益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

国登録有形文化財

国登録有形文化財「匹見発電所」の建造法は?(益田市匹見町)

8月2日の益田市教育委員会さん主催、中国電力 株式会社 益田電力所さん共催の

「中国電力株式会社 水力発電所見学ツアー」

このツアーは、益田市の国登録有形文化財(平成27年3月26日に文化庁により認定)である、匹見川沿いの3つの水力発電所を見学するというものでした。

今回は、その最後の見学地「匹見発電所 (ひきみ はつでんしょ)」です。
(所在地:益田市匹見町匹見イ1702-3)


早速ですが、匹見発電所 本館の遠景(外観)です。

国登録有形文化財 匹見発電所 遠景

益田市の匹見発電所は、国登録有形文化財(文化庁)である前に、社団法人 土木学会の「日本の近代土木遺産 現存する重要な土木構造物2800選」に掲載されています。

「日本の近代土木遺産 現存する重要な土木構造物2800選」での
匹見発電所に関する掲載内容は

RC建造物(切妻屋根)ランクC


<土木学会での評価理由>

ピラスターで区分された壁面のデザイン
・当時の発電機・水車が現役使用


↑この内容…太赤字強調した部分について後程、あらためて語ります♪


匹見発電所をこれまでで最も間近で見れた!!


今回は、(残念ながら)匹見発電所の内部については見学できませんでした。…ですが、これまで4回匹見発電所を訪れたなかで、もっとも近くで本館を撮影できました。(なぜなら、中国電力 株式会社 益田電力所さんがゲート内に入れてくれたからです♪)

匹見発電所 本館(登録有形文化財 第32‐0172号)の「証(あかし)」

匹見発電所にあった、登録有形文化財(文化庁)の証です。

匹見発電所 登録有形文化財 第32-0172号


今回、見学させていただいた中国電力さんの益田市にある3つの発電所

・豊川発電所:第32-0170号
・澄川発電所:第32-0171号
・匹見発電所:第32-0172号

連番となっています。

そして、そこでの益田市教育委員会の文化財課さんのご担当者さんの説明・解説の中で驚愕の情報がありました!!


匹見発電所 本館はコンクリートブロック造り!?

益田市教育委員会の文化財課さんの説明・解説の内容(要旨)に、

「匹見発電所 本館は鉄筋コンクリート(RC)造といわれていたのですが、コンクリートブロックを積み上げた…コンクリートブロック造りだということがわかりました。」


というくだりがありました。

「エッ!?」…と、思いました。そして以下の疑問が…


・匹見発電所 本館は鉄筋コンクリート(RC)造でなく

コンクリートブロック造り…しかもコンクリートブロックを積み上げたもの、…それは古代の石造りの建物のように…?


・「どんな形状のコンクリートブロックなのだろうか?」
・「鉄筋・鉄骨なしなの?」

さらに!! 

コンクリートブロック造りなら、土木学会さんがピラスター(付け柱)といった部位は、
(ピラスター、付け柱ではなく)躯体としてのコンクリートブロックでできた「柱」となるわけです。


おおっ、またマニアック!フェチな疑問…「謎」が…♪

是非とも、この疑問・謎を解明したいものです。


匹見発電所正面の画像にヒントが!?


匹見発電所 本館正面の画像を撮っていました。

匹見発電所 正面

この画像の中に、一部「破損」箇所があることを自宅のPCで確認できました。
で囲んだ部分です↓

匹見発電所 正面s


拡大したのがコチラの画像↓

匹見発電所 正面ss


う~んっ、いわれてみれば、独立したブロック(パーツ)のようにも見えますネ。
実際どうなんでしょうかねい?

澄川発電所は、なぜ鉄筋コンクリート製なのか考えてみた(益田市匹見町澄川)

国登録有形文化財である澄川発電所(益田市匹見町澄川)は、「なぜ鉄筋コンクリート構造(RC構造)でつくられたのでしょうか?」

澄川発電所 本館が完成したのは、昭和18年(1943年)

澄川発電所 外観&内部

実は、この前年の昭和17年(1942年)に益田市の高津にある「高角橋」が完成しています。


高角橋も鉄筋コンクリート構造(RC構造)なのです。
高角橋は平成23年度に「土木学会選奨土木遺産」となっています。

水神社から高角橋


高角橋も、今回の澄川発電所も「鉄筋コンクリート構造(RC構造)」。これは偶然でしょうか?
この時期は「鉄筋コンクリート構造(RC構造)」が流行っていたのでしょうか?


