益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

益田市

国登録有形文化財「匹見発電所」の建造法は?(益田市匹見町)

8月2日の益田市教育委員会さん主催、中国電力 株式会社 益田電力所さん共催の

「中国電力株式会社 水力発電所見学ツアー」

このツアーは、益田市の国登録有形文化財(平成27年3月26日に文化庁により認定)である、匹見川沿いの3つの水力発電所を見学するというものでした。

今回は、その最後の見学地「匹見発電所 (ひきみ はつでんしょ)」です。
(所在地:益田市匹見町匹見イ1702-3)


早速ですが、匹見発電所 本館の遠景(外観)です。

国登録有形文化財 匹見発電所 遠景

益田市の匹見発電所は、国登録有形文化財(文化庁)である前に、社団法人 土木学会の「日本の近代土木遺産 現存する重要な土木構造物2800選」に掲載されています。

「日本の近代土木遺産 現存する重要な土木構造物2800選」での
匹見発電所に関する掲載内容は

RC建造物(切妻屋根)ランクC


<土木学会での評価理由>

ピラスターで区分された壁面のデザイン
・当時の発電機・水車が現役使用


↑この内容…太赤字強調した部分について後程、あらためて語ります♪


匹見発電所をこれまでで最も間近で見れた!!


今回は、(残念ながら)匹見発電所の内部については見学できませんでした。…ですが、これまで4回匹見発電所を訪れたなかで、もっとも近くで本館を撮影できました。(なぜなら、中国電力 株式会社 益田電力所さんがゲート内に入れてくれたからです♪)

匹見発電所 本館(登録有形文化財 第32‐0172号)の「証(あかし)」

匹見発電所にあった、登録有形文化財(文化庁)の証です。

匹見発電所 登録有形文化財 第32-0172号


今回、見学させていただいた中国電力さんの益田市にある3つの発電所

・豊川発電所:第32-0170号
・澄川発電所:第32-0171号
・匹見発電所:第32-0172号

連番となっています。

そして、そこでの益田市教育委員会の文化財課さんのご担当者さんの説明・解説の中で驚愕の情報がありました!!


匹見発電所 本館はコンクリートブロック造り!?

益田市教育委員会の文化財課さんの説明・解説の内容(要旨)に、

「匹見発電所 本館は鉄筋コンクリート(RC)造といわれていたのですが、コンクリートブロックを積み上げた…コンクリートブロック造りだということがわかりました。」


というくだりがありました。

「エッ!?」…と、思いました。そして以下の疑問が…


・匹見発電所 本館は鉄筋コンクリート(RC)造でなく

コンクリートブロック造り…しかもコンクリートブロックを積み上げたもの、…それは古代の石造りの建物のように…?


・「どんな形状のコンクリートブロックなのだろうか?」
・「鉄筋・鉄骨なしなの?」

さらに!! 

コンクリートブロック造りなら、土木学会さんがピラスター(付け柱)といった部位は、
(ピラスター、付け柱ではなく)躯体としてのコンクリートブロックでできた「柱」となるわけです。


おおっ、またマニアック!フェチな疑問…「謎」が…♪

是非とも、この疑問・謎を解明したいものです。


匹見発電所正面の画像にヒントが!?


匹見発電所 本館正面の画像を撮っていました。

匹見発電所 正面

この画像の中に、一部「破損」箇所があることを自宅のPCで確認できました。
で囲んだ部分です↓

匹見発電所 正面s


拡大したのがコチラの画像↓

匹見発電所 正面ss


う~んっ、いわれてみれば、独立したブロック(パーツ)のようにも見えますネ。
実際どうなんでしょうかねい?

澄川発電所は、なぜ鉄筋コンクリート製なのか考えてみた(益田市匹見町澄川)

国登録有形文化財である澄川発電所(益田市匹見町澄川)は、「なぜ鉄筋コンクリート構造(RC構造)でつくられたのでしょうか?」

澄川発電所 本館が完成したのは、昭和18年(1943年)

澄川発電所 外観&内部

実は、この前年の昭和17年(1942年)に益田市の高津にある「高角橋」が完成しています。


高角橋も鉄筋コンクリート構造(RC構造)なのです。
高角橋は平成23年度に「土木学会選奨土木遺産」となっています。

水神社から高角橋


高角橋も、今回の澄川発電所も「鉄筋コンクリート構造(RC構造)」。これは偶然でしょうか?
この時期は「鉄筋コンクリート構造(RC構造)」が流行っていたのでしょうか?


答えは、時代背景…戦時中にあります。

軍事物資である鉄は、建設資材として十分に使えなかったと考えられます。


実は、岡山県岡山市に「大原橋」という昭和17年(1942年)に完成した橋があります。

「大原橋」は「高角橋」と同じ年に完成した橋です…

「大原橋」について、岡山県土木管理課が運営している「おかやまの歴史的土木資産」というサイトがあります。この「17.大原橋」に関する説明文のなかに、

「鉄筋コンクリートのアーチ型の橋が9つ連なり、その東には鉄橋がつながっています。」

とありました。

鉄筋コンクリートのアーチ型の橋が9つ連なり…」の様子。

よくみると、見た目(形状)が「高角橋」とかなり似ています。

※下の画像(キャプチャー)は、「おかやまの歴史的土木遺産 17.大原橋」のページです。(画像をクリックすれば、本ページの内容が見れます)
 

http://www.civil.pref.okayama.jp/hyakusen/spot/spot017.html


「おかやまの歴史的土木遺産 17.大原橋」…岡山県教育委員会さんの解説文を読んでみましょう。

大原橋は、岡山市玉柏から牟佐(むさ)に向かう県道が旭川を渡る地点に架けられている長さ430m余りの橋です。

昭和9年の室戸台風によって、以前の木橋が流され、昭和11年に新しい橋の工事が始まり、総工費28万円をかけて昭和17年に完成しました。

鉄筋コンクリートのアーチ型の橋が9つ連なり、その東には鉄橋がつながっています。

もともとの計画は、全部鉄橋を架ける予定だったのを、太平洋戦争が起こったため、鉄不足となり、コンクリートに変更されたともいわれます。

ローゼと呼ばれるこうした形の橋が9つ連なるのは、戦前のものとしては日本一で、見事な景色を作り出しています。
 
出典:「あなたの街の近代化遺産ガイドブック」岡山県教育委員会

※参照: ⇒おかやまの歴史的土木遺産 17.大原橋


岡山の「大原橋」の「もともとの計画は、全部鉄橋を架ける予定だったのを、太平洋戦争が起こったため、鉄不足となり、コンクリートに変更されたともいわれます。

実は「高津町誌」に、「高角橋」も計画当初は「鉄橋」でつくられる予定であったということがうかがえる表記があります。

※参照(過去記事)⇒高角橋は計画当初「 鉄筋コンクリート橋」ではなかった!?

