益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

益田市の歴史的風景

益田市の竜巻(2012年9月2日)発生~成長の風景画像を発見

先日、益田市に戻ってから、これまで撮りためてきた画像の整理をしていたら、

2012年9月2日の益田市の竜巻画像を発見したので、今後の益田市での珍しい自然現象の資料になると思い投稿してみました。

今回の画像群を「益田市でおきた自然現象の資料」という表現をしたのは、この時の竜巻の発生時から成長までを撮影しているという面で「資料価値」があると思ったからです。


では、早速、益田市の竜巻(2012年9月2日)の画像

益田市海上竜巻2012年9月2日


この竜巻の規模は、関東平野で見るような巨大なものではなく、かといって、学校のグラウンドで、テントをもちあげる程度の小規模なものでもない…中規模の竜巻です。


発生前の雲の様子。

竜巻雲全体 発生前


竜巻発生前の雲の状態です。…形状・色は資料価値があると思います。

黒雲1発生前


かなり暑い日だった記憶が・・・。益田市の風力発電の風車の先に、異様に黒く、イソギンチャクを逆にしたような雲が…「なんじゃ!?あの雲は!!」…すぐに現場(風車)に向かいました。


当初は、異様・異形の黒い雲でしたが、特別な現象はなく、しばらく眺めていたら、飽きてしまい。
風力発電の風車の羽を眺めておりました。


「さて、もう飽きたんで帰ろうか…」

と思って、今一度、異様・異形の黒い雲を見てみると!!

一本の、白い筋状のモノが発生・・・

直観的にわかりました…「竜巻だ!!」


①空中竜巻(ファネル・アロフト)
これが発生当初の画像です。

誕生 益田市竜巻


まだ空中竜巻(ファネル・アロフト)、細く白い筋です。
拡大してみましょう。

誕生 益田市竜巻 拡大

この空中竜巻(ファネル・アロフト)、細く白い筋はしばらくすると、海面まで成長…海上竜巻(シースパウト(seaspout))になりました。


②海上竜巻、シースパウト(seaspout)
最初は空中にあったこの竜巻は、次第に尾を伸ばす感じで成長していきます。

益田市水上海上竜巻 黎明
画像、高島の左下あたりに海面にかすかな(白い皿のような)飛沫(しぶき)がみえます。


海上竜巻、シースパウト(seaspout)に進化してからは、どんどん急成長、巨大化していきます。

益田市 水上 海上竜巻 サイズアップ

竜巻が伸びた水面には激しい飛沫(しぶき)があがっていました。


③多重渦竜巻(マルティプルボルテックス・トルネード)現象もおきました。

多重渦竜巻フー子出現!


※本体竜巻の左斜め上に、別の小さい竜巻(空中竜巻)が発生しています。

多重渦竜巻(マルティプルボルテックス・トルネード)は基の竜巻の周りに小型の竜巻が発生する現象なのですが…この日は小型の竜巻が基の竜巻の周りを回転しながら吸収されていくシーンも見れました。

多重渦竜巻フー子もみ合い 益田市


で、この竜巻、いよいよ上陸か?「ヤバイ!!」…陸上竜巻(トルネード(tornado)もしくはランドスパウト(Landspout))になるのか!?と思いましたが…小さい竜巻をのみこんだ直後から、急激にパワーダウンした記憶があります。

フー子もみ合い 最終 パワーダウン益田市


大小2つの「竜巻」は回転方向が同じなので、接触面では、相手の回転力を打ち消す形になります。コマがぶつかった時と同じですね…この竜巻本体もちょと砕けた感じがしませんか?