答えは、時代背景…戦時中にあります。

軍事物資である鉄は、建設資材として十分に使えなかったと考えられます。


実は、岡山県岡山市に「大原橋」という昭和17年(1942年)に完成した橋があります。

「大原橋」は「高角橋」と同じ年に完成した橋です…

「大原橋」について、岡山県土木管理課が運営している「おかやまの歴史的土木資産」というサイトがあります。この「17.大原橋」に関する説明文のなかに、

「鉄筋コンクリートのアーチ型の橋が9つ連なり、その東には鉄橋がつながっています。」

とありました。

鉄筋コンクリートのアーチ型の橋が9つ連なり…」の様子。

よくみると、見た目(形状)が「高角橋」とかなり似ています。

※下の画像(キャプチャー)は、「おかやまの歴史的土木遺産 17.大原橋」のページです。(画像をクリックすれば、本ページの内容が見れます)
 

http://www.civil.pref.okayama.jp/hyakusen/spot/spot017.html


「おかやまの歴史的土木遺産 17.大原橋」…岡山県教育委員会さんの解説文を読んでみましょう。

大原橋は、岡山市玉柏から牟佐(むさ)に向かう県道が旭川を渡る地点に架けられている長さ430m余りの橋です。

昭和9年の室戸台風によって、以前の木橋が流され、昭和11年に新しい橋の工事が始まり、総工費28万円をかけて昭和17年に完成しました。

鉄筋コンクリートのアーチ型の橋が9つ連なり、その東には鉄橋がつながっています。

もともとの計画は、全部鉄橋を架ける予定だったのを、太平洋戦争が起こったため、鉄不足となり、コンクリートに変更されたともいわれます。

ローゼと呼ばれるこうした形の橋が9つ連なるのは、戦前のものとしては日本一で、見事な景色を作り出しています。
 
出典:「あなたの街の近代化遺産ガイドブック」岡山県教育委員会

※参照: ⇒おかやまの歴史的土木遺産 17.大原橋


岡山の「大原橋」の「もともとの計画は、全部鉄橋を架ける予定だったのを、太平洋戦争が起こったため、鉄不足となり、コンクリートに変更されたともいわれます。

実は「高津町誌」に、「高角橋」も計画当初は「鉄橋」でつくられる予定であったということがうかがえる表記があります。

※参照(過去記事)⇒高角橋は計画当初「 鉄筋コンクリート橋」ではなかった!?

http://masuda.blog.jp/archives/1000357411.html

スイマセン!話しが、だいぶ高角橋等に偏ってしましましたが、澄川発電所も同様の背景により、「鉄筋コンクリート構造(RC構造)」で建てられたと考えらます。

時代背景、戦時中、鉄不足ということから、この時期、建てられた構造物は「鉄筋コンクリート構造(RC構造)」にするという方針があったのでしょう。

国登録有形文化財「澄川発電所」のRC構造を見学(益田市匹見町澄川)

前回に引き続き、益田市の匹見町澄川にある中国電力澄川発電所(すみかわ はつでんしょ)」について、


今回は、澄川発電所 本館の内部を見てみましょう。


澄川発電所 本館内部の画像です。

澄川発電所 内部1


鉄筋コンクリート構造(RC構造)です。
太い柱、屋根、屋根(天井)を支える梁…すべてが「鉄筋コンクリート」でできています。
とても重厚な感じがしますね。

せっかくなんで、今回の見学会で、鉄骨造り(S造)ということがわかった
豊川発電所の内部構造と比較してみてください↓

登録有形文化財 益田市 豊川発電所本館内部 文化庁


豊川発電所は、躯体が「鉄骨造(S造)なので、今回の澄川発電所の内部構造に比べ、かなり華奢な感じがすることがわかると思います。ちなみに、前回の投稿で取り上げた、広島県の大久野島の(ディーゼル)発電場跡」(1920年代築)も↑豊川発電所(昭和3年(1928年)9月に完成)同様の鉄骨造(S造)です。

我が日本での、昭和時代初期の比較的大きな建造物は、戦前である1920年代では鉄骨造(S造)が主流だったのに、1941年以降…戦時下になると鉄筋コンクリート構造(RC構造)となる傾向があるように思われます。

なぜだかわかりますか?
(そのあたりは、今後の投稿でw)

澄川発電所の天井に思う

話を澄川発電所の内部構造にもどしましょう。


澄川発電所 内部2


壁や柱は白く塗装されていますが、
天井と梁は打放しコンクリート(コンクリート面がむき出し)となっています。

この天井部を拡大してみましょう。

澄川発電所 天井 木枠跡


型枠(木製)のあとが見えます。わかりますか?