http://masuda.blog.jp/archives/1000357411.html

スイマセン!話しが、だいぶ高角橋等に偏ってしましましたが、澄川発電所も同様の背景により、「鉄筋コンクリート構造(RC構造)」で建てられたと考えらます。

時代背景、戦時中、鉄不足ということから、この時期、建てられた構造物は「鉄筋コンクリート構造(RC構造)」にするという方針があったのでしょう。

国登録有形文化財「澄川発電所」のRC構造を見学(益田市匹見町澄川)

前回に引き続き、益田市の匹見町澄川にある中国電力澄川発電所(すみかわ はつでんしょ)」について、


今回は、澄川発電所 本館の内部を見てみましょう。


澄川発電所 本館内部の画像です。

澄川発電所 内部1


鉄筋コンクリート構造(RC構造)です。
太い柱、屋根、屋根(天井)を支える梁…すべてが「鉄筋コンクリート」でできています。
とても重厚な感じがしますね。

せっかくなんで、今回の見学会で、鉄骨造り(S造)ということがわかった
豊川発電所の内部構造と比較してみてください↓

登録有形文化財 益田市 豊川発電所本館内部 文化庁


豊川発電所は、躯体が「鉄骨造(S造)なので、今回の澄川発電所の内部構造に比べ、かなり華奢な感じがすることがわかると思います。ちなみに、前回の投稿で取り上げた、広島県の大久野島の(ディーゼル)発電場跡」(1920年代築)も↑豊川発電所(昭和3年(1928年)9月に完成)同様の鉄骨造(S造)です。

我が日本での、昭和時代初期の比較的大きな建造物は、戦前である1920年代では鉄骨造(S造)が主流だったのに、1941年以降…戦時下になると鉄筋コンクリート構造(RC構造)となる傾向があるように思われます。

なぜだかわかりますか?
(そのあたりは、今後の投稿でw)

澄川発電所の天井に思う

話を澄川発電所の内部構造にもどしましょう。


澄川発電所 内部2


壁や柱は白く塗装されていますが、
天井と梁は打放しコンクリート(コンクリート面がむき出し)となっています。

この天井部を拡大してみましょう。

澄川発電所 天井 木枠跡


型枠(木製)のあとが見えます。わかりますか?


では、ちょっと画像を加工してみましょう。

澄川発電所 天井 木枠跡s


どうでしょうか? 型枠…木の板があったと思われる「筋」が見えますよネ。

澄川発電所の内部、特に鉄筋コンクリート構造(RC構造)を見ていると、以前どこかでみたような気がしてきました…「高角橋」です。


高角橋と澄川発電所…同じRC構造


澄川発電所 本館が完成したのは、昭和18年(1943年)この前年昭和17年(1942年)に益田市の高津にある「高角橋」が完成しています。

どちらも鉄筋コンクリート構造(RC構造)です。

高角橋の橋桁を下から見てみましょう。

高角橋 橋桁 下から

そして橋脚

高角橋 橋脚


橋脚を拡大してみると、コンクリートの型枠(木枠)の跡(縦の筋)があります。

高角橋橋脚表面


RC構造の型枠(木枠)について


参考までに、当時のRC構造の型枠(木枠)の現場写真を掲載しておきます。

高角橋 新橋台?橋脚型枠 2益田市

この画像は昭和26年(1951年)7月に完成した高角橋の「扛上竝びに継足工事」(嵩上げ工事とか延長工事とかいう表現をみますが、「扛上竝びに継足工事」が正式名称です)の際、撮影されたものです。

※扛上(こうじょう)、竝びに(ならびに)と読みます。

この画像は、昭和26年(1951年)7月に完成した高角橋の「扛上竝びに継足工事」の際の須子側の新しい「橋台」であろうと推測しています。(橋脚とは構造が異なります。)

…ちなみに、かなりマニアックですがw木枠の方向が初期高津の橋では「縦」であるのに対し、「扛上竝びに継足工事」の際には新規の橋脚・橋台とも「横」となっています♪…トレビアレベルのかなりマニアック…フェチな情報です。)

高角橋の「扛上竝びに継足工事」の時期は、終戦後となりますが、当時のRC構造の基本技術はさほど変わらなかったのではと思い、掲載いたしました。(ご了承くださいまし)

澄川発電所も、段階的に鉄筋の周りに木製の型枠を組み、コンクリートを養生しながら建てられていったのです。

国登録有形文化財「澄川発電所」の内部を見学(益田市匹見町澄川)

前回に引き続き、平成27年8月2日の「中国電力株式会社 水力発電所見学ツアー」(主催は益田市教育委員会さん。正確には「益田市教育委員会 文化財課さん」、共催は中国電力 株式会社 益田電力所さん)


この日の2番目の見学地は「澄川発電所(すみかわ はつでんしょ)」…益田市の匹見町澄川にあります。


早速ですが、益田市匹見町の澄川発電所、その外観です。

澄川発電所 外観


澄川発電所ができたころの我が国「日本」


澄川発電所が完成したのは昭和18年(1943年)とのことです。(今年(2015年で72歳ですネ)

時代は戦時下(太平洋戦争)、この年の4月には 山本五十六大将が米軍機の攻撃で戦死、12月には旧帝国陸軍による初めての学徒出陣といった出来事がありました。


因みに、ここ益田市関連では、この年(昭和18年)の1年前の昭和17年(1942年)に「高角橋」が完成しています。
※初期(扛上(こうじょう)並びに、継ぎ足し工事)の「高角橋」ですョ!!