と、理屈を考える一方で・・・「「ドラえもん」てんとう虫コミックス6巻「台風のフー子」の実写版じゃ!!」と古い記憶がよみがえっていました。

この竜巻はまもなく、砂浜に到達し、黄色い砂塵を巻き上げてから十数秒後には消えてしまいました。
(※実はこの竜巻の上陸直後にデジカメのバッテリーが切れました(涙))

益田市で徳川夢声生誕地と夢声作詞「益田音頭」の楽譜を尋ねたら

益田市郷土の三偉人の一人「徳川夢声

以前、このサイトで、益田小学校の敷地内にある「徳川夢声生誕地」案内板を取り上げています。


「徳川夢声生誕地」案内板があるならば…


「徳川夢声生誕地」案内板があるならば、その近くには、徳川夢声生誕地の正確な場所を示す碑とか立札のひとつはあってもよさそうなのですが…

地元の人、数名に尋ねても「さぁ、わからんのう?」といった応えばかりでござあました。


濱田研吾氏の書籍『徳川夢声と出会った』(晶文社 発行:2003年12月25日)

徳川夢声と出会った 濱田研吾


ならば、

「もしかしたらその辺(あたり)のことが記載されているのでは?」
という期待を持っていました。

濱田研吾氏の『徳川夢声と出会った』には、

益田市立益田小学校の校庭に面した空地のあたりが生家跡とされているが、表札も立っておらず偲ぶよすがとてない。(31ページ)

と記されていました。

益田市のこのあたりは昭和58(1983)年7月豪雨による大水害。実際、洪水でぐちゃぐちゃになった場所の時(当時、私は益高生)を思い出せば(夢声さんが生まれた家が)分からなくなるのもあたりまえなんだよなぁ…と改めて、己の郷土益田市の歴史認識、思慮の不足を反省いたしました。


「徳川夢声生誕地」を確定することに意味(価値)があるのか?


そもそも、「徳川夢声生誕地」を確定することに本質的な意味(価値)があるのだろうか?
という醒めた気持ちにもなってきました。

(似たような思いが、益田市の歴史に絡む、柿本人麿(柿本人麻呂)の存在にもあるのですが)

そのあたりは、(論じると長くなりそうなので)別の投稿にいたしませう。


じゃが!! 「徳川夢声生誕地」を知っているお方が益田市におった!!


益田市の「徳川夢声生誕地」を確認することなど、よく考えてみればそれほど価値はないのう…

と、気持ちは整理されていました。でも、やはり知りたいものなんです。(性分というやつなんでせうか。ハハハハ♪)

本日、益田市の益田歴史民俗資料館の館長様から貴重な情報をいただきました♪


きっかけは、濱田研吾氏の書籍『徳川夢声と出会った』を持ち出してからでした。


「濱田さんの本にもあったんですが…徳川夢声さんが生まれて場所は、水害やらで、今や確定はできんそうですネ…?」と尋ねたところ。

益田歴史民俗資料館の館長様から驚くべきお話が…


「えっ?、そんなことはないですよ!。徳川夢声の生家は、この(ここ、益田市歴史民俗資料館から徳川夢声の案内板を結ぶ直線)先をまっすぐ行って、(益田)小学校の遊具付近に、地元の小学生の通学路(里道)があります。それを進むと駐車場があって、その辺に、かつて長屋があって、そのうちの一件が「徳川夢声」がうまれた家なんですよ、…生まれただけですけどネ、ふふ」


「ハイハイ、生まれただけですよネ、ふふ」

生まれただけ…「ふふ」、共感がありました。

それについては後日お話ししませう。

とにかく、重要な手掛かり(情報)です。

で、早速、行って見ました・・・徳川夢声生誕地。

徳川夢声生誕地


ここかぁ、ここなんだ…なるほどなぁ~

ときたま通る自動車の音の切れ目の中で徳川夢声さんの産声が聞こえたような気がしました…

ふと見ると七尾山には靄が…

徳川夢声生誕地から七尾山


な~んて、おセンチな話しでは、かの夢声さんに怒られそうで…(ハハハはっは♪)


「徳川夢声作詞「益田音頭」の楽譜


すいません。かなり、ひっぱりましたw


で、徳川夢声作詞「益田音頭」の楽譜みつかりました。スイマセン(当然ですが)チラみせです。

すいません。これ、いわゆる「雑」に扱いたくない代物なんで…

徳川夢声 作詞 益田音頭 楽譜チラみせw

春の白い日本海と海岸浸食と観音岩の風景(益田市の浜辺より)

