益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

益田市の神社とお寺

「叶うたび」…言霊センスを磨き益田市の魅力を堪能する旅

昨日、なつかしの国石見(島根県西部公式観光サイト)に訪問したところ、
広島方面の女性限定で「叶うたび」という1泊2日の旅行企画があることを知りました。
なつかしの国石見(島根県西部公式観光サイト)です。

今回気になった「叶うたび」の内容を実際みたところ…

叶うたび…1日目(2015年3月25日(水))

江津市の名所巡りからはじまって、お隣りの浜田市の三隅にある「石州和紙会館」で紙漉き体験。

そして、この日のお泊りはなんと!益田市の「荒磯館」…素晴らしい日本海の眺めと、海の幸を堪能できます。
(ちょっと待って!?…参加費用、総額で12,000円(税込)!? ですよね、で、宿泊先があの「荒磯館」ですって?…超お得な旅企画ですよ…まったく)

しかも、しかも、この夜は「石見神楽」の舞の上演も楽しめるという…もう、わけわかんないくらい大盤振る舞ですネ♪この旅企画


叶うたび…2日目(2015年3月26日(木))

★まず、益田市の小浜町にある海上神社「宮ヶ島の恵比寿神社(衣毘須神社とも)」

宮ヶ島 恵比寿神社 益田市小浜町の風景


宮ヶ島の恵比寿神社↑昨年NHKの「にっぽん縦断 こころ旅」をはじめ、何度かTVメディアにとりあげられている場所です。今や、益田市の有名人気スポットの一つですよネ♪


★次は、なんと、益田市の最大名所「正一位 高津柿本神社」での特別参拝(どんな特別なのでしょうか?)と「島根県立万葉公園」の散策(健康的ですネ♪)


・「高津柿本神社」は歌聖「柿本人麿(柿本人麻呂)」公を祀っています。

高津柿本神社



全国の「柿本神社」の「本社」です。

人丸(ひとまる)さんの魂を素直に感じとれたなら…
古(いにしえ)の日本の神々による言霊のパワーを授かって…素晴らしい「うた」が閃くかもしれませんネ♪

柿本人麻呂 像 益田市高津柿本神社s


柿本人麿公のことを我々益田市民は親しみをこめて「人丸さん」とよんでいます。


・「島根県立万葉公園」は全国でも屈指の自然公園です。

県立万葉公園 益田市高津s


公園内の「万葉植物園」には古来から日本人が愛する様々な植物が育っています。

万葉植物園 益田市高津s


※当日は、どんな植物達の姿や花々を楽しむことができるのでしょうか♪

叶うたび」2日目の午後からの予定…クライマックスは「山陰の小京都」として全国的に有名な「津和野」へ向かうそうです。

★かの「太鼓谷稲成神社(たいこだにいなり神社)」参拝とのこと。これで石見のパワースポット充電マックス完了です!!

太鼓谷稲成神社 津和野


太鼓谷稲成神社は「日本五大稲荷」の一つです。

※モチロン…「御朱印」もいただけますョ。

太鼓谷稲成神社 津和野 御朱印


イケメン神職様もおられますので、広島の「御朱印ガール」さんなら、今回の山陰島根県石見地方の超格安ツアー「叶うたび」のクライマックスは「垂涎の的」ですネ!!


叶うたび」かぁ~…なんか、地元、益田市の男子も参加したくなる…知的で、健康的な旅体験ができそうですネ♪

益田市の佐毘売山神社から見島(山口県萩市)が見える

2015年2月1日、久しぶりの益田市の佐毘売山神社(式内社)。
参拝後、比礼振山(権現山)標高359mを目指すぞ!(車でw)

と、振り返って、ふと益田市沖の日本海を見れば!

「なんと!!あの島が見えているではないですか!?」

あの島とは山口県萩市の「見島」です。

益田市役所のホームページの「文化財課」のページから、比礼振山(権現山)の山頂から「見島」が見えるということを知ってはいましたが…

益田市の佐毘売山神社からも見えるんですよ「見島」!!

