益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

比礼振山

益田市の比礼振山(権現山)よりスノーモンスター的樹木がある山の風景

「益田市の比礼振山(権現山)から(益田市の)市街地や日本海の眺め」というのが「益田十景」の一つとなっていますが…南方面を眺めると、中国山地の風景も楽しむことができます。

比礼振山(権現山)から益田市の市街地でも有名どころを撮影し、さらに、この日はラッキーなことに山口県萩市の「見島」や(益田市沖)高島の「腰掛岩」も確認でき、そろそろ帰ろうとした際…

「そうそう、ここからみえる中国山地はどんな感じかいのう…?」と比礼振山(権現山)の南の風景を眺めてみたところ…

またまた、ラッキーなことに、中国山地の(おそらく「安蔵寺山」方面だろうと思うのですが…)前日(2015年1月31日)の降雪による純白の美しい山並みを見ることが出来ました♪

益田市の比礼振山(権現山)山頂から中国山地2

とても高そうな山にみえますが、中国山地は最高でも1000数百m程度の山地、山頂付近は樹木(ブナ等)でおおわれています。「もじゃもじゃ」っとした感じですネ↓

益田市の比礼振山(権現山)山頂から中国山地1

上の2枚の画像に、木の枝が映り込んでいますが、決して何か効果を狙ったというわけではありません。

比礼振山(権現山)から望む中国山地方面の風景は、木々の枝の隙間から、撮影することになります。ただ眺めるだけならともかく、撮影するのは結構大変です。

なんとか、三脚を設置して、とある山頂部を拡大倍率MAXで撮影してみました。

比礼振山(権現山)山頂から中国山地の風景 益田市

おお、山頂付近の樹木はスノーモンスター的に見えるではないですかw…気温はかなり低そうです。


比礼振山(権現山)は、標高359m、東京タワー(333m)より26m高い場所です。車で(山頂まで)いける場所ですので、容易に、素晴らしい風景を楽しむことができますね。


このところ、ずっと益田市の日本海関連の投稿が多かった中、久々に「山」に関する投稿ができました。

益田市の比礼振山(権現山)より高島の大きな「椅子」の風景

益田市の比礼振山(権現山)からの益田十景の風景。

今回も肉眼の域を超えています。

比礼振山(権現山)標高359mの山頂から益田市沖の日本海に浮かぶ「高島」の画像。

画像は編集済みです…
益田市の比礼振山(権現山)より高島s

今回はこの高島の右端(矢印付き)O内に気になるものが見えました。
よくみると「黒い突起状」のモノが見えますか!?

この部分を倍率MAXで撮影してみました。
益田市の比礼振山(権現山)より高島 腰掛岩の風景

どうやら巨石です…椅子のように見えませんか?…「腰掛岩」というそうです。
画像は編集していませんので、ボケていますね。

思いっきり、画像編集してみましいた。(ほとんど絵のような感じですw)
益田市の比礼振山(権現山)より高島 腰掛岩2の風景

高島の「腰掛岩」です(だと思います)デカい椅子(腰掛)ですネ。高島に巨人伝説があったら…w

益田市の高島にある「腰掛岩」の画像を、とある書籍にて発見しました。
謎の高島 腰掛岩

う~ん間違いないように思えます。

この、「とある書籍」とは…『謎の高島』というものです。

前回もお伝えしましたが)われら益田市の至宝!当市の歴史上の最高の名誉市民といえる「矢富 熊一郎」先生の著書でございます。

謎の高島

私が保有している『謎の高島』は、
益田市郷土文庫による復刊版(平成元年1月11日)
です。

ちなみに『謎の高島』は「昭和16年9月23日に脱稿していたが、昭和24年8月10日やっと日の目をみている。」ということです。(本書「謎の高島」の復刊版のあとがきにあたる矢富巌夫 先生の「解説 高島夜話」より引用)