今回は久しぶりに益田市の風景画像を。
益田市の三里ヶ浜の『観音岩』付近で撮影した「白い日本海」の風景です。
白い日本海の風景(益田市)20150407

季節感があるようでないような感じです。曇り空と逆光のため、海面は白くミルク状に見えます。

撮影日は2015年4月7日…春の日差しは暖かいのですが、時々、日本海からの冷たい北風で、まだまだ「寒く」感じた日でした。

この場所からのこのような(白い日本海の)風景は、訪れた人に何らかの美的なものを感じさせるようで(私もそうですが)結構スマホとかで撮影している人を見かけます。

さて、ここに来たなら、報告をしたい事が2つ!!

1つは、益田市の海岸浸食の件。2015年4月7日時点では…↓
海岸浸食 益田市

おおっ、海岸浸食進んでいます。おわかりですか?比較用に約5ヶ月前の2014年11月4日に撮影した同じ場所の画像を掲載します↓
益田市 観音岩 海岸浸食 現場
 

上下の画像を比較すると、浸食された面の縁とポール(島根県と書かれているのですが)との距離が狭くなっていること(後退していること)に注目してください。

あと数回、時化れば、・・・単純に上の画像との時間軸(5ヶ月)で推測すれば、今年の9月ごろまでに、このポール&ロープ地点は崩落するでしょうネ。

さて、ここに来たなら、報告をしたい事2つ。の2つ目。

益田市の浜の画像といえば「観音岩」。益田市の風景の象徴的な…天然オブジェの一つです。
観音岩の風景 益田市20150407


夕焼けとセットではないので、ただの「岩」画像ですが…この日の観音岩には黒い鵜達が、(この季節は、いつものように)鎮座していました。

で、たまにウミネコが、ちゃちゃを入れる的に現れるところが面白かったのう♪

観音岩の鵜とウミネコの風景20150407

おしまい・・・・・・

『妙義寺太鼓橋(石橋)』と桜の風景(益田市七尾町)

益田市七尾町の妙義寺(山号は万歳山)へ向かう参道には石でできた橋があります。


妙義寺太鼓橋」と呼ばれているそうです。


今回はこの「妙義寺太鼓橋」と桜の風景。

益田市妙義寺太鼓橋 top

橋の向こうに1台の白の軽トラ(偶然、写りこんだののですが…)そのさらに奥には、妙義寺の山門がみえます。


江戸時代に架けられたというこの石橋の両側に満開の桜。撮影したのは2015年4月2日とても良い天気だったのですが、青空の色は薄く…空は白く霞んでいました。(で、いまいちな画像になってしまいました)

益田市妙義寺太鼓橋 上

『妙義寺太鼓橋(石橋)』と「桜の花の門」…かなりリッチな気分にさせてもらえました♪

もともとこの石橋が架けられている場所は「池」だったそうです。

しかしながら、近隣の民家の下水が流れ込んでいて「臭い!」ということで、現在のような空池にしたと聞きました。


また、益田市誌 (昭和50年12月20日発行)上巻873~874ページに「妙義寺の石橋」に関する説明と白黒写真があります。

益田市誌によると
この石橋の長さは約6メートル、幅は約2メートル。
本来「須佐石(山口県の須佐町産出の御影石)でできていた」そうです。

しかしながら、(近年、改修?工事が施されたそうですが)現在では桁石に須佐石とは異なる御影石が使われていることに気づきました。

益田市誌に掲載されている画像↓(昭和50年以前の撮影だと考えられます)を見てください。

益田市誌 妙義寺 太鼓橋 古写真

今とは、なんか姿・形・・・特に欄干のライン、雰囲気違いませんか?
昔↑は「弧」を描いてますが、今↓は「への字」に見えます。

比較 妙義寺 太鼓橋 改修後s


そのあたりは、別途、『妙義寺太鼓橋(石橋)』見学記として投稿しますネ。

益田市の宮ヶ島、驚きの昔の風景写真(小浜町)

