益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

国指定重要文化財

染羽天石勝神社の「幻の滝」を発見!?(益田市染羽町)

益田市の『染羽天石勝神社(本殿は国指定重要文化財)』には、かつては「滝」があったという話、皆さんは、ご存知ですか?

「『染羽天石勝神社』にはのう、昔は滝があったんじゃけぇ」

これは、今は亡き父と6年くらい前に、私が、初めてここ『染羽天石勝神社』に参拝した時に聞いた話です。


「そりゃ、すごいのう!…滝はどこにあったんじゃ?」

と(父に)尋ねたところ、


「そりゃ、知らんが…」と、なんとも、信憑性の無い話だと思いましたが、

ただ、もしも「滝」があったとすれば…それはそれで、凄い!と思いつつ、数年を過ごしていました。


このたびの一連の『染羽天石勝神社』見学参拝投稿特集の初日だったのですが。

家に帰って、どうしても「滝」のことが気になったので、

思い切ってw「染羽天石勝神社」にお電話して聞いてみました。

「お忙しいところ恐れ入ります。『染羽天石勝神社』について教えてほしいことがあるのですが…」


お応えいただいたのは、おそらく、『染羽天石勝神社』の宮司様だと思われます。

「ハイ、何でしょう?」


「実は、『染羽天石勝神社』には、かつて「滝」があったという話を聞いたのですが、どこらへんに(滝は)あったのですか?」

すると、


(染羽天石勝神社)本殿の右!」…と4文字。実にシンプルなご回答をいただきましたw

「ああ、そうですか!すると、まさか、あのチョロチョロと水が流れ落ちてる場所のことでしょうか?」


「そうそう」…と、また4文字のシンプルなご回答。


「分かりました!ありがとうございました!」


というわけで、数日後、ふたたび、益田市の『染羽天石勝神社』に見学参拝したわけです。


そして、益田市の『染羽天石勝神社』現地にて以前、「滝」があったという場所がコチラ!

染羽天石勝神社の幻の滝(益田市染羽町)


この日も、水量こそ少なかったのですが、プチ滝的状態でした。

滝の高さは、ざっと、2~3メートル。本格的な「滝」を想像していた人には、物足りないかと思います。ですが、水琴のような音が本殿まわりでささやくように聞こえてくる。この風情は、なかなかのものです。

お昼近かったのですが、ちょうど滝壺(?)に日光が差し込んでスポットライトのようでした(よかった♪)

益田市 染羽天石勝神社の滝壺


水がはねている様子。わかりますよネ!?

水量さえあれば、庭園などに見る、ミニ滝の部類になるでしょう。


益田市の神社境内に「滝」があるのは、(私が知る限り)『染羽天石勝神社』のみです。


次回は、
⇒益田市の『染羽天石勝神社』の(幻の)「滝」の名前と歴史について
です。

益田市の染羽天石勝神社本殿「蟇股」考。久々の発見「久文字」

今回も益田市の染羽天石勝神社(式内社)その本殿(国指定重要文化財)に関する話題です。

今回は、染羽天石勝神社本殿「蟇股(かえるまた)」について。


「え?蟇股(かえるまた)?何それ?」って人も多分多いでしょう。


「蟇股」は神社建築様式の細部における名称の一つです。


早速、実際に染羽天石勝神社本殿の「蟇股」を見てみましょう。

本殿正面の画像です。

染羽天石勝神社本殿


で、こういった形状の部分が「蟇股」とよばれる部分です。染羽天石勝神社の本殿正面部には手前と奥に計6つの蟇股が施されています。(最初の画像をご参照ください)

蟇股 中央 染羽天石勝神社本殿


「なぜ、蟇股というんじゃ?」という人もいるでしょうが、それは後で説明します。


実は、今回、益田市の染羽天石勝神社本殿の正面奥の「蟇股」である発見をしました♪


久々の発見です!!早速どうぞ!

蟇股 中央奥に久 染羽天石勝神社本殿


わかりますか?
何かの花が咲いている木の中央部に「朱色で」の字が忍ばされているではありませんか?

念のためちょっと目立つように画像加工しました。

蟇股 中央奥に久ss 染羽天石勝神社本殿


益田市の歴史にかかわる「久」の字の意味、わかりますか?
益田市民や益田市ご出身の方ならわかりますよネ!!


