※今回までの岸静江国治と益田市に関しての投稿は、実は他のブログサービスで、2009年の秋から冬にかけての私の投稿記事を再編集したものです。
実は、岸静江国治に関する一連の投稿は、ある方よりいただいたコメントが契機でした。その方とは…京のブロガー、ハンドルネーム「なまず」さん!益田市出身のお方です。
なまずさんのブログ(トップページ)はこちら>>安住の地を求めて・・・なまずの寝床探し
なんと!!ご祖父様が岸静江から譲り受けた「鉄瓶」をお持ちだとか…
「岸静江国治、所縁の地について取材投稿しますので…是非「鉄瓶」見せてください!」とコメントしたら…画像投稿してくださいました。
>>岸静江から譲り受けた鉄瓶の画像【なまずの寝床探し】より
これがその鉄瓶です。(なまず様には事前に画像引用の手続きおよび許可をいただき、掲載しています。)


岸静江国治 鉄瓶1
岸静江国治 鉄瓶 蓋


あまりに嬉しかったので…なまず様への感謝の気持ちを込めて「献上物語」をつくってみました。


岸静江国治と鉄瓶『唯今がその時、その時が唯今なり』
 一八六六年六月某日、石州益田 。
 物頭勤方取次の岸静江国治は部下二名を従へ、萬福寺より自ら守を務める扇原関門への途上。

梅雨。空は墨滲むがごとき雲層。赤土で濁った多田川…。「ふぁぁぁ…」静江、馬上にて、大欠伸。一筋の涙が頬を垂れる。静江、思わず微笑する。
 今日、ここ、この世。地味な田舎の風景。そして大欠伸。…この日、静江には、風景を見る、大欠伸の涙が頬をつたわる…この日常些細のことを「生きている証」と感じ、幸せな気持であった。

 岸静江国治 鉄瓶2その日の夕刻。関門にて、岸静江国治、茶をすすりながら、当地で知り合った百姓の息子を相手にしていた。

「関守(岸静江国治)様、ええ鉄瓶じゃのう!?」
「ほう、お前でもわかるか?」静江は若干驚いた。
「うん、すごいのう…」
「ほぅ…よし!これをお前にくれてやる!」
「なっなっ、なんでじゃ!?」
「なんでもクソもねぇ…わしは、じき忙しゅうなる(苦笑)。」
「…?」

「なに、タダでやるとは言わん。お前の親父に、後日、この鉄瓶分の「酒」を手当するよう言ってくれ…

ものは平安光玉堂…この世に「百」のみ!お親父に言えばわかるはずだ(笑)」

岸静江国治 鉄瓶 箱書「酒?…それっぽっちの酒で?」
「うんっ!…これ(鉄瓶)は、お前にやる。さっ、行け!」
「今すぐ!?」
「おうっ!『唯今がその時、その時が唯今なり』…覚えといてくれ…忘れるなよ(薄美笑)」


 



数日後、少年は父親とともに、約束の酒を携え、関門への坂道を全力で走っていた。正直、だいたいの事情はわかっていた。
 やがて、関門が見えた…当然、そこには静江の姿は無い。少年は、あの日の静江の透き通った笑顔を思い出し、あらためてその意味を知り、ひたすら泣いた・・・。


そして、扇原関門跡では今でも、曇りの日には…(見えますか?)


扇原関門と少年