


この2つの要素が「北を指す」構造をつくりだしていると考えられます。

紫木蓮も「磁石の木」なのか?



最後になりますが、ムラサキモクレン(紫木蘭)の場合はどうなのか?ということも現地で調べてみました。

益田市の「風の丘広場」にはムラサキモクレン(紫木蘭)は2本あります。

今回これまでの画像の撮影日は2015年3月23日は、まだムラサキモクレン(紫木蘭)では小さな蕾で、蕾の先端には「反り」はありませんでした。

というわけでw

本日(3月26日)あらためて、益田市の「風の丘広場」まで、ムラサキモクレン(紫木蘭)の蕾をみに行きました。

ムラサキモクレン(紫木蘭)の蕾の様子をみてみましょう♪


風の丘広場 紫木蘭 磁石の木



おお、3日前と比べて全体的に蕾は大きく、プックリしています。そして各蕾の先端は、予想通り「北向き」に反っています。ムラサキモクレン(紫木蘭)とハクモクレン(白木蓮)は花の構造は若干、異なるそうですが、

(そもそも)花が大きい
・蕾の時点での花弁の構造(巻きがほとんどない。カパッと咲くタイプ) 
 
という面では、ほぼ同じ(構造)なので、両方、磁石の木、蕾の先端は北の方を指すことがわかりました!!

益田市の宮ヶ島、驚きの昔の風景写真(小浜町)

益田市の風景で最近全国的に有名になった場所といえば

宮ヶ島の恵比寿神社(衣毘須神社)ですよね。

私、昨年の3月に益田市の小浜町にある宮ヶ島の恵比寿神社(衣毘須神社)に初参拝いたしました。
※以下のカラー画像は当時(昨年2014年3月に撮影したものです)

益田市宮ヶ島


さて、今回は
宮ヶ島の過去の風景はについて。
私の少年時代の
宮ヶ島の風景の記憶は、今の風景と全く違っていた
ということを語りたくての投稿です。

昔の記憶なのですが、今の宮ヶ島とは全く違う当地の風景の記憶がありました。


宮ヶ島の一番古い記憶は(当時は島の名前すら知りませんでしたが)
昭和40年代…JRが、まだ「国鉄」といわれていたころ。

山陰本線をはしる蒸気機関車から見えた当地の風景の記憶です。

次に古い記憶は、昭和50年代…高校時代、

当時、凝っていた、自転車(ロードレーサー)で、
ここの防波堤沿いの道をノロノロと走りながら「益田市にも凄い場所があるなぁ~」と感じた記憶です。


実は、この2つの記憶風景には現在の宮ヶ島の風景と比べると、絶対的に異なる点があるのです!

「宮ヶ島はもっと鬱蒼とした「松の木々」があったような…」

益田市の宮ヶ島には「たくさんの松の木が茂った岩山…」という記憶でありました。


「あれは、私の記憶のズレ?勝手に作り出した記憶の風景…記憶の改竄…妄想?」と思うと、

(密かに)「まさか、すでに認知症!?」の不安もありましたw


ところが!!
つい先日、昔の「宮ヶ島」の画像を見ることができました。

益田市の戸田ご在住の青木さんから、その画像(写真)をコピーしたものをいただきました。

宮ヶ島の古写真

「おお!わしの記憶は正しかった、確かにコレ↑この風景じゃ♪」
(認知症ではなかった!)

ついでに、現在の益田市の宮ヶ島の昔の松の枯れ木、「最後の松」と日本海の荒波の風景を!

最後の枯れ松 宮ヶ島2014年3月21日撮影


ということで、喜びのあまり(?)
宮ヶ島の古い画像と近いアングルで撮影した最近の画像をトリミング加工して↓

宮ヶ島2014年3月21日撮影トリミング


益田市の宮ヶ島の過去と現在の違いを分かりやすくする、比較用に画像を重ねてみました。

宮ヶ島2014年3月21日撮影トリミングss


いかがでせうか?違いが分かりますか?圧倒的な松の木々の存在です。分かりますよね!