ヒントはこの家紋↓です。(画像は染羽天石勝神社の拝殿(神楽殿)の屋根の頂部)

上り藤に久s


上ぼり藤に久」の家紋です。
益田氏の家紋ですネ。また、益田氏の旗紋は「久文字」と称されたように
「久」は益田氏のシンボル的な文字なんです。


ちなみに、本殿正面奥の三つの蟇股はすべて同じデザイン
すべて中央部に「久」の字が忍ばされています。

染羽天石勝神社本殿を撮影した日、(今回の投稿2番目の画像にあたりますが)正面手前の中央の蟇股のデザインは何だろう?と悩んでいた際、偶然発見しました。(正面手前の中央の蟇股のデザインについては今も不明です…)

ご神職様も「(「久」の字、初めて気づいた!!」といっておられました♪


さて、話は「蟇股(かえるまた)」に、またかえりませうw

蟇股とは大蛙(おおがえる)が股を広げて、とび立つ直前の姿勢から名付けられたそうです。
もともと、上部の荷重を支える構造材ですがだんだん飾り的なものになっていったといいます。
特に、室町時代になると、蟇股の内部彫刻が発達し多様化したということです。

(参照…寺院・神社・住宅の見学必携〔総合編〕著者:下村健治 平成10年10月 株式会社 コロナ社)

では、(この際ですので)益田市の染羽天石勝神社の本殿すべての蟇股をご覧いただきましょう。

まずは本殿正面中央

蟇股fc染羽天石勝神社本殿正面中央

本殿正面(向かって)左
蟇股fl染羽天石勝神社本殿正面左

本殿正面(向かって)右
蟇股fr染羽天石勝神社本殿正面右

本殿正面の左右の蟇股のデザインは同じようです。(破損がいくつか見られます)

次に、本殿側面(向かって左側面)…まずは左側面全体のお姿
染羽天石勝神社本殿側面左

身舎(おも)の壁に2つ(2種)の蟇股が施されています。
染羽天石勝神社本殿側面s

向かって左の蟇股…植物の葉、笹でしょうか?
蟇股sl染羽天石勝神社本殿側面

想像ですが、男爵益田氏の家紋が「九枚笹」と聞きますので「笹」も益田氏にゆかりがあるものかもしれませんネ。

最後に向かって右の蟇股…ことらには魚の姿2匹、鮎でしょうか?
蟇股sr染羽天石勝神社本殿側面
鮎の遡上の様子にも見えませんか!?
激しい流れに逆らって川をのぼっていく鮎は「逞しく生きる」という面で、シンボリックな存在だったのかもしれません。
また「鮎の遡上が多い年は秋の収穫も豊作になる」という話もあるようですので…
この魚、鮎だったらいいなぁ♪

※今回は本殿背面(後ろ面)と右側面は確認していません(おそらく右側面は左側と同じ様子だと思います。)

益田市の染羽天石勝神社の本殿の現地の案内看板への疑問

今回も益田市の染羽天石勝神社(式内社)についての投稿です。

前回の投稿で、

「益田市の染羽天石勝神社の本殿(染羽町1-60)と春日氏」

にて染羽天石勝神社の本殿の案内看板について言及しました。

染羽天石勝神社本殿 説明

問題個所↓

本殿は三間社流造で、三間×三間の身舎(おも)の前に奥行一間の吹き放し板張りの庇床(ひきしゆか)をもうけ、両側のみに高欄付の縁をもちます。

と「益田市の教育委員会」作成の看板には記述されていますが…

染羽天石勝神社の本殿 側面

どうみても、身舎(おも)の側面は2間!・・・私は「土木」の世界しか知りませんが…(建築知らなくても)見ればわかります。

実は、これは、文中の「の」を「。」に修正することで「染羽天石勝神社の本殿」の(より)正確な「お姿の表現」となります。

すなわち、


本殿は三間社流造で、三間×三間身舎(おも)の前に奥行一間の吹き放し板張りの庇床(ひきしゆか)をもうけ・・・

であれば、完璧ではないです。が…(かろうじて)まぁいいか的記述に修正できます。

そもそも、三間×三間の身舎(おも)で「流造」を造ろうとするなら、
一般の三間社流造のデザイン&バランスを維持することを前提とすれば、前方の張り出した屋根の部分(特に柱による支持がない部分)が長大になるため、強度をもたせる必要があります。
これは、木造では相当な仕掛け(工夫)が必要です。

私にはそんな建築構造的仕掛け(工夫)…想像できません。


といいますか(スイマセン・・・率直に語るべきでした。)

染羽天石勝神社の本殿は前三間×横二間の基本的な作りです。

一体どうして、「本殿は三間社流造で、三間×三間の身舎(もや…意味は「母屋」とほぼ同じ)」という記載を看板にしたのでせうか?