益田市の高島が完全な無人島になったのが1975年(昭和50年)の3月。この書籍『謎の高島』は、昭和16年9月に脱稿といいますから、高島が無人島化する約60年前に完成していたわけです。

私が、初めて「謎の高島」という著作を知ったのは中学2年ごろ(昭和50年代)…しかも、それはガリ版刷りでした。
今では、ガリ版刷りはさすがにないでしょうが、当初の「活版印刷」の『謎の高島』は益田市立図書館や、高津の公民館(高津地区振興センター)にありますよ♪

益田市の比礼振山(権現山)より高島(たかしま)の風景

益田市の比礼振山(権現山)からの風景…益田十景について続けますw

今回は「高島」…比礼振山(権現山)山頂から見島(山口県萩市)までの距離約70㎞(yahooMAPでの計測)と比較すれば…比礼振山(権現山)山頂からは直線距離で約18㎞(yahooMAPでの計測)ですので、被写体としては楽です…かなりw。

高島は(わたくし的には)近くて遠い「益田市のプチ秘境」です♪

早速ですが、益田市の比礼振山(権現山)からの風景…「高島」について

まずは、大草町の田園風景とあわせて、益田市の日本海沖の「高島」の姿

益田市の比礼振山(権現山)より高島と大草町の風景


次に、「魚待ノ鼻」…唐音の蛇岩、水仙の里とかがある鎌手の海岸の先にある「高島」の風景(…だんだん近づいてきましたw)

益田市の比礼振山(権現山)より高島


高島は、島根県益田市の大浜漁港から、約12kmにあります。

よく見るとポツンと白い構造物が見えます。何だかおわかりですか?
矢印&○囲みしておきました。(老眼の方のために…)

益田市の比礼振山(権現山)より高島灯台の風景


益田市民で釣りが好きで、高島に詳しい方なら容易な問いかけですが…これは「高島灯台」(位置:北緯34度50分06秒 東経131度50分19秒)です。

倍率MAXで撮影

高島灯台


こ、これは…ハッティフナット(Hattifnatt)…ムーミンのニョロニョロじゃあ、あ~りませんか!?

益田市の三里ヶ浜で夕方になれば、「高島灯台」からのピカッと閃光が確認できます。

高島は、今は「無人島」ですが、1975年(昭和50年3月末日)まで人が暮らしていました。


我が益田市の至宝!歴史的にも最高の名誉市民である「矢富 熊一郎」先生の著書
「謎の高島」には、益田市の沖に浮かぶ「高島」について、とても貴重な情報、てんこ盛りです♪


益田市の比礼振山(権現山)より、益田十景シリーズが落ち着いたらw
(いずれ)特集しましょう♪

※次回は、益田市の比礼振山(権現山)より高島(たかしま)の風景内で発見した「あの岩」についてです♪
【撮影日は2015年2月1日 デジカメはCOOLPIXP600 です】

益田市の比礼振山(権現山)より「鑪崎(たたらざき)」の風景

ここ、しばらく、益田十景である「益田市の比礼振山(権現山)より」の風景画像の投稿を続けています。」

山口県萩市の見島の撮影となると、最高倍率に近い撮影がゆえ、ちょっとした手ブレ…シャッターを押すだけでも、画像が乱れるのでなかなか苦労します。

今回は、「益田市の比礼振山(権現山)より」益田市と山口県萩市の境にあたる「鑪崎(たたらざき)」の風景です。益田市の海岸線、比礼振山(権現山)からみれば西の端にあたる場所です。

まずは普通に撮影してみました。

益田市の比礼振山(権現山)より「鑪崎」の風景p


私が好きな色あいで写ったので、少しばかり編集してみました♪

益田市の比礼振山(権現山)より「鑪崎」の風景 kaiia2

益田市と山口県萩市の境の「鑪崎(たたらざき)」、その奥に見えるのは山口県萩市須佐町の高山の沖にある小島…山島、地ノ島、沖ノ島…とかよばれる岩の島郡です。(「鑪崎(たたらざき)」に、すごく隣接しているように見えますが、直線距離で7㎞は離れているんですよ)

