益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

まんが日本昔ばなし

益田市高島の「お伊勢物語」の内容を比較してみた(高島脱出編)

益田市の土田海岸沖2㎞にある「伊勢島(いせじま)」
益田市の伝説「お伊勢物語」で、高島から泳いできた、お伊勢(イセ)が命をおとしたといわれる島(岩礁)です。

伊勢島と鳥の群れ 益田市の風景

「お伊勢物語」の内容は、


①『まんが日本昔ばなし』
②『石見舟歌に生きる「おイセ」の物語』(益田市鎌手にある案内板)
③『謎の高島<復刊>』
④『益田の民話』


それぞれで、異なった描写がされています。今回はお伊勢が津田村への望郷の念がピークに達し、高島から三里(12㎞)はなれた津田村まで「泳ぎ出す」…高島脱出という行動に出るまでの内容(プロセス)について比較してみました。


地元、益田市での「お伊勢物語」では・・・

高島の風景 益田市


一周一里(約4㎞)といわれる高島の周りの海を3周(四里、約12㎞)泳げれば津田村まで戻ることができる。それを知ったお伊勢は、三周泳げるかどうかを試す。」というくだりがあります。


実は、『まんが日本昔ばなし』の「お伊勢物語」では、この内容(情報)はありません。


①『まんが日本昔ばなし』の「お伊勢物語」

(お伊勢は、毎日、毎日、迎えの船を待っていた。そして、ある日、あん様に「父母に会いとうなりました。すぐ帰ります。」と手紙を残し家を出た。)

その朝は、そのころにしてはめずらしく海は凪いでおった。
きのうと同じように海鳥が楽しげに舞い。
津田の村に向かって羽ばたいていった。

お伊勢は海に入ると、津田に向かって力いっぱい泳ぎだした。
海辺で育ったお伊勢には、三里はなれた津田村まで泳ぐ自信があった。…
(『まんが日本昔ばなし』No.0958の「お伊勢物語」)


以下②案内板『石見舟歌に生きる「おイセ」の物語』、③『謎の高島<復刊>』では、表現こそことなりますが、

高島の周りを三周泳いぐことができた。そして、喜びのあまり、そのまま津田村に向かって泳いで行った。

という内容は共通しています。


②益田市の鎌手にある案内板、『石見舟歌に生きる「おイセ」の物語』

石見舟歌に生きるおイセの物語(拡大)




ある日、島の周囲は一里(4キロ)あり、三周できると対岸に泳ぎつけることに気づいた。
波静かな日、おイセは試みに泳いだところ、島を三周することができた。
「これで帰ることができる」という喜びに疲れも忘れ、
そのまま対岸を目指し泳ぎ始めた。


③矢富熊一郎先生の著書『謎の高島<復刊>』

謎の高島




(それは)島の周囲が一里、対岸荒磯までの距離が、三里ほどあるのだから、
島の周囲を泳いで三周することが出来たら、対岸への到着は、大成功だと信じたからである。
腕に覚えのある彼女は早速これを決行にうつした。
ある天気静穏な日を選び、先ずその準備行動として、遂に島を泳いで三周することに成功した。

喜びに身をふるわせた彼女は、前後を忘れるほどの有頂天さであった。そして疲労の事も何も考えないで、そのまま対岸目指してまっしぐらに突進した。…

(『謎の高島<復刊>』第二章「高島の一瞥とおいせの伝説」P8より引用)


高島の周りを三周泳いぐことができた!! そして、喜びのあまり、そのまま津田村に向かって泳いで行った。…お伊勢はよほど望郷の念が強かったのでしょう。そしてとても嬉しかったのでしょう。


④『益田の民話』では、「三周泳ぐことができた、そして、そのまま津田村に向かって泳ぎ始めた」のまえに、泳力をつけるために毎晩トレーニングしていたという内容があります。


④『益田の民話』(2002年3月「益田の文化を育てる会」)

益田の民話 益田市の伝承・伝説資料



どれくらい泳げばよいかけんとうがつかない。
そこで島の人に、「自分の親もとまでは何里ぐらいあるんじゃろうかねえ」
と聞いたところが、「まあ、三里じゃろうねえ。」というんじゃあ。
「三里じゃとすると、この島が一里じゃから、三回泳いでまわれたら家に帰れることになる。」と思ったお伊勢さんは、それから毎晩泳ぐ練習をして、とうとう島を三周することができたんじゃ。

「これなら大丈夫。」と、うれしさのあまりそのまま親もとの方角に向かって泳ぎ出した。…

(『益田の民話』P50~51「お伊勢島」より引用)

※万一、今回の記事をここまで読んでいただけた方がおられたら…

「エッ!? アンタは、 お伊勢が「毎晩泳ぐ練習をして…を知ってほしくて、この記事を書いたんか?