撮影アングルが異なるためのズレは大目にみてくださいまし。

(だけど・・・どうしても手前の鳥居だけは大きさも場所もズレているのが気になりますけど…)


これぞ!「今昔写真考学」略して「今昔写考学」…(殆んど略れていないw)

「今昔写考学」…と民俗学に新たなジャンルをつくったのですが(個人的に)面白い♪
これからも続けますョ!!

2015年今宵は久々に益田市で満月。で、2014年EXスーパームーンと比較してみた

一昨夜(2015年3月5日)益田市の上空でのジェット機(おそらく、F/A-18 ホーネット…米軍岩国基地所属)のおかげで月暈(つきがさ、げつうん)現象を観察することができました。

※ご参照⇒益田市の夜空に月のかさ(月暈)が見えた風景

しかも昨夜が満月であることも知ることができ…


思い出しました!!このサイトの使命の一つを!!

2014年8月のEXスーパームーンは本当にEX(エクストラ)なのか?

2014年は何度かこの検証のため益田市の上空の「満月」と比較したのですが…
なにせ相手(比較対象の満月)がことごとくスーパームーンクラスのため、
EXサイズをお伝えすることができませんでした(汗)

※ご参照⇒中秋の名月(2014)とエクストラ・スーパームーンの比較(益田市にて)

昨年(2014年)の中秋の名月はスーパームーンだったのでEXスパームーンとのサイズ比較をしても、
EX…エクストラ感は伝わりませんでした。

そこで、昨夜、普通の満月(?)ならばと、益田市の夜空に輝く満月で比較してみることにしました(一昨日より空気は若干、カスミは少ない感じでした)

今回も撮影条件は、COOLPIX P510 Nikonの最高倍率で統一しています。

早速ですが比較画像です。

EXスーパームーン2014年8月11日vs満月2015年3月6日益田市にて


おおおお!今回は、昨年のエクストラ・スーパームーンの大きさが伝わりますよね♪

2015年3月6日、この日の満月の画像を追加で掲載します。

益田市満月20150306s



ちなみにCOOLPIX P600 Nikon で最高倍率で昨日の益田市の夜空の満月を撮影した場合はこうなります↓

益田市の満月20150306の風景


デカすぎて・・・おさまらんのです!!COOLPIX P600 Nikon ってすごいね!ブロガーには本当に便利な道具です。
で、最近ヤマダ電器でみたP610はどんな進化があったのか?

まあいいや、

で、今回の画像、アリスタルコス(クレーターの名前)わかりますか?

益田市の夜空に月のかさ(月暈)が見えた風景

昨夜(2015年3月5日)は23時前まで益田市の上空ではジェット機の音が聞こえていました。

時刻も時刻なので、「これって訓練?もしかしたら…」と庭に出て夜空を眺めてみると…

「あっ、月の周りにリング(光の輪)ができとる!!」ことに気づきました。

月のかさ、月暈(つきがさ、げつうん)現象です。
ちなみに英語ではlunar halo


早速ですが画像です。

月暈 益田市20150305


あっ、ちょっとわかりにくいですよネ!?
コントラスト処理をしてみました。↓

月暈s 益田市20150305


月暈、少しは分かりやすくなったでしょうか!?

この日は、ほぼ満月(ちなみに今日(3月6日)は満月です。)

空には明るい月が・・・でも、かすんでいました。

月暈の時の月 益田市20150305


こんな感じの月画像↑でした。(ピンボケではありませんよw)むしろ上空の大気にカスミがあるからこそ、月暈が見れるわけです。

ただ、こんな条件でも、有名なクレーターの1つ「アリスタルコス」だけは(あいかわらず)よく見えますネ。


月暈…生まれて初めて見たわけではないけど…神秘的な風景です♪

おっと!! 最初の話題、昨夜の益田市の上空でのジェット機の音の件。途中から、月暈の撮影に夢中になってしましましたが(汗)

赤い衝突防止灯がボンヤリと数回点滅したのが確認できました。(画像は撮れてません)

おそらく、F/A-18 ホーネット…米軍岩国基地所属だと思います。夜間訓練ですかね?