ご参照⇒益田市の土木遺産 鉄筋コンクリートの橋「高角橋」(益田市 高津)


澄川発電所にはこれまで3回以上、来ているのですが、このサイトでは一度も取り上げたことがありません。

その理由は、この外観から(勝手に)「比較的新しい発電所なんだろう」と思い込んでいたためです。

そして、自分の中では澄川発電所に「歴史的建造物」という価値を感じていませんでした。

ところが、今回のツアーで、澄川発電所が完成したのは昭和18年(1943年)…戦時下、大変な時代背景のなかで建設されたということを知ったとたん見る目がかわってきました。


さて、もう一度、澄川発電所の外観を見てみましょう。

澄川発電所 外観2


建物的には、デザイン面で特筆するところはありません。

この「デザイン面でに注目すべき点がない」というところが、澄川発電所本館がつくられた時代背景…戦時下であることを物語っています。今回、見学させていただいた、他の2つの発電所(豊川発電所、匹見発電所)に比べ、とても「地味、質素」な感じがします。

ですが…このことをもってして、建築「様式」…建築デザイン界の述語「モダニズム建築」として「価値づけ」をするのは、ちょっと無理がありますね。(ぱっと見は、似てますが…w)

万一、納得できないなら「モダニズム建築」として有名な世界の建造物の「画像」を見てみることをおススメします。

(※あわせて、当時に建てられた他の発電所などの画像なども探してみてください。例えば(1920年代築になりますが)広島県の大久野島の(ディーゼル)発電場(鉄骨造(S造))跡」をみても、外観は(質素な)「箱」です。この有名な建物をもってしても、(それを)「モダニズム建築じゃ!!」という表現で語る人はおらんのです。)

くどいようですが…)澄川発電所にはモダニズム・・・といった設計者の「意図」はなく、歴史的(背景)…「必然」があったのです。

今回の参加者、益田市民(年配の女性)の「つぶやき」…

「そりゃ、戦時中じゃけぇ、デザインとか必要ないけぇね~!!」

というお言葉には、とても共感できました。


澄川発電所…その内部に感じた魅力

今回、初めて澄川発電所の内部を見せていただきました。

早速ですが画像です。

※前回の豊川発電所と同様に、発電機等の発電施設の撮影は中国電力株式会社さんより「禁止」とされています。


澄川発電所 内部1


中に入って初めてわかりました…「澄川発電所」が国登録有形文化財とすべき本来の理由が…


「こっ、これは、本当に価値ある建造物じゃ!」と評価を大きく上方修正しました。

澄川発電所 内部2


この建物は昭和18年(1943年)頃の日本の鉄筋コンクリート構造…※当時の日本のRC構造の「粋を結集した建物」なんですね。


※RCとは:Reinforced-Concreteの略。Reinforced(強化・補強された)-Concrete(コンクリート)といったところでしょうか。


澄川発電所 本館(登録有形文化財 第32‐0171号)の「証(あかし)」

澄川発電所にあった、登録有形文化財(文化庁)の証です。
前回の豊川発電所:第32-0170号の連番であることがわかります。


澄川発電所 登録有形文化財 益田市

次回は、「この建造物は貴重な国民的財産です」について、もう少し詳しく澄川発電所 本館内部の魅力について画像満載で解説することにしませう。

★澄川発電所の場所(益田市匹見町澄川)

国登録有形文化財「豊川発電所」の内部を見学(益田市猪木谷)

8月2日、益田市でごく最近、国登録有形文化財(文化庁)となった、匹見川沿いの3つの水力発電所の見学ツアーに参加しました。


このツアーの事を教えてもらった際、「発電所」って…外観ならば、いつでもみれるけれど…内部はそうそう見学できるものではない!と感じ、スグに益田市教育委員会文化財課さんへ電話申し込みしました。

(本ツアーについて、いち早く教えてくれた、益田市の高津公民館(高津地区振興センター)の「J1さん」には本当に感謝しています♪)

(さて、あらためまして)今回、参加させていただいた、

「中国電力株式会社 水力発電所見学ツアー」について

このツアーの主催は益田市教育委員会さん、共催は中国電力 株式会社 益田電力所さん。


内容は、益田市の匹見川沿いの、「豊川発電所」「澄川発電所」「匹見発電所」の3つの発電所(水力発電所)の各本館を半日で、見学するというものです。


この3つの発電所は、今年(平成27年)3月26日に国登録有形文化財(文化庁)に認定されています。


豊川発電所 本館(登録有形文化財 第32‐0170号)念願の内部を見学♪

今回の主な投稿内容は、最初の見学地「豊川発電所(益田市猪木谷町)」についてです。

早速ですが、豊川発電所 本館…その内部の様子。発電設備は撮影禁止です

登録有形文化財 益田市 豊川発電所本館内部 文化庁指定s


豊川発電所の外観↓は重厚な鉄筋コンクリートづくりを思わせますが


益田市 中国電力 豊川発電所2


内部は、学校の体育館のような感じですネ。


登録有形文化財 益田市 豊川発電所本館内部 文化庁指定s


豊川発電所 本館(登録有形文化財 第32‐0170号)の「証(あかし)」

豊川発電所(登録有形文化財 第32‐0170号)益田市 猪木谷


豊川発電所 本館、正面向かって右のピラスター(付け柱)下部に設置されています。

豊川発電所 本館の特徴について

この豊川発電所 本館は「土木学会」により『日本の近代土木遺産』の「ランクB」としても認定されています。


この土木学会での「記載内容」をもとに、豊川発電所 本館の「特徴」について解説してみます。


形式:RC建造物(ろく屋根)

ランク:B

評価情報:デンティルモールディング、3分割されたアーチ窓、明確なピラスター=華やかなイメージ(見方によっては桃山発電所を思わせる)/当時の発電機が現役使用


『日本の近代土木遺産(改訂版)―現存する重要な土木構造物2800選』
(土木学会出版、2005年)より引用


デンティルモールディング(dentil molding)
・3分割されたアーチ窓
・明確なピラスター(付柱)

と聞き慣れない用語がありますので、実際の豊川発電所の画像でその部位を示してみました↓。


豊川発電所 評価情報s


用語 ※
デンティルモールディングとは!?
dentil molding
dentil…歯型の飾り(四角い部分が歯のようにみえる)
molding…化粧縁
以上、あわせて、「歯型の飾りによる化粧縁」といったところでしょうか。



RC建造物?ろく屋根?…なのだろうか?

