益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

益田市立歴史民俗資料館

平等院鳳凰堂と美濃郡役所と鹿足郡役所(益田市と津和野町)

益田市立歴史民俗資料館と津和野町役場津和野庁舎の建物が、かなりそっくりな事が気になり、早速、電話で問い合わせをしました。


その結果、以下の事がわかりました。

まずは益田市立歴史民俗資料館さんより


・益田市立歴史民俗資料館と津和野町役場津和野庁舎の建物は同じ建築士による設計(デザイン)である。
・2つの建物は、よく似ているが瓦の色が違ったような気がする。


次に、津和野町役場津和野庁舎さんより


・津和野町役場津和野庁舎はもともと、「鹿足郡役所」として大正8年(1919年)に建てられた。
平等院鳳凰堂をイメージして設計(デザイン)されている。


以下、2つの建物について、わかったことをもう少し詳しくまとめてみました。


1、2つの建物は兄弟であった!?

益田市立歴史民俗資料館と津和野町役場津和野庁舎の建物が、「そっくり」に見えたのは、同じ建築士による設計(デザイン)であることによることがわかりました。

また、2つの建物の目的はどちらも当初「郡役所」。

・益田市立歴史民俗資料館は「美濃郡役所
・津和野町役場津和野庁舎は「鹿足郡役所


ここで、建造された年を確認してみると、


「美濃郡役所」は大正10年(1921年)

益田市立歴史民俗資料館(旧 美濃郡役所)



「鹿足郡役所」は大正8年(1919年)

津和野町役場 津和野庁舎 (旧 鹿足郡役場)


つまり、「鹿足郡役所(津和野町役場津和野庁舎)」は「美濃郡役所(益田市立歴史民俗資料館)」の2年前に建てられた…つまり「兄貴」的な建造物であることがわかりました!!2つの建物は兄弟的存在なのです。


2、平等院鳳凰堂をイメージして設計(デザイン)されている。

この情報は、津和野庁舎の方から教えていただきました…正直、最初はびっくりしましたんですが…


「ナルホド!平等院鳳凰堂が『原型』だったのか…どうりで、貫禄・威厳を感じさせるわけだ♪」

益田市立歴史民俗資料館、そして今回の津和野町役場津和野庁舎の建物に感じていた「貫禄、威厳のパワー」の謎が解けました。


郷土石見地方の2つの役所、大正デモクラシーの時代の役所のコンセプト…「平等


ちなみに、


世界遺産 平等院の「よくあるご質問」に以下のように記されておりました。

Q3. 平等という言葉がなぜついているのですか?
 
仏の救済が平等ということを意味します。
そして、仏の平等を光で顕わします。 平等院は光のお寺なのです。


世界遺産 平等院 公式ホームページより
⇒http://www.byodoin.or.jp/ja/index.html

※トップページ内の下部にある「よくあるご質問」のリンク先に↑本文の記載があります。


3、瓦の色が異なる。

今回、益田市立歴史民俗資料館への問い合わせした内容。


「先日、津和野に行ったのですが、殿町通りにあった「津和野町役場津和野庁舎」が「益田市歴史民俗資料館」とそっくりだったのですが…何かご存知ですか?」

歴史民俗資料館の方:「ハイハイ、あれは、当資料館を建てた時の建築士と同じ方がデザインされたそうですよ♪


「やっ、やはりそうでしたか?…同じ建築士、ナルホド……細かく見れば違いがわかるのですが、ホント、殆んど同じなんでびっくりしました!!」


歴史民俗資料館の方:「ですよね~♪ 確か、瓦の色が少し違ったような気がしましたが…


「なんですと!瓦の色が違う!それは全く気が付きませんでした♪」

さすが、日々誠実にお勤めになってる方だからこそわかるんでしょうネ。

瓦の色が違う…素晴らしい、実に私好みのマニアックな情報、ありがとうございました♪


※前回の投稿の画像からもわかりますが、よくみると窓の形状や玄関のステップ(段差)等々、2つの建物は完全一致ではありません。

※ご参照⇒益田市立歴史民俗資料館と激似の建物を津和野町で発見


平等院鳳凰堂が『原型』といえども、2つの建物は、全く同じではない。(かなり似ているけど)

それぞれ、個性(違い)を主張するものがある…

大正時代の風…匂いを感じました。


益田市立歴史民俗資料館と激似の建物を津和野町で発見

益田市立歴史民俗資料館は平成8年(1996年)に国登録有形文化財に認定されている建物で、益田市の貴重な歴史的建造物の一つです。

益田市歴史民俗資料館 左前面斜め下


今回のお話しは、先日(4月29日)津和野町での出来事が発端です。(実は30年ぶりでした…津和野の町内を「歩いた」のは…)


