益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

持石海岸

益田市沖の名物風景「浮島蜃気楼」を観察

益田市の三里ヶ浜(持石海岸も含む)沖には2種類の名物風景があります。

「だるま夕日」と「浮島現象」です。

数年前の益田市では、この2つの自然現象は「大変珍しい!!」といわれていたようですが、(私のようなものでも、高倍率のデジカメを持てるようになってからは…)結構頻繁に確認できる自然現象の風景なので…

今や益田市の「名物風景」といっていいのじゃないかと思っています。


早速ですが益田市で今回撮影した浮島現象蜃気楼の風景画像です。

益田市 浮島の風景


肉眼では、こんな感じに見えました↑地元で何度も見ている風景なので、「浮島現象」がおこったときには、「おっつ、今日は浮いとるぞ!」とその変化に気づきます。…ですが、この↑画像では、ちょっと不親切wなので、
初めての人向けに、もう少し倍率をあげて撮影してみました。

日本海 の風景 蜃気楼浮島 益田市

えっ!?まだ分かりにくいですか?…では、最高倍率での蜃気楼浮島の画像です↓。

益田市浮島現象の風景

ギリギリ浮いているかどうか…という浮島レベルはありますが、
見方によっては、日本海上の小さな島々が、コロコロした動物のように、今にでも動き出しそうな感じです。

撮影場所は、益田市の持石海岸
持石海岸(益田市の風景)の今…海岸浸食で凄い事になっていた

対象となる場所は左端が鑪崎で、山口県の萩市須佐町沖の小さな島々です。(実際には、鑪崎よりもっと先、遠い場所に、これら島々はあります)

鑪崎「神代の肌hornfels」 (人形峠からの日本海(益田市 飯浦町))

実は「だるま夕日」も「浮島現象」も下位蜃気楼(かいしんきろう)なので、益田市で「浮島現象」が見られるときには、通常「だるま夕日」が撮影できる確率が高くなるのですが…
残念ながら、11月では、益田市の三里ヶ浜、持石海岸では太陽は日本海の水平線上には沈みません。

「だるま夕日 山陰」風景画像コレクション(益田市三里ヶ浜)

次回は「だるま夕日」「浮島」のセットでとれるよう頑張りますネ。来年になりますけど(笑)

益田市の持石海岸の名風景の岩場に「謎の奴ら」がいた

前回は益田市の持石海岸の今(2014年)の浸食された風景について投稿しました。

>>持石海岸(益田市の風景)の今…海岸浸食で凄い事になっていた

益田市の持石海岸は昭和の時代では市内屈指の海水浴場でした。
益田高校時代には、土曜日には、午前中の授業の後、昼飯を食ったら、
高津の同級生の家に集合し、海水浴に行ったものです。(by自転車)

当時、持石海岸には土日となると多くの益田市民を中心とした多くの「海水浴客」がいて「海の家」的なものもありました。

今は廃墟になっていますが、以前の「海の家」的な建物ごしに見た「持石海岸」の名物岩場がコチラです。

持石海岸 廃墟の海の家からの風景


撮影したのが、今年(2014年)の11月なので、当然「ヒト」はいませんが。
「あっ、あの飛び出た岩からは皆(当時の益高生)は飛び込んだものだなぁ…」
しかも、この岩から、頭から飛び込む友人もいました(体型はプチデブでしたが)勇気ある「飛び込み姿」の美しさは今でも脳裏に焼き付いています。

と「おもひでぽろぽろ」的に回想しながら今の益田市の持石海岸の思い出の岩場を、デジカメでズームアップしてみました。

そこには、なんと!!