益田市の「風の丘公園」…地図に無い公園を発見

益田市にはYahooやgoogleの地図に載っていない「公園」があることをご存知ですか?

「そりゃ開発行為にともなう、ちっこい公園のことじゃろうや?」と思う人もいるでしょうが、

いえいえ、そんな小さい公園の話をしているのではありません。
実は、「益田十景」にも取り上げられている、「公園」…「風の丘公園」の事なんです。

先日、偶然、こんな看板?を見つけたのです。
風の丘公園と石見空港

心に刻む益田十景 「風の丘公園と石見空港」とあります。
場所は、益田市の高津方面からの「萩・石見空港」への接続道路(たぶん県道)坂道の中腹です。

 私は、益田十景の 「風の丘公園と石見空港」というタイトルについて、以前、石見空港はよしとして(萩・石見空港は石見空港の愛称だから)「風の丘公園」でななく「風の丘広場」であると正した記事を投稿したことがあります。

 ですが、本当に「風の丘公園」は存在したのです。 でも、Yahooやgoogleの地図に載っていない「公園」であることも確かです。

「風の丘公園」…いったい、いつごろ出来たのでしょうか?

現地でフィールドワークしてみたらこんな看板を見つけました。

萩・石見空港 風の丘公園 創立周年記念植樹

「萩・石見空港 風の丘公園 創立20周年記念植樹 贈益田西ロータリークラブ 平成8年1月」と、

平成8年は西暦で1996年ということなのでその20年前となると1976年。

益田市の「石見空港(愛称:萩・石見空港)」の開港が1993年(平成5年)ですから、この「風の丘公園」がつくられたのは、それより17年も前の事になります。

石見空港の歴史を調べてみると…

石見空港は(略)交通の利便性で著しく劣る島根県西部の高速交通網整備を目的として、島根県が1973年(昭和48年)に石見地方に空港を設置する構想を策定、1987年(昭和62年)の設置許可を経て1993年(平成5年)に出雲空港、隠岐空港に続く島根県下3番目の空港として開港した。

ウィキペディア:石見空港より

とありました。「島根県が1973年(昭和48年)に石見地方に空港を設置する構想を策定」とあるので、1976年は、石見空港の建設推進のための象徴?…イベント的につくられたのかもしれませんネ。

今回もまた、「益田十景」について再編集しなければなりません…

というか、益田市の歴史記述…とくに観光目的のそれはかなり「ゆらぎ」が多いようで混乱します。

言いわけですが…益田十景の絵葉書集では「風の丘公園と石見空港」というタイトルで、「澄川 喜一 先生のTO THE SKY」が描かれていましたんです。…「TO THE SKY」がある場所は「風の丘広場」としてYahooやgoogleの地図に載っています。

益田十景 絵葉書 石見空港風の丘公園

上の絵葉書の場所は「風の丘広場」ですよネ!!

そもそも、「益田十景」という言葉が益田市では「死語」なのかもしれません。

益田市内の絵葉書や観光パンフは稚拙なものが無いことを願います。

益田市の「風の丘公園」場所地図

益田市の夕日は2月は海に沈まない風景「高山夕日」(高津川河口付近より)

益田市の絶景というのは益田市の海岸「三里ヶ浜」からの日本海に沈む夕日!!
これは本当に絶景ですよネ♪

高倍率の機能をもつデジカメなら、今や益田市沖の日本海での「だるま夕日」は頻繁に確認できます。

ご参照⇒「だるま夕日 山陰」風景画像コレクション(益田市三里ヶ浜)

今回の撮影日は2015年2月23日…夕方。
益田道路を遠田方面から高津方面に向かって運転しいると・・・久々にまん丸の夕日を確認。

高山夕日1 益田市風景


↑この画像は、益田市の大塚から撮影したものです。

実は、この日は黄砂やPM2.5のレベルも高く、全体的に霞んだ益田市の風景。でも夕日の輪郭だけは綺麗な「日の丸」…益田市の2月の夕日は一体どこへ沈むのか?

