益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

益田市小浜町

益田市の宮ヶ島、驚きの昔の風景写真(小浜町)

益田市の風景で最近全国的に有名になった場所といえば

宮ヶ島の恵比寿神社(衣毘須神社)ですよね。

私、昨年の3月に益田市の小浜町にある宮ヶ島の恵比寿神社(衣毘須神社)に初参拝いたしました。
※以下のカラー画像は当時(昨年2014年3月に撮影したものです)

益田市宮ヶ島


さて、今回は
宮ヶ島の過去の風景はについて。
私の少年時代の
宮ヶ島の風景の記憶は、今の風景と全く違っていた
ということを語りたくての投稿です。

昔の記憶なのですが、今の宮ヶ島とは全く違う当地の風景の記憶がありました。


宮ヶ島の一番古い記憶は(当時は島の名前すら知りませんでしたが)
昭和40年代…JRが、まだ「国鉄」といわれていたころ。

山陰本線をはしる蒸気機関車から見えた当地の風景の記憶です。

次に古い記憶は、昭和50年代…高校時代、

当時、凝っていた、自転車(ロードレーサー)で、
ここの防波堤沿いの道をノロノロと走りながら「益田市にも凄い場所があるなぁ~」と感じた記憶です。


実は、この2つの記憶風景には現在の宮ヶ島の風景と比べると、絶対的に異なる点があるのです!

「宮ヶ島はもっと鬱蒼とした「松の木々」があったような…」

益田市の宮ヶ島には「たくさんの松の木が茂った岩山…」という記憶でありました。


「あれは、私の記憶のズレ?勝手に作り出した記憶の風景…記憶の改竄…妄想?」と思うと、

(密かに)「まさか、すでに認知症!?」の不安もありましたw


ところが!!
つい先日、昔の「宮ヶ島」の画像を見ることができました。

益田市の戸田ご在住の青木さんから、その画像(写真)をコピーしたものをいただきました。

宮ヶ島の古写真

「おお!わしの記憶は正しかった、確かにコレ↑この風景じゃ♪」
(認知症ではなかった!)

ついでに、現在の益田市の宮ヶ島の昔の松の枯れ木、「最後の松」と日本海の荒波の風景を!

最後の枯れ松 宮ヶ島2014年3月21日撮影


ということで、喜びのあまり(?)
宮ヶ島の古い画像と近いアングルで撮影した最近の画像をトリミング加工して↓

宮ヶ島2014年3月21日撮影トリミング


益田市の宮ヶ島の過去と現在の違いを分かりやすくする、比較用に画像を重ねてみました。

宮ヶ島2014年3月21日撮影トリミングss


いかがでせうか?違いが分かりますか?圧倒的な松の木々の存在です。分かりますよね!

撮影アングルが異なるためのズレは大目にみてくださいまし。

(だけど・・・どうしても手前の鳥居だけは大きさも場所もズレているのが気になりますけど…)


これぞ!「今昔写真考学」略して「今昔写考学」…(殆んど略れていないw)

「今昔写考学」…と民俗学に新たなジャンルをつくったのですが(個人的に)面白い♪
これからも続けますョ!!

プチ「波の花」宮ヶ島の浜辺での不思議な現象(益田市の風景)

前回、益田市の小浜町にある「宮ヶ島」の恵比須神社(衣毘須神社)12月の様子を掲載したのですが、その帰り際に、とある自然現象を撮影することができました。

「宮ヶ島」手前の砂浜からの撮影をしようと思ったところ、目の前に無数の、白いフワフワとしたものがコロコロと転がってきました。直径1センチ程度の白い綿のような物体です。最初は「ぼた雪(ぼたゆき)?」と思いましたが、空から降ってくるのではなく、浜辺から飛んでくるのです。

益田市の「波の花」


よくみると、砂浜の波打ち際に白い泡状のものが溜まっているではないですか!?

益田市の「波の花」1

「おおっ、これは『波の花』じゃ!!」…益田市の浜辺でも(規模は「プチ」レベルですが)「波の花」ができるんですね。

益田市小浜町 宮ヶ島と波の花の風景


波の花(なみのはな)については、石川県観光情報ホームページ「ほっと石川旅ねっと」にわかりやすい説明と当地の本場の『波の花』画像が掲載されています。…(本場の「波の花」はスケールが全然違いますよ)

波の花は、海中に漂う植物性プランクトンの粘液が冬の荒波にもまれて、せっけん状の白い泡を作ったものと言われています(海が汚染されていると泡が作られにくいとされています)。

※参照:波の花(なみのはな)
石川県観光情報ホームページ「ほっと石川旅ねっと」

以前から、ここらあたりの浜の少し沖に、白い泡が帯状になって漂っているシーンをよく目にし、気になっていました。その泡は「植物性プランクトンの粘液」だったようです。

しかも、「海が汚染されていると泡が作られにくいとされています」というのうのは、言いかえると「海が綺麗でないと『波の花』は発生しない」ということになり益田市の海は(当然といえば当然ですが)安心だということですね!?