益田市の佐毘売山神社から見島ss


↑赤い丸で囲ったところですが…えっ、分かりずらい?…ハイ、もう少し倍率を上げてみましょう。

益田市の佐毘売山神社から見島1s

電線が思いっきりかぶっていますネ(汗)。右下に益田市の「ゆめタウン」のイズミさんとジュンテンドーさんが見えます。

※尚、上の2枚の画像はいずれも、(画像)編集(色合いとコントラスト)しています。

※デジカメはNikon COOLPIX P600

佐毘売山神社のおススメの撮影スポットはココ↓

益田市の佐毘売山神社から見島2


この先の日本海海上に見島(赤丸内)が見えます。(ここなら電線が少なく、撮影には適していますよ)


益田市の佐毘売山神社の「場所」と「向き」に関する仮説


比礼振山(権現山)山頂は、周りを遮るものが無い、見晴らしが良い場所です。空気がある程度澄んでいて見通しが良ければ「見島」が見えても当然といえば当然です。

しかし、益田市の佐毘売山神社がある「山の中腹」となると、「見島」が見える場所はかなり限られてきます。


益田市の佐毘売山神社の「場所」と「向き」は「見島」の位置を考慮したのでは!?


という仮説的(空想)がわき起こってきました♪


佐毘売山神社(式内社)益田市20150201

因みに、益田市の佐毘売山神社は万治3年(1660年)…江戸時代(前期)に、この場所に遷座ということです。石見浜田藩の初代藩主、松井松平家2代「松平康映(1615~1674)」の時代です。

益田市の佐毘売山神社(式内社)の「鬼瓦」と「連珠三つ巴瓦紋」

今日(2015年2月1日)は益田市に久しぶりに青空と日差しの恵がありました。
「こんないい日は家にこもっていてはもったいない!」

というわけで、久しぶりになりますが益田市の比礼振山(権現山)に行くことに♪

まずは、佐毘売山神社(式内社)に参拝です。

佐毘売山神社(式内社)益田市20150201s


とてもご無沙汰しています。

益田市の佐毘売山神社(式内社)はとても歴史のある神社です。

今回は、かなりニッチな部分で私のお気に入りの佐毘売山神社の「鬼瓦」の画像です。

佐毘売山神社(式内社)鬼瓦と瓦紋 左巴


パワーありますよね!
あともう一つ気づいてほしいことは、「瓦紋」

「連珠三つ巴瓦紋」です、左巴です!!(一番上の「巴の玉」から延びでる尾の位置が、玉の左側にあると「左巴」、右側にあると「左巴」といいいます。通常、どちらかに統一されています。たまに…益田市の櫛代賀姫神社(式内社)のように、修復の際、混在する場合もありますが…)

「連珠三つ巴瓦紋」専福寺浦番所跡から発掘されたもの、と櫛代賀姫神社でも現存するものと共通してます。

※ご参照>>益田市の沖手遺跡 専福寺浦番所跡と櫛代賀姫神社の「紋瓦」

面白いですね!!


さて、佐毘売山神社の名水「権現霊水」をいただき、佐毘売山神社参拝させていただいた後、

いよいよ比礼振山(権現山)の山頂を目指そうと、振り返って、ふと、益田市の日本海沖をみたところ…!!


なんと!「あの島が見えるではないですか!?」


>>佐毘売山神社から見えた「島」とは…

高津柿本神社2015年初詣と「柿本人麻呂」考と「万葉集」考

あけましておめでとうございます♪…なんて、「もう2015年1月6日だぞ!!」って怒られそうですが、
今年2015年の益田市の新年、元旦から4日まで大変厳しい気候でした。雨やらPM2.5やら…なかなか外に出られない環境でした。
(ちなみに雪なら徒歩でも高津柿本神社にお参りに行ったことでせう)

さて、1月5日に益田市は久々に明るくなりました。お日様が照らしてくれて気温も10℃以上。
「さすがに、今日は高津柿本神社にお参りに行かなければ…」と素直に決断できました。