ならば!と、高津川の河口付近…大塚方面へと向かったわけです。

高山夕日 益田市 高津川河口からの風景


おお、今の時期(2月23日)は、まだ夕日は日本海に沈まないのですネ。

お隣、萩市須佐町の「高山(標高532.8m)」の尾根に沈んでいくではありませんか!!

高山夕日 益田市風景


構図が面白かったので、少し遊んでみました・・・私が大好きな画伯風に加工。

高山夕日


※あっ、この画像↑は、私が、浮世絵の技法を真似て加工(作品化)したものです。
(肉眼で見たものとは全く異なる画像です。どうかご了承くださいませ♪)

益田市の夕日は、観光的な意図をはらんで、なにかと、「日本海に沈む」的な構図が多い中、今回の画像・・・
高山夕日」はある面、レアかとwww

益田市の高津川河口付近から三里ヶ浜あたりまでで日本海に沈む夕日が見れるのは何時ごろからなのでしょうか?(地味にコツコツ観察してみますw)

益田市の「洞ノ鼻」の風景と地名の謎(鎌手地区)

以前、このサイトで益田市の高島と伊勢島(岩礁)と本土の3つが確認できる画像を投稿したことがあります。

※参照⇒益田市高島の「お伊勢物語」の内容を比較してみた(冒頭部編)
リンク先の記事の後半に掲載している画像です。

実は、この画像の撮影場所から、

益田市のプチ秘境、プチ絶景といえる、とても美しい風景をみつけました。


洞ノ鼻」とよばれる場所です。

益田市 洞ノ鼻の風景1

撮影場所は、お隣の、浜田市三隅町岡見の源田山(標高263m)の麓の道路からです。
益田市 洞ノ鼻の風景2


岩場と砂浜がコンパクトにまとまっていて素敵ですネ♪

「洞ノ鼻」の地名の由来について考えてみた。

「洞ノ鼻」の地名にはどんな由来があるのでしょうか?
「鼻」というのは一般的に海に突き出した部分(地形)をいいますので特に疑問はないのですが…


「洞」について連想できる単語(熟語)は「洞窟」、「洞穴」です。
そう思って、上の画像をみたところ…(もうお気づきの人もいるでしょうけど…)

益田市 洞ノ鼻の洞


ここに「洞窟」「洞穴」のようなものが確認できます。白い粒のように見えますが、海までつながっている穴にも見えます。(もしかしたら、ただの白いゴミかもしれません!?)

【追記】3月2日(月)・・・洞ノ鼻の「洞」が(上の画像より多少)わかりやすい、画像を2月8日(日)の撮影記録で発見!!しました。

洞ノ鼻 洞の穴 益田市の風景


2015年の2月8日。益田市の日本海はとても風が強く、かなりの時化だったわけですが、何の偶然か?確かに貫通した「洞(穴)」とみられるものが(こちらの画像の方が)よく確認できますネ♪

岩山を貫通した「穴」・・・これが、「洞ノ鼻」の地名の由来に関係しているのでしょう♪…「洞」がある「鼻」というわけです(多分)