益田市の風景で最近全国的に有名になった場所といえば

宮ヶ島の恵比寿神社(衣毘須神社)ですよね。

私、昨年の3月に益田市の小浜町にある宮ヶ島の恵比寿神社(衣毘須神社)に初参拝いたしました。
※以下のカラー画像は当時(昨年2014年3月に撮影したものです)

益田市宮ヶ島


さて、今回は
宮ヶ島の過去の風景はについて。
私の少年時代の
宮ヶ島の風景の記憶は、今の風景と全く違っていた
ということを語りたくての投稿です。

昔の記憶なのですが、今の宮ヶ島とは全く違う当地の風景の記憶がありました。


宮ヶ島の一番古い記憶は(当時は島の名前すら知りませんでしたが)
昭和40年代…JRが、まだ「国鉄」といわれていたころ。

山陰本線をはしる蒸気機関車から見えた当地の風景の記憶です。

次に古い記憶は、昭和50年代…高校時代、

当時、凝っていた、自転車(ロードレーサー)で、
ここの防波堤沿いの道をノロノロと走りながら「益田市にも凄い場所があるなぁ~」と感じた記憶です。


実は、この2つの記憶風景には現在の宮ヶ島の風景と比べると、絶対的に異なる点があるのです!

「宮ヶ島はもっと鬱蒼とした「松の木々」があったような…」

益田市の宮ヶ島には「たくさんの松の木が茂った岩山…」という記憶でありました。


「あれは、私の記憶のズレ?勝手に作り出した記憶の風景…記憶の改竄…妄想?」と思うと、

(密かに)「まさか、すでに認知症!?」の不安もありましたw


ところが!!
つい先日、昔の「宮ヶ島」の画像を見ることができました。

益田市の戸田ご在住の青木さんから、その画像(写真)をコピーしたものをいただきました。

宮ヶ島の古写真

「おお!わしの記憶は正しかった、確かにコレ↑この風景じゃ♪」
(認知症ではなかった!)

ついでに、現在の益田市の宮ヶ島の昔の松の枯れ木、「最後の松」と日本海の荒波の風景を!

最後の枯れ松 宮ヶ島2014年3月21日撮影


ということで、喜びのあまり(?)
宮ヶ島の古い画像と近いアングルで撮影した最近の画像をトリミング加工して↓

宮ヶ島2014年3月21日撮影トリミング


益田市の宮ヶ島の過去と現在の違いを分かりやすくする、比較用に画像を重ねてみました。

宮ヶ島2014年3月21日撮影トリミングss


いかがでせうか?違いが分かりますか?圧倒的な松の木々の存在です。分かりますよね!

撮影アングルが異なるためのズレは大目にみてくださいまし。

(だけど・・・どうしても手前の鳥居だけは大きさも場所もズレているのが気になりますけど…)


これぞ!「今昔写真考学」略して「今昔写考学」…(殆んど略れていないw)

「今昔写考学」…と民俗学に新たなジャンルをつくったのですが(個人的に)面白い♪
これからも続けますョ!!

「叶うたび」…言霊センスを磨き益田市の魅力を堪能する旅

昨日、なつかしの国石見(島根県西部公式観光サイト)に訪問したところ、
広島方面の女性限定で「叶うたび」という1泊2日の旅行企画があることを知りました。
なつかしの国石見(島根県西部公式観光サイト)です。

今回気になった「叶うたび」の内容を実際みたところ…

叶うたび…1日目(2015年3月25日(水))

江津市の名所巡りからはじまって、お隣りの浜田市の三隅にある「石州和紙会館」で紙漉き体験。

そして、この日のお泊りはなんと!益田市の「荒磯館」…素晴らしい日本海の眺めと、海の幸を堪能できます。
(ちょっと待って!?…参加費用、総額で12,000円(税込)!? ですよね、で、宿泊先があの「荒磯館」ですって?…超お得な旅企画ですよ…まったく)