それにしても「波の花」って、とてもいいネーミングですネ♪

また、同ページには以下のような注意事項もありました。…念のために掲載しておきますネ。

(波の花は)最初は美しい白色ですが、時間が経つにつれて黄色になります。服などに付くと黄色い染みになり取れなくなるので、観光する際にはあまり近寄らないなどの注意が必要です。

益田市小浜町「宮ヶ島」の恵比須神社(衣毘須神社)12月の風景

今回は益田市小浜町の「宮ヶ島」の恵比須神社(衣毘須神社)の12月の風景

撮影日は2014年12月13日。日本海から吹き付ける風は強く冷たいものの、時折、日差しもあり…絶好の「日本海晴れ」の風景の撮影チャンス。

「どこか素晴らしい撮影場所は見つからないか?」と益田市の三里ヶ浜ぞいに山口県方向へすすんでいました。
不思議なことに、戸田や小浜方面の海が明るく照らされているので…「思いきって「宮ヶ島」と「恵比須神社(衣毘須神社)」を撮りに行こう!!」という思いつきで…

久しぶりの「宮ヶ島」…到着は午後3時ごろでしたので、西からの日差しが時折、「宮ヶ島」を明るく照らし出してくれます。

「宮ヶ島」恵比須神社12月の風景益田市小浜町



恵比須神社(衣毘須神社)への参拝は「とても無理!…というか怖い!!」ということで早々に断念。
これまでで最高に波は荒く、防波堤を超えて荒波の飛沫がとんでくるんです!!

宮ヶ島 防波堤前 益田市小浜町


そのかわり、今回はこれまであまり撮影(投稿)していなかった「宮ヶ島」の西側からの画像を掲載します♪

「宮ヶ島」と日本海の荒波の風景 益田市小浜町

今回の「宮ヶ島」の撮影で最大級の波のしぶきでした(画像中央左)

益田市小浜の「宮ヶ島」の恵比須神社(衣毘須神社)…今年TVでも2回も取り上げられている、今や益田市の貴重な(全国区レベルでの)有名スポットです。

「宮ヶ島?恵比須神社(衣毘須神社)?って何??」ってお方は下のリンク先に過去記事をまとめています。
⇒恵比須神社(衣毘須神社)(小浜町 宮ヶ島)のこれまでの投稿一覧

冬の日本海晴れの風景(益田市三里ヶ浜より)

益田市の日本海、冬の風景。久しぶりに晴れたのは2014年12月9日(火)。
山陰地方の益田市では珍しく晴れて明るい「冬の日本海晴れ」の風景です。
冬の益田十景…三里ヶ浜です。

冬の日本海 晴れ 益田市

日本海の波は少々荒れ気味。風はとても冷たかったのですが、そんな冷たさを一瞬、忘れさせる、青の世界でした。画像中央右、海に突き出た部分は鑪崎…「神代の肌hornfels」で有名です。
冬の日本海晴れ 益田市の風景

画像中央左の黒くとんがって見える岩は、益田市の三里ヶ浜名物岩!?「観音岩」です。その先をズームアップしてみたら!「見えました!!」…先日、再び全国的に話題になった…益田市小浜町の「宮ヶ島」と「恵比須神社(衣毘須神社)」です。
※参照⇒益田市小浜町の「宮ヶ島」と「恵比須神社(衣毘須神社)」
冬の日本海 益田市宮ヶ島の望遠風景

この日以来、益田市は雲が厚く、山陰地方独特の暗い日々の連続です。
明日からは、積雪もあるということで、寒く暗い週末となりそうですね。

宮ヶ島「恵比寿神社」の向拝。左右の「木鼻」「阿吽」学

先日来、益田市の小浜町、宮ヶ島の「恵比寿神社」について特集しています。

毎回の参拝…「事代主命(ことしろぬしのみこと)」にお伺いした後、ここ宮ヶ島「恵比寿神社」とその周辺を取材をしています。(今回がスケジュール上、最終回です。少し長くなりますがお付き合いくださいまし。)

