益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

益田市の歴史的建造物

益田市の染羽天石勝神社本殿「蟇股」考。久々の発見「久文字」

今回も益田市の染羽天石勝神社(式内社)その本殿(国指定重要文化財)に関する話題です。

今回は、染羽天石勝神社本殿「蟇股(かえるまた)」について。


「え?蟇股(かえるまた)?何それ?」って人も多分多いでしょう。


「蟇股」は神社建築様式の細部における名称の一つです。


早速、実際に染羽天石勝神社本殿の「蟇股」を見てみましょう。

本殿正面の画像です。

染羽天石勝神社本殿


で、こういった形状の部分が「蟇股」とよばれる部分です。染羽天石勝神社の本殿正面部には手前と奥に計6つの蟇股が施されています。(最初の画像をご参照ください)

蟇股 中央 染羽天石勝神社本殿


「なぜ、蟇股というんじゃ?」という人もいるでしょうが、それは後で説明します。


実は、今回、益田市の染羽天石勝神社本殿の正面奥の「蟇股」である発見をしました♪


久々の発見です!!早速どうぞ!

蟇股 中央奥に久 染羽天石勝神社本殿


わかりますか?
何かの花が咲いている木の中央部に「朱色で」の字が忍ばされているではありませんか?

念のためちょっと目立つように画像加工しました。

蟇股 中央奥に久ss 染羽天石勝神社本殿


益田市の歴史にかかわる「久」の字の意味、わかりますか?
益田市民や益田市ご出身の方ならわかりますよネ!!


ヒントはこの家紋↓です。(画像は染羽天石勝神社の拝殿(神楽殿)の屋根の頂部)

上り藤に久s


上ぼり藤に久」の家紋です。
益田氏の家紋ですネ。また、益田氏の旗紋は「久文字」と称されたように
「久」は益田氏のシンボル的な文字なんです。


ちなみに、本殿正面奥の三つの蟇股はすべて同じデザイン
すべて中央部に「久」の字が忍ばされています。

染羽天石勝神社本殿を撮影した日、(今回の投稿2番目の画像にあたりますが)正面手前の中央の蟇股のデザインは何だろう?と悩んでいた際、偶然発見しました。(正面手前の中央の蟇股のデザインについては今も不明です…)

ご神職様も「(「久」の字、初めて気づいた!!」といっておられました♪


さて、話は「蟇股(かえるまた)」に、またかえりませうw

蟇股とは大蛙(おおがえる)が股を広げて、とび立つ直前の姿勢から名付けられたそうです。
もともと、上部の荷重を支える構造材ですがだんだん飾り的なものになっていったといいます。
特に、室町時代になると、蟇股の内部彫刻が発達し多様化したということです。

(参照…寺院・神社・住宅の見学必携〔総合編〕著者:下村健治 平成10年10月 株式会社 コロナ社)

では、(この際ですので)益田市の染羽天石勝神社の本殿すべての蟇股をご覧いただきましょう。

まずは本殿正面中央

蟇股fc染羽天石勝神社本殿正面中央

本殿正面(向かって)左
蟇股fl染羽天石勝神社本殿正面左

本殿正面(向かって)右
蟇股fr染羽天石勝神社本殿正面右

本殿正面の左右の蟇股のデザインは同じようです。(破損がいくつか見られます)

次に、本殿側面(向かって左側面)…まずは左側面全体のお姿
染羽天石勝神社本殿側面左

身舎(おも)の壁に2つ(2種)の蟇股が施されています。
染羽天石勝神社本殿側面s

向かって左の蟇股…植物の葉、笹でしょうか?
蟇股sl染羽天石勝神社本殿側面

想像ですが、男爵益田氏の家紋が「九枚笹」と聞きますので「笹」も益田氏にゆかりがあるものかもしれませんネ。

最後に向かって右の蟇股…ことらには魚の姿2匹、鮎でしょうか?
蟇股sr染羽天石勝神社本殿側面
鮎の遡上の様子にも見えませんか!?
激しい流れに逆らって川をのぼっていく鮎は「逞しく生きる」という面で、シンボリックな存在だったのかもしれません。
また「鮎の遡上が多い年は秋の収穫も豊作になる」という話もあるようですので…
この魚、鮎だったらいいなぁ♪

※今回は本殿背面(後ろ面)と右側面は確認していません(おそらく右側面は左側と同じ様子だと思います。)