あっ、はい、実は、『益田の民話』P50~51「お伊勢島」の内容こそが、私が記憶していた「お伊勢物語」だったのです。

私が小学生のころ、学校で見た「劇」での「お伊勢物語」の内容です。


※実は私、この劇をみて、長いこと

「お伊勢物語」は益田での本当の出来事だと思っておりました。


長文おつきあいいただき本当にありがとうございました。

益田市高島の「お伊勢物語」の内容を比較してみた(冒頭部編)


益田市の伝承・伝説で『まんが日本昔ばなし』にも取り上げられた「お伊勢物語」

前回は、益田市の土田海岸の沖約2㎞にある「伊勢島」の姿を中心にした内容を投稿しました。

※前回の内容はコチラ⇒益田市沖の伊勢島と『まんが日本昔ばなし』お伊勢物語の姿を見る

今回は、『まんが日本昔ばなし』を含めた3つの「お伊勢物語」の内容…微妙な内容の違いをとりあげます。

まずは、『まんが日本昔ばなし』の「お伊勢物語」
まんが日本昔ばなし~データベース~サイトで『まんが日本昔ばなし』での「お伊勢物語」を知ることができます。
※ご参照:『まんが日本昔ばなし』データベース

http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=958

実際に『まんが日本昔ばなし』No.0958の「お伊勢物語」放送日:1987年06月13日(昭和62年06月13日)をご覧になった事がある方はご存知だと思いますが、


冒頭部では、主人公である「お伊勢」がおかれていた状況(津田の村でとても貧しい家に育っていた)と高島に嫁ぐまでの経緯(いきさつ)がとても可哀そうなものとして具体的に描写されています。


・「お伊勢」の家は「(津田)村で一二を争うくらい貧しかった」
・一生懸命育てた作物(大根)も、みんなカラス達が先に齧っていく。(このシーンは特に可哀そう(涙))
・「お伊勢」は家族(老いた父母、幼い弟妹)の事を考えると、自分は一刻も早く嫁いでいかなければと感じていた…「口減らし」のためである。
・ある日、「お伊勢」の嫁ぎ先が決まる…(益田市沖の)「高島」だった。定期的な船の交通などなく、高島へ渡ってしまえば簡単には家族に会いに戻ることはできないという場所だった。


以上が『まんが日本昔ばなし』の「お伊勢物語」での内容だったわけですが、

益田市の鎌手にある案内板、『石見舟歌に生きる「おイセ」の物語』

石見舟歌に生きるおイセの物語(拡大)


また、
矢富熊一郎先生の著書『謎の高島』

謎の高島


さらに、
益田市内のいろいろな民話をあつめた大型本『益田の民話』(2002年3月「益田の文化を育てる会」)

益田の民話 益田市の伝承・伝説資料


以上、地元益田市の資料3つのには、一切、お伊勢が嫁ぐまでの情報、具体的な説明、描写はないのです!!


★順を追って確認してみましょう。

案内板『石見舟歌に生きる「おイセ」の物語』の冒頭は、

 津田村の娘おイセが高島の若者に嫁いだ。


矢富熊一郎先生の著書『謎の高島』の「おいせの伝説」の冒頭は、

ある年おいせと言う女が対岸の津田からこの島へ嫁いだ。


書籍『益田の民話』の「お伊勢島」での冒頭は、

お伊勢さんちゅう娘(むすめ)さんが、あの海の向こうに見える高島にお嫁にいったんじゃ。


「お伊勢物語」の地元、益田市の資料すべて、「お伊勢物語」の冒頭は、共通して…(いきなり)「「お伊勢」が高島に嫁いでいった。」という感じで始まっているのです。


あっ、今回の投稿、
『まんが日本昔ばなし』のストーリーテラーが素晴らしい!(脚本家の小国英雄 的な起承転結の構成で見事!)ということを、ことさら強調するものではありません。

むしろ、益田市の一次「的」伝承・伝説情報が、物語の「起」部が、なんで、こんなに、異常にシンプルなのか…

私は気になりました。

あなたはどうですか?…どんな、空想、仮説が湧きましたか?

もしよろしければ、コメントくださいまし♪


わたくし的視点では、あまりにもシンプルすぎる冒頭部の話は、

当時の益田あたりでは、津田村の貧しさは周知のとおりで、あえて具体的に表現しなくても…当時の地元益田では語り継がれるうえでは、十分理解されていたのでは…と。

高島と伊勢島と洞の鼻のこの風景…距離観。もしかしたら「お伊勢物語」は、実話ではないか?とも思えてきました。(高島から手前の砂浜まで約10㎞…ちなみに、高島から津田の海岸までは約12㎞)

益田市 高島 伊勢島 洞の鼻

益田市の「高島」と「伊勢島」そして「洞ノ鼻」付近の海岸(砂浜)の風景(撮影は2015年2月14日)

伊勢島が何処なのかわからん!という方向けに(説明付きで↓)
益田市 高島 伊勢島 洞の鼻 説明


※次は⇒益田市高島の「お伊勢物語」の内容を比較してみた(高島脱出編)です。

益田市沖の伊勢島と『まんが日本昔ばなし』お伊勢物語の姿を見る

益田市の日本海沖に「伊勢島」という島があることをご存知ですか?