恵比寿神社 宮ヶ島 益田市小浜町



実は、前回「恵比寿神社」で撮影させていただいた画像を確認した際、気になることがあったので投稿しました。


◆「向拝」の「4つの木鼻」

宮ヶ島の「恵比寿神社」の「向拝」には合計4つの木鼻(全て「掛鼻」)があります。
左右に「獅子」と「獏」のペア。基本的な配置です。

「恵比寿神社」は、改築されたようですが、「向拝」の主要部は以前のものを継承しているようです。

獅子木鼻 左


「獅子」の木鼻が、長年の日本海の風雪によって削られたのでしょうか…丸っこく、風化しています。(当初、この風化した木造が印象的で)「獅子木鼻」周辺を撮影させていただきました。


◆「向拝」の「木鼻」の阿吽(あうん)の組合せについて疑問が?
PCにて画像を眺めていると、「獅子木鼻は「『阿』が左か!?」と気づきました。
(阿吽の「阿」は一般的には(正面向かって)右です。ですが…左にある事例もあり、単に「珍しい」、とその時は感じました。)ところが、同じく左側の「獏の木鼻」をみると「阿吽」の「吽」であるような気がしました。

獅子木鼻と獏木鼻 左


(因みに、右側の「獅子木鼻」は「吽」です。)

獅子木鼻 右(吽)


では、右側の「獏」は?と思い前回撮影した画像を確認したところ、締縄が被さり「阿、吽」のいずれかは確認できません。

というわけで、再度(3回目)確認に出かけました。(今回はサンダルで行きましたw)

「向拝」の正面、向かって右側、締縄で隠れた「獏木鼻」の口の形状。…正面からは確認できないので、後ろに回ってみたところ…
(やはり)「阿」でした。※この↓画像は「向拝」の後ろに回って撮影しています。

獏木鼻 右 阿



宮ヶ島の「恵比寿神社」の「向拝」の木鼻(全て「掛鼻」)は
向かって右側は「獅子木鼻」は「吽」、「獏木鼻」は「阿」
向かって左側は「獅子木鼻」は「阿」、「獏木鼻」は「吽」

特殊な配置です。益田市の小浜町の「恵比寿神社」には風習上、何か特別な意味・事情があるのでしょうか?


左右赤瓦製の「鬼瓦の口」に決定的なものが…
あまりに不可思議な木鼻の配置に、精神を集中して調べてみたら…「恵比寿神社」の赤瓦の屋根の両端に「鬼瓦」が施されている事に気付きました。

鬼瓦の特に「口」の形状を拝見すると、

向かって右側が「阿」(口の部分が開いた造りです)↓

恵比寿神社 鬼瓦 正面右



向かって左側は「吽」となっています。↓

恵比寿神社 鬼瓦 正面左


◆「阿吽」の「左右」「東西」とかの配置は日本史的には諸説あるので、(それは)よしとして、左右それぞれの「阿」「吽」はいずれかに統一されるはずです。

◆結論(長くなりましたが…)
左右の「獅子木鼻」。…「改築時とか(否、それ以前より)一旦「向拝」が分解され、再度、組み立ての時に(「獅子木鼻」…掛鼻なので)が間違って配置された。」ということが考えられます。

※前回「獅子木鼻」を撮影したもんから「事代主命」が私を潮で足止めしたのは…あるいは、そういう事か…と。

阿吽だな
おしまい。

晴れた日の「恵比寿神社」と周辺風景(益田市 小浜町 宮ヶ島)

今朝は青空が見え、日差しもあったので、恵比寿神社へ2回目の参拝に行くことに。
天気は晴れでしたが、日本海から強くて冷たい風が吹き付けてきます。

今回の参拝の目的は、益田市の「宮ヶ島」と「恵比寿神社」の青空のもとで綺麗な画像を撮ること。(前回は薄曇りで、ちょっと暗い印象の画像に…山陰地方の雰囲気はでていましたが)

さて、2回目の参拝…「宮ヶ島」と「恵比寿神社」風景はどうでしょうか!?