※もう少し暖かくなったら、実際に現地(洞ノ鼻)で確認してみたいと思います。

「洞ノ鼻」について地元、益田市の人に聞いてみた…

実はここ「洞ノ鼻」について地元、益田市のいろいろな方にたずねてみたのですが(たまたまでしょうけど…)誰もご存じありません。

ただお一人、(高津の)釣り好きの方に聞くと、この場所自体は(釣り場として)よくご存知で


「ああ、あそこは、わしらぁが「二つ岩」ちゅうて呼んどるとこじゃぁ…二つ大きい岩山があるろう!? じゃけえ「二つ山」ちゅうんじゃあネ。

ふ~ん…あそこは「洞ノ鼻」ちゅうていわれとる場所なんかネ?初めて知ったのう…」

という益田市の貴重な釣り場情報も知ることができました♪

「洞ノ鼻」は、地元の釣り人には「二つ山」とよばれているのですネ♪・・・「二つ山」・・・わかりやすいですよネ。

洞の鼻(益田市鎌手地区)場所地図(googleマップより)

益田市高島の「お伊勢物語」の内容を比較してみた(冒頭部編)


益田市の伝承・伝説で『まんが日本昔ばなし』にも取り上げられた「お伊勢物語」

前回は、益田市の土田海岸の沖約2㎞にある「伊勢島」の姿を中心にした内容を投稿しました。

※前回の内容はコチラ⇒益田市沖の伊勢島と『まんが日本昔ばなし』お伊勢物語の姿を見る

今回は、『まんが日本昔ばなし』を含めた3つの「お伊勢物語」の内容…微妙な内容の違いをとりあげます。

まずは、『まんが日本昔ばなし』の「お伊勢物語」
まんが日本昔ばなし~データベース~サイトで『まんが日本昔ばなし』での「お伊勢物語」を知ることができます。
※ご参照:『まんが日本昔ばなし』データベース

http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=958

実際に『まんが日本昔ばなし』No.0958の「お伊勢物語」放送日:1987年06月13日(昭和62年06月13日)をご覧になった事がある方はご存知だと思いますが、


冒頭部では、主人公である「お伊勢」がおかれていた状況(津田の村でとても貧しい家に育っていた)と高島に嫁ぐまでの経緯(いきさつ)がとても可哀そうなものとして具体的に描写されています。


・「お伊勢」の家は「(津田)村で一二を争うくらい貧しかった」
・一生懸命育てた作物(大根)も、みんなカラス達が先に齧っていく。(このシーンは特に可哀そう(涙))
・「お伊勢」は家族(老いた父母、幼い弟妹)の事を考えると、自分は一刻も早く嫁いでいかなければと感じていた…「口減らし」のためである。
・ある日、「お伊勢」の嫁ぎ先が決まる…(益田市沖の)「高島」だった。定期的な船の交通などなく、高島へ渡ってしまえば簡単には家族に会いに戻ることはできないという場所だった。


以上が『まんが日本昔ばなし』の「お伊勢物語」での内容だったわけですが、

益田市の鎌手にある案内板、『石見舟歌に生きる「おイセ」の物語』

石見舟歌に生きるおイセの物語(拡大)


また、
矢富熊一郎先生の著書『謎の高島』

謎の高島


さらに、
益田市内のいろいろな民話をあつめた大型本『益田の民話』(2002年3月「益田の文化を育てる会」)

益田の民話 益田市の伝承・伝説資料


以上、地元益田市の資料3つのには、一切、お伊勢が嫁ぐまでの情報、具体的な説明、描写はないのです!!


★順を追って確認してみましょう。

案内板『石見舟歌に生きる「おイセ」の物語』の冒頭は、

 津田村の娘おイセが高島の若者に嫁いだ。


矢富熊一郎先生の著書『謎の高島』の「おいせの伝説」の冒頭は、

ある年おいせと言う女が対岸の津田からこの島へ嫁いだ。


書籍『益田の民話』の「お伊勢島」での冒頭は、

お伊勢さんちゅう娘(むすめ)さんが、あの海の向こうに見える高島にお嫁にいったんじゃ。


「お伊勢物語」の地元、益田市の資料すべて、「お伊勢物語」の冒頭は、共通して…(いきなり)「「お伊勢」が高島に嫁いでいった。」という感じで始まっているのです。


あっ、今回の投稿、
『まんが日本昔ばなし』のストーリーテラーが素晴らしい!(脚本家の小国英雄 的な起承転結の構成で見事!)ということを、ことさら強調するものではありません。

むしろ、益田市の一次「的」伝承・伝説情報が、物語の「起」部が、なんで、こんなに、異常にシンプルなのか…

私は気になりました。

あなたはどうですか?…どんな、空想、仮説が湧きましたか?

