益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

佐毘賣山神社

益田市の佐毘売山神社の「権現霊水」とは!?

益田市のパワースポットの一つ(と私が思っている)佐毘売山神社。
私が東京を中心に仕事をしていたころでも、毎年2回、盆暮れの帰省の際には必ずお参りしていました。
(現在、当サイトでは、帰郷後2009年頃の以前のブログ記事の内容を再編集し、2記事(「佐毘売山神社と石見銀山の関係」「比礼振山(権現山)の伝説」)掲載しています。このページの最後に、リンクがあります。)

一昨日(2014年2月23日)の事ですが、久しぶりに益田市の「佐毘売山神社」に行ってみたくなりました。
実に、約2年ぶりの参拝となるわけです。
佐毘売山神社 2014年2月23日 益田市

2014年2月23日撮影の益田市の佐毘売山神社の画像です。
本当は、本来の参道である石段の上から撮影したかったのですが…
益田市の佐毘売山神社 石段

倒木が原因なのでしょうか?立ち入りができないように安全柵が設置されていました。

さて、今回のタイトルの中のキーワード「権現霊水」

「権現霊水」については、佐毘売山神社の手水舎(ちょうずや・てみずや)に詳しい説明がありました。
「益田市の佐毘売山神社の「権現霊水」とは!?」続きを読む

益田市の佐毘賣山神社と世界遺産「石見銀山」との関係

益田市乙子の佐毘賣山神社

佐毘賣山神社(佐毘売山神社)(益田市乙子町)」は市街地の東側にある比礼振山(標高358.6m)の麓(ふもと)にあります。(比礼振山は「権現山」ともよばれています。)

佐毘売山神社 前 益田市


佐毘賣山神社(佐毘売山神社)の本来の参道「古い石段」上から撮影。

佐毘売山神社 参道石段 益田市


実は、私、この石段がお気に入りです。(この石段から、「佐毘売山神社」を見上げると、なんだかタイムスリップした様な感覚になるからです。)


「佐毘売山神社」と世界遺産「石見銀山」との関係

さて、今回のテーマ「佐毘売山神社」と世界遺産「石見銀山」との関係について、
「佐毘売山神社由緒」という説明板内に記載がありました。

佐毘売山神社由緒 全


文章が長く(横に長いので)①前半部と②後半部の2つの画像に分けてました。
①前半部

佐毘売山神社由緒 前半


②後半部

佐毘売山神社由緒 後半


②の後半、赤いラインの部分に

「康暦2年(1380年)には迩摩郡大森銀山へ守護神として、金山彦命を当社より御幣を別けて遷し祭るなり。」
と記されています。

実は「佐毘売山神社」から迩摩郡大森銀山へ分霊されたことについては奥田元宋・小由女美術館(広島県三次市)の村上勇館長(益田市ご出身)によると、以下のような意味もあるそうです。

「祭神の移動は祭っていた技術者の動きを示す。石見銀山開発の前史として、西石見の都茂銅山の開発があり、人と技術が大森にもたらされ銀が採掘された。」

※詳しくは「山陰中央新報 ONLINE NEWS 『特集・石見銀山 : 石見銀山の営み(4)地の恵み 都茂銅山の技術者採掘か~佐毘売山神社を分霊 益田から祭神と移動~(2008年6月22日) 」をご参照ください。


(大森の)鉱山開発のために都茂銅山の人材(鉱山技術者)とそのノウハウと金山彦命…鉱山の神様がセット移動(異動)したとうこと。美都町の丸山銅山での人と技術が大森(石見銀山)にもたらされ銀が採掘されたと考えられます。

美都町の「都茂銅山」は世界遺産「石見銀山」開発と歴史的な繋がりがあったわけです。益田市の「佐毘売山神社」にて貴重な情報を得る事が出来ました。


【佐毘売山神社について】
『フリー百科事典『ウィキペディア』に益田市の「佐毘売山神社」の掲載がありました。

佐毘売山神社
佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)は、島根県益田市にある神社である。式内社で、旧社格は村社。石見銀山(大田市)にある佐毘売山神社は当社の分社である。
【祭神 】
金山彦命・金山姫命を主祭神とし、埴山姫命・大山祇命・木花咲耶姫命を相殿に、闇靇神・廣國押武金日天皇(安閑天皇)を別殿に祀る。

【歴史 】
創建の由緒は不詳である。当初は比礼振山(佐毘売山)の山頂に鎮座し、金山姫・埴山姫・木花咲耶姫の三柱の女神を祀り「姫山神社」と称していた。「佐毘売山」は姫山に接頭語「さ」がついたものである。寛平5年(893年)、美濃国南宮大社より鉱山の神・金山彦命を勧請し、さらに山の神・大山祇命も祀って「五社大権現」とも称した。延喜式神名帳に「石見国美濃郡 佐毘賣山神社」と記載され、小社に列している。
貞治4年(1365年)、一帯に旱魃が起こり、比礼振山で雨乞いをしたところ雨が降ったことから、大和国吉野山から水の神・闇靇神と蔵王権現を合祀し、以降は「蔵王大権現」とも称されるようになった。
(以下略)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用


【画像は2009年04月撮影】

MAP(航空写真)・場所:佐毘賣山神社