益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

延喜式

益田市の石見 式内社 櫛代賀姫神社 その3 御朱印(久城町)

益田市の式内社「櫛代賀姫神社」に関する投稿の3回目

櫛代賀姫神社でも御朱印をいただける


益田市内で御朱印をいただける神社は(ネット上で調べてみると)
・高津の柿本神社(益田市 高津町イ2612-1)
・染羽天石勝神社(益田市 染羽町1-60) 
2社であることがわかっていました。


今回の「櫛代賀姫神社」の特集を始めるにあたり、お電話にて(念のためと思い)

「櫛代賀姫神社には御朱印はありませんか?」…と、宮司様にお尋ねしたところ、「ありますよ!!」と嬉しいお言葉をいただきました。

「では、事前にお電話をしてから、お訪ねしますので…どうか(御朱印を)よろしくお願いいたします。」
「はい、どうぞ(笑)」と宮司様…

という経緯で…益田市の式内社「櫛代賀姫神社」にも「御朱印」ありました♪

櫛代賀姫神社の御朱印


早速ですが、櫛代賀姫神社(益田市 久城町96)のでいただいた御朱印です(2014年5月11日)。

御朱印 櫛代賀姫神社 益田市


※御朱印をいただくには「初穂料」をお納めください。
(念のため…)


画像:櫛代賀姫神社の本殿(平成25年6月1日に国登録有形文化財(建造物)に登録)

櫛代賀姫神社の本殿 益田市



【追記】

高津柿本神社の御朱印はこちらのページで以前ご紹介しております。

>>「高角山 正一位 柿本神社」の御朱印(益田市 高津地区)

また、染羽天石勝神社は益田市内の式内社ですので、近いうちにご紹介できると思います。

※参照:>>益田市内の(延喜式)式内社を訪ねてみよう

櫛代賀姫神社 その1(益田市内の式内社を訪ねて)

櫛代賀姫神社(くししろかひめじんじゃ)

「益田市内の式内社を訪ねて」第1番目は『櫛代賀姫神社』

櫛代賀姫神社 益田市


櫛代賀姫神社(くししろかひめじんじゃ)
場所:益田市久城町963
祭神:櫛代賀姫(くししろかひめ)
   応神天皇(おうじんてんのう)第15代天皇

櫛代賀姫神社の「起源」と、「式内社」になったのは「いつ」かについて調べてみました。資料は宮司様からいただいた『石見式内 櫛代賀姫神社略記』で、その「由緒沿革」によると

・祭神は櫛代族の租神にして天平5年丑(うし)5月(733)管長の命により社殿設立。
大同元年(806)石見観察使、藤原緒継が鎌手大浜浦より現在地、久城明星山に御遷座。
人皇第54代仁明天皇の承和7年申8月(840)再建爾来延喜式所載の神社として朝野の尊崇深く…(以下略)

という経緯だそうです。

櫛代賀姫神社 拝殿正面 益田市
【櫛代賀姫神社 拝殿正面】

櫛代賀姫神社はいつごろ「式内社」となったのか?

櫛代賀姫神社はいつごろ「式内社」となったのでしょうか?

櫛代賀姫神社由緒では
・当初(733年)は(益田市の)鎌手地区に設立された。
・806年に現在地(久城明星山)に御遷座(移設)
・840年の再建時に延喜式所載の神社となった。…とあります。


また、櫛代賀姫神社の歴史については櫛代賀姫神社奉賛会による「櫛代賀姫神社 壱千弐百年式年大祭 記念誌」には以下の記述がありました。


櫛代賀姫神社の歴史

 和泉国から当地へ移住した櫛代族は、祖神櫛代賀姫命を奉祭し、天平5年(733年)には管長の命により社殿が建立されました。大同元年(806年)に石見国観察使の藤原緒継によって鎌手の大浜浦から久城の緒継浜に遷宮され、承和7年(840年)に再建されました。その後、万寿3年(1026年)に大津波によって流失したため、現在地の明星山に移転建立されたといわれています。
 平安時代の延長5年(927年)に完成した『延喜式』の「神名帳(官社帳とも呼ばれる)」に美濃郡五座のひとつ
として書き上げられ、いわゆる式内社として長い歴史を有しています。

櫛代賀姫神社 壱千弐百年式年大祭 記念誌 櫛代賀姫神社奉賛会
P6 櫛代賀姫神社の歴史より引用


※上記2つの史料では、現在地の明星山に移設された時期が異なることは気になります。が、延喜式所載…式内社となったのは承和7年(840年)と考えられます。

「本殿」は国登録有形文化財(建造物)

櫛代賀姫神社の本殿(明和2年(1765)造修築)は平成25年6月1日に国登録有形文化財(建造物)に登録されています。

櫛代賀姫神社 本殿  益田市内の国登録有形文化財(建造物)

三間社流造

三間社流造(さんげんしゃながれづくり)
屋根の形状は「流造(ながれづくり)」で正面に柱が4本(三間)となっていますので「三間社流造(さんげんしゃながれづくり)」といえます。

櫛代賀姫神社 三間社流造


※正面上部の部材…木鼻に一部薄く朱色が残っているのでこの本殿は本来は「朱塗り」であったことがわかります。

★屋根は「銅板葺き」です。

櫛代賀姫神社の本殿 屋根 銅板葺き


MAP:櫛代賀姫神社 益田市久城町963

※因みに、この櫛代賀姫神社の本殿は、益田市内2番目の国登録有形文化財(建造物)です。
(1つは益田市立歴史民俗資料館(旧美濃郡役所)です。)
>>益田市の「歴史民俗資料館」の歴史(益田市本町)

次回は益田市の櫛代賀姫神社の現在の様子と私が感じた魅力についてレポートします。


益田市内の(延喜式)式内社を訪ねてみよう(準備編)

益田市で様々な神社を訪ねていくうちに、益田市に存在する神社について、「系統だてて投稿をしていく視点はないのか?」という思いがあり、

※まずは、益田市内で、「式内社」…平安時代の法令「延喜式」により定められた神社というくくりで、まとめてみようと思いました。

※現在の益田市の範囲内(旧美濃郡同じと考えています)式内神社は全部で以下の5社(所在地)
  
佐毘売山神社(島根県 益田市 乙子町51) 
染羽天石勝神社(島根県 益田市 染羽町1-60)     
・櫛代賀姫神社(島根県 益田市 久城町96)
 >>※特集:櫛代賀姫神社
小野天大神之多初阿豆委居命神社(島根県 益田市 戸田町イ-858) 
・菅野天財若子命神社(あえて保留)


このうち、佐毘売山神社に関する話題は本サイトでも以前数回投稿しています。
>>※特集:佐毘売山神社

ところで…
※延喜式とか式内社って何?と思う方も多いのではともいます。
ちょうどわかりやすい資料(書籍)が手元にありましたので、折を見て説明をさせていただきます。


また、上記5つの益田市内の「式内社」うち、
・佐毘売山神社・染羽天石勝神社・櫛代賀姫神社・小野天大神之多初阿豆委居命神社

の4社はすでに何度か参拝をしていますが、(所在地を、「あえて保留」としている)「菅野天財若子命神社」

については、その由緒、所在地については、もう少し調査・考察の時間を必要としています。


最後に…このままでは画像は1枚もないので(汗)

今回は、つい最近、小野村誌(復刻改訂版)により、その所在を知ることとなった

・小野天大神之多初阿豆委居命神社(島根県 益田市 戸田町イ-858)の画像を掲載しておきます。

益田市 小野神社 小野天大神之多初阿豆委居命神社