さて、もう一度、豊川発電所(本館)内部の構造(画像)を見てみましょう。

登録有形文化財 益田市 豊川発電所本館内部 文化庁指定s


豊川発電所本館の「躯体」は「鉄骨」であることがわかります。
屋根は、鉄トラス梁
の上部、天井材コンクリート板(?)が敷かれているように見えます。

(内部をみて気付いたのですが、外観でRC建造物に見えたのが実は鉄骨造(S造)のようです。)


鉄骨造(S造)なので、外観で重厚に見えた外壁は「かなり薄い!」・・・なぜなら外壁は躯体強度に関係ないからです。

(鉄骨造(S造)…それゆえ、今回の3つの発電所の中で一番広い内部空間を得ることができています。)



登録有形文化財 益田市 豊川発電所本館内 屋根 トラス梁


また、土木学会出版の書籍では「ろく屋根(陸屋根)」とありますが 鉄トラス梁の形状からして、切妻的な傾斜が施されていることがわかりました。(天井のコンクリート板?の存在…もしかしたら、屋根部は改築されたのかもしれませんネ)

豊川発電所について過去の投稿記事
⇒豊川発電所:益田市に現存する日本の近代土木遺産(益田市 猪木谷)


豊川発電所は、昭和3年(1928年)9月に完成(「出雲電気 株式会社」による)したといいます。
・・・今年、平成27年(2015年)で実に87歳となるんですネ♪


帰りがけ、豊川発電所から国道に向かう坂道の上に祠があることに気づきました。

益田市 豊川発電所の傍の祠


お地蔵さんが三尊。うち二尊は自然石のように思われます。

益田市 豊川発電所 近くのお地蔵さん三尊

益田市の捩れて咲く花(捩花)…知ると見えてくるという不思議

捩花(ねじばな)という花をご存知ですか?私は、つい最近知りました。


この捩花という花(植物)の形(画像)…その異形性、初めてみた時は衝撃でした。


なんと(小さな)花が螺旋状に並んで咲いているではありませんか?

いや~っ、これは大変珍しい花(植物)なんだろうなぁ…


「これまで、こんな花、見たことない!!

益田市とかでは見れんのだろうなぁ、きっと…」


と思っておったのですが、


捩花(ねじばな)という花の「存在」を知ると見えてくるですネ。


益田市でも咲いていたんです!!捩花。

益田市の捩花2


捩花なんですが・・・ウィキペディアによると「ラン科」だそうです。

ネジバナ(捩花、学名:Spiranthes sinensis var. amoena)は、ラン科ネジバナ属の小型の多年草。別名がモジズリ(綟摺)。

生育環境
日本全土、ヨーロッパ東部からシベリアにかけて、温帯・熱帯アジア全域、オセアニアなどに広く分布する。

ラン科ではめずらしく、芝生や土手、都市公園等の人間の生活圏に近い所で普通に見ることができる。この為、ともすれば花の綺麗な雑草として扱われ、芝刈り機で刈り取られてしまう。


※引用元⇒捩花 ウィキペディア(wikipedia)


「ラン科ではめずらしく、芝生や土手、都市公園等の人間の生活圏に近い所で普通に見ることができる。」


ハイ!最初に発見したのは益田市の「風の丘広場」の芝生の中で咲いていました。

(ただ、昨日、益田市の「風の丘広場」では自走式芝刈り機で丈の高い植物はバリバリ、除草されてますので、おそらく見ることはできないでしょう)

因みに、

捩花の別名はモジズリ(綟摺)…(縦糸)を(こすりあわせる)といったところでせうか?
これはこれで、いいネーミングですネ。


今回の撮影したのは、益田市のとある旧道です。

益田市の捩花

生育環境・・・日本全土…日本全土?となれば益田市のどこかに咲いていてもおかしくない!?

そう思うと、目に入ってくるんですネ(つくづく人間って不思議なものだと…自らを持って感じました…フフフっ♪)


さて、今回、「捩花」を知ったきっかけは、


益田市ご出身の、益高の超先輩(私が生まれる前に、益高を卒業されておられる)のブログ


★銀河管弦楽団の日常生活★の投稿記事

⇒今年も咲いた

から知ることができました。↑こちらの捩花の画像は、とてもきれいですよ。

ありがとうございました♪

島根県立万葉公園の花ナウ「ツートンカラーの桔梗」2015年7月11日(益田市 高津)

益田市の高津にある島根県立万葉公園。

本日(7月11日)。7月に入って久しぶりに晴れた朝ということもあり、

「今月はどんな花が咲いているだろうか?」と行ってみました。


島根県立万葉公園の東口駐車場に車を停め、万葉植物園方面に向かって歩いていたら…


ありました♪「桔梗(ききょう)」の花です。

桔梗 益田市 島根県立万葉公園 2015年7月11日



結構、まとまって咲いています。(そういえば、ウチでも(鉢植えですが)桔梗の花が咲いていたなぁ…)

「さて、接写(マクロ)モードで撮ろうかいな。」と近づいたところ、

なんだか様子が変です。ここの桔梗の花。


ツートンカラーの桔梗の花



見てください!!
桔梗3分の1青 益田市 島根県立万葉公園

花の色が、青と白の部分があります。しかもハッキリわかれて…


青と白のツートンカラーの桔梗の花
です。


そして、こちらは青白のハーフハーフ!!桔梗星人ですな♪

桔梗 青と白のツートン 益田市 島根県立万葉公園

ツツジとかで、2色の色が適度に混ざっている花は見たことがありますが、
この桔梗の花のように、こうもハッキリ色がわかれているとは……


桔梗ってかなり不思議な花!?…でも、もしや!?と思いネットで「桔梗 ツートンカラー」で検索してみたら、

ツートンカラーの桔梗の画像・投稿記事、いくつかありました。


「なんじゃ?もしかして、そんなに珍しいもんじゃないんじゃないか?」


と思われる人もいるでしょう。


ただ、それら投稿記事には皆さん「珍しい桔梗の花」と綴っています。(私も含めて。ハハハ♪)


