益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

狛犬

益田市「櫛代賀姫神社(式内社)」の本殿、懸魚と狛犬

益田市の式内社「櫛代賀姫神社」4回目の投稿です。

櫛代賀姫神社の本殿(明和2年(1765)造修築)は、平成25年6月1日に国登録有形文化財(建造物)に登録されたことでも話題になりました。

本殿の外観等は、以前の投稿
>>櫛代賀姫神社 その1(益田市内の式内社を訪ねて)
の後半部分で取り上げています。

今回は、益田市の「櫛代賀姫神社」にて私が興味を持ったコト2点。
1つめは本殿の「懸魚」、もう一つは「狛犬」です。

まずは本殿の「懸魚(けぎょ)」
懸魚 櫛代賀姫神社 益田市

櫛代賀姫神社の本殿屋根の切妻部分には懸魚が3つ施されています。ちなみに破風の頂部にある懸魚は「拝懸魚(おがみけぎょ)」といいます。「拝懸魚(おがみけぎょ)」の斜め下方左右の懸魚は「降懸魚(くだりけぎょ)」といいます。

(因みに、2つの「降懸魚(くだりけぎょ)」は本殿の桁の木口を保護という役割があります。画像をよくみれば、ご理解できると思います。)

「拝懸魚(おがみけぎょ)」を拡大してみてみましょう。
猪の目懸魚 櫛代賀姫神社 益田市
ハート形にくりぬかれている部分(2か所)があります。(わかりますか?)
このような加工をされた懸魚は形状的に「猪目懸魚(いのめけぎょ)」と呼ばれます。

懸魚の目的は、風雨から守るために設置されています。そのため、風化も進みやすい物です。

益田市の「櫛代賀姫神社」は、海(日本海)のすぐ近くの小高い山(丘)の上にあるので、この懸魚には通常より風雨の負荷も厳しいことが考えられます。・・・そのためでしょうか?
※櫛代賀姫神社の懸魚には(通常ではみられない)左右に薄い板で(支持)補強が施されています。

懸魚について長くなりました。

最後にどうしても掲載したかった画像1点。

益田市の「櫛代賀姫神社」の本殿前の「狛犬」です。塀の隙間からの撮影です。
櫛代賀姫神社 本殿 懸魚 狛犬

「櫛代賀姫神社」の鳥居のそばにある狛犬には大きさを感じました。
本殿の狛犬には「守護」のパワー、凄みを強く感じることができます。

益田市「高津柿本神社」貴重画像 平成の改築前のカラー写真

益田市の「高津柿本神社」の古いカラー画像を入手致しましたので投稿させていただきます。
画像は「高津柿本神社」様よりご提供いただきました。
(ウェブでの配信についても事前にご許可いただいております。)

高津柿本神社の最古の画像(写真)については、このサイトでは以前、
>>高津柿本神社の昭和10年頃の姿(画像)(島根県益田市)
として投稿しています。

早速ですが、「高津柿本神社」改築前(昭和後期~平成初期)のカラー写真です。
益田市 高津柿本神社 改築前

以前、投稿した、昭和10年代の最古の画像と比較してみてください。
昭和10年前後撮影の高津 柿本神社の画像

昭和10年代と、改築前(昭和後期~平成初期)の高津柿本神社の大きな違いは2つ。
ひとつは、右に増設された屋根があるという事。

そして、もう一つは改築前(昭和後期~平成初期)の高津柿本神社の拝殿前に「狛犬」が設置されているという事です。

狛犬といえば…前回の…阿吽学ですネw
>>宮ヶ島「恵比寿神社」の向拝。左右の「木鼻」「阿吽」学

現在の益田市の高津柿本神社の狛犬は、手水舎がある場所から、(最後の)石段の上部の左右に設置されています。(当然ですが)向かって右側が「阿」そして左が「吽」です。
益田市 柿本神社 拝殿 狛犬

最初の画像にも写っている、右側の「阿」の狛犬
狛犬 阿 益田市 高津柿本神社
そして左側の「吽」の狛犬
狛犬 吽 益田市 高津柿本神社

この狛犬の下部の石台には寛政二 庚戌歳と刻まれているので1790年頃(江戸時代)に納められたということが分かります。もし、ご興味が芽生えたなら、今度近くでご鑑賞くださいまし。貫禄のある、素晴らしい狛犬です。