「宮ヶ島」と「恵比寿神社」遠景


快晴とはいえませんが、前回と比べ断然明るくて、イイ感じです。ですが、この荒波、そして強風。(正直、かなり寒かったです。)

恵比寿神社 宮ヶ島 益田市 戸田

水色の空と白い雲、砂浜にムース状に流れ込む白波…「宮ヶ島」の岩と植物と「恵比寿神社」の赤瓦。やはり、いいですネ。「宮ヶ島」への上陸も徒歩でできそうです。

波のリズムを読んで、「宮ヶ島」に無事上陸。参道の石段をあがるころ、空が一気に青くなりました。
恵比寿神社 鳥居と青空

今回も私は運がイイと思いました。(しかし、このあと大変な試練が待っていました…)

さて、このサイト恒例の「今回の発見!!」ですが…
恵比寿神社の拝殿を撮影した際に気付きました。
恵比寿神社 益田市 青空DSCN2794

恵比寿神社の拝殿。「北」を向いています。神社に詳しい方はおわかりでしょうが、「北」向きの神社はかなり珍しいんですよね。(また新しい研究テーマをいただきました。)

恵比寿神社の「事代主命(ことしろぬしのみこと)」に感謝の気持ちをお伝えし、石段を下りて行くと…
遠くに猫島が見えました。
恵比寿神社 宮ヶ島 から猫島 益田市 戸田
画像中央左、海に突き出した黒く見える岩が「猫島」です。
猫島については>>※特集:東山魁夷と小浜海岸
をご参照くださいまし。


実は、この後、大変な試練が…


私、本当に機嫌よく、石段を下りていました。…が、大変な試練が待ち構えていました。

なんと、鳥居の前…砂浜の参道が、この状況です。
恵比寿神社 宮ヶ島 鳥居前
し、潮が満ちています。
振り返って、海岸の様子をみると「東映の映画オープニング」状態…荒波の迫力がどんどん強化されています。
益田市 戸田 宮ヶ島 荒波の日本海

だから…「今しかない!!」というわけで、帰りは、靴下までビショビショになってしましました。いや、「濡れたのが靴と靴下ですんだので運が良かった」と考えを改めw感謝の気持ちでいっぱいになりました。

人生初めて、「翼をください」…と思った日でもありました。
恵比寿神社 宮ヶ島 海鳥DSCN2869
おしまい。

恵比寿神社(衣毘須神社)と「鯱の瓦」(益田市小浜町 宮ヶ島)

宮ヶ島の恵比寿神社(衣毘須神社)


40年間待ってやっと、初参拝できた益田市の小浜町にある宮ヶ島の「恵比寿神社」。

今回は恵比寿神社について画像中心に投稿します。初めての上陸です。いよいよ鳥居をくぐります。

宮ヶ島の恵比寿神社 鳥居

鳥居には「恵比寿神社」と記載されています。

宮ヶ島の恵比寿神社 鳥居の表記

では、正面、拝殿の画像です。といいますか「本殿」はどういう配置になっているのかわからない神社です。(今後、じっくり調べて投稿しますね)

宮ヶ島の恵比寿神社 拝殿 正面

この「恵比寿神社」の正面から画像、右下に案内看板があります。

宮ヶ島と衣毘須神社 看板 画像 益田市 戸田

こちらでは「衣毘須神社」と記載されています。(読み方は「えびす」のようです。)出雲の国「美保神社」の事代主命(ことしろぬしのみこと)が分祀されたそうです。


恵比寿神社には鯱の鬼瓦


驚いたのはこの神社の瓦屋根…鬼瓦じゃなくて「鯱(しゃちほこ)」です。

鯱瓦 益田市 戸田 恵比寿神社

恵比寿神社なので、「鯱(しゃちほこ)」であることはすぐに理解できるのですが…

私は、初めて神社で「鯱瓦」を見たので印象的でした。

そして、大きな胸鰭(むなびれ)が左右に張り出して「十字」を形造っているのが凄いです。

益田市 戸田 恵比寿神社 鯱瓦 大きな胸鰭

「鯱瓦」が「鯱」であることがわかる画像を以下に掲載しておきます。

鯱瓦 益田市 恵比寿神社 戸田
最後に、ここ益田市の小浜町の「「恵比寿神社」と「宮ヶ島」
益田市 宮ヶ島 恵比寿神社 

全て、この大岩での物語です。今回の投稿は、あえて、部分から全体という構成にしてみました。

MAP・場所(航空画像):宮ヶ島「恵比寿神社」(益田市の小浜町)


「恵比寿神社」海上の神社に初参拝(益田市 小浜町)

益田市の小浜町の海。
ここらあたりの海は、かつて東山魁夷 画伯が作品のヒントを得た場所のひとつであるという事でこのサイトでも数回、取り上げています。
>>東山魁夷「朝明けの潮」と「猫島」の関係。小浜海岸にて
実は「猫島」から海岸沿いに数百メートル西方に、私が、子どもの頃から興味があった場所があります。

その場所の画像がこちらです。

宮ヶ島と恵比寿神社 益田市 戸田小浜

海上の岩山の上に建物が見えますよネ。鳥居があるので「神社」であることがわかります。
(ちなみに、画像右奥、三角形の島。「三生島」です。)

これまで、何度もこの辺には来ているんのですが、この神社に参拝したことはありません。
なぜなら、この神社に行きたくても、海岸から鳥居の間には海があり、上陸する事ができなかったのです。

ですが、この日(2014年3月16日)の午後15:00頃。見ると、海岸から岩山の間に砂浜が見えるではないですか!?

