明後日(2015年4月19日)は益田市の最大級の祭の一つ…「益田まつり」の日。
昨日図書館入口で、今年バージョンの「益田まつり」のポスターを見ました。
いやぁ~「益田まつり」…すごく立派なポスターですネ♪
益田まつり実行委員会さんの「気合」が感じとれます。
実は、私、現在、住まいが益田市の(「元町」から)「高津」に移ったので、帰郷してから一度も「益田まつり」を見に行ったことがありません。高津地区ですからねぇ(ハハハ!
ですが、昭和の記憶なんですが…「益田まつり」は(私にとって)益田市の行事の中で、大の楽しみの一つでした。
(ちなみに、昭和時代の「益田市」での大の楽しみ行事…その他についていいますと、「益田市の商店街(今は消滅したけど)土曜夜市」「高津川河口の水郷祭」と「高津の八朔」でございます。ほんとに楽しかったなぁ~♪)
昭和の頃の「益田まつり」…当日、早朝には「のろし」(…大きな音のでるやつ)を聞くと何だか無性にワクワクしてきたのを覚えています。
余談ですが、昭和のころは、「益田まつり」当日は、日中にも何発も「のろし」…大きな音のでるやつが打ち上げられまして、そいつには仕掛けがあって、巨大な「日の丸の旗」・・・それを、一度だけ鹵獲したことがあるのですが、旗は紙製で、日の丸国旗、四辺の、下の二隅には鉛の錘がついていました。
日の丸国旗が益田市の上空を漂っていく光景の記憶は今でも、何故か、とてもなつかしいですのう。
益田市には2種類の益田音頭がある…
さて、今日の話題。
益田市には2種類の益田音頭がある…
「益田まつり」といえば、テーマソング(?)は「益田音頭」
昭和の時代には、益田まつりの日には大音響で、当時の益田市の中心市街地(今は閑散としていますが)
「市民学習センター」…否!、
「石西県民文化センター」…否!
実は昭和時代には「益田市民体育館」というのがありまして、それと、「益田市商工会議所」の間の広い道路が「益田まつり」のメイン会場でした。
昭和時代…40年代から50年代の「益田まつり」当日は、超大音響の「益田音頭」が一日中鳴り響いていました。
その音量のレベルはすさまじく、まつりが終わった夜も「益田音頭」が耳鳴っていました…これも、いい思い出です♪
で、現在の「益田まつり」の「益田音頭」の歌詞ってコレ↓ですか?
もしかしたら現、平成益田市では歌詞にマイナーチェンジとかあるかもしれませんが…(たとえば「連理松」とか)、でもネットで調べたんですが、、、基本はコレ↑ですよね。
でっ、実は、この益田音頭、正しい名称は「新益田音頭」
はい、そうです♪「新」益田音頭があるならば、
当然、元祖?的「益田音頭」があるはずです!・・・というか、ございますんです(ハハハッ)
しかも、それは、益田市で選出された郷土の三偉人の一人、徳川夢声さんが作詞したものなんですね。
徳川夢声さん作詞の「益田音頭」の内容は・・・
この「益田音頭」の歌詞は、昭和37年、益田市の市制10周年を記念して徳川夢声さんに依頼し作詞してもらったそうです。
徳川夢声さん…益田市のお生まれの郷土の三偉人の一人と益田市では言っていますが、益田市名誉市民ではありません。
なぜなら!?…というか、とうに(既に)、
東京都名誉都民(昭和40年)、勲四等旭日小綬章(昭和42年)という称号をお持ちですけぇ。
【次回予告!!】
次回の徳川夢声さんに関する投稿はというと、夢声さん作詞「益田音頭」の「謎」についてです!!
今回の画像。「新益田音頭」、徳川夢声作詞「益田音頭」ともに引用は
書籍名:益田
発行:益田市観光協会
発行日:昭和56(1981)年12月10日
です。…