もしよろしければ、コメントくださいまし♪


わたくし的視点では、あまりにもシンプルすぎる冒頭部の話は、

当時の益田あたりでは、津田村の貧しさは周知のとおりで、あえて具体的に表現しなくても…当時の地元益田では語り継がれるうえでは、十分理解されていたのでは…と。

高島と伊勢島と洞の鼻のこの風景…距離観。もしかしたら「お伊勢物語」は、実話ではないか?とも思えてきました。(高島から手前の砂浜まで約10㎞…ちなみに、高島から津田の海岸までは約12㎞)

益田市 高島 伊勢島 洞の鼻

益田市の「高島」と「伊勢島」そして「洞ノ鼻」付近の海岸(砂浜)の風景(撮影は2015年2月14日)

伊勢島が何処なのかわからん!という方向けに(説明付きで↓)
益田市 高島 伊勢島 洞の鼻 説明


※次は⇒益田市高島の「お伊勢物語」の内容を比較してみた(高島脱出編)です。

益田市沖の伊勢島と『まんが日本昔ばなし』お伊勢物語の姿を見る

益田市の日本海沖に「伊勢島」という島があることをご存知ですか?


今年(2015年)の2月、益田市の鎌手方面の散策は、実は「唐音水仙公園」が主たるテーマではなく、益田市の鎌手地区…土田海岸沖にあるという「伊勢島」確認のためのものでした。


「伊勢島」については、益田市沖の「高島」がらみの伝説「おイセの物語」としてご存知の方も多いのではないかと思います。


「え?おイセの物語…わしゃ、そんな田舎の話は知らん」

という方もいるでしょうが…


「あの『まんが日本昔ばなし』でも取り上げられた話だよ」

ということとなれば、少しは関心を持ってくれる益田市民もいるのではないでしょうか?


※ご参照:『まんが日本昔ばなし』データベース
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=958
⇒No.0958お伊勢物語 放送日:1987年06月13日(昭和62年06月13日)

今回は(まず、とりあえず)「伊勢島」の存在を確認する。ということを目的に投稿します。実は、「伊勢島」を確認するには、結構苦労しました。

私、益田市の鎌手地区には、地元に詳しい人の人脈がありません。


(事前にネットで調べたのですが)「伊勢島は益田市の土田海岸沖2㎞にある」という情報のみでした。


今年(2015年…平成27年)は2月8日(日)と14日(土)の2回、伊勢島の確認のために益田市の鎌手地区にいったわけですが。

初回(2月8日)は「伊勢島」…らしき「島」…というか「岩礁」は確認できましたが、それが、正しく「伊勢島」なのか!?全く自信がありません。


そこで、益田市の鎌手公民館(鎌手地区振興センター)に問い合わせてみました。

「お忙しいところ、本当にスイマセン。私、今、益田市の土田海岸沖にあるという『伊勢島』を探しているのですが、とんとわかりません。『伊勢島』ってどこら辺にあるのでしょうか?」

すると、男性の方が

「ああ、『伊勢島』ですか…ありゃ、「島」というか、「瀬」ですよ。」

「瀬?ですか岩礁みたいな?…異様な白波がたってる所でしょうか?」


「ハイ、ハイ、そうです。土田海岸沖では、瀬(岩礁)は1つしかないので、それです!!」


おおっ、さすが!!益田市の鎌手公民館(鎌手地区振興センター)!!