では、ちょっと画像を加工してみましょう。

澄川発電所 天井 木枠跡s


どうでしょうか? 型枠…木の板があったと思われる「筋」が見えますよネ。

澄川発電所の内部、特に鉄筋コンクリート構造(RC構造)を見ていると、以前どこかでみたような気がしてきました…「高角橋」です。


高角橋と澄川発電所…同じRC構造


澄川発電所 本館が完成したのは、昭和18年(1943年)この前年昭和17年(1942年)に益田市の高津にある「高角橋」が完成しています。

どちらも鉄筋コンクリート構造(RC構造)です。

高角橋の橋桁を下から見てみましょう。

高角橋 橋桁 下から

そして橋脚

高角橋 橋脚


橋脚を拡大してみると、コンクリートの型枠(木枠)の跡(縦の筋)があります。

高角橋橋脚表面


RC構造の型枠(木枠)について


参考までに、当時のRC構造の型枠(木枠)の現場写真を掲載しておきます。

高角橋 新橋台?橋脚型枠 2益田市

この画像は昭和26年(1951年)7月に完成した高角橋の「扛上竝びに継足工事」(嵩上げ工事とか延長工事とかいう表現をみますが、「扛上竝びに継足工事」が正式名称です)の際、撮影されたものです。

※扛上(こうじょう)、竝びに(ならびに)と読みます。

この画像は、昭和26年(1951年)7月に完成した高角橋の「扛上竝びに継足工事」の際の須子側の新しい「橋台」であろうと推測しています。(橋脚とは構造が異なります。)

…ちなみに、かなりマニアックですがw木枠の方向が初期高津の橋では「縦」であるのに対し、「扛上竝びに継足工事」の際には新規の橋脚・橋台とも「横」となっています♪…トレビアレベルのかなりマニアック…フェチな情報です。)

高角橋の「扛上竝びに継足工事」の時期は、終戦後となりますが、当時のRC構造の基本技術はさほど変わらなかったのではと思い、掲載いたしました。(ご了承くださいまし)

澄川発電所も、段階的に鉄筋の周りに木製の型枠を組み、コンクリートを養生しながら建てられていったのです。

国登録有形文化財「澄川発電所」の内部を見学(益田市匹見町澄川)

前回に引き続き、平成27年8月2日の「中国電力株式会社 水力発電所見学ツアー」(主催は益田市教育委員会さん。正確には「益田市教育委員会 文化財課さん」、共催は中国電力 株式会社 益田電力所さん)


この日の2番目の見学地は「澄川発電所(すみかわ はつでんしょ)」…益田市の匹見町澄川にあります。


早速ですが、益田市匹見町の澄川発電所、その外観です。

澄川発電所 外観


澄川発電所ができたころの我が国「日本」


澄川発電所が完成したのは昭和18年(1943年)とのことです。(今年(2015年で72歳ですネ)

時代は戦時下(太平洋戦争)、この年の4月には 山本五十六大将が米軍機の攻撃で戦死、12月には旧帝国陸軍による初めての学徒出陣といった出来事がありました。


因みに、ここ益田市関連では、この年(昭和18年)の1年前の昭和17年(1942年)に「高角橋」が完成しています。
※初期(扛上(こうじょう)並びに、継ぎ足し工事)の「高角橋」ですョ!!

