益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

徳川夢声句碑

徳川夢声さん「石見第三の句碑」を訪ねて(津和野町日原(にちはら))

徳川夢声さんの句碑は島根県の石見地方では2つあることをご存知の方は多いはず。


1つは益田市の「辻の宮八幡宮」境内にある 「送り火のけむりに何をみつむるぞ」
⇒徳川夢声、益田市の「送り火のけむりに何を見つむるぞ」の謎

2つめは津和野町の津和野大橋のたもとにある 「山茶花の雨となりたる別れかな」
⇒徳川夢声さんの益田市と津和野町の2つの句碑に思う

ですネ。

ところがです!ところがですよ!昨夜(2015年5月7日)の事なんですが…

「徳川夢声の句碑ねぇ…たしか日原(津和野町)にもあるよ♪」

と、さらりと教えてくれた方が益田市におられました!!
(※日原は「にちはら」と読みます。念のため…)

その方は、益田市在住で私が尊敬する大先輩。しかも、徳川夢声さんの東京の事務所におられ、「生」徳川夢声さんと会話をした経験をお持ちの方です。


「えっ!?マジですか?徳川夢声については、最近かなり調べているんですが…そんな話は聞いたことがありません。…場所は日原のどこですか?」


大先輩:「はて、それはわからん?」


「えっ?…でも、なんか手掛かりは?」


大先輩:「う~ん…それがネットでもわからん、でとらんのよ画像とか」


「なら、明日、日原に探しに行こうと思うのですが、一緒に行っていただけませんか?」


大先輩:「ああ、ええよぉ…」


というわけで、早速本日、津和野町日原に行ってきました。


大先輩は、益田市だけでなく、津和野町にも豊富な人脈をお持ちの方なので、日原に着いて、ほんのわずかの間、ちゃちゃっと数名に携帯で尋ねてねぇ・・・目的の場所を割り出してくれたんですよ・・・まるで、仙人みたいなお方です♪

(と、かなりひっぱりやしたが…)

これが津和野町日原にある徳川夢声さんの句碑。徳川夢声さんの「石見第三の句碑」です。

これはこれ日本一の鮎どころ


これはこれ日本一の鮎どころ



おおお!この句碑には(説明とか案内板はないけど)徳川夢声さんのサインがしっかり確認できます♪
ウェブ(ネット)上ではおそらく初公開になります。

津和野町日原 徳川夢声 これはこれ日本一の鮎どころ


わかりやすい句なので、見るだけで、伝わりますよね。


高津川の鮎が激ウマ!!という徳川夢声さんの素直な感動が♪

おまけ的ですが…鮎のオブジェも拡大でどうぞ!!

アユ


徳川夢声さんの「これはこれ日本一の鮎どころ」の句碑の場所について
googleさんのSVを掲載しておきます。


【投稿後記】
※ただねぇ…またまた、私の癖、性癖に近いものですが…この句についてもっと調べてみたくなりました。何かわかったらまた報告しますけぇ♪

徳川夢声さんの雑記・雑俳二十五年にあればいいのですが…

txt


【追記:2015年5月12日】

徳川夢声さんの「これはこれ日本一の鮎どころ」が、雑記・雑俳二十五年にあればいいのですが…と、益田市立図書館にて雑記・雑俳二十五年を1ページずつめくりながら探してみましたが、見つけることはできませんでした。

【追記2:2015年5月29日】

本記事を投稿後、津和野町の専門の方にこの句碑に関して「どんな些細な事でもいいのでお教えいただけませんか?」との旨、情報をお願いしました。・・・結果、数日前ですが、お返事をいただくことができました。

この徳川夢声さんの句碑は、
・平成12年(2000年)に建立されたもので、旧日原町時代であることがわかりました。

・句碑建立の経緯としては、堤防整備事業にともなったもので、「歩道…ウォーキングコース、遊歩道もつくろう」という企画にあわせ、そこに(遊歩道)に高津川漁協にちなんだものとして発案・設置されたそうです。