「土田海岸沖では、瀬(岩礁)は1つしかないので、それです!!」って言葉に勇気づけられ、2月14日(土)、晴れていて気温も10℃程度だったので、あらためて、益田市の鎌手地区にいったのであります。


そして、偶然にも、見つけました。「伊勢島にまつわる看板」…「石見舟歌に生きる「おイセ」の物語」


場所は、益田市市街地側から入って「唐音水仙公園」への道(おそらく林道)入り口をすぎ、土田海岸へ向かう下り坂途中。これです!(というか…前回投稿した場所と同じです(笑))

石見舟歌に生きるおイセの物語 案内板


正面から、左にあるのは、前回の投稿で掲載した、益田十景心に刻む 益田十景 鎌手のスイセンの里からみた高島』の看板です。
※参照⇒水仙の里と唐音水仙公園と益田十景の関係について(益田市鎌手地区の風景考)

石見舟歌に生きるおイセの物語の看板 全



この地点から確認した『伊勢島』と高島の「位置関係」

益田市高島と伊勢島の風景

もう少し近づいてみましょう(ズーム)

伊勢島1益田市風景


日本海の波しだいで、こんな風景も↓

伊勢島の風景 益田市2波


伊勢島3UMA 益田市風景

こんなの見たら、益田市の日本海にUMAがいるんじゃないかと…初めての人にはコメントされそうです♪

最後に、これが、倍率MAXで撮影した『伊勢島』の姿↓(撮影機種はNIKON COOLPIXP600)

伊勢島 益田市鎌手風景


案内板『石見舟歌に生きる「おイセ」の物語』の拡大画像

石見舟歌に生きるおイセの物語(拡大)


この島…岩礁で、おイセは息を耐えたと…(涙)

益田市の水仙の里「鎌手」。そして「唐音水仙公園」まできたのなら…ぜひとも、この、場所に来て、伊勢島と高島の風景も楽しんでくださいまし。


益田市の「伊勢島」の話、というか「お伊勢」について…
※ちょっと気になるところがあるので…
⇒益田市高島の「お伊勢物語」の内容を比較してみた(冒頭部編)

ご参照※「伊勢島(岩礁)の場所の画像」


※とてもわかりづらいかもしれませんが、画像の左下「洞ノ鼻」という場所から、北北西の沖に、小さな白い点があります。見えますか?位置的にも距離的にも伊勢島(岩礁)であると考えられます。
(私は最初パソコンのモニターについた「ほこり」かと思いました。)

水仙の里と唐音水仙公園と益田十景の関係について(益田市鎌手地区の風景考)


本日(2015年2月14日)再び「唐音水仙公園」(益田市鎌手地区)に行ってきました。

「エッ!?日曜日(2月8日)も行ってきたんじゃないか?『唐音水仙公園』?しかも(水仙の花の)ピークは過ぎとると…言っておったじゃないか?」

唐音の蛇岩がある唐音海岸 2015年2月14日撮影


そっ、そのとおりです(汗)。

水仙s


でも、今回の日本水仙の画像いい感じでしょ!?(天候は晴れ…青空多し 気温は10℃位)

唐音水仙公園の水仙3

実は、前回も今回も「とある目的」があっったのです。それは土田海岸の沖2㎞にあるという「伊勢島」の確認(撮影)でした。(「伊勢島」については近々投稿させていただきます。)


その前に、今回の投稿タイトル

水仙の里≪かまて≫と唐音水仙公園と益田十景の関係について(益田市鎌手地区の風景考)

ですが、私、この中の3つの名称


・水仙の里
・唐音水仙公園
・益田十景

について本日、違いがわかりました。


まず…水仙の里と唐音水仙公園について

「水仙の里」は、かまて(益田市鎌手地区)のブランディングのためのキャッチコピーのようです。
私は6年前に現在の「唐音水仙公園」に訪れた時、この場所が「水仙の里」という(いっしゅの)公園名だと思っていました。でもそうではないようです。