しかも、しかも、この夜は「石見神楽」の舞の上演も楽しめるという…もう、わけわかんないくらい大盤振る舞ですネ♪この旅企画


叶うたび…2日目(2015年3月26日(木))

★まず、益田市の小浜町にある海上神社「宮ヶ島の恵比寿神社(衣毘須神社とも)」

宮ヶ島 恵比寿神社 益田市小浜町の風景


宮ヶ島の恵比寿神社↑昨年NHKの「にっぽん縦断 こころ旅」をはじめ、何度かTVメディアにとりあげられている場所です。今や、益田市の有名人気スポットの一つですよネ♪


★次は、なんと、益田市の最大名所「正一位 高津柿本神社」での特別参拝(どんな特別なのでしょうか?)と「島根県立万葉公園」の散策(健康的ですネ♪)


・「高津柿本神社」は歌聖「柿本人麿(柿本人麻呂)」公を祀っています。

高津柿本神社



全国の「柿本神社」の「本社」です。

人丸(ひとまる)さんの魂を素直に感じとれたなら…
古(いにしえ)の日本の神々による言霊のパワーを授かって…素晴らしい「うた」が閃くかもしれませんネ♪

柿本人麻呂 像 益田市高津柿本神社s


柿本人麿公のことを我々益田市民は親しみをこめて「人丸さん」とよんでいます。


・「島根県立万葉公園」は全国でも屈指の自然公園です。

県立万葉公園 益田市高津s


公園内の「万葉植物園」には古来から日本人が愛する様々な植物が育っています。

万葉植物園 益田市高津s


※当日は、どんな植物達の姿や花々を楽しむことができるのでしょうか♪

叶うたび」2日目の午後からの予定…クライマックスは「山陰の小京都」として全国的に有名な「津和野」へ向かうそうです。

★かの「太鼓谷稲成神社(たいこだにいなり神社)」参拝とのこと。これで石見のパワースポット充電マックス完了です!!

太鼓谷稲成神社 津和野


太鼓谷稲成神社は「日本五大稲荷」の一つです。

※モチロン…「御朱印」もいただけますョ。

太鼓谷稲成神社 津和野 御朱印


イケメン神職様もおられますので、広島の「御朱印ガール」さんなら、今回の山陰島根県石見地方の超格安ツアー「叶うたび」のクライマックスは「垂涎の的」ですネ!!


叶うたび」かぁ~…なんか、地元、益田市の男子も参加したくなる…知的で、健康的な旅体験ができそうですネ♪

益田市沖に高速の船…その「高速旋回」の驚愕の風景

前回の続き)今年(2015年)1月4日の午後4時ごろ、益田市沖を航行中の海上保安庁の高速特殊警備船(おそらく、浜田海上保安部の「巡視船あさま」)の画像から…。【撮影場所は益田市の三里ヶ浜ビーチハウスの駐車場より】

益田市沖の日本海、水平線上で、とてつもなく高速で航行する姿…
最初は、ダズル迷彩?とかボロジノ級戦艦「石見」?いろいろな(妄想的)疑問が…
「結局なんなん?この船?」と好奇心をいっぱいで、NikonのCOOLPIX P600(バリアングル)液晶モニターを眺め(時々撮影…)ていました。

一番驚いたのは…「旋回スピード」


1月4日の夕刻、偶然、目にしたこの船。一番驚いたのは…「旋回スピード」

早速、ですが、4コマでご紹介します。

海上保安庁浜田海上保安部「巡視船あさま」益田市沖の風景1


海上保安庁浜田海上保安部「巡視船あさま」益田市沖の風景2


取舵…はじめたと思ったら…なんと10数秒ほどで

海上保安庁浜田海上保安部「巡視船あさま」益田市沖の風景3


そしてさらに10数秒後には

海上保安庁浜田海上保安部「巡視船あさま」益田市沖の風景4


船影の「大きさ」ほとんど変わりませんよね…一般的な船でいう「旋回半径」というものがかなり小さいことがわかると思います。

今回、目撃した旋回時間はそれぞれの「画像プロパティ」で秒単位で確認できますので、
1枚目の画像から最後(4枚目)の画像までの経過時間(秒)は把握できていますが…(あえて保安上記載しません。)