おおっ、楼門に向かう参道石段からして雰囲気が違います!!(来てよかった~♪)
高津柿本神社2015年正月楼門

石段の両側には普段は見られない、藁縄と紙垂(しで)、楼門には私の好きなブルーの幕、そして画像右下には、ブルーの幕に近い色合いのジャンバーを着た方も…一生懸命、手すりをたよりに石段を進んでいきます。

益田市の高津にある「正一位柿本神社」…柿本人麿(柿本人麻呂)公をおまつりしております。

帰りに見つけた三椏(三枝)の若花 ※三枝はヤマユリ等、諸説あるようです)
三椏の若花2015年高津柿本神社にて

春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹

柿本人麻呂歌集にある原文です。正直、万葉仮名なのか漢文なのか…あるいは(それら)折衷なのか…

漢文的に見たら「23324」…かといって「万葉仮名」的解釈なら、漢文にあるような、添え字はありえない。

(そもそも、原文(万葉仮名)こんな区切り方だったのか?)

とにかく、不思議な言語体系、古代と近世のダブルフィルターによって変化(へんげ)したのが今の「解釈」では?・・・そういう疑いがつきない今日この頃です♪

…かつての日本には、漢文と万葉仮名がごっちゃで存在した「時期」があったのでせう。(平仮名が発明されるまでは…)

(「懐風藻」なんかを(よろしければ)読んでみれば雰囲気わかりますよ。)

柿本人麻呂歌集というのは、(ぶっちゃけ)古の柿本人麻呂ファンの(今でいう)同人誌です。石見相聞歌も同じです。

柿本人麻呂(柿本人麿)のキャラ設定を「柿本人麻呂歌集」や「石見相聞歌」で見出してイメージした著書や戯曲は、古(いにしえ)のヒトマロ・ファンがつくりだした柿本人麻呂(柿本人麿)のイメージが元となるので、私は、違和感を感じます。…とはいえ、全く新しい「ヒトマロ」というキャラをつくるという試みならば、それはそれでOKかなぁと思います。

柿本人麻呂(柿本人麿)について、否、そもそも「万葉集」の解釈もいろいろできる…万華鏡?的な万葉集。

万葉集の解釈が有名な国文学者…権威(者)によってつくられたものを妄信することが原点であったという日本文学史上の歴史的誤謬を今一度修正してみたくなりました。

今年は万葉仮名について今まで以上に研究してみようと思っています。当然きちんとした文章でw…別サイトですw

プチ「波の花」宮ヶ島の浜辺での不思議な現象(益田市の風景)

前回、益田市の小浜町にある「宮ヶ島」の恵比須神社(衣毘須神社)12月の様子を掲載したのですが、その帰り際に、とある自然現象を撮影することができました。

「宮ヶ島」手前の砂浜からの撮影をしようと思ったところ、目の前に無数の、白いフワフワとしたものがコロコロと転がってきました。直径1センチ程度の白い綿のような物体です。最初は「ぼた雪(ぼたゆき)?」と思いましたが、空から降ってくるのではなく、浜辺から飛んでくるのです。

益田市の「波の花」


よくみると、砂浜の波打ち際に白い泡状のものが溜まっているではないですか!?

益田市の「波の花」1

「おおっ、これは『波の花』じゃ!!」…益田市の浜辺でも(規模は「プチ」レベルですが)「波の花」ができるんですね。

益田市小浜町 宮ヶ島と波の花の風景


波の花(なみのはな)については、石川県観光情報ホームページ「ほっと石川旅ねっと」にわかりやすい説明と当地の本場の『波の花』画像が掲載されています。…(本場の「波の花」はスケールが全然違いますよ)

波の花は、海中に漂う植物性プランクトンの粘液が冬の荒波にもまれて、せっけん状の白い泡を作ったものと言われています(海が汚染されていると泡が作られにくいとされています)。

※参照:波の花(なみのはな)
石川県観光情報ホームページ「ほっと石川旅ねっと」

以前から、ここらあたりの浜の少し沖に、白い泡が帯状になって漂っているシーンをよく目にし、気になっていました。その泡は「植物性プランクトンの粘液」だったようです。

しかも、「海が汚染されていると泡が作られにくいとされています」というのうのは、言いかえると「海が綺麗でないと『波の花』は発生しない」ということになり益田市の海は(当然といえば当然ですが)安心だということですね!?