そのことがわかる第1の資料がこのパンフレット

水仙の里かまて唐音水仙公園パンフ


本日、唐音水仙公園で配布されていたものです。100円寄付しました♪


水仙の里≪かまて≫
唐音水仙公園


とあります。どうやら、鎌手そのものが「水仙の里」であり「唐音の蛇岩」近くの「唐音水仙公園」は「水仙の里」の部分であると読み取れるわけです。

次に、第2資料(画像)…伊勢島を撮影スポットを探していたらこの看板の存在に気づきました。

益田十景 鎌手のスイセンの里からみた高島


心に刻む 益田十景 鎌手のスイセンの里からみた高島とあります。

「なんだ!水仙の里ではないぞ!完全に間違えとるではないか…しかもちょっと長いし…」

「はい…」


でも、私が保有している益田十景の絵葉書集には

益田十景 水仙の里



「水仙の里」とありました…説明力不足!?

正式名称は「鎌手のスイセンの里からみた高島」として益田十景として取り上げられているようです。


益田十景の看板があった場所は、「唐音水仙公園」とは全く関係がない場所(土田海岸に向かう坂道途中)。


そして、益田十景である所以は「(実は)鎌手から(たぶん)水仙の花々ごしに見た「高島」の風景」とあるわけで…メインのキーワードは「高島」なんですネ♪

さて、これからコッソリ、コツコツ、過去投稿記事を修正しなければ…ヤレヤレw

益田市の唐音の蛇岩(国指定の天然記念物)岩の大蛇の風景

益田市の鎌手にある「唐音の蛇岩(からおとのじゃがん)」6年ぶりに訪ねてみました。
「唐音の蛇岩」は益田市役所のHP文化財課の表を見ると現在では益田市内で唯一の国指定の天然記念物であることがわかりました。

ちなみに「唐音の蛇岩(からおとのじゃがん)」が国指定の天然記念物に登録されたのは1936年(昭和11年)12月16日ということです。

「唐音の蛇岩」は益田市の「唐音水仙公園」の先にある海岸(岩場)内にあります。

唐音海岸


『唐音の蛇岩』の場所について


益田市民でも、結構、よく間違えてるのですが…
『唐音の蛇岩』とは、ここに見える岩場(唐音の海岸)全体のことではありません。この岩場(唐音の海岸)内↓の赤線部分に「唐音の蛇岩」を見ることが出来ます。

唐音の蛇岩 国指定天然記念物 説明

当然、上の画像の赤矢印部分(白い棒のように見える物体)まで歩いていく必要があります。

赤矢印の先(白い棒のように見える物体)は標柱……「国指定天然記念物  唐音の蛇岩」と記載されています。

唐音の蛇岩 益田市の国天然記念物 説明


上の画像内の2本の赤い点線------の間が「唐音の蛇岩」です。
このさき(黄色→)の先はというとこの岩場を反対側の入江に向かって横断し、

唐音の蛇岩s1


その先海中まで続いています。

唐音の蛇岩2s


(今回は、海がとても荒れていたので、海中の「唐音の蛇岩」の風景を撮影することはできませんでした。)


『唐音の蛇岩』の案内板を読む


最後にこの「唐音の蛇岩」の案内板につて

唐音の蛇岩 説明板 益田市教育委員会


平成22年10月 益田市教育委員会 作成
案内板がリニューアルされていました。
以前の「唐音の蛇岩」の案内板はコチラ↓
※ご参照⇒唐音の蛇岩に感じる神秘(益田市鎌手地区)

※3年前に新しくなった案内板。その内容は↓

唐音の蛇岩 説明板 内容 益田市教育委員会


白い部分、白いテープで隠してありますが
古第三紀漸新世…「今から約3,000年前」…
正しくは「約3,000万年前」で「」が抜けてるだけです。