とにかく…「理解不能!!」


当初、益田市沖で見た船の、この「高速旋回」の光景を見た時には、私、マジで「この世の船ではない!!」と感じ…とにもかくにも「理解不能!!」の精神状態でした。

だから、この船は益田市沖で、例えば「大渦」に巻き込まれているのではないか?
という(とんでも)推理(妄想)をしていました(汗)


ウォータージェット推進による「その場旋回」


この日、自宅に戻り、この船の艦影から浜田海上保安部所属の「巡視船あさま」ではないか?と推測しました。その後、ウォータージェット推進(ハイドロジェット推進、ポンプジェット推進ともいうそうです)の仕組みを知り、そして「その場旋回」という制動法を知りました。

世の中には、超絶技術というものがあるもんだなぁ…しかも、その実践を益田市の日本海沖で観れるなんて…

益田市の冬の日本海 三名岩(観音岩、猫島、宮ヶ島)の風景

ここ数日、益田市の天候は雪は降らないものの、気温は低く、日本海からの強風の日々が続いています。当然、益田市の沖は時化(しけ)の状態で、冬の日本海の様子を撮影するには絶好の日々となっています。(撮影条件はかなり厳しいです)

今回は益田十景の一つである「三里ヶ浜」から望む、三名岩(観音岩、猫島、宮ヶ島)と日本海の荒波・千波の風景です。

益田市の風景 観音岩、猫島、宮ヶ島


静止画像では伝わらないと思いますが、デジカメのモニターを見つめていると、青白いシャーベットのような海面の千波は、戸田町や小浜町の海岸に向かってまるで川のように流れて見えます。


益田市「三里ヶ浜」の三名岩…上の画像を使って説明しておきましょう。手前から「観音岩」「猫島」「宮ヶ島」

益田市の風景 観音岩、猫島、宮ヶ島 説明

「観音岩」の頭の部分見える黒いブツブツは「海鵜(うみう)」たちです。寒いし、波は荒く、怒涛の音は激しい中で平然としている「海鵜」の態度にはいつも敬服していますw。

ちなみに「観音岩」に見える白いものは、雪とか氷ではなくて…「海鵜」たちのフンです。

猫島には、強烈な波がぶち当たっているのが見えますネ。

一番奥の「宮ヶ島」…恵比寿神社(衣毘須神社)の赤瓦の屋根がぼんやり確認できます。

三名岩(観音岩、猫島、宮ヶ島)…関連情報は以下のリンク先にあります。

観音岩
⇒益田市の観音岩の景観に「7羽の鵜がやって来た」風景
⇒益田十景「三里ヶ浜」観音岩にアノ鳥が(島根県 益田市)

猫島
⇒猫島の不思議な看板『「朝明けの潮」と猫島』益田市の小浜海岸風景

宮ヶ島
⇒恵比寿神社(衣毘須神社)がある小浜海岸の宮ヶ島

益田市からの日本海の冬の荒波の風景シリーズ…この時期当分続きそうです。

益田市小浜町「宮ヶ島」の恵比須神社(衣毘須神社)12月の風景

今回は益田市小浜町の「宮ヶ島」の恵比須神社(衣毘須神社)の12月の風景

撮影日は2014年12月13日。日本海から吹き付ける風は強く冷たいものの、時折、日差しもあり…絶好の「日本海晴れ」の風景の撮影チャンス。

「どこか素晴らしい撮影場所は見つからないか?」と益田市の三里ヶ浜ぞいに山口県方向へすすんでいました。
不思議なことに、戸田や小浜方面の海が明るく照らされているので…「思いきって「宮ヶ島」と「恵比須神社(衣毘須神社)」を撮りに行こう!!」という思いつきで…

久しぶりの「宮ヶ島」…到着は午後3時ごろでしたので、西からの日差しが時折、「宮ヶ島」を明るく照らし出してくれます。

「宮ヶ島」恵比須神社12月の風景益田市小浜町



恵比須神社(衣毘須神社)への参拝は「とても無理!…というか怖い!!」ということで早々に断念。
これまでで最高に波は荒く、防波堤を超えて荒波の飛沫がとんでくるんです!!