それにしても「波の花」って、とてもいいネーミングですネ♪

また、同ページには以下のような注意事項もありました。…念のために掲載しておきますネ。

(波の花は)最初は美しい白色ですが、時間が経つにつれて黄色になります。服などに付くと黄色い染みになり取れなくなるので、観光する際にはあまり近寄らないなどの注意が必要です。

益田市小浜町「宮ヶ島」の恵比須神社(衣毘須神社)12月の風景

今回は益田市小浜町の「宮ヶ島」の恵比須神社(衣毘須神社)の12月の風景

撮影日は2014年12月13日。日本海から吹き付ける風は強く冷たいものの、時折、日差しもあり…絶好の「日本海晴れ」の風景の撮影チャンス。

「どこか素晴らしい撮影場所は見つからないか?」と益田市の三里ヶ浜ぞいに山口県方向へすすんでいました。
不思議なことに、戸田や小浜方面の海が明るく照らされているので…「思いきって「宮ヶ島」と「恵比須神社(衣毘須神社)」を撮りに行こう!!」という思いつきで…

久しぶりの「宮ヶ島」…到着は午後3時ごろでしたので、西からの日差しが時折、「宮ヶ島」を明るく照らし出してくれます。

「宮ヶ島」恵比須神社12月の風景益田市小浜町



恵比須神社(衣毘須神社)への参拝は「とても無理!…というか怖い!!」ということで早々に断念。
これまでで最高に波は荒く、防波堤を超えて荒波の飛沫がとんでくるんです!!

宮ヶ島 防波堤前 益田市小浜町


そのかわり、今回はこれまであまり撮影(投稿)していなかった「宮ヶ島」の西側からの画像を掲載します♪

「宮ヶ島」と日本海の荒波の風景 益田市小浜町

今回の「宮ヶ島」の撮影で最大級の波のしぶきでした(画像中央左)

益田市小浜の「宮ヶ島」の恵比須神社(衣毘須神社)…今年TVでも2回も取り上げられている、今や益田市の貴重な(全国区レベルでの)有名スポットです。

「宮ヶ島?恵比須神社(衣毘須神社)?って何??」ってお方は下のリンク先に過去記事をまとめています。
⇒恵比須神社(衣毘須神社)(小浜町 宮ヶ島)のこれまでの投稿一覧

益田市の沖手遺跡 専福寺浦番所跡と櫛代賀姫神社の「紋瓦」

益田市の歴史、風景(画像を)中心に投稿して、思わぬ歴史的発見がありました♪

今回は当サイトの過去記事間での発見!!…といった内容になります。


きっかけは、今日たまたま、私のこのサイトを訪れた方が気にしていた画像。
撮影は、今年の5月、益田市久城町の石見 式内社 櫛代賀姫神社 を参拝した時のものです。

上り藤に久の字 瓦 櫛代賀姫神社 益田市


※参照⇒石見 式内社 櫛代賀姫神社 を拝観 その2(益田市 久城町)

この画像…一体「どんな興味があって、検索してきたんだろうか?」とぼんやり思いつつ眺めていると、
ちょっと気になるモノが目に飛び込んできました。

連珠三つ巴瓦紋


それがコレ!!矢印の先の部分。「瓦紋」… 櫛代賀姫神社「拝殿」の鬼瓦周辺の画像です。

櫛代賀姫神社 益田市 連珠(右)三つ巴瓦紋


連珠三つ巴瓦紋です。

「えっ!?『連珠三つ巴瓦紋』…てなに?…何かすごい発見なんか?」

ハイ。すごいかどうかは別として(笑)

益田市の歴史・風景をコツコツ取材している、わたくし的には、とても興味深い発見になりました。

では、早速、話をすすめましょう…♪

『沖手遺跡…専福寺浦番所跡』での出土品の中に!!