結構、いい感じの「青系」で、とてもいい感じです。

ピントがズレて撮影した方が、より絵画的でいいですねいw↓

益田市の比礼振山(権現山)より「鑪崎」の風景 kaiis4


(実は、今回、三脚を使用し、セルフタイマー(2秒)も駆使して撮影したのですが…風による揺れだけでも、最高倍率近くではブレるんですね。画像が(汗))

波頭の白を強調できれば…私が尊敬するあの画伯風になるような…
残念ながら、そこまでの技術はありません…


【撮影日は2015年2月1日 デジカメはCOOLPIXP600 です】

このサイトで益田市の「鑪崎(たたらざき)」に関する記事はコチラ!!
タグ:益田市の「鑪崎(たたらざき)」

益田市の比礼振山(権現山)より「見島の左端の小さい島(金島)も確認」した風景

益田市の比礼振山(権現山)標高359mの山頂から「見島」はどんな感じで見えるのか?というテーマで前回投稿しました。これも益田十景の一環です。

※ご参照⇒益田市の比礼振山(権現山)山頂から「見島」の風景

デジカメの倍率をもう少しあげて「見島」を撮影したところ(この時点で益田市の市街地は撮影範囲外になりました。)※使用デジカメはNikon COOLPIX P600


左端にポツンと「粒」のようなモノが見えます。…「小島?岩?」

益田市から見島の風景

ハイハイ、分かりにくいですよね!?画像編集したのがコチラ↓

益田市から見島


益田市の比礼振山(権現山)から撮影した「見島」。その左端にポツンと小さな「島影、岩影」…わかりますか?


「わしには見えん!!」…「えっ、老眼ですか?先輩!?」…私も最近その兆候があるのでお気持ちはわかります。


では、上の画像の左端の部分を拡大しましょう♪「↓矢印つき」でw

益田市から見島そして金島の風景-crops

これなら、おわかりですか?あきらかに小さな「島影、岩影」…ありますよね!?

「google MAP」正確には「google MAPの画像版」の力を借りて、この場所をみてみると…


ほんとうに小さいのですが…島があるのがわかります。岩でしょうか?(岩なら結構大きな部類に属しますが…)


「google MAP」では特に「島名」とうの記載はありません。


「ならば!」と思い。見島観光協会(萩市役所見島支所内)さんに電話してみました。


「ハイ、見島観光協会です」…見島の女性の方の声が聞こえました。


益田市朗:「おいそがしいところ本当にすいません。益田市のものですが…益田市の比礼振山(権現山)山頂から「見島」を撮影したところ…見島の港の近くに小さい島のようなものが写っているのですが…この島はなんというのでしょうか?」


見島観光協会の女性:「少しお待ち下さい…」


見島観光協会の男性:「お電話かわりました。」…男の方に代わりました。

「益田市から見えるとすると、見島の左側の小さい島のコトですか?」


益田市朗:「ハイそうです!!本当に小さい芥子粒のような島なのですが…名前とかあるんでしょうか?」


見島観光協会の男性:「ハイ!それは『カナシマ』といいます。」


益田市朗:「『カナシマ』?。それはどんな字で書くんですか?」


見島観光協会の男性:「お金の「金」に島です…」


益田市朗:「金に島ですか?」


見島観光協会の男性:「ハイそうです」


さすが!見島観光協会。即答していただきました♪


いや、本当にご親切な対応をいただき…本当に、本当にありがとうございました!!

というわけで、この島は「金島(カナシマ)」と呼ばれているそうです。


今回の投稿の締めとして…

益田市の比礼振山(権現山)から「見島」を撮影するとその左端にポツンと小さな「島影」…「金島(カナシマ)」が確認できることもある!!


という内容でした♪
【撮影日は2015年2月1日】

益田市の比礼振山(権現山)山頂から「見島」の風景

益田市の比礼振山(権現山)標高359mの山頂からは「見島」はどんな風景となるのか?