宮ヶ島 防波堤前 益田市小浜町


そのかわり、今回はこれまであまり撮影(投稿)していなかった「宮ヶ島」の西側からの画像を掲載します♪

「宮ヶ島」と日本海の荒波の風景 益田市小浜町

今回の「宮ヶ島」の撮影で最大級の波のしぶきでした(画像中央左)

益田市小浜の「宮ヶ島」の恵比須神社(衣毘須神社)…今年TVでも2回も取り上げられている、今や益田市の貴重な(全国区レベルでの)有名スポットです。

「宮ヶ島?恵比須神社(衣毘須神社)?って何??」ってお方は下のリンク先に過去記事をまとめています。
⇒恵比須神社(衣毘須神社)(小浜町 宮ヶ島)のこれまでの投稿一覧

冬の日本海晴れの風景(益田市三里ヶ浜より)

益田市の日本海、冬の風景。久しぶりに晴れたのは2014年12月9日(火)。
山陰地方の益田市では珍しく晴れて明るい「冬の日本海晴れ」の風景です。
冬の益田十景…三里ヶ浜です。

冬の日本海 晴れ 益田市

日本海の波は少々荒れ気味。風はとても冷たかったのですが、そんな冷たさを一瞬、忘れさせる、青の世界でした。画像中央右、海に突き出た部分は鑪崎…「神代の肌hornfels」で有名です。
冬の日本海晴れ 益田市の風景

画像中央左の黒くとんがって見える岩は、益田市の三里ヶ浜名物岩!?「観音岩」です。その先をズームアップしてみたら!「見えました!!」…先日、再び全国的に話題になった…益田市小浜町の「宮ヶ島」と「恵比須神社(衣毘須神社)」です。
※参照⇒益田市小浜町の「宮ヶ島」と「恵比須神社(衣毘須神社)」
冬の日本海 益田市宮ヶ島の望遠風景

この日以来、益田市は雲が厚く、山陰地方独特の暗い日々の連続です。
明日からは、積雪もあるということで、寒く暗い週末となりそうですね。

益田市沖の名物風景「浮島蜃気楼」を観察

益田市の三里ヶ浜(持石海岸も含む)沖には2種類の名物風景があります。

「だるま夕日」と「浮島現象」です。

数年前の益田市では、この2つの自然現象は「大変珍しい!!」といわれていたようですが、(私のようなものでも、高倍率のデジカメを持てるようになってからは…)結構頻繁に確認できる自然現象の風景なので…

今や益田市の「名物風景」といっていいのじゃないかと思っています。


早速ですが益田市で今回撮影した浮島現象蜃気楼の風景画像です。

益田市 浮島の風景


肉眼では、こんな感じに見えました↑地元で何度も見ている風景なので、「浮島現象」がおこったときには、「おっつ、今日は浮いとるぞ!」とその変化に気づきます。…ですが、この↑画像では、ちょっと不親切wなので、
初めての人向けに、もう少し倍率をあげて撮影してみました。

日本海 の風景 蜃気楼浮島 益田市

えっ!?まだ分かりにくいですか?…では、最高倍率での蜃気楼浮島の画像です↓。

益田市浮島現象の風景

ギリギリ浮いているかどうか…という浮島レベルはありますが、
見方によっては、日本海上の小さな島々が、コロコロした動物のように、今にでも動き出しそうな感じです。

撮影場所は、益田市の持石海岸
持石海岸(益田市の風景)の今…海岸浸食で凄い事になっていた

対象となる場所は左端が鑪崎で、山口県の萩市須佐町沖の小さな島々です。(実際には、鑪崎よりもっと先、遠い場所に、これら島々はあります)