さてさて、ここの桔梗でもう一つ驚いた事がありました。

それがコレ↓

桔梗同一の茎に青と白の花 益田市 島根県立万葉公園


ちょっと分かりにくいので信じがたいかもしれませんが…ナント!!同じ茎に、青と白の花が咲いているのです。

これまた、不思議さを感じさせる現象ですネ。


万葉集で「桔梗(ききょう)」を詠んだ歌


万葉集には「桔梗(ききょう)」を詠ったものが五首あります。


芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝皃之花 (8巻1538)


朝(杲) 朝露負 咲雖云 暮陰社 咲益家礼 (10巻2104)


展轉 戀者死友 灼然 色庭不出 朝容皃之花 (10巻2274)


言出而 云(者)忌染 朝皃乃 穂庭開不出 戀為鴨 (10巻2275)


和我目豆麻 比等波左久礼杼 安佐我保能 等思佐倍己其登 和波佐可流我倍 (14巻3502)


桔梗という文字がどこにもないじゃないか?と思う人もいるでしょう。


実は、これら五首それぞれに、「朝皃」、「朝(杲)」、「朝容皃」、「安佐我保」と記述された部分、読みは「あさがお」なんですが、当時「あさがお」とよばれた花が「桔梗」を意味するという説があるのです。


桔梗は「秋の七草」のひとつ


万葉時代の「あさがお」とは「桔梗」のことである・・・その根拠になるかどうかわかりませんが、

今回、ご紹介した五首の最初のもの

芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝皃之花(8巻1538)


は「秋の七草」が詠まれています。最後にみられる「朝皃」を「桔梗」とすれば、現代まで受け継がれている「秋の七草」が揃います。 ちなみに作者は山上憶良(やまのうえ の おくら)です。


余談ですが、「秋の七草」は「花」を楽しむことがテーマで、「春の七草」の「粥」とは趣が異なります。


では、なぜ、島根県立万葉公園では、(今回の桔梗は)7月に咲いているのでしょうか?

桔梗について調べてみたところ、開花時期が長い植物だという事がわかりました。

「みんなの趣味の園芸(NHK出版)」というサイトによると、桔梗の開花時期は6月~10月
とされていました。
※参照
⇒みんなの趣味の園芸(NHK出版)/キキョウの育て方

また、桔梗には多くの園芸品種があるということで、6月~7月にものは「早生種」だということもわかりました。

桔梗には多くの園芸種がある一方で「原種の桔梗」も存在します。


環境省 自然環境局 生物多様性センターのサイト「絶滅危惧種情報検索」によると

(日本)原種の桔梗(キキョウ)は絶滅危惧II類(VU)とされています。


※参照⇒絶滅危惧種情報検索(和名 キキョウ 学名 Platycodon grandiflorus) 


この原種の桔梗(キキョウ)こそ、万葉の時代に「あさがお」と呼ばれていた品種といえそうです。

鍋島山八幡宮にあった「水神社」と「川丁の水神社」(益田市 高津)

前回は、鍋島山八幡宮の「水神社」について調べてみました。

蟠竜湖にあった「水神社」は明治39年、鍋島山八幡宮に合祀されたということでした。そして、現在では鍋島山八幡宮があった山自体が無くなっています。

昭和3年頃に撮影された鍋島山が写っていいる写真に現在の画像を重ねてみると、鍋島山の姿が現在は確認できないことがよくわかります。
※画像中央の高圧線の鉄塔(現在)が見えますが、その背後の小山が「鍋島山」(昭和3年ごろの画像)となります↓(久々の「今昔写考学」です♪)

昭和3年鍋山写真と現在比較(益田市高津)s

昭和40年前後に開発工事か何かの目的で「鍋島山」は崩され、その際(鍋島山)八幡宮は高津柿本神社の山の中腹に移転されたようです。


※以上参照⇒蟠竜湖から鍋島山八幡宮に移った「水神社」(益田市 高津)

現在の高津柿本神社の山の中腹にある「(鍋島山)八幡宮」、現地には「水神社」らしき「祠」や(鍋島山)八幡宮そのものの「由緒記述」がないため、その後(水神社が)どうなったかは知ることができません。


「これで、水神社の手掛かりはつきた…」と諦めかけたところ……


先日、偶然にも、


高津の「川丁(かわちょう)」とよばれる場所に「水神社」が祀られている
ことを知りました。


また、ラッキーにも、地元の大先輩が


「川丁の水神社なら知っとるよ。案内しちゃるけぇ」

(大感謝!!)


で、早速、行って見ました「川丁の水神社」

水神社 益田市高津川丁


大先輩の案内が無ければ、おそらく発見できなかったでしょう。(そもそも「川丁(かわちょう)という地名すら知らなかったですけぇ…)

こうして、スムーズに「川丁の水神社」を発見することができたのですが…

この「水神社」が、これまで調べてきた、蟠竜湖から鍋島山八幡宮に移った「水神社」と同じ由緒のものか?

その疑問について、川丁に在住の「長老」、何人かに尋ねてみたものの、「川丁の水神社は、いつごろ、この地に祀られたのか?」についてすら、手掛かりとなる情報はありませんでした。


ただ、川丁の、とある「長老」からこんな話を聞くことができました。


「(水神社がいつごろ建てられたかは知らんが…)
この「水神社」というのは「水産」と「防災」の神様なんじゃ。

・水産とは「魚」…高津川の「鮎の豊漁をもたらしてくれる神様」
・防災とは高津川の「水害から守ってくれる神様」


ということなんじゃよ。」


※水神様は、本来、農業神というイメージがあるのですが、
「川丁の水神様」に関して言えば、水産と防災神へと変異しているようです。
これはこれで、民俗学的に面白いことではないでしょうか?