益田市の染羽天石勝神社の本殿の現地の案内看板への疑問

今回も益田市の染羽天石勝神社(式内社)についての投稿です。

前回の投稿で、

「益田市の染羽天石勝神社の本殿(染羽町1-60)と春日氏」

にて染羽天石勝神社の本殿の案内看板について言及しました。

染羽天石勝神社本殿 説明

問題個所↓

本殿は三間社流造で、三間×三間の身舎(おも)の前に奥行一間の吹き放し板張りの庇床(ひきしゆか)をもうけ、両側のみに高欄付の縁をもちます。

と「益田市の教育委員会」作成の看板には記述されていますが…

染羽天石勝神社の本殿 側面

どうみても、身舎(おも)の側面は2間!・・・私は「土木」の世界しか知りませんが…(建築知らなくても)見ればわかります。

実は、これは、文中の「の」を「。」に修正することで「染羽天石勝神社の本殿」の(より)正確な「お姿の表現」となります。

すなわち、


本殿は三間社流造で、三間×三間身舎(おも)の前に奥行一間の吹き放し板張りの庇床(ひきしゆか)をもうけ・・・

であれば、完璧ではないです。が…(かろうじて)まぁいいか的記述に修正できます。

そもそも、三間×三間の身舎(おも)で「流造」を造ろうとするなら、
一般の三間社流造のデザイン&バランスを維持することを前提とすれば、前方の張り出した屋根の部分(特に柱による支持がない部分)が長大になるため、強度をもたせる必要があります。
これは、木造では相当な仕掛け(工夫)が必要です。

私にはそんな建築構造的仕掛け(工夫)…想像できません。


といいますか(スイマセン・・・率直に語るべきでした。)

染羽天石勝神社の本殿は前三間×横二間の基本的な作りです。

一体どうして、「本殿は三間社流造で、三間×三間の身舎(もや…意味は「母屋」とほぼ同じ)」という記載を看板にしたのでせうか?

なにより、益田市の染羽天石勝神社の本殿。天正9年(1581年)に消失し再建された建物ですが、

なぜ!板面をさいてまでも、「三間×三間の身舎(もや)」という事、そして・・・両側のみに高欄付の縁をもちます。このような構造は、重要文化財指定の建造物の中では唯一のものです。

って、特筆すべきことなのでせうか?…私はどうしても、特筆に値することとは思えないのですよ。

実は、今日も、青空だったので、お昼の時間に、益田市の染羽天石勝神社へお参りに行きましたが、もっともっと魅力的なモノがみつかるんですネ。

それは、今後、記事掲載するとして。


シンプルに益田市の染羽天石勝神社の本殿は天正年間、否、16世紀から残っている「歴史的建造物」。
それだけで十分価値は伝わるのではないでしょうか?

今回の益田市の染羽天石勝神社の本殿に関する「益田市の教育委員会」作成の看板にみられるような、事実と違うこと、誤った価値観などを軽率に看板に載せると、見る人は「無意識レベル」で違和感を覚えるものです。


ですから、「凄い!」とか「感動!」は残らず、「え~、なんで…意味ようわからん!?」といった感覚だけが残りますでしょ!?


「うんうん、それは分かった!じゃが、なにもそこまで細かい事までいわんでもエエじゃろう!?」


と思う人もいるでしょう。

でもね、「染羽天石勝神社の御本殿」は、国指定重要文化財なのですのであえて厳しいお話をさせていただきましたわけです♪

益田十景「比礼振山から」益田市の今を俯瞰してみた

益田市の佐毘売山神社を参拝後、いざ比礼振山(権現山)山頂へ!!

今回は佐毘売山神社を参拝時点で、「見島」の姿を確認できたこともあり、

「比礼振山(権現山)標高359mでは一体どんな風に「見島」が見えるやら…」

とても、ワクワクではあったのですが…

その前に!実は、比礼振山(権現山)山頂からの風景は益田市で選ばれた風景

益田十景の一つであることに言及せねばなりませんw

>>益田十景

◆益田十景「比礼振山から」



益田十景「比礼振山から」2015年2月1日益田市

益田市の比礼振山(権現山)は標高359m…東京タワーのてっぺん(333m)より26m高い場所です。
しかも山頂までは車で行けますから、とても楽に東京タワーより26m高い場所に行けるわけです。
(と考えれば、益田市の比礼振山(権現山)の価値がわかりますよネ!?)

本当は、いちはやく益田市の比礼振山(権現山)の山頂から見えた「見島」の画像を掲載したいのですが
…まずは益田十景「比礼振山から」の益田市の今の風景をお届けしましょう(あえて)

まずは、清流日本一の高津川の河口付近

益田十景「比礼振山から」2015年2月1日益田市高津川河口



ナルホド!この河口の(治水)構造では三里ヶ浜の砂浜は削られるはずですネ!