『連珠三つ巴瓦紋』…って、益田市でちょっと前まで話題だったの遺跡『沖手遺跡』で発掘された品の中にありましたよネ♪
櫛代賀姫神社「拝殿」の鬼瓦のそばの紋瓦2つ…そのうち、特に下の「紋瓦」の形状・デザインを見てください。

連珠三つ巴瓦紋(右巻き左巻き混在) 櫛代賀姫神社(益田市)

益田市の沖手遺跡内の、「専福寺浦番所」(江戸時代、浜田藩が管理)跡から発掘されたモノと酷似しています。(ただし!なぜかこの紋瓦…巴が上は「右巻き」、下は「左巻き」なんです!!よくみると…連珠の数的には下の方が、、「専福寺浦番所」の出土品に酷似といえますが…巴の方向が左巻きであるこは気になります。)

江戸時代の沖手遺跡 丸瓦 益田市


(巴の方向は今回は一時保留として)
なぜ、『連珠三つ巴瓦紋』が益田市久城町の「櫛代賀姫神社」に現存しているのか?
このことについて、私なりに合点するには、さほどの時間がかかりませんでした♪

ヒントは「石見 式内社 櫛代賀姫神社略記」にあった!!


浜田藩の歴史は、ほとんど松平家系であることをご存知でしょうか?
そして…松平家では、連珠三つ巴瓦紋は、伝統的に使われていたようです。
※参照⇒江戸時代の沖手遺跡「丸瓦」の破片を考察

で、話を益田市の「櫛代賀姫神社」の歴史について調べてみたところ…

「石見 式内社 櫛代賀姫神社略記」に、

「文政6年(1823年)に石見国二十一個村の総氏子により本殿其の他の大修築をなし…」

という記載があることを発見しました。


「文政6年(1823年)」の浜田藩は松平(松井)家の時代です。


大修築の際の新しい「紋瓦」等に浜田藩(松平家)の素材・造形的趣向が込められていたとも考えられます。(ただし、くどいようですが…瓦紋の巴の巻き方が「1つだけ左」というのは気になります…(笑))

↑こんなことは、実に些細な発見ですが、江戸時代の(益田市の)ここら辺の時代…浜田藩のころの様子に興味が湧いてきました。


編集後記
※あとで分かったのですが…巴の左右は、一番上の玉から伸びる尻尾のような方向で呼び名がつけられているようです。ですから、益田市の沖手遺跡で発掘された巴は「左巴」と呼ばれます。(わたくし的には、回転方向で左巻き、右巻きといったほうがわかりやすいと思い、修正はしておりません。ご容赦ください。)

自分がこれまで地元、益田市の歴史や風景に関して投稿した記事の内容・画像からでも、(これまで益田市に関する史料・資料には無い)思わぬ発見があるものです。
これまで、過去記事を振り返ってみることは(誤字脱字の修正とか小見出しとgoogleMAPの追加程度で)あまりなかったのですが。今回を機会に、当サイト内の投稿記事情報を発掘してみることもアリかと思いました(笑)

益田市 住吉神社の神々「御祭神 四柱」を学ぶ

前回は益田市の住吉神社の歴史として、現在の益田七尾山に築造されるまでの経緯についてお伝えしました。
ご参照⇒益田市の住吉神社の歴史 御神徳記と益田市誌より

今回は、益田七尾山 住吉神社の「御祭神」…神様についてです。

住吉神社の御祭神…四柱

益田七尾山 住吉神社の「御神徳記」の「御祭神」の記述の部分を拝見させていただくと、住吉三神と息長足姫尊の四柱であることがわかります。

益田七尾山 住吉神社 御祭神

住吉三神(すみよしさんじん)

  • 底筒男命(そこつつのおのみこと)
  • 中筒男命(なかつつのおのみこと)
  • 表筒男命(うわつつのおのみこと)
そして、

  • 息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)

