益田市の『染羽天石勝神社』には、かつては「滝」があったという話のつづきです。
その場所は、国指定重要文化財でもある『染羽天石勝神社本殿』に(向かって)右、正確には右下です。
今でも、その名残はあるわけですが、(前回の投稿でもお見せしましたが)流れ落ちる水量はさほど多くはありません。
今回は、ここ益田市の『染羽天石勝神社』のかつての「滝」について、久しぶりに「益田市誌」で調べてみました。
まずは、江戸中期のころの『染羽天石勝神社』境内の様子がわかる図面
滝蔵権現者境内図(江戸中期)
出処:益田市誌 (昭和50年12月20日発行)
上巻 P344
図面内に「清滝」(赤いOで囲んでおきました)という記載があります。
江戸期の後期、当社東側の岸壁へ、付近にある溜池の水を小溝によって導き、滝水として落としている。
世に清滝、又は白糸の滝と呼ぶのがこれである。出処:益田市誌 (昭和50年12月20日発行)上巻 P345
上の図面が滝蔵権現者境内図が江戸中期ごろで、下の引用文が「江戸期の後期…」から始まっていますが、中期にすでに清滝は記載されています。
益田市誌内で、すでに矛盾があるわけですが、貴重な史料であることには間違いありません。
とにかく、私が知りたかった、
『染羽天石勝神社』の幻の滝の名は「清滝」という名であったことがわかりました。
また、「付近にある溜池の水を小溝によって導き、滝水として…」という部分から、「清滝」は人工的に造られた滝であることも知ることができました。
では、なぜ、現在は水量が減ったのか?・・・
については、(詳細はわかりませんが)開発(東高の野球のグランド?)により消失したとききます。
(水源が無くなったわけです。)
であれば、「清滝」古い写真の1枚や2枚は益田市内のどこかに存在しているかもしれませんネ!?
大雨の日には、「清滝」が現れる!?
染羽天石勝神社の御神職様によれば、
「今日は(清滝は)こんな感じですが・・・大雨の日にはこの滝を流れ落ちる水量はかなり増しますよ。」
と、なんか嬉しい話がありました。
「えっ、じゃあ、今度は大雨が降っているときに是非、この「清滝」の真の姿を見たいものですね♪」
と思わず話したところ、
「ええ…ただし!水だけではなく、木の枝や、岩が落ちて来ますのでとても危険です!! 絶対に近寄らないでくださいネ!」
とのことでした。・・・「ハッ、ハイ!了解いたしました(汗)」
というわけで、
(万一)大雨の日に、染羽天石勝神社の「清滝」を見学する際には、滝には近寄らず、遠い場所からにしてくださいませ。