なにより、益田市の染羽天石勝神社の本殿。天正9年(1581年)に消失し再建された建物ですが、

なぜ!板面をさいてまでも、「三間×三間の身舎(もや)」という事、そして・・・両側のみに高欄付の縁をもちます。このような構造は、重要文化財指定の建造物の中では唯一のものです。

って、特筆すべきことなのでせうか?…私はどうしても、特筆に値することとは思えないのですよ。

実は、今日も、青空だったので、お昼の時間に、益田市の染羽天石勝神社へお参りに行きましたが、もっともっと魅力的なモノがみつかるんですネ。

それは、今後、記事掲載するとして。


シンプルに益田市の染羽天石勝神社の本殿は天正年間、否、16世紀から残っている「歴史的建造物」。
それだけで十分価値は伝わるのではないでしょうか?

今回の益田市の染羽天石勝神社の本殿に関する「益田市の教育委員会」作成の看板にみられるような、事実と違うこと、誤った価値観などを軽率に看板に載せると、見る人は「無意識レベル」で違和感を覚えるものです。


ですから、「凄い!」とか「感動!」は残らず、「え~、なんで…意味ようわからん!?」といった感覚だけが残りますでしょ!?


「うんうん、それは分かった!じゃが、なにもそこまで細かい事までいわんでもエエじゃろう!?」


と思う人もいるでしょう。

でもね、「染羽天石勝神社の御本殿」は、国指定重要文化財なのですのであえて厳しいお話をさせていただきましたわけです♪

益田市の染羽天石勝神社の本殿(染羽町1-60)と春日氏

益田市の式内社について特集を組んで早1年。

やっとのことで染羽天石勝神社(そめばあめのいわかつじんじゃ)について投稿の機会(決心)を得ることになりました。

染羽天石勝神社は式内社益田市に現存する4つの「延喜式内社」(「式内社」)のうちの一つです。


染羽天石勝神社は「春日氏、春日族」の創設故、これまで以上の緊張感をもって記述しなければなりません。

染羽天石勝神社本殿


■御祭神
主祭神:天石勝命
相殿神:伊邪那岐神 伊邪那美神 天照大神 国常立神 事解男神
    速玉男神 忍穗耳神 瓊々杵神 彦火々出耳神 葺不合神
    軻遇突智神 埴山姫神

染羽天石勝神社の手水舎の傍には、益田市の教育委員会による
「染羽天石勝神社 本殿」に関する案内板があります。

益田市の教育委員会作成の案内板「染羽天石勝神社 本殿」内容…公費でつくった看板ですw

染羽天石勝神社本殿 説明


内容を読み込んでいくと
「染羽天石勝神社本殿」は国指定重要文化財とあります。
「染羽天石勝神社本殿」の案内板では、国指定重要文化財の指定となったのは昭和4年4月6日とあります。
昭和4年・・・1929年のことです。

実は(ご存知の方も多いと思いますが)指定された「昭和4年」時点では「国宝」でした。

益田市の教育委員会が作った「染羽天石勝神社本殿」の案内板…「国指定重要文化財の指定となったのは昭和4年4月6日」という(事実)それ以外を読んでみると、大事な部分がわかりにくい!

これは、教育委員会のスタッフ本人の言葉ではないようです。
いわゆるコピペ、受け売りですねw)・・・3月12日追記です…スイマセン、コピペとか受け売りレベルではないようです。コレ単純に妄想レベルの情報です。見ればわかる記述の間違いがありますんです。
具体的には次の投稿で…

問題個所↓

本殿は三間社流造で、三間×三間の身舎の前に奥行一間の吹き放し板張りの庇床(ひきしゆか)をもうけ、両側のみに高欄付の縁をもちます。このような構造は、重要文化財指定の建造物の中では唯一のものです。


と書かれてますが。わかります?伝わります?・・・よほど神社建築に精通したひとでなければわかりません。

というか(誰か知りません)書いた本人が分からない述語で述べているのだから、伝わるはずがありませんよネw

そのへんは、後日フォロー(批判)するとして。

フォローしました♪↓(2015年3月12日)
⇒益田市の染羽天石勝神社の本殿の現地の案内看板への疑問

益田市Tips!
益田市の染羽天石勝神社への御参拝は、

晴れた日の「午前中」がおススメです!!

本殿の向きが「東南東」だからです。太陽のパワーは午前中。

さて次回から、より細かく「染羽天石勝神社」について語ります。


場所(MAP):染羽天石勝神社(そめばあめのいわかつじんじゃ)
島根県益田市染羽町1-60