場所:高津川丁の水神社(中央の目印「高津川漁協鮎組合~高津支所」(←現在は多分、運営していない)ある建物の前です。)

★おまけ画像(2枚)
川丁の水神社の祠の前から撮影した、高津川周辺の風景


①土木遺産の「高角橋」

水神社から高角橋


②ダイワボウレーヨンさんの工場

水神社からダイワボウレーヨン

蟠竜湖から鍋島山八幡宮に移った「水神社」(益田市 高津)

以前の投稿で、益田市の蟠竜湖には江戸時代に「水神社」があったということをお伝えしました。

(高津町誌(復刻版)によると明和四(1767)年に建てられたということです)

※参照⇒蟠竜湖には昔、神社があった(益田市 蟠竜湖 水神社跡)

今回は、この蟠竜湖の「水神社」のその後について。

高津町誌での水神社に関する記述を今一度、見てみましょう。


水神社跡

所在地 高津町大字高津字水神堂


史実の大要及考證資料

唯心居士の疏通せる沖田灌漑用水の水源は沖田山の背後なる湖水 蟠龍湖より流出せる者にして、此の湖水の守護を祈願する為に津和野藩主の命により小祠を建て、明和四亥年來神主兩人立会ひ毎年祭事を行へり。

祠は湖の中央築堤の上方鬱蒼たる松林中にありて此所より湖水全部を観眺すべく風光幽閑なる位置なりしが、神社整理に依り明治39年鍋島山八幡宮に合祀す。

現状 松林繁茂せる平坦面積二十坪許りの山地あり。


(高津町誌(復刻版)107~108ページ)


「神社整理に依り明治39年鍋島山八幡宮に合祀す。」とあります。


この鍋島山八幡宮…当初はどこにあるのかさっぱりわかりませんでした。

ですが、地元の先輩に詳しい方がいて、その場所について知ることができました。

場所は、高津柿本神社のすぐそば…ただし、現在その場所には明治39年に「水神社」が合祀されたという「鍋島山八幡宮」はありません。

「鍋島山八幡宮」…せめて神社跡でも!!と思ったのですが…

実は、「鍋島山八幡宮」があった山そのものが現在は存在しないのです!!


昭和40年前後に「鍋島山八幡宮」があった山は(土木工事にて、人の手で)崩されたということなんです。


「えっ、高津柿本神社の傍に、もう一つ別な山があったん?」


と不思議に思う人もいるでしょう。

益田市の高津公民館にて、昭和3年(1928年)頃の高津川の写真に、「鍋島山八幡宮」が写っているものを見つけました。

昭和3年頃 鍋山

※高津公民館さんには許可をいただき掲載しています。


「えっ!?、どこ?」と思われる人もいるでしょうから「矢印」つけておきます。

昭和3年頃 鍋山 解説


具体的な場所は、現在の高津柿本神社の下にある広い駐車場あたりということです。益田市高津公民館(高津地区振興センター)と高津柿本神社の間に小山があったんですネ…

ちなみに上の写真を撮影したであろう場所(近く)で撮影した今の画像がコチラ↓
(現地は草ぼうぼうなので、河原までいけませんでした。堤防からの撮影ですのでカメラアングルはかなり異なります)

現在の高津柿本神社がある山と周辺(益田市高津)



「鍋島山八幡宮」があった「鍋島山(鍋山)」の姿はありません。


「じゃあ、今、『鍋島山八幡宮』はどこにあるのか?」

高津柿本神社の楼門前から向かって右側にすすんだところに移築されています。


鍋島山八幡宮 益田市高津


鍋島山八幡宮2 益田市高津


「(鍋島山)八幡宮が見つかったってことは、水神社もここ↑に?」


という疑問が浮かんでくるのですが…今のところわかりません。


ですが…最近になって、益田市高津の高津川沿いに独立して「水神社」の祠があることが分かりました。


次回は、高津川沿いにある「水神社」の祠についてです♪
※つづきはコチラ!!(↓)
⇒鍋島山八幡宮にあった「水神社」と「川丁の水神社」(益田市 高津)

場所:(鍋島山)八幡宮

島根県立万葉公園の花ナウ「紫陽花(アジサイ)」2015年6月13日(益田市 高津)

島根県立万葉公園、6月に入って、どんな花が咲いているか?

今回は、簡単に発見できました…「紫陽花(アジサイ)」です。

紫陽花が咲く斜面 島根県立万葉公園(益田市)

場所は、万葉公園の正面入り口~管理センターのまでの斜面をはじめ、園内のいろいろな所で咲いています。

紫陽花 並木 島根県立万葉公園(益田市)


万葉公園では「青色系」の紫陽花が多いようです。

紫陽花 島根県立万葉公園(益田市)


益田市は先週末から、暑い日が続いています、本当は、雨露を蓄えた、瑞々しい紫陽花の画像にしたかったのですが、叶いませんでした。


※島根県立万葉公園の「紫陽花(あじさい)」は、例年では6月後半ぐらいまで楽しめるとのことです。

「紫陽花(アジサイ)」について…



紫陽花s 島根県立万葉公園(益田市)


「紫陽花(アジサイ)」について調べてみました。
・紫陽花(アジサイ)の学名は Hydrangea macrophylla…アジサイ科アジサイ属だそうです。

(ネットの事典サイトではユキノシタ科という表記もありますが、それは、植物の分類体系で「新エングラー体系」でのもので、(新しい)APG体系ではミズキ目アジサイ科となっています。)


・紫陽花(アジサイ)の原産地はナント!!…日本♪


紫陽花(アジサイ)の原産地は日本であることがわかりました。

ただ、原種の形状は、これまでの画像にみられるものではありません。、

日本原産の紫陽花、原種は「額紫陽花(ガクアジサイ)」とよばれるもの。


・「ガクアジサイ」とはどんな紫陽花か!?