積年の思いがついにかないました♪

2015年2月1日、比礼振山(権現山)山頂から見島(山口県萩市)を確認することができました。

益田十景のひとつ「比礼振山から(の風景)」の魅力に新たなものが加わったっていってもいいんじゃないでしょうか?。

しかも、これまで、益田市内から「見島」を確認できた場所としては一番遠いところになります。
ちなみに、益田市の比礼振山(権現山)山頂から見島までは(Yahooの地図で確認したところ)直線距離で約70Kmあります。


にもかかわらず、これまでで一番よい画像。しかも見島の端から端まできちんと撮影することができました。


早速ですが、2015年2月1日、比礼振山(権現山)山頂から見えた見島の画像。
※使用したデジカメはNikon COOLPIX P600

益田市比礼振山(権現山)から見島の風景


「う~ん…ハッキリせんのう!?」という方もおられるでしょうから、

画像編集してみました。これ↓ならどうですか?

益田市比礼振山(権現山)から見島の風景s


益田市の市街地…高津の「ゆめタウン」の上に別の世界があるように見えませんか?


この日は運よく、既に、(比礼振山(権現山)中腹にある)益田市の佐毘売山神社(式内社)から「見島」の姿を確認できていましたので(見島が見えることは)ほぼ確信してはいましたが…
※参照⇒益田市の佐毘売山神社から見島(山口県萩市)が見える

こんなにもハッキリみえるのか♪と少し驚きましたw


この日の益田市の比礼振山(権現山)標高359mの山頂の様子です。

益田市比礼振山(権現山)山頂の風景


前日には雪が降ったようです。

最近の島根県はPM2.5等の影響で晴れていても見通しが悪い景色となる事が多いのですが、
前日(前夜)に雨や雪が降って、翌日晴れてくれると、今回のように比較的澄んだ風景が楽しめます。

つづく

益田市の佐毘売山神社から見島(山口県萩市)が見える

2015年2月1日、久しぶりの益田市の佐毘売山神社(式内社)。
参拝後、比礼振山(権現山)標高359mを目指すぞ!(車でw)

と、振り返って、ふと益田市沖の日本海を見れば!

「なんと!!あの島が見えているではないですか!?」

あの島とは山口県萩市の「見島」です。

益田市役所のホームページの「文化財課」のページから、比礼振山(権現山)の山頂から「見島」が見えるということを知ってはいましたが…

益田市の佐毘売山神社からも見えるんですよ「見島」!!

益田市の佐毘売山神社から見島ss


↑赤い丸で囲ったところですが…えっ、分かりずらい?…ハイ、もう少し倍率を上げてみましょう。

益田市の佐毘売山神社から見島1s

電線が思いっきりかぶっていますネ(汗)。右下に益田市の「ゆめタウン」のイズミさんとジュンテンドーさんが見えます。

※尚、上の2枚の画像はいずれも、(画像)編集(色合いとコントラスト)しています。

※デジカメはNikon COOLPIX P600

佐毘売山神社のおススメの撮影スポットはココ↓

益田市の佐毘売山神社から見島2


この先の日本海海上に見島(赤丸内)が見えます。(ここなら電線が少なく、撮影には適していますよ)


益田市の佐毘売山神社の「場所」と「向き」に関する仮説


比礼振山(権現山)山頂は、周りを遮るものが無い、見晴らしが良い場所です。空気がある程度澄んでいて見通しが良ければ「見島」が見えても当然といえば当然です。

しかし、益田市の佐毘売山神社がある「山の中腹」となると、「見島」が見える場所はかなり限られてきます。


益田市の佐毘売山神社の「場所」と「向き」は「見島」の位置を考慮したのでは!?