※「息長足姫尊」は住吉神社の総本宮の住吉大社(大阪府住吉区住吉)によると、「神功皇后(じんぐうこうごう)」の「本名」ということです。※「息長足姫尊」は「気長足姫尊」という表記もありますが、「住吉大社」のHP(ホームページ)でも「息長足姫尊」と記されています。

※ご参照:⇒住吉大社HP御本殿・ご祭神

神功皇后 様のお姿…「賢女八景 筑紫帰帆」

神功皇后 様のお姿は、江戸時代の浮世絵師「歌川国芳(一勇斎)」の「賢女八景 筑紫帰帆」にてえがかれておられます。
神功皇后 賢女八景 筑紫帰帆

住吉神社についてもう少し知りたいな?…と思ったら♪

住吉神社の神様についてもう少し知りたいと思った方は、住吉大社HPで学べます。ありがたいことに、とても分かりやすい言葉で綴られています。

※ご参照:住吉大社ホームページ内
⇒住吉大社によくある質問 住吉大社の由緒・伝統 
「住吉大社によくある質問 住吉大社の由緒・伝統」では以下のことなどについて学ぶことができます。


◆住吉大社の由緒・伝統
◆住吉大社はなぜ大阪に建てられたのか?
◆住吉大神様ははどのような神様?
◆神功皇后さまはどのような神様?
◆住吉の地名の由来(意味)について
◆住吉大社の巫女さんは、なぜ頭に飾りがついているのか?
◆お神楽とはどういうものですか?

等々、とても深い学びができます。

MAP・場所:住吉大社(大阪府大阪市住吉区住吉2丁目9)



編集後記…益田市から大阪へ

益田市の住吉神社からはじまり、大阪の「住吉大社」ではさらに深い学びを得ることができました。
大阪の「住吉大社」にも近いうちに参拝できればと思います。

益田市の住吉神社の歴史 御神徳記と益田市誌より

益田七尾山 住吉神社の歴史

益田市の住吉神社はいつごろ誰によって「この地(益田市の七尾山)」に建造されたのでしょうか?
拝殿そばにある「益田七尾山 住吉神社御神徳記」内の「御鎮座」の部分によると

住吉神社 御鎮座
(益田七尾山)住吉神社の御鎮座は益田越中守兼高 源頼朝に帰し 源義経に属して 一ノ谷 壇ノ浦の参戦において偉功を立て 石見の守護とな て第八十二代 後鳥羽天皇の御世 建久三年景勝の地当七尾山に築城と共に御鎮座…

とありました。

益田市誌(上巻)にもっと詳しい経緯が記されていた!!

益田市誌(上巻:昭和50年12月20日発行)にて、もっと詳しい経緯がわかりました。

藤原(御神本)国兼が初めて石見の国司として石見国へ赴任の際、海を航して下向したが、途中大時化に出遭い身の危険を感じた彼は、海神の住吉神社に航海の安全を祈った。無事着任することが出来たので、住吉ノ神の加護を感謝した国兼は、これを勧請して※上府の地に社を建造した。建久年間益田の地に転じた兼高は、七尾城の中腹にこれを移転して、城山鎮護の神とし、祖神国兼を祀る御神本神社を益田大谷、祇園神社を七尾場内に奉斎した。

出展:益田市誌 上巻(昭和50年12月20日発行)
P421 歴史篇 第5章 鎌倉時代 第9節 鎌倉期の社寺と文化 住吉神社 より

おおもとは「上府の地」で建造された

上記益田市誌からの引用文にあるように。(益田七尾山)住吉神社は、当初、藤原(御神本)国兼により「上府の地」で建造されたということです。
「上府の地」とは現在の浜田市上府町です。上府は「かみこう」とよみます。


その後、御神本国兼の曾孫にあたる益田兼高により、現在のこの地、益田七尾山に移転されたことがわかりました。


浜田市上府町(かみこう町)の場所はコチラ↓

MAP・場所:浜田市上府町(かみこう町)