益田市内で、知り合いの人のお庭に咲いていた「ガクアジサイ」系の花の画像です。
(原種ではないと思いますが…)

ガクアジサイ系


で、これが、わが家にある「ガク系紫陽花」↓

ガクアジサイ系ピンク


島根県立万葉公園にもこのガクを持つ紫陽花による群落があります。

紫陽花 がく系 島根県立万葉公園 益田市


花だけをアップで見ると

紫陽花 ガク系 2島根県立万葉公園 益田市

万葉公園のこの紫陽花、額部の装飾性が高く実にいいですネ♪

場所は、万葉公園の中央駐車場から南口へ下る道路の左側です。

ちなみにこの南口に抜ける道路にも紫陽花がたくさん咲いています。


万葉集で「紫陽花」を詠んだ歌



県立万葉公園に咲いている紫陽花ですから、当然「万葉集」関連の情報も加えておくことといたしませう♪


万葉集には紫陽花を詠んだ歌が二首あります。

まずは、


事不問 木尚味狭藍 諸<弟>等之 練乃村戸二 所詐来(4巻773)


題詞は「大伴宿祢家持従久邇京贈坂上大嬢歌五首」の第四首にあたります。

作者は大伴家持(おおとも の やかもち)です。
※この歌では紫陽花は「味狭藍」と記されています。


他の四首は、


①人眼多見 不相耳曽 情左倍 妹乎忘而 吾念莫國(4巻770)
②偽毛 似付而曽為流 打布裳 真吾妹兒 吾尓戀目八(4巻771)
③夢尓谷 将所見常吾者 保杼毛友 不相志思<者> 諾不所見<有>武(4巻772)
⑤百千遍 戀跡云友 諸<弟>等之 練乃言羽<者> 吾波不信(4巻774)


次に、

安治佐為能 夜敝佐久其等久 夜都与尓乎 伊麻世和我勢故 美都々思努波牟(20巻4448)


題詞は「十八日左大臣<宴>於兵部卿橘奈良麻呂朝臣之宅歌三首」の第一首にあたります。

作者は橘諸兄(たちばなのもろえ)です。

この歌では紫陽花は「安治佐為」と記されています。


続く二首は、


奈弖之故我 波奈等里母知弖 宇都良々々々 美麻久能富之伎 吉美尓母安流加母(20巻4449)
③和我勢故我 夜度奈弖之故 知良米也母 伊夜波都波奈尓 佐伎波麻須等母(20巻4450)


この二首には「奈弖之故」…撫子(なでしこ)が詠まれています♪


☆話しは紫陽花の品種の件にもどりますが…
紫陽花は土壌のpH(ピーエイチと読みます)によって花色が変化したり、品種…形状(デザイン)もかなりたくさんありますよね…

万葉の時代の大伴家持や橘諸兄が見た紫陽花は花はどんな色で、どんな形状(デザイン)だったのでしょうか?興味が湧きますネ♪

蟠竜湖には昔、神社があった(益田市 蟠竜湖 水神社跡)

先日、高津町誌(復刻版)をながめていたら、ちょっと気になる地図がありました。


それは、益田市の高津の蟠竜湖(ばんりゅう湖 蟠竜湖県立自然公園)に関する事なんですが…

益田市の蟠竜湖(ばんりゅう湖)に昔、神社があったようなんです。


場所は蟠竜湖のこの場所、「水神社跡」と記載されています。

高津町誌 蟠竜湖水神社跡

蟠龍湖看取圖 高津町誌(復刻版)139ページ


蟠竜湖の表記について…現在は蟠「竜」湖ですが、本来は蟠「龍」湖だったようです。(私見ですが、「龍」のほうが、この湖の形状などを視覚的にも表現できていますネ♪)

上の図を見ると、かつては、蟠竜湖の「上ノ湖」と「下ノ湖」は完全に分かれていたことがわかります。(今はつながっていますが)

「水神社跡」の位置は、蟠竜湖の上ノ湖と下ノ湖をわける尾根上にあるようです。

「水神」とは一体どんな神様!?

水神社…「水神」とはそもそも、どんな神様なのでしょうか?まずは(手始めですが)wikipedia(ウィキペディア)で調べてみました。

水神(すいじん、みずがみ)は、水(主に淡水)に関する神の総称である。


日本の水神

農耕民族にとって水は最も重要なものの一つであり、水の状況によって収獲が左右されることから、日本においては水神は田の神と結びついた。田の神と結びついた水神は、田のそばや用水路沿いに祀られていることが多い。

また、水源地に祀られる水神(水分神(みくまりのかみ))は山の神とも結びついている

農耕以外の日常生活で使用する水については、井戸・水汲み場に水神が祀られる。

水神の象徴として河童、蛇、龍などがあり、これらは水神の神使とされたり、神そのものとされたりする。


以上、wikipedia(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E7%A5%9E
より引用。

蟠竜湖にナゼ「水神社」があったのか?

では、蟠竜湖になぜ「水神社」があったのでしょうか?
益田市の高津地区の歴史に詳しい方ならご存知でしょうけど…蟠竜湖って昔は貴重な灌漑用水源だったんです。

再び、高津町誌をみてみましょう。

蟠竜湖に「水神社」がおかれた経緯が記されていました。


水神社跡
所在地 高津町大字高津字水神堂


史実の大要及考證資料

唯心居士の疏通せる沖田灌漑用水の水源は沖田山の背後なる湖水 蟠龍湖より流出せる者にして、此の湖水の守護を祈願する為に津和野藩主の命により小祠を建て、明和四亥年來神主兩人立会ひ毎年祭事を行へり。


祠は湖の中央築堤の上方鬱蒼たる松林中にありて此所より湖水全部を観眺すべく風光幽閑なる位置なりしが、神社整理に依り明治39年鍋島山八幡宮に合祀す。


現状 松林繁茂せる平坦面積二十坪許りの山地あり。

(高津町誌(復刻版)107~108ページ)


蟠竜湖に「水神社」がおかれたのは「明和四年」、西暦で1767年ですから…今から約250年前になります。

ちなみに沖田灌漑用水(沖田疏水)の完成は宝永(寳永)4年(1707年)といわれています。
(※高津町誌(復刻版)134ページより)蟠竜湖の「水神社」は沖田灌漑用水(沖田疏水)が完成して60年後に建てられたことになります。

では、水神社は現在では、どこらあたりにあたるのでしょうか?…上記「高津町誌」の内容をもとに推測してみましょう。

水神社(跡)は現在では何処にあたるのか?


