益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

※寺坂吉右衛門

益田市で発見!寺坂吉右衛門への道!(益田市遠田)

2010年の12月11日のお話です。

世界ふしぎ発見(『日立 世界・ふしぎ発見!』)で白石みき さんによるミステリーハンターで

元禄事件外伝 赤穂浪士への旅というテーマで放映されていました。
たまたま、私が、この番組をみていたところ、ちょうど風呂からあがってきた父親が…

「おおっ、寺坂吉右衛門かっ…これの墓は益田市にあるんで!」

と衝撃的な言葉が!!


「ウソじゃろう!寺坂ちゅうても「忠臣蔵」の寺坂で!と問い詰めたところ・・・」

「おう…安田の方に確かにある!」と


「益田市誌」を調べたところ…未発見

父もいよいよボケたか…と思いながら、父のまじめで自信ありげな瞳をみて

無駄と思いつつ…「寺坂吉右衛門 墓 場所」でググッてみたら!


ありました!しかも地名「寺坂」まであったようでございます!

さらに「七人の吉右衛門」という書籍でも益田市の地名が!!


世界ふしぎ発見から端を発し、そして、父の何気ない一言、
「益田市に寺坂吉右衛門の墓があるよ!」
と聞いた…私。


早速、益田市学(益田市の行政(の裏側)から文化まで幅広い見識と人脈を持つ)の権威のお方に問い合わせたところ、当地の貴重な史料「安田村発展史」での当該ページのコピーを頂くことができました。

で(出し惜しみではありませんが)今日は「益田市 寺坂吉右衛門」の片鱗をご紹介します!


ありました!場所はキヌヤ遠田店の脇を入ったところに(画像左の真ん中あたり)

「寺坂農道」と…本当にありました!

寺坂農道 益田市遠田

※左側にある道路標識に近づくと…
寺坂農道 益田市遠田 アップ

泣けてきました…
そして(当然!ありました!)寺坂吉右衛門…「信行庵」…

つづく…

益田市で寺坂吉右衛門のお墓を発見!(益田市 遠田)

「益田市で寺坂吉右衛門のお墓を発見!」の続きです。


益田市に「最後の忠臣蔵」寺坂吉右衛門(映画では「佐藤浩市」さんが熱演)の関連の話題に触れることができました。


早速、益田市で発見した「寺坂吉右衛門のお墓」の様子を掲載いたします。

まずは、「寺坂吉右衛門のお墓」全景です!

寺坂吉右衛門のお墓全体 益田市

画像中央の坂を上がったところに「寺坂吉右衛門のお墓」があります。

えっ!…「寺坂吉右衛門のお墓」かどうか証明できていない!?ってご指摘がありそうなので、
追加でもう一まい…上の画像のむかって左側にある説明看板の拡大画像

寺坂吉右衛門 略伝 益田市

益田市の遠田で発見した「寺坂吉右衛門のお墓」の全景

そして「寺坂吉右衛門略伝」の史跡案内板


では、益田市で発見したお墓の入口にあった史跡案内板の「寺坂吉右衛門略伝」全文です。


寺坂吉右衛門略伝

 
 寺坂信行は、赤穂四十七士の一人で吉右衛門と称した。
 
 元禄十五年十二月十四日、大石義雄の吉良氏復しゅうの傘下に集り、首尾よく主君の仇を打った。

 
 一同は、十六年二月四日幕府より切腹を命じられたが、吉右衛門は大石義雄の命を受け、亡君の奥方と、広島の浅野大学守良広と、豊岡藩の家老 石束氏に、それぞれ復しゅうの次第を報告に旅立った。

 
 江戸に帰って、幕府に殉死を訴えたが罪を許され、髪をそって仏門にはいり諸国遍歴の旅に出た。

 
 その後、石見の国に来て一時那珂郡黒松村に信行庵を営んでいたが、正徳年間遠田村字鍋田に来て、この地が仏教無縁の地であることをなげき一宇の草庵を作り、信行庵と名付けた。
 
 釋知信と称し、身分を秘して、真言大教化の基礎を開き併せて四十六士の冥福を祈った。

 
 知信はその後相当年間、この地に住んだが後庵を 棄てて、江戸に帰り方々に暮らしていたが、延享四年十二
月六日八十三歳の高令を以て麻布において、安らかに天命を終えた。墓は東京麻布の天現寺橋側の曹溪寺に
ある。 当地の墓は遺言により分骨したものである。

  
 辞世
     さくときは、花の数にも入らねども
               散るにおは同じ、山桜かな。


(念のため)現地の史跡案内板の拡大画像を掲載しておきます。

寺坂吉右衛門 略伝アップ


次回は、この史跡案内板の記述に関して気付いたことや補足したいことをとりあげます。

MAP・場所:益田市 遠田町の寺坂吉右衛門のお墓


寺坂吉右衛門の墓(島根県益田市遠田)

前回ご紹介した「寺坂吉右衛門のお墓」の画像が「(遠景)でわかりにくい!」
というご指摘を受けまして…追加画像をご紹介いたします。

名付けて…島根県 益田市の「寺坂吉右衛門のお墓」へ導くの坂道から撮影した画像です。

島根県 益田市の「寺坂吉右衛門のお墓」へ導くの坂道から

いよいよ近づきますヨ!

これがここ益田市遠田にある「最後の忠臣蔵」「寺坂吉右衛門のお墓」です

寺坂吉右衛門のお墓1

次回は益田市と寺坂吉右衛門に関して、もう少し深く調べた内容を投稿します。


※10数年ぶりに小説を買いました!

