皇居の新宮殿、長和殿内の広いホール「南溜」から、緩やかな階段をあがった正面にあるという「波の間(なみのま)」。「波の間」に描かれた「朝明けの潮」は、縦約3.8メートル,横約14.3メートルの大壁画。
制作期間は昭和41年1月から着手、43年4月完成の2年強の長期にわたるものです。
前回、前々回と、東山魁夷の大作「朝明けの潮」と地元益田市、小浜海岸「猫島」の関係について述べてきました。今回にて一旦完結という内容とさせていただきます。(その分、今回は長めの文になります。どうか、ご了承くださいませ。)
前回御紹介した 集英社の(大型本)「美しい日本 東山魁夷自選画文集 (3) (1996/6/28)」には、「朝明けの潮」に関し、図版特集というテーマで東山魁夷氏、ご本人による本作品制作の過程の思い…「メイキング」に関する記述があります。
さらに、東山魁夷自選画文集 (3)には、本作品の完成に至るまで、スケッチ~下図(色分け下図)等33枚の素材が掲載されています。
東山魁夷 画伯が日本画家の巨匠たる所以は、 画伯の作品が、我々の無意識にまで働きかけるような…原型的訴求力に、絶対的なものがあるからと思っています。
さらに、制作過程(着想・構想から実際の行動プロセス)の文章として記録。それらは我が国の知的、芸術的、教育学的にも、この上ない価値・資産と言えるでしょう。
「美しい日本 東山魁夷自選画文集 (3) 」には東山魁夷 画伯が「朝明けの潮」の作成にいたるまでのプロセスが、具体的に記述されています。
この壁画の御下命を受けた時、最初は何を描くかということであった。
日本を象徴するものは何であろうか。以前、東宮御所に「日月四季図」と題して、日月や雲や虹、山の頂きを配して四季の空を描いた私は、こんどはそれと全く趣の異なった題材でなければならないと思った。その時、海の構想が浮かんだ。私は、まず海を見にでかけた。山口県の日本海側にある青海島、島根半島、鳥取県の網代、浦富、兵庫県へ入って浜坂、京都府の丹後半島、福井県の東尋坊、石川県の能登半島というふうに、北は男鹿半島から、北海道の襟裳岬、能取岬にまで及んだ。太平洋の犬吠埼、房総南端の野島岬、紀伊半島の大王岬、潮岬、白浜というふうに波と岩を求めて歩いた。
※東山魁夷 画伯は「朝明けの潮」の制作の準備段階で、日本国内の有名な海岸を視察・体験された事がわかります。
あれれっ!?
益田市の戸田小浜海岸は出てきませんネ!?(この件については最後に)
続けます、
波や岩の写生をしたり、ただ、見ている時もあった。私はもともとこの壁画を写実的な作品にするつもりはなかった。象徴的であり、装飾的な表現を初めから必要としていたが、そのためには、自分で納得のゆくまで海や岩を見ないではいられなかった。
おわかりでしょうか?
前回の投稿にて東山魁夷 「朝明けの潮」について発見!
実は「朝明けの潮」は実存する特定の「海岸」では無い!!
と言い切った根拠はここにあります。
「朝明けの潮」の海の色は群青(ぐんじょう)では無く、緑青。
黒ではなく、薄茶の岩石由来の白砂の浜でみられる海の色です。
東山魁夷 画伯の一つの絵画作品には、いろいろな思いが込められているわけですが…そういった思いとか意図を知らなくても。
「ああ、これこれ、この海の雰囲気!! 緑青…エメラルド」
季節に関係なく、優しさ、安心感がある海の色です。
海が好きな日本人なら、潜在意識に訴える「母形ともいえる海」が「朝明けの潮」には感じられるのです。
そして、この色の選択こそ、皇居の宮殿という我が国の特別な場所に最適であったのだと私は確信しています。
では、最後になりましたが、益田市の戸田小浜海岸とのかかわりについて…この件については、「美しい日本 東山魁夷自選画文集 (3) 」に於ける「朝明けの潮」の記述にはありません。ですが…