ご参照⇒益田市の土木遺産 鉄筋コンクリートの橋「高角橋」(益田市 高津)


澄川発電所にはこれまで3回以上、来ているのですが、このサイトでは一度も取り上げたことがありません。

その理由は、この外観から(勝手に)「比較的新しい発電所なんだろう」と思い込んでいたためです。

そして、自分の中では澄川発電所に「歴史的建造物」という価値を感じていませんでした。

ところが、今回のツアーで、澄川発電所が完成したのは昭和18年(1943年)…戦時下、大変な時代背景のなかで建設されたということを知ったとたん見る目がかわってきました。


さて、もう一度、澄川発電所の外観を見てみましょう。

澄川発電所 外観2


建物的には、デザイン面で特筆するところはありません。

この「デザイン面でに注目すべき点がない」というところが、澄川発電所本館がつくられた時代背景…戦時下であることを物語っています。今回、見学させていただいた、他の2つの発電所(豊川発電所、匹見発電所)に比べ、とても「地味、質素」な感じがします。

ですが…このことをもってして、建築「様式」…建築デザイン界の述語「モダニズム建築」として「価値づけ」をするのは、ちょっと無理がありますね。(ぱっと見は、似てますが…w)

万一、納得できないなら「モダニズム建築」として有名な世界の建造物の「画像」を見てみることをおススメします。

(※あわせて、当時に建てられた他の発電所などの画像なども探してみてください。例えば(1920年代築になりますが)広島県の大久野島の(ディーゼル)発電場(鉄骨造(S造))跡」をみても、外観は(質素な)「箱」です。この有名な建物をもってしても、(それを)「モダニズム建築じゃ!!」という表現で語る人はおらんのです。)

くどいようですが…)澄川発電所にはモダニズム・・・といった設計者の「意図」はなく、歴史的(背景)…「必然」があったのです。

今回の参加者、益田市民(年配の女性)の「つぶやき」…

「そりゃ、戦時中じゃけぇ、デザインとか必要ないけぇね~!!」

というお言葉には、とても共感できました。


澄川発電所…その内部に感じた魅力

今回、初めて澄川発電所の内部を見せていただきました。

早速ですが画像です。

※前回の豊川発電所と同様に、発電機等の発電施設の撮影は中国電力株式会社さんより「禁止」とされています。


澄川発電所 内部1


中に入って初めてわかりました…「澄川発電所」が国登録有形文化財とすべき本来の理由が…


「こっ、これは、本当に価値ある建造物じゃ!」と評価を大きく上方修正しました。

澄川発電所 内部2


この建物は昭和18年(1943年)頃の日本の鉄筋コンクリート構造…※当時の日本のRC構造の「粋を結集した建物」なんですね。


※RCとは:Reinforced-Concreteの略。Reinforced(強化・補強された)-Concrete(コンクリート)といったところでしょうか。


澄川発電所 本館(登録有形文化財 第32‐0171号)の「証(あかし)」

澄川発電所にあった、登録有形文化財(文化庁)の証です。
前回の豊川発電所:第32-0170号の連番であることがわかります。


澄川発電所 登録有形文化財 益田市

次回は、「この建造物は貴重な国民的財産です」について、もう少し詳しく澄川発電所 本館内部の魅力について画像満載で解説することにしませう。

★澄川発電所の場所(益田市匹見町澄川)

国登録有形文化財「豊川発電所」の内部を見学(益田市猪木谷)

8月2日、益田市でごく最近、国登録有形文化財(文化庁)となった、匹見川沿いの3つの水力発電所の見学ツアーに参加しました。


このツアーの事を教えてもらった際、「発電所」って…外観ならば、いつでもみれるけれど…内部はそうそう見学できるものではない!と感じ、スグに益田市教育委員会文化財課さんへ電話申し込みしました。

(本ツアーについて、いち早く教えてくれた、益田市の高津公民館(高津地区振興センター)の「J1さん」には本当に感謝しています♪)