『最後の忠臣蔵 (角川文庫) [文庫] 池宮 彰一郎』

四十七士ただ一人の生き残り、寺坂吉右衛門の人知れぬ煩悶。
血戦の吉良屋敷を後にして高輪泉岳寺に引き揚げる途次、足軽・寺坂吉右衛門は大石内蔵助に重大な役目を与えられる。生き延びて戦さの生き証人となれ。死出の旅に向かう四十六人を後に、一人きりの逃避行が始まった。

です。
映画もいずれ見てみようかと思います…
瀬尾孫左衛門 役の役所広司さんの表情は地味に深くカッコいいですね!
寺坂吉右衛門の役は佐藤浩市さんです。

七人の吉右衛門より…益田市と寺坂吉右衛門 (益田市遠田)

今回は寺坂吉右衛門に関する書籍「七人の吉右衛門(江下 博彦著 叢文社 (1999年5月) 」にて寺坂吉右衛門の寺坂吉右衛門と益田市に関する記述と(益田市)関連画像をピックアップしました。


そもそもこの本のタイトル「七人の吉右衛門」について…
著者:江下博彦 先生はなぜ「七人…」としたのか!?
以下、その答えとなる本著での記載内容です。

第一章 七人の吉右衛門 

はじめに
現在、寺坂吉右衛門の墓は全国に十七箇所ある。
このうち、寺坂の墓だけが建てられているのは次の七箇所である。
 臨済宗  曹渓寺 東京都港区南麻布
 曹洞宗  実相寺 宮城県仙台市泉区名坂
 臨済宗  慈眼寺 静岡県賀茂郡西伊豆町
 浄土真宗 信行庵 島根県益田市遠田町上遠田
 浄土宗  一念寺 福岡県八女市豊福
 曹洞宗  恵剣寺 長崎県福江市蕨町(久賀島)
      共同墓地 鹿児島県出水市美原長一八〇二番地(市有地)
 
 先ず驚くのは全国に散在しているということである。
 次に、一人の人間に墓がいくつあってもそれは構わない。
 しかし、分骨をしない限り、納骨堂は一つ(寺坂の場合は曹渓寺の墓)であり、あと はすべて供養墓の筈である。

 ところが寺坂の場合、筆者が現在までに調査したかぎりではすべて納骨墓となっている。
 すなわち、寺坂吉右衛門なる人物が七人いたということである。そこで、夫々の墓を検証していき、なぜにかかる現象が生じたのかを考察してみることにする。

※七人の吉右衛門(江下博彦著 叢文社 (1999年5月) P44~P45

ナルホド!↑そういう意味で「七人の吉右衛門」なのですネ!

でも…ちょっと気になるのは…)益田市の寺坂吉右衛門のお墓にあった史跡案内板「寺坂吉右衛門略伝」によると

知信(寺坂吉右衛門のこと)はその後相当年間、この地に住んだが後庵を 棄てて、江戸に帰り方々に暮らしていたが、延享四年十二月六日八十三歳の高令を以て麻布において、安らかに天命を終えた。墓は東京麻布の天現寺橋側の曹溪寺にある。
当地の墓は遺言により分骨したものである。

※益田市の遠田町の寺坂吉右衛門のお墓にある史跡案内板「寺坂吉右衛門略伝」より引用

と、はっきりと、「当地の墓は遺言により分骨したもの」である。と記されています…これが事実とすると…益田市の寺坂吉右衛門のお墓は「納骨墓」のようですネ。


 最後に、「七人の吉右衛門(江下博彦著 叢文社 (1999年5月) 」で掲載されていた益田市の寺坂吉右衛門のお墓の画像と先日撮影してきた当地の画像を載せておきます。

「七人の吉右衛門(江下博彦著 叢文社 (1999年5月) 」より転載した益田市の寺坂吉右衛門のお墓の画像

「七人の吉右衛門(江下博彦著 叢文社 (1999年5月) 」より転載


当地の現在の画像:撮影(2010年12月)

益田市 寺坂吉右衛門縁由の地 墓


「寺坂吉右衛門縁由の地」の文字、今はかなり薄くなっていたり…生垣がかなり大きくなっています。また、大体同じ場所から撮影したと思うのですが…左側に樹木が等々、年月を感じます。


今回の書籍「七人の吉右衛門」の本体の画像と著者について

七人の吉右衛門

購入もとのAmazon(アマゾン)で「七人の吉右衛門」で検索するとNo image…つまり(表紙)画像なしとなっていましたので、参考までに掲載しました。


さらに!Amazon(アマゾン)ルートで購入したこの書籍「七人の吉右衛門」…なんと…謹呈本!…著者 江下博彦 先生の直筆サインがありました(感涙!)

七人の吉右衛門」江下博彦先生サイン

「忠臣蔵―足で探った「争点検証」と「盲点発掘」。
寺坂吉右衛門は七人いた? 浅野長矩の乱心は「つかえの薬」の大量服用によるものか、といった忠臣蔵にまつわる争点を検証。様々な盲点を新たに発掘し、考察を加えた足で探った忠臣蔵研究。

ちなみに著者/江下博彦(えした ひろひこ)先生は大正7年6月5日生まれで旧制第五高等学校を経て、九州帝国大学医学部・同大学院卒で医学博士・精神鑑定医というお方です。