編集後記…益田氏について
私は益田氏についてはあまり関心がなかったのですが、益田七尾山 住吉神社についていろいろと調べるうちに大変興味がわいてきました♪
今回は(本文では取り上げていませんが)、益田氏の祖先にあたる御神本国兼が現在の浜田市の上府(かみこう)に国司として赴任していた事がわかりました。さらに「御神本」という姓(私はかねてからこの「御神本」という姓に興味を持っていましたが)実は「地名」であったこともわかりました。

益田七尾山 住吉神社「本殿」を拝観(益田市七尾町)

前回は、益田市七尾町の住吉神社の「随身門」と「拝殿」をご案内しました。
※ご参照⇒益田七尾山 住吉神社の随身門と拝殿
今回は住吉神社の「本殿」をご案内いたします。

住吉神社の「本殿」:三間社流造 一間(唐風)向拝付き


「益田七尾山 住吉神社」の「本殿」は、拝殿の前を進み、朱色の連鳥居が施された石段を上がることで間近で拝見できます。
益田七尾山 住吉神社 本殿

全体的にとても雄大かつ精緻な造りの本殿です。(三間社流造ですが、前面に2本の柱で支える形で一間唐風屋根の向拝(階隠し)が伸びているのが印象的です。)

本殿の造り…匠の技の結集!! 出組(一手先)斗栱。大瓶柄さらに、蟇股、懸魚…


益田七尾山 住吉神社 本殿の構造的魅力
出組(一手先)斗栱(ときょう)で軒出しが深い…雄大さのための構造!!大瓶柄(たいへいづか)…なんと両側と手前3か所に、掛け獏木鼻が施されています!! 蟇股(かえるまた)の内部に精緻な彫刻。懸魚(げぎょ)…と、あげればきりがないです。
素晴らしい!!精緻で美しい匠の技の結集ですネ…ありがとうございます♪

ふと疑問?…「花菱の紋」

ふと疑問に思ったのが…本殿の屋根に見た「花菱」の紋
益田七尾山 住吉神社 花菱の紋

益田氏の神社なら「のぼり藤に久」か「丸に九枚笹」の「紋」であるはず… 例えば、益田市の式内社 櫛代賀姫神社の屋根には「のぼり藤に久」
 ※ご参照⇒石見 式内社 櫛代賀姫神社 を拝観 その2(益田市 久城町)
う~ん…何故なんだろう「花菱」の紋って何家なんだろう…?

現在の住吉神社の本殿と拝殿について

益田七尾山 住吉神社 御神徳記によると、
現在の御本殿 拝殿 参道は昭和49年 天皇 皇后両陛下金婚の御儀を記念し氏子崇敬者の尊いご協力御浄財により三ヶ年の歳月を要しご改築申し上げたものであります。
と記載されていました。
住吉神社 改築の記録

「益田七尾山 住吉神社」の本殿や拝殿は、改築前、そして建久3年(1192年…源頼朝が征夷大将軍に任官された年)の築造当初は一体どのようなお姿だったのか興味がわきます。

現在の「益田七尾山 住吉神社」本殿・拝殿ともに西北西を向いています。この地にて、この方向は益田市の市街地平野部とその先の広大な日本海を最も広く眺めることができます。
益田市 住吉神社の拝殿前からの市街地の風景

MAP・場所(航空画像):住吉神社

益田七尾山 住吉神社の随身門と拝殿(益田市七尾町)

益田十景:七尾城、住吉神社と自然散策道

益田市七尾町の住吉神社は「益田十景」の一つ。
住吉神社、七尾城(跡)と麓の七尾公園を含めた「七尾城、住吉神社と自然散策道」で体験できる景色・風景のセットで「益田十景」に取り入れられているようです。

益田 七尾山 住吉神社の随身門から拝殿へ

今回、企画した※特集:住吉神社…その1回目は住吉神社の「随身門」と「拝殿」、その周辺の風景です。

随身門

まずは、参道石段のゴールにあたる住吉神社の「随身門」です。

益田市 住吉神社の随身門

随身門…鮮やかな紅朱色が素敵です♪ 構造的には高床式なんですネ。

拝殿

住吉神社の拝殿。
益田市 住吉神社の拝殿

住吉神社への参拝は、なんと5年ぶり。これまで十数回は参拝しているのですが、今回の参拝では「住吉神社の「拝殿」って、とても大きい」と感じました。(これは5年という年月の中で、益田市内で大小、有名無名、様々な神社を拝見させていただいた経験値の蓄積によるものでしょう。)


