益田市 高津の「柿本神社」。
石段がはじまる鳥居から楼門~と少しずつ石段を上がっていくと、手水舎(ちょうずや・てみずや)がある広場に出ます。

この手水舎の左には「柿本神社本殿」の説明板が設置されています。
(因みに、画像左の石段…あと10数段で、いよいよ柿本神社です。)

この説明板から知ることのできる情報は大きく分けて3つ。

高津の柿本神社に関して

1.高津の「柿本神社」建立に関する歴史(起源~現在地)的情報
2.柿本神社本殿の島根県指定有形文化財…建造物的価値の情報
3.社宝(重要美術品認定の『御法楽御短冊』)に関する情報

が記載されています。(本記事の後半にも記していますが、この説明板の上記3つの情報を手掛かりにし、私が興味を持って探求したより詳細な内容を次回以降あらためて投稿していきますネ。)

高津 柿本神社説明板と手水舎


今回は、まず「全文」をご紹介します。


島根県指定有形文化財 柿本神社本殿(指定 昭和57年6月18日)

柿本神社の祭神は柿本人麿で、その起源は人麿の終焉地鴨島に勅命により建立された社殿といわれています。
①鴨島は万寿三年(1026年)の大地震により海中に没しましたが、その時に人麿尊像が松崎に漂着したので、現在地より北の松崎の地に社殿が再建されました。その後、近世に入り慶長13年(1608年)に徳川秀忠の命により、石見銀山奉行大久保長安によって造営され、寛文11年(1671年)には津和野藩主 亀井茲政(これまさ)によって宝殿、拝殿、楼門が修理されました。 
 そして、延宝9年(1681年)に茲政は風波を避けて神社を現在地の高津城跡に移転しました。複雑な地形を効果的に利用した社殿配置と独特の建築様式を持った当神社は津和野藩が残した重要な遺産となっています。
 
②本殿は正面三間、側面三間の入母屋造妻入(いりもやづくりつまいり)、桧皮葺(ひわだぶき)で、唐破風造(からはふうづくり)の向拝(こうはい)を有し、津和野の方角を向いています。殿内は亀井家の四ツ目結び紋を配した板扉によって外陣と内陣に区切られ、内陣の中央後方に須弥壇(しゅみだん)があり、向唐破風造屋根を戴く厨子が置かれています。

 
③また、柿本神社は享保8年(1723年)の人麿千年祭にあたり正一位柿本大明神の宣下を受け、社宝として重要美術品に認定された御法楽御短冊(ごほうらくごたんざく)が奉納されています。 
平成8年3月 益田市教育委員会


限られたスペースの中で
1.高津の「柿本神社」建立に関する歴史
2.柿本神社本殿の建造物的価値(魅力)
3.社宝(『御法楽御短冊』)

3つの重要事項がコンパクトに纏められています。と私は解釈しています。


私が初めて、この説明文を読んだ時
「なんだか、歴史的にも、文化財的にも、厚み・価値があって…凄そう!!」と感心しました。

この「凄そう!!」とう思いがきっかけで、現在、高津 柿本神社…柿本人麿(柿本人麻呂)…万葉集等々、興味を広げ、調査・探求を楽しんでいます。


次回からは、以下の3点の項目

1.高津の「柿本神社」建立に関する歴史(起源~現在地)の情報
2.柿本神社本殿の島根県指定有形文化財…建造物的価値の情報
3.社宝(重要美術品認定の『御法楽御短冊』)についての情報

それぞれについて、段階的に自分が調査・探求した情報より、補足・解説を試みたいと思います。

MAP・場所:高津柿本神社(正一位柿本神社)