あいつらがいました。以前投稿した「7羽の鵜」の連中です!!
>>益田市の観音岩の景観に「7羽の鵜がやって来た」風景

今は奴らの「憩いの場」になっていました…

益田市 風景 持石海岸と7羽の鵜

「7羽の鵜」を数えた画像
益田市の7羽の鵜の風景


で、益田市の名物「7羽の鵜」の連中の会話を妄想してみました。
益田市 風景 持石海岸と7羽の鵜の妄想話
 
こいつらの会話はともかく…益田市の海岸の名物キャラ的「7羽の鵜」の結束力からみて、
すでに「烏合の衆」レベルでは無いことは確かですなぁ。・・・おしまい

持石海岸(益田市の風景)の今…海岸浸食で凄い事になっていた

益田市の「持石海岸」といえば、私が子どもの頃は、格好の夏の海水浴場でした。
ところが先日、この地を訪れた際、衝撃的な光景をみてしまいました。

早速ですが現在の「持石海岸」の画像です

益田市の風景 持石海岸の今


…結論からですが恐ろしいほど海岸(砂浜)が浸食されています。

11月ではありましたが、益田市の思い出スポットとして、「持石海岸」の「今」的画像を撮影しようと思い、30年ぶりの「持石海岸」でした。

昭和時代の「持石海岸」の記憶…


私が高校生(昭和時代)は「持石海岸」は数百人が海水浴を楽しめた場所でした。
(過去(昭和時代)の画像が無いことが残念です。)

浜辺の状況が違いすぎ、私の記憶も浸食されているかもしれませんが…昭和時代の「持石海岸」は「丸い礫(角の取れた丸石)」で覆われた部分が広く展開し、その先、波打ち際から、比較的幅の狭い砂の浜辺があり、海中の砂地は沖の岩場まで続いていました。

それが、現在は、この状況です。

益田市の持石海岸の2014年の風景


凄い事になっています!!…これぽっちの浜の面積では、とても数百人が海水浴を楽しめた場所とは想像もできない状況ということが分かりますよねネ!(直観的にも…)

しかも、河川の上流にみられる、ゴツゴツした石(割ぐり石)がゴロゴロ敷き詰められています。もはや、景観的にも日本海の海岸的なものを大きく逸脱しているではありませんか?

(ゴツゴツした石(割ぐり石)については今回は触れないとして)
なぜ、益田市の「持石海岸」の様子が激変したのでしょうか?

原因は地球温暖化?(笑)…いいえ「ヘッドランド」でしょう!


益田市の「持石海岸」の浸食の原因について、益田市の先達に(試す気持ちもあって)あえて、たずねたところ…
結構多くの人から「地球温暖化の影響じゃろうて!?」というこたえがありました。

マジですか!?…それは(地球というよりも、そんな事を真顔でおっしゃる人の頭の方が)心配です!!

私の見解では、近くに施されたヘッドランド工法による護岸対策の影響のようです。
下の高空画像を見るとおわかりのように、今回の撮影場所、画像の「山陰本線」と記載されているところの海岸付近の両サイドに…蛭(ヒル)の頭のような、T字型の護岸構造物があります。この構造物は「ヘッドランド」と呼ばれるものです。

「ヘッドランド」がこの位置にあった場合は、今回の場所あたりは2つのヘッドランドに挟まれるため、両サイドに向けた「流れ」がおこるため、浸食を助長することになります。(千葉県にいたころ、九十九里浜で同じような現象をみました。)

話は戻して)益田市の持石海岸…かつての海の家から
益田市の持石海岸  昭和時代の海の家から
…ここから見る、持石海岸の(思い出深い)岩場の風景は以前のままなんですがねぇ…
「ヘッドランド工法」考
ヘッドランド工法は、現状の益田市の海岸を見てもお分かりのように、大変優れた護岸工事…特に砂浜の維持管理には有効な工法です。ただ、ヘッドランドの両サイドには、離岸流が発生することと、ヘッドランドから離れた海岸に浸食をおこすという課題もあります。持石海岸は後者の影響をもろに受けたのでしょう…
まぁ、あっちをたてれば、こっちがたたず…的な工法ともいえますね。

真の問題点は、高津川の河口の施策にあるのでしょうけどネ。