益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

洞ノ鼻

益田市の「洞ノ鼻」の風景と地名の謎(鎌手地区)

以前、このサイトで益田市の高島と伊勢島(岩礁)と本土の3つが確認できる画像を投稿したことがあります。

※参照⇒益田市高島の「お伊勢物語」の内容を比較してみた(冒頭部編)
リンク先の記事の後半に掲載している画像です。

実は、この画像の撮影場所から、

益田市のプチ秘境、プチ絶景といえる、とても美しい風景をみつけました。


洞ノ鼻」とよばれる場所です。

益田市 洞ノ鼻の風景1

撮影場所は、お隣の、浜田市三隅町岡見の源田山(標高263m)の麓の道路からです。
益田市 洞ノ鼻の風景2


岩場と砂浜がコンパクトにまとまっていて素敵ですネ♪

「洞ノ鼻」の地名の由来について考えてみた。

「洞ノ鼻」の地名にはどんな由来があるのでしょうか?
「鼻」というのは一般的に海に突き出した部分(地形)をいいますので特に疑問はないのですが…


「洞」について連想できる単語(熟語)は「洞窟」、「洞穴」です。
そう思って、上の画像をみたところ…(もうお気づきの人もいるでしょうけど…)

益田市 洞ノ鼻の洞


ここに「洞窟」「洞穴」のようなものが確認できます。白い粒のように見えますが、海までつながっている穴にも見えます。(もしかしたら、ただの白いゴミかもしれません!?)

【追記】3月2日(月)・・・洞ノ鼻の「洞」が(上の画像より多少)わかりやすい、画像を2月8日(日)の撮影記録で発見!!しました。

洞ノ鼻 洞の穴 益田市の風景


2015年の2月8日。益田市の日本海はとても風が強く、かなりの時化だったわけですが、何の偶然か?確かに貫通した「洞(穴)」とみられるものが(こちらの画像の方が)よく確認できますネ♪

岩山を貫通した「穴」・・・これが、「洞ノ鼻」の地名の由来に関係しているのでしょう♪…「洞」がある「鼻」というわけです(多分)

※もう少し暖かくなったら、実際に現地(洞ノ鼻)で確認してみたいと思います。

「洞ノ鼻」について地元、益田市の人に聞いてみた…

実はここ「洞ノ鼻」について地元、益田市のいろいろな方にたずねてみたのですが(たまたまでしょうけど…)誰もご存じありません。

ただお一人、(高津の)釣り好きの方に聞くと、この場所自体は(釣り場として)よくご存知で


「ああ、あそこは、わしらぁが「二つ岩」ちゅうて呼んどるとこじゃぁ…二つ大きい岩山があるろう!? じゃけえ「二つ山」ちゅうんじゃあネ。

ふ~ん…あそこは「洞ノ鼻」ちゅうていわれとる場所なんかネ?初めて知ったのう…」

という益田市の貴重な釣り場情報も知ることができました♪

「洞ノ鼻」は、地元の釣り人には「二つ山」とよばれているのですネ♪・・・「二つ山」・・・わかりやすいですよネ。

洞の鼻(益田市鎌手地区)場所地図(googleマップより)

益田市高島の「お伊勢物語」の内容を比較してみた(冒頭部編)


益田市の伝承・伝説で『まんが日本昔ばなし』にも取り上げられた「お伊勢物語」

前回は、益田市の土田海岸の沖約2㎞にある「伊勢島」の姿を中心にした内容を投稿しました。

※前回の内容はコチラ⇒益田市沖の伊勢島と『まんが日本昔ばなし』お伊勢物語の姿を見る

今回は、『まんが日本昔ばなし』を含めた3つの「お伊勢物語」の内容…微妙な内容の違いをとりあげます。

まずは、『まんが日本昔ばなし』の「お伊勢物語」
まんが日本昔ばなし~データベース~サイトで『まんが日本昔ばなし』での「お伊勢物語」を知ることができます。
※ご参照:『まんが日本昔ばなし』データベース

http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=958

実際に『まんが日本昔ばなし』No.0958の「お伊勢物語」放送日:1987年06月13日(昭和62年06月13日)をご覧になった事がある方はご存知だと思いますが、


