益田市、縁(ゆかり)の歴史上の人物の一人「徳川夢声」。
徳川夢声さんが郷土、石見地方に残した句碑は2つ。
一つは、生誕地、我ら益田市の「辻の宮八幡宮」境内にある
送り火のけむりに何を見つむるぞ
昭和42年(1967年)12月9日に建てられたそうです。
はて?「益田市制15周年記念」としての記念的かつ象徴的なはずの碑に「送り火…」
なにか深い意味があるのでせうか?・・・「益田市制15周年記念」としてのこの句の位置づけは、言及することは避けてw…この句についてはわかったことがありました。
コチラのページでお伝えしています♪
⇒徳川夢声、益田市の「送り火のけむりに何を見つむるぞ」の謎
そして、
もう一つは津和野町にあるという句碑。
昨日(2015年4月29日)私は、津和野町にあるという徳川夢声さんの句碑を探しにいきました。
場所はある程度限定できていました。津和野大橋のたもとということです…
津和野町にはいって、当地に一番近いと思われる、多胡駐車場(有料、1日400円)に車をとめ、徒歩にて津和野大橋に向かいました。
ありました!すぐわかりました。場所は。
山茶花の雨となりたる別れかな
と書いているはずですが…
今や見えにくい状態です。
案内板も1/4が消えています…
この句碑が建てられたのは、昭和33年(1958年)4月16日とのことです。当日の津和野での除幕式の際、徳川夢声氏はこう語ったというのです。
「津和野の士族屋敷には、たいてい山茶花があり、私の母の家(天野家)にもあって、山茶花の咲くころにはそのことを思い出す。先年ちょうど山茶花咲く津和野へ来て、花草会(津和野の文化グループ)の人々に見送られて津和野を出発したが、その時、その別れにふさわしく秋雨が降っていた。それを思い出してこの句を作ったもので、山茶花は郷愁をそそるものであり、また母への思慕でもある」
引用元 徳川夢聲百句 松岡ひでたか 平成24年5月28日発行
亡き母に対する思慕…母の死への思慕。亡くなった母への思い、死んでしまった母への悲しみと恋しく思うことと一般的な解釈になっているんですが…
私は違うような気がします。それでは、あまりに陳腐です。
徳川夢声さんについて詳しい方がいるなら…この句が二重構造であることを知っているのでしょう。
ですが、
「二重構造・・・ならば次は、伊澤欄奢がらみだろう!?」
と予想する人…マニアですねい(素晴らしい♪)…でもでも、それも違います。
山茶花、母への思慕。
・・・山茶花、そして徳川夢声さんの思い、記憶に入りこめばわかります。
このあたりは次回にしましょう。(いつかは決めてませんが…)