絶好の機会かも!?と思い。近づいてみました。

おおっ!!今日は行けるよ。

宮ヶ島 恵比寿神社 益田市 戸田小浜


この神社は「恵比寿神社(案内板には衣毘須神社という表記もあり)」そして、この大岩は「宮ヶ島」というそうです。


MAP・場所:宮ヶ島(恵比寿神社)





編集後記

実は、この神社に向かう前に、念のため地元の人に道をたずねた時。

「今日は波も無いけェ(神社まで)行けるよ。あんたは運がええねい(笑)」

と、言われました。

思わず嬉しくなりました。だって…40年待っていたのですから…(笑)

自宅に戻り、気付いたのですが「気象庁の潮位予測」をみれば、高確率で「宮ヶ島」上陸の可否がわかるような気がしました。(…つづく)

東山魁夷「朝明けの潮」と「猫島」の関係:小浜海岸にて

私が、益田市の小浜海岸で『「朝明けの潮」と猫島-皇居とつながる小浜の海』という案内看板を目にした時、(前回も語りましたが)東山魁夷 画伯の大作「朝明けの潮」は「山口県長門市の青海島瀬叢(せむら)をモチーフにしたもの」という情報をネット上で確認しております。

宮内庁のHPより引用させていただきますと

波の間(なみのま)は,広さ248平方メートル(約75坪)で,熊本県産市房杉や静岡県産松などが使われています。 この壁画は,山口県の青海島の岩をモデルにしたといわれる東山魁夷作の「朝明けの潮」で,縦約3.8メートル,横約14.3メートルの大壁画です。
という御説明がありまして、益田市の小浜海岸で『「朝明けの潮」と猫島-皇居とつながる小浜の海という話は根拠の薄いものではないか?という疑念を持っていました。

しかしながら、『「朝明けの潮」と猫島-皇居とつながる小浜の海』…これほどの大胆なタイトル。

この案内板を作成された方がこの地におられたとするならば、それ相応の心構えもあるはずです。故に、その根拠所以を知りたいと思いできる限りの検証を試みました。(本音では、当時、当地での東山魁夷氏の画像があれば…と思っています。)


猫島 益田市 小浜海岸 東山魁夷  朝明けの潮


(前回の投稿「猫島の不思議な看板『「朝明けの潮」と猫島』益田市の小浜海岸風景 」でも申し上げましたが)、先日、たまたま、益田市立図書館を訪れた際、レファレンスサービスの若い男性の方の御尽力により、これまでの疑念を払拭する書籍(大型本)に出会う事ができました。

その書籍の名は 美しい日本 東山魁夷 自選画文集 (3) (1996/6/28)集英社…東山魁夷自選画文集では、東山魁夷氏の著名な作品の作成に至るまでの経緯が、数々のスケッチの掲載と貴重なコメントも記載されています。

 
この書籍にて私の中にあった、『「朝明けの潮」と猫島-皇居とつながる小浜の海』に纏わる複雑な思いは、綺麗に払拭されました。

 いろいろな事をただ1記事にて掲載することは、失礼極まりないと思いますので、今回は序として

東山魁夷画伯の 「朝明けの潮」について発見!
 実は「朝明けの潮」は実存する特定の「海岸」では無い!!ということ。

ご存知の方は、至極当たり前のことでしょうが、あえて直接的に発表させていただきました。

次回資料として取り上げるのは…

東山魁夷自選画文集(全5巻)大型本 集英社
 
旅への誘い   東山魁夷自選画文集 (1) (1996/3/26)
欧州巡遊        東山魁夷自選画文集 (2) (1996/5/24)
美しい日本      東山魁夷自選画文集 (3) (1996/6/28)
水墨の魅力     東山魁夷自選画文集 (4) (1996/7/26)
自然への讃歌 東山魁夷自選画文集 (5) (1996/8/23)

の中の『美しい日本   東山魁夷自選画文集 (3)』  となります。