という仮説的(空想)がわき起こってきました♪


佐毘売山神社(式内社)益田市20150201

因みに、益田市の佐毘売山神社は万治3年(1660年)…江戸時代(前期)に、この場所に遷座ということです。石見浜田藩の初代藩主、松井松平家2代「松平康映(1615~1674)」の時代です。

益田市の佐毘売山神社(式内社)の「鬼瓦」と「連珠三つ巴瓦紋」

今日(2015年2月1日)は益田市に久しぶりに青空と日差しの恵がありました。
「こんないい日は家にこもっていてはもったいない!」

というわけで、久しぶりになりますが益田市の比礼振山(権現山)に行くことに♪

まずは、佐毘売山神社(式内社)に参拝です。

佐毘売山神社(式内社)益田市20150201s


とてもご無沙汰しています。

益田市の佐毘売山神社(式内社)はとても歴史のある神社です。

今回は、かなりニッチな部分で私のお気に入りの佐毘売山神社の「鬼瓦」の画像です。

佐毘売山神社(式内社)鬼瓦と瓦紋 左巴


パワーありますよね!
あともう一つ気づいてほしいことは、「瓦紋」

「連珠三つ巴瓦紋」です、左巴です!!(一番上の「巴の玉」から延びでる尾の位置が、玉の左側にあると「左巴」、右側にあると「左巴」といいいます。通常、どちらかに統一されています。たまに…益田市の櫛代賀姫神社(式内社)のように、修復の際、混在する場合もありますが…)

「連珠三つ巴瓦紋」専福寺浦番所跡から発掘されたもの、と櫛代賀姫神社でも現存するものと共通してます。

※ご参照>>益田市の沖手遺跡 専福寺浦番所跡と櫛代賀姫神社の「紋瓦」

面白いですね!!


さて、佐毘売山神社の名水「権現霊水」をいただき、佐毘売山神社参拝させていただいた後、

いよいよ比礼振山(権現山)の山頂を目指そうと、振り返って、ふと、益田市の日本海沖をみたところ…!!


なんと!「あの島が見えるではないですか!?」


>>佐毘売山神社から見えた「島」とは…

益田市の人形峠から比礼振山を見ると「あの山」が見える時もある

益田市の人形峠から比礼振山を見ると

益田十景の一つ「人形峠からの日本海」。益田市の人形峠(正確には「駕篭立て」と呼ばれる場所)から見える変化にとんだ日本海の風景は何度来ても新しい発見があるので、飽きることがありません。

人形峠からの風景ですが、日本海方向ではなく中国山地方向で発見した「望遠風景」の投稿です。

撮影日は2014年9月13日午前中11時過ぎごろ…益田市は快晴で、(最近では珍しく)澄んだ青空が広がっていました。

いつもどおり日本海の風景。海岸や小島、絶壁や岩と波の風景を撮影したあと、ふと益田市の市街地方面をみたところ、いつもより比礼振山(権現山)標高359mがくっきりと見えるではありませんか!!

しかも、この日は特別視界がよく、比礼振山(権現山)の背後・彼方に比礼振山の標高を遥かにしのぐ中国山地の山々が見えるのです♪

比礼振山(権現山)標高359m 益田市 人形峠よりa

私が気になったのは、比礼振山(権現山)の背後、ほぼ真後ろにある高い山。
山頂付近が双こぶ状になっている山です。

「そもそも『比礼振山(権現山)』って一体どの山のことじゃ!?」

という方もおられるでしょうから、もう一度同じ画像。説明付きで…

比礼振山(権現山)標高359m 益田市 人形峠より

わかりましたか?で、話題は「気になった山」です。

益田市の比礼振山(権現山)の背後にある高い山の名は!?


「一体あの山は何山?…気になる」

自宅に戻り、早速、ネットの地図サイトで益田市の人形峠~比礼振山(権現山)を直線でつなぎ、その直線を中国山地方向に延長したところ…わかりました!!