今年(2015年)の2月、益田市の鎌手方面の散策は、実は「唐音水仙公園」が主たるテーマではなく、益田市の鎌手地区…土田海岸沖にあるという「伊勢島」確認のためのものでした。


「伊勢島」については、益田市沖の「高島」がらみの伝説「おイセの物語」としてご存知の方も多いのではないかと思います。


「え?おイセの物語…わしゃ、そんな田舎の話は知らん」

という方もいるでしょうが…


「あの『まんが日本昔ばなし』でも取り上げられた話だよ」

ということとなれば、少しは関心を持ってくれる益田市民もいるのではないでしょうか?


※ご参照:『まんが日本昔ばなし』データベース
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=958
⇒No.0958お伊勢物語 放送日:1987年06月13日(昭和62年06月13日)

今回は(まず、とりあえず)「伊勢島」の存在を確認する。ということを目的に投稿します。実は、「伊勢島」を確認するには、結構苦労しました。

私、益田市の鎌手地区には、地元に詳しい人の人脈がありません。


(事前にネットで調べたのですが)「伊勢島は益田市の土田海岸沖2㎞にある」という情報のみでした。


今年(2015年…平成27年)は2月8日(日)と14日(土)の2回、伊勢島の確認のために益田市の鎌手地区にいったわけですが。

初回(2月8日)は「伊勢島」…らしき「島」…というか「岩礁」は確認できましたが、それが、正しく「伊勢島」なのか!?全く自信がありません。


そこで、益田市の鎌手公民館(鎌手地区振興センター)に問い合わせてみました。

「お忙しいところ、本当にスイマセン。私、今、益田市の土田海岸沖にあるという『伊勢島』を探しているのですが、とんとわかりません。『伊勢島』ってどこら辺にあるのでしょうか?」

すると、男性の方が

「ああ、『伊勢島』ですか…ありゃ、「島」というか、「瀬」ですよ。」

「瀬?ですか岩礁みたいな?…異様な白波がたってる所でしょうか?」


「ハイ、ハイ、そうです。土田海岸沖では、瀬(岩礁)は1つしかないので、それです!!」


おおっ、さすが!!益田市の鎌手公民館(鎌手地区振興センター)!!


「土田海岸沖では、瀬(岩礁)は1つしかないので、それです!!」って言葉に勇気づけられ、2月14日(土)、晴れていて気温も10℃程度だったので、あらためて、益田市の鎌手地区にいったのであります。


そして、偶然にも、見つけました。「伊勢島にまつわる看板」…「石見舟歌に生きる「おイセ」の物語」


場所は、益田市市街地側から入って「唐音水仙公園」への道(おそらく林道)入り口をすぎ、土田海岸へ向かう下り坂途中。これです!(というか…前回投稿した場所と同じです(笑))

石見舟歌に生きるおイセの物語 案内板


正面から、左にあるのは、前回の投稿で掲載した、益田十景心に刻む 益田十景 鎌手のスイセンの里からみた高島』の看板です。
※参照⇒水仙の里と唐音水仙公園と益田十景の関係について(益田市鎌手地区の風景考)

石見舟歌に生きるおイセの物語の看板 全



この地点から確認した『伊勢島』と高島の「位置関係」

益田市高島と伊勢島の風景

もう少し近づいてみましょう(ズーム)

伊勢島1益田市風景


日本海の波しだいで、こんな風景も↓

伊勢島の風景 益田市2波


伊勢島3UMA 益田市風景

こんなの見たら、益田市の日本海にUMAがいるんじゃないかと…初めての人にはコメントされそうです♪

最後に、これが、倍率MAXで撮影した『伊勢島』の姿↓(撮影機種はNIKON COOLPIXP600)

伊勢島 益田市鎌手風景


案内板『石見舟歌に生きる「おイセ」の物語』の拡大画像

石見舟歌に生きるおイセの物語(拡大)


この島…岩礁で、おイセは息を耐えたと…(涙)

益田市の水仙の里「鎌手」。そして「唐音水仙公園」まできたのなら…ぜひとも、この、場所に来て、伊勢島と高島の風景も楽しんでくださいまし。


益田市の「伊勢島」の話、というか「お伊勢」について…
※ちょっと気になるところがあるので…
⇒益田市高島の「お伊勢物語」の内容を比較してみた(冒頭部編)

ご参照※「伊勢島(岩礁)の場所の画像」


※とてもわかりづらいかもしれませんが、画像の左下「洞ノ鼻」という場所から、北北西の沖に、小さな白い点があります。見えますか?位置的にも距離的にも伊勢島(岩礁)であると考えられます。
(私は最初パソコンのモニターについた「ほこり」かと思いました。)