鑪崎「神代の肌hornfels」 (人形峠からの日本海(益田市 飯浦町))

実は「だるま夕日」も「浮島現象」も下位蜃気楼(かいしんきろう)なので、益田市で「浮島現象」が見られるときには、通常「だるま夕日」が撮影できる確率が高くなるのですが…
残念ながら、11月では、益田市の三里ヶ浜、持石海岸では太陽は日本海の水平線上には沈みません。

「だるま夕日 山陰」風景画像コレクション(益田市三里ヶ浜)

次回は「だるま夕日」「浮島」のセットでとれるよう頑張りますネ。来年になりますけど(笑)

観音岩の近くで新たな海岸浸食(崩落)を見た(益田市 三里ヶ浜)

三里ヶ浜には益田市の風景の中でも人気スポットである「観音岩」があります。

このサイトでは「観音岩」関連風景として「ミサゴがいた」とか「七羽の鵜がいた」という「ほのぼの系」の投稿とあわせて、「この岩周辺の海岸の砂浜の面積が大幅に減少した。…「海岸浸食」に関する記事も投稿しています。

観音岩付近でおこった海岸浸食(崩落)

画像は、今年(2014年)11月4日に撮影したものですが、観音岩周辺海岸浸食の(おそらく)直後に近い時点での様子です。

益田市 観音岩 海岸浸食 現場


実は、この場所は砂浜から一段(2~3m)高くなった比較的広い更地です。(益田市の三里ヶ浜の観音岩を観賞するベストポイントでもあります。車も数台駐車できます。)

ここの砂浜から、以前、観音岩周辺の砂浜の減少について今年(2014年)の9月4日に投稿したこともあります。
益田市の三里ヶ浜「観音岩」周辺の砂浜の変化(比較)


私は、砂浜の海岸浸食というのは、数年とかの年月をかけてジワジワすすむものかと思っていましたが、今回のように短い期間(もしかしたら、想像を超えた僅かな時間で)「ゴッソリ」的に崩落浸食がおこることもわかりました。

益田市の海岸崩落浸食

この崩落地点の先には、植物(おそらくシノ竹)が覆い茂っていますが、その一部も崩れているようです。

実は、この崩落地点、観音岩の間近の砂浜に下りるためのルート(結構険しい崖(砂質と粘土質と礫が混合))でした。しかし今回の崩落で完全にオーバーハングしてしまい。観音岩へ(比較的簡単に近づける)ルートはなくなってしまいました。

今回の海岸浸食(崩落)について考えてみた

この地点の周辺には、以前投稿したようなヘッドランドはありません。
※参照⇒持石海岸(益田市の風景)の今…海岸浸食で凄い事になっていた。
ただ、この地点のすぐ傍には(昭和の時代には無かった)防波堤が設置されてることに気づきました。

この防波堤による反射波により、自然の土手(今回の崩落場所)に強い波力を集中させる結果となったことが考えられます。

…観音岩は昭和時代は干潮ともなると地続きになる…プチ「トンボロ現象」もあったそうです。
前回の持石海岸の浸食と同様、益田市の三里ヶ浜では、昔と比べ、土砂の「自然供給量」が相当減ったことがわかります。
とはいうもの、土砂の供給源である高津川、益田川の河口の施策・コントロールは大変大がかりで、高度で精密な設計が伴うことも確かです。…それについて意見する気はありません。
 
ただ、気になるのは…現在、国道191号線に海岸線せまってきているため…護岸工事・防波堤設置が必要だと思われます。…当分「いたちごっこ」は続きそうですネ。


※現地には島根県とかかれた支柱が数本立っており、標識ロープ(俗にいうトラロープ)が張られていました。(現地再訪時:2014年11月20日に撮影)

島根県の柵


益田市の三里ヶ浜の風景…「益田十景」のひとつ「三里ヶ浜」この砂浜の風景がだんだん見られなくなっていくのでしょうか…(今回の海岸浸食(崩落)場所より撮影)

益田市 風景 三里ヶ浜