堤防整備の記念として、「徳川夢声さんの句碑」が建立されたわけです。

以上の情報をわざわざ調べてご連絡くださった、津和野町の教育委員会のお方には大変感謝しております♪

徳川夢声、益田市の「送り火のけむりに何を見つむるぞ」の謎

益田市の「辻の宮八幡宮」境内にある徳川夢声の句碑

(このサイトでこの句碑について取り上げるのは3回目になりますネ)

徳川夢声の句碑 益田市


この句碑は「益田市制15周年記念」として昭和42年(1967年)12月9日に建てられたそうです。


送り火のけむりに何を見つむるぞ


この句について私は以前に、「益田市制15周年記念として如何なものか?」といった思いを綴っています。

今回は、徳川夢声さんのこの句「送り火のけむりに何を見つむるぞ」についての句に関する「情報」です。


なぜ?送り火のけむりに何を見つむるぞ


徳川夢声さんは、ご自身作の俳句について、作句年月日とちょっとしたメモの記録を残しています。

それらをまとめたのが、「雑記・雑俳二十五年」(オリオン社出版部 (1959))です。

txt

調べてみたらわかったのですが…実は、この句は連句(3連句)の初句だったのです!!


・送火の煙に何を見つむるぞ
・燈籠の房も焔も揺るるなり
・燈籠の数多並びてまたたける


時は、昭和16年(1941年)7月15日。
以下は、その時の徳川夢声さんご自身のメモ(記録)(「雑記・雑俳二十五年」より)


田園調布欅雨荘で渋沢氏令息追悼句会が催された。

この日始めて連句なるものを試みる。

上欄三句とも当夜嘱目吟、各句とも点数を稼ぎ、第三位であった。

(この翌日第二次近衛内閣総辞職。)

「雑記・雑俳二十五年」(オリオン社出版部 (1959))93ページ

※嘱目吟(しょくもくぎん)…実際に景(色)を見ながら創作した句

※「送火の煙に何を見つむるぞ」は益田市の当該句碑「送り火のけむりに何を見つむるぞ」と表記に違いがありますが、「雑記・雑俳二十五年」(オリオン社出版部 (1959))ママの記載です)


渋沢という人とは…


送り火のけむりに何を見つむるぞの句碑にある句は渋沢氏令息追悼句会でのものであることがわかりました。


渋沢氏というのは渋沢秀雄(しぶさわ ひでお)。かの渋沢栄一氏の4男にあたります。
「いとう句会」でのペンネームは「渋亭」 (ちなみに徳川夢声さんは「夢諦軒」)

連句(3連句)の初句「送火の煙に何を見つむるぞ」と他2句


・送火の煙に何を見つむるぞ
・燈籠の房も焔も揺るるなり
・燈籠の数多並びてまたたける


「送火の煙に何を見つむるぞ」が「益田市制15周年記念の句碑」になりえたのか…


という疑問もさることながら、そもそも、私、連句の一部を抜き出して「句碑」とかにした理由がいまいちわかりません。(私はあまり好きではないですね、連句は(この場合)3つそろって意味をなすからです。)


また、誰が選んだかについて、もし徳川夢声さんがこの「句」を選んだという事であれば…それはそれで、謎めいたものがあります。


はて?徳川夢声さんは昭和42年(1967年)12月9日の当句碑の除幕式に何を思っていたのか…


【追記】
「雑記・雑俳二十五年」(オリオン社出版部 (1959))は益田市立図書館に一冊あります。ご興味があるお方はどうぞ(但し、禁帯出ですけど…

【おまけ情報&画像】

益田市誌 (昭和50年12月20日発行 )上巻910ページに当句碑の画像がありました。

徳川夢声句碑 益田市「辻の宮八幡宮」境内 益田市誌


現在の益田市の「辻の宮八幡宮」境内にある徳川夢声の句碑は実はリニューアルされてたんですね。

当初は、タイル張りだったようです。


ここで発見!!