次に、益田市役所とか市民学習センター(旧 石西県民文化会館)付近

益田十景「比礼振山から」2015年2月1日益田市役所付近


益田市役所は今、耐震補強工事と称する一大リフォームを行っています。
実際、内部は、かなりクールにリフォームされています。
(ただ、肝心の入口のステップには大きな問題がありますが)


そして、見えました!推奨土木遺産「高角橋」

益田十景「比礼振山から」益田市 土木学会推奨遺産 高角橋


おおっ!五連のアーチがいいバランスで見えます。


あとは、萩石見空港の旧管制塔(現在は無人)

益田十景「比礼振山から」2015年2月1日萩石見空港無人管制塔


そして、今、益田市で一番賑やかで楽しい「ゆめタウン」

益田十景「比礼振山から」2015年2月1日益田市ゆめタウン


さらに、ゆめタウンのそばで、文句ひとつ言わずに、回転している…コレw

益田十景「比礼振山から」2015年2月1日益田市の孤独な風車


益田市のクルーンこと孤独な巨大風車。

…シムシティみたいwでしたが、ひととおり、われら益田市の益田十景「比礼振山から」の風景をご紹介しました。


次は、(ほぼ本題の)益田市の益田十景「比礼振山から」見えた「見島(山口県萩市)」についてです。

高津柿本神社2015年初詣と「柿本人麻呂」考と「万葉集」考

あけましておめでとうございます♪…なんて、「もう2015年1月6日だぞ!!」って怒られそうですが、
今年2015年の益田市の新年、元旦から4日まで大変厳しい気候でした。雨やらPM2.5やら…なかなか外に出られない環境でした。
(ちなみに雪なら徒歩でも高津柿本神社にお参りに行ったことでせう)

さて、1月5日に益田市は久々に明るくなりました。お日様が照らしてくれて気温も10℃以上。
「さすがに、今日は高津柿本神社にお参りに行かなければ…」と素直に決断できました。

おおっ、楼門に向かう参道石段からして雰囲気が違います!!(来てよかった~♪)
高津柿本神社2015年正月楼門

石段の両側には普段は見られない、藁縄と紙垂(しで)、楼門には私の好きなブルーの幕、そして画像右下には、ブルーの幕に近い色合いのジャンバーを着た方も…一生懸命、手すりをたよりに石段を進んでいきます。

益田市の高津にある「正一位柿本神社」…柿本人麿(柿本人麻呂)公をおまつりしております。

帰りに見つけた三椏(三枝)の若花 ※三枝はヤマユリ等、諸説あるようです)
三椏の若花2015年高津柿本神社にて

春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹

柿本人麻呂歌集にある原文です。正直、万葉仮名なのか漢文なのか…あるいは(それら)折衷なのか…

漢文的に見たら「23324」…かといって「万葉仮名」的解釈なら、漢文にあるような、添え字はありえない。

(そもそも、原文(万葉仮名)こんな区切り方だったのか?)

とにかく、不思議な言語体系、古代と近世のダブルフィルターによって変化(へんげ)したのが今の「解釈」では?・・・そういう疑いがつきない今日この頃です♪

…かつての日本には、漢文と万葉仮名がごっちゃで存在した「時期」があったのでせう。(平仮名が発明されるまでは…)

(「懐風藻」なんかを(よろしければ)読んでみれば雰囲気わかりますよ。)

柿本人麻呂歌集というのは、(ぶっちゃけ)古の柿本人麻呂ファンの(今でいう)同人誌です。石見相聞歌も同じです。

柿本人麻呂(柿本人麿)のキャラ設定を「柿本人麻呂歌集」や「石見相聞歌」で見出してイメージした著書や戯曲は、古(いにしえ)のヒトマロ・ファンがつくりだした柿本人麻呂(柿本人麿)のイメージが元となるので、私は、違和感を感じます。…とはいえ、全く新しい「ヒトマロ」というキャラをつくるという試みならば、それはそれでOKかなぁと思います。

柿本人麻呂(柿本人麿)について、否、そもそも「万葉集」の解釈もいろいろできる…万華鏡?的な万葉集。

万葉集の解釈が有名な国文学者…権威(者)によってつくられたものを妄信することが原点であったという日本文学史上の歴史的誤謬を今一度修正してみたくなりました。

今年は万葉仮名について今まで以上に研究してみようと思っています。当然きちんとした文章でw…別サイトですw

匹見発電所の風景でアートな心になる(益田市匹見町)

11月の最後の連休に久しぶりに益田市の匹見町に行ってきました。
目的は匹見峡の紅葉を楽しむためでした。
(匹見峡の紅葉のピークは過ぎていました…表も裏も前も)

時間にゆとりがでたので、2年ぶりに「匹見発電所」の撮影も試みることにしました。

匹見発電所の風景2014


いやぁ~毎回同じことをいいますが…パッと見、これが発電所とは思えませんよネ。
特にこんな角度で撮影すると…何かの秘密結社の集会場のような雰囲気があります。

でもこの建物は、立派な水力発電所(水路式水力発電)なのです。

匹見発電所の風景 全体2014

匹見発電所は水路式水力発電といい、水路で水を導き落差を得た水力をもとに発電します、
「自然の水の量なんて季節とかで大きな変動があるんじゃないの?」
と思うのですが…

完成年:