どうやら、広島県の臥竜山(標高1,223m)と思われます。 

広島県の臥竜山(標高1,223m)と益田市の比礼振山(権現山)標高359m

益田十景の一つ「人形峠からの日本海」という名称についてですが、
天候・視界が良ければ「人形峠からの中国山地」も楽しめますネ♪

MAP・場所:比礼振山(権現山)



編集後記

9月13日は益田市は青空が広がり、大気はとても澄んでいました。
こういう日は、普段は見えない「かなり遠くの景色」が見えたりするものです。
あくまで個人的な驚きと感動なのですが…「益田市からあんな遠い所が見えるんだ…♪」という思いを込めた画像がこの日だけで3点(3か所)撮影できました。

今回はその2回目となります。

1回目はこちら>>益田市から見えた浜田市の風車の風景(益田市 喜阿弥町より)

次回は(個人的な感想ですが)益田市から見えた、もっと凄い望遠風景です…お楽しみに♪

三日月岩(益田市の比礼振山、山頂付近の巨石)

益田市の佐毘売山神社~比礼振山(権現山)山頂までは舗装道路が施されています。膝や足首の具合が良くない私には、山頂まで車でいけることは本当にありがたい事です。

比礼振山(権現山)山頂
に向かう道、最後の急カーブ地点に「三日月岩」と記された巨石があります。
これまで数十回はこの大岩の傍を通過しています。ですが、場所がら、じっくり拝見した事はありませんでした。
というのも、この場所、狭い道に車を一旦停めなければなりません。今回は、できるだけ短時間という条件のもとで撮影しました。
比礼振山 三日月岩 益田市

高さ、幅とも2メートル近くあります。
比礼振山(権現山)は岩山とは思えない山…この画像でも分かると思いますが赤土が主体なので、こんな大岩がポッコリとあること自体が、そもそも驚きです。

とは言うもの、(多分、あなたもお気づきでしょうが…)この岩の姿、形にして、なぜ、「三日月岩」と称されるのか?…撮影しながら、私、妙な気分でした。

「この岩は、以前は土に埋もれて、三日月状にその姿を露出していたのではないか?」…そんな仮説も浮かびました。ですが、自宅に戻り、今回撮ったいくつかの「三日月岩」画像を再確認したら…
もしかすると、こういうことかな!?」と閃きました!!
「三日月岩(益田市の比礼振山、山頂付近の巨石)」続きを読む

益田市の佐毘売山神社の「権現霊水」とは!?

益田市のパワースポットの一つ(と私が思っている)佐毘売山神社。
私が東京を中心に仕事をしていたころでも、毎年2回、盆暮れの帰省の際には必ずお参りしていました。
(現在、当サイトでは、帰郷後2009年頃の以前のブログ記事の内容を再編集し、2記事(「佐毘売山神社と石見銀山の関係」「比礼振山(権現山)の伝説」)掲載しています。このページの最後に、リンクがあります。)

一昨日(2014年2月23日)の事ですが、久しぶりに益田市の「佐毘売山神社」に行ってみたくなりました。
実に、約2年ぶりの参拝となるわけです。
佐毘売山神社 2014年2月23日 益田市

2014年2月23日撮影の益田市の佐毘売山神社の画像です。
本当は、本来の参道である石段の上から撮影したかったのですが…
益田市の佐毘売山神社 石段

倒木が原因なのでしょうか?立ち入りができないように安全柵が設置されていました。

さて、今回のタイトルの中のキーワード「権現霊水」

「権現霊水」については、佐毘売山神社の手水舎(ちょうずや・てみずや)に詳しい説明がありました。
「益田市の佐毘売山神社の「権現霊水」とは!?」続きを読む

比礼振山(権現山)と都茂鉱山 益田市の民話『大蛇のあと』

鉱山の神様を祭る神社「佐毘売山神社」


益田市美都町の都茂鉱山。そして鉱山の神様・守り神である金山彦命を祭る神社「佐毘売山神社」。

「佐毘売山神社」は益田市の比礼振山(権現山ともいいます、標高358.6m)の麓(ふもと)にあります。

益田市の佐毘売山神社(今年2009年の正月に撮影)