水神社(跡)は現在では何処にあたるのか?を検討する前に、まずは水神社を建てた理由についてふれておきましょう

・沖田灌漑用水の水源は沖田山の背後なる湖水 蟠龍湖より流出せる者にして、此の湖水の守護を祈願する為に津和野藩主の命により小祠を建て…

(本ページ、「水神とは?」で引用した)「日本の水神」での田の神、山の神の両方との結びつきも考えられます。

また蟠竜湖…その名にある竜…「龍」も水神の象徴(もしくは水神そのもの)として意味がありそうですね。


「水神社」があった場所については、

・「祠は湖の中央築堤の上方鬱蒼たる松林中にありて…」
(「中央築堤」?中央「尾根」ではないのでしょうか?) 

※追記
中央築堤は「尾根」部のことではなく、上ノ湖と下ノ湖をわける箇所(現在「橋」がある場所あたり)を指しているようです。「なぜあの橋の部分が「築堤」と表現されているのか?」については、当地には「
以前は、石組の暗渠で水路は通じていた。」という情報から理解することができました。

ここで「石組の暗渠」はいつごろ何のために施されたのか?…という新たな疑問が生じるわけですが…(現時点では根拠(史料)はありませんが)大雨での急激な下ノ湖の水位上昇から(蟠竜湖側の)間歩の入り口(入水口)を守る…「入水口でのオーバーフローを防ぐため」と考えられます。

また、一説に、蟠竜湖はそもそも「上ノ湖」「下ノ湖」は一体であり、中央の尾根に向けて地続きに(築堤)したという話もあります。
(この辺りの資史料がないため、真相はわかりませんが…)

・「此所より湖水全部を観眺すべく風光幽閑なる位置」


・「松林繁茂せる平坦面積二十坪(66㎡ ざっと約8m×8m)許りの山地あり」


となれば場所はある程度限定できそうで、(いろいろ調べた結果)どうやら島根県立万葉公園の管理センターの対岸で一番高い所となりそうです。

水神社跡があると考えられる場所(益田市蟠竜湖)


今日(2015年6月13日)実際に島根県立万葉公園の管理センター側からこの地点を撮影してきました。

水神社跡があると考えられる場所画像(益田市蟠竜湖)


水神社跡の面積は約二十坪…約66㎡ といいますから、目安として約8m×8m程度の平坦地となりますネ♪
今度探検してみませう♪

※蟠竜湖の水神社跡…見つけることができたら、投稿しますね。

蟠竜湖の「水神社」のその後は何処へ?

さて、蟠竜湖の「水神社」はその後どこへ行ったのでしょうか?そして今はどうなってるのでしょうか?
高津町誌(復刻版)のよると、


・神社整理に依り明治39年鍋島山八幡宮に合祀す。
とあります。

明治39年は西暦で1906年。蟠竜湖の「水神社」は「明和四(1767)年から約140年後に鍋島山八幡宮に合祀されたといいます。

はて?「鍋島山八幡宮」ってどこにあるのでしょうか?

引き続き、鍋島山八幡宮についても調べてみることにしましょう。


つづきはコチラ!!⇒蟠竜湖から鍋島山八幡宮に移った「水神社」(益田市 高津)

【おまけ】
今日の島根県立万葉公園…管理センターあたりには「紫陽花(あじさい)」がとてもきれいでした。

島根県立万葉公園 紫陽花 20150613


万葉公園の紫陽花については…恒例の「花ナウ」で特集します♪

島根県立万葉公園の花ナウ「山法師(やまぼうし)」2015年6月3日(益田市 高津)

6月になりましたネ。恒例の益田市の島根県立万葉公園の「花ナウ」…
益田市の島根県立万葉公園ではどんな花が咲いているのでしょうか?

今回の島根県立万葉公園の「花ナウ」

早速、島根県立万葉公園の管理センターに聞いてみました。

「6月になったんじゃけど…島根県立万葉公園「花ナウ」はなんですのン?」

対応してくれたのは例の女性。
例の女性についてはコチラの投稿記事をご参照ください。
⇒島根県立万葉公園の花ナウ「泰山木」2015年5月26日(益田市 高津)

「えっ!?…万葉公園6月の花ナウですか?… …」

「もしかして…無いんですかいのう?」

「いえ、ちょちょちょっと待ってよ!(おじさん) 詳しい人に聞きますから…」


で、ちょっと待っていたら…

「わかりました!…山法師(ヤマボウシ)です♪」…と。
(たぶん、万葉公園の所長様に聞いたんでしょうね)

「ほう、ヤマボウシですかいねい!?…でそれは「万葉植物園」のどこら辺にあるんでしょうかネ?」


「それは…」

ということで、早速、益田市の島根県立万葉公園に行ってみました。

2015年6月3日…この日の益田市は午後から青空と結構いい感じの雲も見えました。


「山法師(やまぼうし)」

島根県立万葉公園 ヤマボウシ 益田市高津


山法師(やまぼうし)(学名:Benthamidia japonica)
ミズキ科

万葉名:柘(つみ)

島根県立万葉公園 ヤマボウシ 益田市高津2

で、これらの山法師(やまぼうし)の画像、その場所なんですが…
万葉植物園とか、万葉…とかの冠が付いた場所ではなく、島根県立万葉公園の『正面口駐車場』なんです。

下の図面の「ココ!」です。

島根県立万葉公園 ヤマボウシの花が見れる場所

あっ、ちょっとわかりにくいですかネ。もう少し詳しい画像にしてみましょう…益田市の島根県立万葉公園「正面駐車場」の場所!

島根県立万葉公園 正面口駐車場 ヤマボウシ

ところで、
万葉集には「山法師(やまぼうし)」…「柘(つみ)」に関連した歌が三首あります。

島根県立万葉公園 ヤマボウシと青空 益田市高津


仙柘枝歌三首とよばれるものです。

・霰零 吉美我高嶺乎 險跡 草取可奈知 妹手乎取    (3巻385)
・此暮 柘之左枝乃 流来者 梁者不打而 不取香聞将有(3巻386)
・古尓 梁打人乃 無有世伐 此間毛有益 柘之枝羽裳  (3巻387)


セットで掲載しておきますネ。

島根県立万葉公園 ヤマボウシ 益田市高津up


柘枝伝説(つみのえでんせつ)…って結構面白い♪
よかったら調べてみてくださいまし♪