(さて、あらためまして)今回、参加させていただいた、

「中国電力株式会社 水力発電所見学ツアー」について

このツアーの主催は益田市教育委員会さん、共催は中国電力 株式会社 益田電力所さん。


内容は、益田市の匹見川沿いの、「豊川発電所」「澄川発電所」「匹見発電所」の3つの発電所(水力発電所)の各本館を半日で、見学するというものです。


この3つの発電所は、今年(平成27年)3月26日に国登録有形文化財(文化庁)に認定されています。


豊川発電所 本館(登録有形文化財 第32‐0170号)念願の内部を見学♪

今回の主な投稿内容は、最初の見学地「豊川発電所(益田市猪木谷町)」についてです。

早速ですが、豊川発電所 本館…その内部の様子。発電設備は撮影禁止です

登録有形文化財 益田市 豊川発電所本館内部 文化庁指定s


豊川発電所の外観↓は重厚な鉄筋コンクリートづくりを思わせますが


益田市 中国電力 豊川発電所2


内部は、学校の体育館のような感じですネ。


登録有形文化財 益田市 豊川発電所本館内部 文化庁指定s


豊川発電所 本館(登録有形文化財 第32‐0170号)の「証(あかし)」

豊川発電所(登録有形文化財 第32‐0170号)益田市 猪木谷


豊川発電所 本館、正面向かって右のピラスター(付け柱)下部に設置されています。

豊川発電所 本館の特徴について

この豊川発電所 本館は「土木学会」により『日本の近代土木遺産』の「ランクB」としても認定されています。


この土木学会での「記載内容」をもとに、豊川発電所 本館の「特徴」について解説してみます。


形式:RC建造物(ろく屋根)

ランク:B

評価情報:デンティルモールディング、3分割されたアーチ窓、明確なピラスター=華やかなイメージ(見方によっては桃山発電所を思わせる)/当時の発電機が現役使用


『日本の近代土木遺産(改訂版)―現存する重要な土木構造物2800選』
(土木学会出版、2005年)より引用


デンティルモールディング(dentil molding)
・3分割されたアーチ窓
・明確なピラスター(付柱)

と聞き慣れない用語がありますので、実際の豊川発電所の画像でその部位を示してみました↓。


豊川発電所 評価情報s


用語 ※
デンティルモールディングとは!?
dentil molding
dentil…歯型の飾り(四角い部分が歯のようにみえる)
molding…化粧縁
以上、あわせて、「歯型の飾りによる化粧縁」といったところでしょうか。



RC建造物?ろく屋根?…なのだろうか?

さて、もう一度、豊川発電所(本館)内部の構造(画像)を見てみましょう。

登録有形文化財 益田市 豊川発電所本館内部 文化庁指定s


豊川発電所本館の「躯体」は「鉄骨」であることがわかります。
屋根は、鉄トラス梁
の上部、天井材コンクリート板(?)が敷かれているように見えます。

(内部をみて気付いたのですが、外観でRC建造物に見えたのが実は鉄骨造(S造)のようです。)


鉄骨造(S造)なので、外観で重厚に見えた外壁は「かなり薄い!」・・・なぜなら外壁は躯体強度に関係ないからです。

(鉄骨造(S造)…それゆえ、今回の3つの発電所の中で一番広い内部空間を得ることができています。)



登録有形文化財 益田市 豊川発電所本館内 屋根 トラス梁


また、土木学会出版の書籍では「ろく屋根(陸屋根)」とありますが 鉄トラス梁の形状からして、切妻的な傾斜が施されていることがわかりました。(天井のコンクリート板?の存在…もしかしたら、屋根部は改築されたのかもしれませんネ)

豊川発電所について過去の投稿記事
⇒豊川発電所:益田市に現存する日本の近代土木遺産(益田市 猪木谷)


豊川発電所は、昭和3年(1928年)9月に完成(「出雲電気 株式会社」による)したといいます。
・・・今年、平成27年(2015年)で実に87歳となるんですネ♪


帰りがけ、豊川発電所から国道に向かう坂道の上に祠があることに気づきました。

益田市 豊川発電所の傍の祠


お地蔵さんが三尊。うち二尊は自然石のように思われます。

益田市 豊川発電所 近くのお地蔵さん三尊

櫛代賀姫神社 その1(益田市内の式内社を訪ねて)

櫛代賀姫神社(くししろかひめじんじゃ)

「益田市内の式内社を訪ねて」第1番目は『櫛代賀姫神社』

櫛代賀姫神社 益田市


櫛代賀姫神社(くししろかひめじんじゃ)
場所:益田市久城町963
祭神:櫛代賀姫(くししろかひめ)
   応神天皇(おうじんてんのう)第15代天皇

櫛代賀姫神社の「起源」と、「式内社」になったのは「いつ」かについて調べてみました。資料は宮司様からいただいた『石見式内 櫛代賀姫神社略記』で、その「由緒沿革」によると

・祭神は櫛代族の租神にして天平5年丑(うし)5月(733)管長の命により社殿設立。
大同元年(806)石見観察使、藤原緒継が鎌手大浜浦より現在地、久城明星山に御遷座。
人皇第54代仁明天皇の承和7年申8月(840)再建爾来延喜式所載の神社として朝野の尊崇深く…(以下略)

という経緯だそうです。

櫛代賀姫神社 拝殿正面 益田市
【櫛代賀姫神社 拝殿正面】

櫛代賀姫神社はいつごろ「式内社」となったのか?