冒頭部では、主人公である「お伊勢」がおかれていた状況(津田の村でとても貧しい家に育っていた)と高島に嫁ぐまでの経緯(いきさつ)がとても可哀そうなものとして具体的に描写されています。


・「お伊勢」の家は「(津田)村で一二を争うくらい貧しかった」
・一生懸命育てた作物(大根)も、みんなカラス達が先に齧っていく。(このシーンは特に可哀そう(涙))
・「お伊勢」は家族(老いた父母、幼い弟妹)の事を考えると、自分は一刻も早く嫁いでいかなければと感じていた…「口減らし」のためである。
・ある日、「お伊勢」の嫁ぎ先が決まる…(益田市沖の)「高島」だった。定期的な船の交通などなく、高島へ渡ってしまえば簡単には家族に会いに戻ることはできないという場所だった。


以上が『まんが日本昔ばなし』の「お伊勢物語」での内容だったわけですが、

益田市の鎌手にある案内板、『石見舟歌に生きる「おイセ」の物語』

石見舟歌に生きるおイセの物語(拡大)


また、
矢富熊一郎先生の著書『謎の高島』

謎の高島


さらに、
益田市内のいろいろな民話をあつめた大型本『益田の民話』(2002年3月「益田の文化を育てる会」)

益田の民話 益田市の伝承・伝説資料


以上、地元益田市の資料3つのには、一切、お伊勢が嫁ぐまでの情報、具体的な説明、描写はないのです!!


★順を追って確認してみましょう。

案内板『石見舟歌に生きる「おイセ」の物語』の冒頭は、

 津田村の娘おイセが高島の若者に嫁いだ。


矢富熊一郎先生の著書『謎の高島』の「おいせの伝説」の冒頭は、

ある年おいせと言う女が対岸の津田からこの島へ嫁いだ。


書籍『益田の民話』の「お伊勢島」での冒頭は、

お伊勢さんちゅう娘(むすめ)さんが、あの海の向こうに見える高島にお嫁にいったんじゃ。


「お伊勢物語」の地元、益田市の資料すべて、「お伊勢物語」の冒頭は、共通して…(いきなり)「「お伊勢」が高島に嫁いでいった。」という感じで始まっているのです。


あっ、今回の投稿、
『まんが日本昔ばなし』のストーリーテラーが素晴らしい!(脚本家の小国英雄 的な起承転結の構成で見事!)ということを、ことさら強調するものではありません。

むしろ、益田市の一次「的」伝承・伝説情報が、物語の「起」部が、なんで、こんなに、異常にシンプルなのか…

私は気になりました。

あなたはどうですか?…どんな、空想、仮説が湧きましたか?

もしよろしければ、コメントくださいまし♪


わたくし的視点では、あまりにもシンプルすぎる冒頭部の話は、

当時の益田あたりでは、津田村の貧しさは周知のとおりで、あえて具体的に表現しなくても…当時の地元益田では語り継がれるうえでは、十分理解されていたのでは…と。

高島と伊勢島と洞の鼻のこの風景…距離観。もしかしたら「お伊勢物語」は、実話ではないか?とも思えてきました。(高島から手前の砂浜まで約10㎞…ちなみに、高島から津田の海岸までは約12㎞)

益田市 高島 伊勢島 洞の鼻

益田市の「高島」と「伊勢島」そして「洞ノ鼻」付近の海岸(砂浜)の風景(撮影は2015年2月14日)

伊勢島が何処なのかわからん!という方向けに(説明付きで↓)
益田市 高島 伊勢島 洞の鼻 説明


※次は⇒益田市高島の「お伊勢物語」の内容を比較してみた(高島脱出編)です。