殿町通りを津和野駅方面から南に向かって歩いていると、古い立派な門(大岡家老門)が見えてきました。

「あれ?あの門の奥に、どっかで見たことある建物がある!?…
というか、益田市のあの建物と激似(そっくり)ではないか!?」


と不思議な気持ちになりました。

大岡家老門の奥に見えた、その建物の姿がこれ!↓

津和野町役場 津和野庁舎 大岡家老門


この建物の正面玄関を見てみると…

津和野町役場 津和野庁舎 玄関


津和野町役場津和野庁舎であることがわかりました。

津和野町役場 津和野庁舎 玄関up


(本建物内には「津和野町教育委員会」「津和野町福祉事務所」も一緒になっているようです。・・・「つわみん」という、ご当地キャラがあるようです。~センス、いいね♪)

話しを戻しましょう・・・庁舎手前の庭から、撮影した画像です。

津和野町役場 津和野庁舎


それでは、確認してみましょう♪

益田市立歴史民俗資料館をほぼ同じ角度からの画像がコチラ↓

益田市歴史民俗資料館 比較用


どうですか?益田市立歴史民俗資料館と激似(そっくり)ですよネ!?

早速、中に入って、お尋ねしようと思ったのですが、この日は4月29日で祝日、昭和の日、当然お休みでした。


益田市に戻ってからも、この件が、とても気になったので、昨日、益田市立歴史民俗資料館と津和野町役場津和野庁舎に電話して尋ねてみました。

結果、益田市と津和野町の2つの建物について、とても興味深いお話を聞くことができたのです♪

その内容とは!?

つづきは、コチラ↓↓↓
⇒平等院鳳凰堂と美濃郡役所と鹿足郡役所(益田市と津和野町)

【おまけ…大岡家老門】

津和野町 大岡家老門

益田市立歴史民俗資料館の古い写真を発見(益田市誌より)

益田市の国登録文化財…「益田市立歴史民俗資料館」に関して、
前回の投稿があまりにも画像だけ的な内容だったので、

投稿後、本資料館に関係する史料はないものか?

と・・・「益田市誌」をめくっていたら。

やはり、ありました!
昔の益田市立歴史民俗資料館の画像…早速ですがコチラです↓

益田市立歴史民俗資料館 昔 正面s


歴史の跡をとどめる現益田総合事務所(※現という表記は益田市誌内でのもの)
出処:益田市誌
(昭和50年12月20日発行)
下巻 P232

この画像が撮影された時点では「益田総合事務所」だったようです。撮影された年については正確にはわかりませんが、益田市誌の当該本文から判断して昭和45年~50年ごろだと考えられます。

当時は、益田総合事務所への建物入口へは(現在と異なり)まっすぐに伸びた道、その両脇は駐車場スペースとして使用されていたようですネ。

「車寄せ」考


建物中央の「車寄せ」という構造部は、車を横付けし、乗り降りする場所です。

この建物が美濃郡役所として完成したのは大正10年(1921年)。車の数も少なく、お役人の中でも重役クラスが、この「車寄せ」から乗り降りしていたのでしょう。

昭和の時代、しかも40年代から50年代になると車の数も増え、来所する者も乗用車を利用するようになりました。

昭和のこの頃になると、駐車場スペースの確保の方が優先され、ゆったりとしたスペースを必要とする「車寄せ」から(悠長に)乗り降りすることは無くなったのであろうと推測できます。

上の画像では、当時をしのばせる昭和の車(種)が停まっていますネ。

よくみると、画像手前に門柱も確認できます。

(役所らしい配置ですよネ!)


さて、お気づきかと思いますが…「車寄せ」(建物入口)の両サイドには大きな樹木があります。

(現在は建物周辺には樹木はありません。ただ、本館入り口から駐車場を挟んだところにニセアカシアの大木が眠り仏のように育っています。)

さてさて、この画像に写っている木の種類は何だったのか?・・・樹形だけでは、いまいち分かりません。イチョウ?モミ?