櫛代賀姫神社はいつごろ「式内社」となったのでしょうか?

櫛代賀姫神社由緒では
・当初(733年)は(益田市の)鎌手地区に設立された。
・806年に現在地(久城明星山)に御遷座(移設)
・840年の再建時に延喜式所載の神社となった。…とあります。


また、櫛代賀姫神社の歴史については櫛代賀姫神社奉賛会による「櫛代賀姫神社 壱千弐百年式年大祭 記念誌」には以下の記述がありました。


櫛代賀姫神社の歴史

 和泉国から当地へ移住した櫛代族は、祖神櫛代賀姫命を奉祭し、天平5年(733年)には管長の命により社殿が建立されました。大同元年(806年)に石見国観察使の藤原緒継によって鎌手の大浜浦から久城の緒継浜に遷宮され、承和7年(840年)に再建されました。その後、万寿3年(1026年)に大津波によって流失したため、現在地の明星山に移転建立されたといわれています。
 平安時代の延長5年(927年)に完成した『延喜式』の「神名帳(官社帳とも呼ばれる)」に美濃郡五座のひとつ
として書き上げられ、いわゆる式内社として長い歴史を有しています。

櫛代賀姫神社 壱千弐百年式年大祭 記念誌 櫛代賀姫神社奉賛会
P6 櫛代賀姫神社の歴史より引用


※上記2つの史料では、現在地の明星山に移設された時期が異なることは気になります。が、延喜式所載…式内社となったのは承和7年(840年)と考えられます。

「本殿」は国登録有形文化財(建造物)

櫛代賀姫神社の本殿(明和2年(1765)造修築)は平成25年6月1日に国登録有形文化財(建造物)に登録されています。

櫛代賀姫神社 本殿  益田市内の国登録有形文化財(建造物)

三間社流造

三間社流造(さんげんしゃながれづくり)
屋根の形状は「流造(ながれづくり)」で正面に柱が4本(三間)となっていますので「三間社流造(さんげんしゃながれづくり)」といえます。

櫛代賀姫神社 三間社流造


※正面上部の部材…木鼻に一部薄く朱色が残っているのでこの本殿は本来は「朱塗り」であったことがわかります。

★屋根は「銅板葺き」です。

櫛代賀姫神社の本殿 屋根 銅板葺き


MAP:櫛代賀姫神社 益田市久城町963

※因みに、この櫛代賀姫神社の本殿は、益田市内2番目の国登録有形文化財(建造物)です。
(1つは益田市立歴史民俗資料館(旧美濃郡役所)です。)
>>益田市の「歴史民俗資料館」の歴史(益田市本町)

次回は益田市の櫛代賀姫神社の現在の様子と私が感じた魅力についてレポートします。


国の登録文化財 益田市の「歴史民俗資料館」の歴史(益田市本町)

益田市本町にある「益田市立歴史民俗資料館(益田市本町6番8号)」

益田市歴史民俗資料館


…石見地方独特の赤瓦が素敵です!重厚で威厳を感じる造りです。


もともとは、何の建物だっのでしょうか?


当館のパンフレットによると

大正10年(1921)美濃郡役所として建てられ、
 ↓
益田警察署
 ↓
益田総合事務所
 ↓
昭和58年(1983)5月に益田市立歴史民俗資料館として開館

※平成8年、国の登録文化財に認定。


なんと、益田市歴史民俗資料館は建物そのものが国の登録文化財に認定されているそうです!


案内看板です。

益田市歴史民俗資料館 案内看板


(何が書いてあるか分かりませんネ…スイマセン)

益田市立歴史民俗資料館は

「美濃郡役所→益田警察署→益田総合事務所…」

という歴史的経緯があるのですね。


どうりでビシッとした感じがするわけです。

益田市歴史民俗資料館2


最後に横から(益田川の対岸、萬福寺付近から撮影)…ズシリ!としたものを感じます。

益田市歴史民俗資料館 側面


【画像撮影は2009年2月】

MAP:益田市立歴史民俗資料館(益田市本町6番8号)