(2009年1月1日に撮影)
比礼振山(権現山…ごんげんさん)の山頂には蔵王権現もあります。(昨年2008年年末ごろ撮影)

比礼振山山頂の蔵王権現(昨年2008年年末ごろ撮影)


益田市の民話『大蛇のあと』


今回の「比礼振山(権現山)と都茂鉱山 益田市の民話『大蛇のあと』」から分かったことですが。
どうやら比礼振山(権現山)付近には都茂鉱山で採掘された「鉱石」を運搬する道路があったようです。

「比礼振山(権現山)」と「都茂鉱山」の2つのキーワードが「大蛇のあと」という益田市地元の民話の中で語られている事を発見しました。

「大蛇のあと」

 むかしの乙子の権現さんの道は、都茂鉱山から鉱石を馬で運ぶ往かん還(還は「道」では?)じゃった。

 ある日、益田で用事を済ませた人が、権現さんの道に通りかかると眠むとうなったので、大けな岩の上で一休みしんさった。その時、長さは十二尺(約三、六メートル)、直径は一尺(約三十センチ)ぐらいの大蛇が出てきた。そのあまりの大きさに身震いがして動きがとれんようになった。蛇は煙草が嫌いなのを思い出して、そっと煙草に火をつけ吸いはじめた。そうしよったら大蛇が向きを変えて逃げ去ったというんじゃあ。


 わしも若いころ、わらびを取りに行って、大蛇が這うたように草がなびいているのを見てたまげたことがある。


語り手 城市良吉(乙子)    
「益田の民話(ますだのみんわ)」(益田の文化を育てる会)より引用
>>http://www.group.iwami.or.jp/bfn/masudanominwa/index.htm

ここで、「むかしの乙子の権現さんの道は、都茂鉱山から「鉱石」を馬で運ぶ「道(還は道であろう)」…に関して疑問が湧きます。

(益田市美都町には)銅精錬所跡となる『大年ノ元遺跡(おおとしのもといせき)』があったはずで、「銅」の精錬技術は保有していたはずです。…地元(の精錬所)ではなく、一体どこの精錬所に運んでいたのでしょうか?


因みに銅精錬所跡となる『大年ノ元遺跡』に関しては、島根県埋蔵文化財調査センター編集部による「ドキ土器まいぶん」No.18 2002年7月発行にわかりやすい記事がありました。


発見!銅の精錬工房?

 美都町は古代から銅山開発によって繁栄したと伝えられています。美都町山本地区にある大年ノ元遺跡では、中世の掘立柱建物跡や中世期には珍しい竪穴状の建物跡が4棟見つかりました。

 竪穴状の建物跡の内部や周辺から焼土(地面が焼けた跡)や銅鉱石を溶かすための器(坩堝)片や銅の精錬工程において生じるからみ(不純物の塊)、白磁(中国製の磁器)片、土師質土器片などが見つかりました。これらの建物跡は15世紀頃(室町時代)の銅の精錬工房跡、または銅精錬に何らかの関わりにある施設と思われます。

 遺跡は、9世紀に書かれた「続日本後記」に記載されている丸山銅山から北約5km のところにあります。 この周辺は当時、中世益田氏の支配下にあり、江戸時代には幕府の直轄領でもありました。銅山の歴史、銅の精錬技術などを知る重要な手がかりになりそうです

「ドキ土器まいぶん No.18 2002年7月発行 編集・発行 島根県埋蔵文化財調査センター編集部」より引用



想像を膨らませると…もしかしたら「銀」鉱石があったのかもしれませんね!?(当時は「銀」の製錬技術はなかったはずですし)…


(この益田市の民話「大蛇のあと」がいつごろの話なのかは不明なので想像はこの辺で…)


「権現さんの道に通りかかると眠むとうなったので、大けな「岩」の上で…」
この「巨岩」は何処の岩の事なのか…存在が気になりますネ