この句碑、よく見ると向かって右に「由緒書き」のようなものが見えます。

徳川夢声句碑 益田市「辻の宮八幡宮」 益田市誌 赤丸


「これ、現在の(リニューアルされた)句碑にもあったっけ?」


…実は、先日、辻の宮八幡宮境内にある徳川夢声の句碑の見学の際、そこまで気が回っていませんでした。


「しまった…わしとしたことが…何がかいてあるんじゃろうか?・・・GWは、辻の宮八幡宮へ徳川夢声の句碑を再見学せにゃやれんのう…」

徳川夢声さんの益田市と津和野町の2つの句碑に思う

益田市、縁(ゆかり)の歴史上の人物の一人「徳川夢声」。

徳川夢声さんが郷土、石見地方に残した句碑は2つ。

一つは、生誕地、我ら益田市の「辻の宮八幡宮」境内にある


送り火のけむりに何を見つむるぞ 

徳川夢声の句碑up


昭和42年(1967年)12月9日に建てられたそうです。

送り火のけむりに何を見つむるぞ


はて?「益田市制15周年記念」としての記念的かつ象徴的なはずの碑に「送り火…」


なにか深い意味があるのでせうか?・・・「益田市制15周年記念」としてのこの句の位置づけは、言及することは避けてw…この句についてはわかったことがありました。

コチラのページでお伝えしています♪
⇒徳川夢声、益田市の「送り火のけむりに何を見つむるぞ」の謎


そして、


もう一つは津和野町にあるという句碑。


昨日(2015年4月29日)私は、津和野町にあるという徳川夢声さんの句碑を探しにいきました。

場所はある程度限定できていました。津和野大橋のたもとということです…


津和野町にはいって、当地に一番近いと思われる、多胡駐車場(有料、1日400円)に車をとめ、徒歩にて津和野大橋に向かいました。

ありました!すぐわかりました。場所は。

津和野 徳川夢声 山茶花句碑

山茶花の雨となりたる別れかな


と書いているはずですが…

津和野 徳川夢声 山茶花句碑UP


今や見えにくい状態です。
案内板も1/4が消えています…

徳川夢声 津和野 山茶花句碑 案内板


この句碑が建てられたのは、昭和33年(1958年)4月16日とのことです。当日の津和野での除幕式の際、徳川夢声氏はこう語ったというのです。


「津和野の士族屋敷には、たいてい山茶花があり、私の母の家(天野家)にもあって、山茶花の咲くころにはそのことを思い出す。先年ちょうど山茶花咲く津和野へ来て、花草会(津和野の文化グループ)の人々に見送られて津和野を出発したが、その時、その別れにふさわしく秋雨が降っていた。それを思い出してこの句を作ったもので、山茶花は郷愁をそそるものであり、また母への思慕でもある」


引用元 徳川夢聲百句 松岡ひでたか 平成24年5月28日発行


亡き母に対する思慕…母の死への思慕。亡くなった母への思い、死んでしまった母への悲しみと恋しく思うことと一般的な解釈になっているんですが…


私は違うような気がします。それでは、あまりに陳腐です。

徳川夢声さんについて詳しい方がいるなら…この句が二重構造であることを知っているのでしょう。


ですが、

「二重構造・・・ならば次は、伊澤欄奢がらみだろう!?」


と予想する人…マニアですねい(素晴らしい♪)…でもでも、それも違います。


山茶花、母への思慕。


・・・山茶花、そして徳川夢声さんの思い、記憶に入りこめばわかります。


このあたりは次回にしましょう。(いつかは決めてませんが…)


【おまけ画像…追記2015.4.30】

津和野大橋にたどり着いたとき、ちょうど、山口線の上り列車が見えました。

津和野の徳川夢声さんの句碑と山口線のキハのオレンジ

キハ系の車両です。暗いオレンジ色、朱色、旧国鉄色。
都会に住んでいる益田市出身の方なら、「なつかしいのう・・・」って思うかもしれませんが、山口線、山陰本線ではバリバリの現役です♪