拝殿から奥、かなり上方に住吉神社「本殿」の一部が拝見できます。

益田市 住吉神社の拝殿屋根の奥の本殿(一部)

益田市の住吉神社の由緒…益田七尾山住吉神社 御神徳記

益田七尾山 住吉神社 御神徳記と記載された看板がありました。
益田七尾山住吉神社神徳記

御祭神:底筒男命、中筒男命、表筒男命、息長足姫命(神功皇后)
益田七尾山住吉神社 御神徳記に関する詳しい内容については、あらためて投稿したいと思います。

絶景♪…住吉神社から益田市市街地の風景

膝の痛みをこらえ、頑張って、石段を上ってきたご褒美でしょうか?
益田市の市街地、そして日本海までの風景を眺めることができます♪
手水舎の枠内から撮影
益田市 住吉神社の手水舎からの市街地の風景

拝殿前のベンチから
益田市 住吉神社の拝殿前からの市街地の風景

MAP・場所:益田七尾山住吉神社(益田市七尾町4-71)


編集後記:5年ぶりの益田市の住吉神社で感じたこと
私は、益田市七尾町の住吉神社には、これまで10回以上、参拝しています。最近では約5年前の1月だったと思います。ここ数年、膝の調子が悪いせいか…「住吉神社の石段って、こんなに長く険しかったかのう?」と思うくらいキツかったです(汗)。益田市内の神社の参道石段の高低差に限って言えば、住吉神社は一番かもしれません。ただ、石段の中央部に「手すり」を施してくれているので、(石段を上るときも下るときも)利き手を使うことができ、本当にありがたかったです。

撮影日:2014年9月26日…この日の益田市は「晴れ」。今回は「住吉神社」について、諸所にて素直な感情が入った画像を撮ることができました。今後、折をみて投稿していきたいと思います。

『益田十景』については、
※ご参照⇒『益田十景』とは。益田市の「来て観ませんか」10の場所

益田市の高津柿本神社の建造物を屋根から学ぶ(解答編)

益田市の高角山に映える柿本神社の建造物の屋根

前回の投稿:「益田市の高津川と高角橋ごしに高津の柿本神社を眺めたら」の記事の中で、「高角山 正一位柿本神社」…高津柿本神社の社殿を含めた建物・屋根がたくさん、写っている画像を掲載しました。

高角橋と高津柿本神社

そして、この画像から、
それぞれの「屋根」の本体(建造物)の名称がわかりますか?」という問題を出しました。今回はその解答編となります♪
※ご参照⇒益田市の高津川と高角橋ごしに高津の柿本神社を眺めたら

屋根から学ぶ高津柿本神社(解答編)


上に掲載した画像のなかで柿本神社をクローズアップし、各建造物の名称を朱色で記載しました。

高角橋と高津柿本神社 解説s

この画像で確認できたのは全部で7つの建造物

本殿、拝殿(幣殿と一体)、宝物殿、儀式殿、楼門、社務所…それと登廊(のぼりろう…拝殿~本殿をつなげる階段部の屋根)です。

「楼門の左下にも屋根らしきものが見えるんじゃが…?」
「おっ、気づきましたネ♪」

実は、この部分は「連鳥居」を保護する「透明のトタン屋根部」なので建造物に含めませんでした。

新たな高津の柿本神社に関するクエスチョンです♪


実は、今回の建物以外に(私が知る限り)益田市の高角山 正一位柿本神社(高津柿本神社)には、主要な建物が4つあります。


あと4つ…みなさんご存知ですか?(解答はまた後日…)

編集後記:各建物に関する記事

今回、確認できた建物の中には以前投稿(画像あり)したものがあります。
本殿
拝殿①
拝殿②(拝殿・幣殿)内
楼門(ろうもん)
よかったらご参照くださいまし♪