また、建物の向こうにも同じ種類、ほぼ同じ高さの樹木が見えます。以前は、ここらあたり、益田川沿いに高木の並木があったのかもしれません。


現在の益田市立歴史民俗資料館の「車寄せ」(建物入口部)への道はこんな感じです↓

益田市歴史民俗資料館 入口より


「車寄せ」に向け、車を横付けできますが・・・(車の)頭から入ったら最後、駐車場スペースで車を回すことは(普通車)では結構大変です。(平日は特に)

と、まぁ、いろいろ考察できるわけでw・・・皆さんもいろいろ妄想してみてくださいまし♪

益田市立歴史民俗資料館(国登録文化財)を見学

益田市本町の「益田市立歴史民俗資料館」

この建物の前を通るたびに、「いつみても貫録のある建物じゃのう…」
と感心しながら眺めてしまいます。

3月に入って、所用で近くに来た際、
綺麗な青空と適度な白い雲を背景にした歴史民俗資料館の姿。
しかも土曜日の午前中ということもあり、益田公民館等の車もない!
という、絶好の(撮影)チャンスに恵まれて撮った画像がコチラ↓
益田市立歴史民俗資料館 左前面as

「益田市立歴史民俗資料館」は、もともとは、大正10年(1921)美濃郡役所として建てられました。
(大正10年(1921)といえば、この年の11月4日原敬(はらたかし)暗殺事件がありました。)

その後、益田警察署→美鹿地方事務所→益田総合事務所という経緯を経て

昭和58年(1983)5月に益田市立歴史民俗資料館として開館し、
平成8年(1996)、国の登録文化財に認定となったそうです。
益田市立歴史民俗資料館 左前面

大正10年(1921)美濃郡役所として建てられた当初のころ、この建物の内部の構造はどうなっていたのか、どんな間取り(部屋)があったのか?いろいろ知りたいわけですが…今のところいい資料には出会っていません。

正面をみてみましょう。中央には「車寄せ」という構造がみられます。
「車寄せ」とは車(乗用車)を建物の近くまで寄せ、乗り降りするための場所のことです。
張り出した屋根のおかげで、雨の日でも濡れることなく車から乗り降りできます。
益田市立歴史民俗資料館 正面

駐車場スペースをいっぱいにつかっても、画面におさまり切りません…
(これだと、なんだか昔の学校のようですネ♪)

「鬼瓦」をアップでみると…
益田市立歴史民俗資料館 鬼瓦
一番奥の「二つ巴」が右巴に対し、
手前2つは「連珠左三つ巴」であるのが気になります…(たぶん私だけでしょうがw)

「益田市立歴史民俗資料館」側面はどうかというと…
益田市立歴史民俗資料館 側面

おおっ、まったく手を抜いていません。立派です。

最後に「益田市立歴史民俗資料館」の裏面です。
益田市歴史民俗資料館 裏面

柔剣道場のようにも見えますネ。

う~ん。神社やお寺などの古建築についていろいろ、細かいところまで見えるように(気付けるように)なった私ですが…近代建築はまだまだ未熟なため、ほぼ、画像を並べただけで終わってしましました(汗)

最後に「益田市立歴史民俗資料館」のパンフレット。
益田市立歴史民俗資料館パンフ

益田市の本町あたりに来て、一時間くらい時間ができたなら、ふらっと寄ってみてもいいのでは?
故郷、益田市について思わぬ発見があるかもしれませんぞ♪

国の登録文化財 益田市の「歴史民俗資料館」の歴史(益田市本町)

益田市本町にある「益田市立歴史民俗資料館(益田市本町6番8号)」

益田市歴史民俗資料館


…石見地方独特の赤瓦が素敵です!重厚で威厳を感じる造りです。


もともとは、何の建物だっのでしょうか?


当館のパンフレットによると

大正10年(1921)美濃郡役所として建てられ、
 ↓
益田警察署
 ↓
益田総合事務所
 ↓
昭和58年(1983)5月に益田市立歴史民俗資料館として開館

※平成8年、国の登録文化財に認定。


なんと、益田市歴史民俗資料館は建物そのものが国の登録文化財に認定されているそうです!


案内看板です。

益田市歴史民俗資料館 案内看板


(何が書いてあるか分かりませんネ…スイマセン)

益田市立歴史民俗資料館は

「美濃郡役所→益田警察署→益田総合事務所…」

という歴史的経緯があるのですね。


どうりでビシッとした感じがするわけです。

益田市歴史民俗資料館2


最後に横から(益田川の対岸、萬福寺付近から撮影)…ズシリ!としたものを感じます。

益田市歴史民俗資料館 側面


【画像撮影は2009年2月】

MAP:益田市立歴史民俗資料館(益田市本町6番8号)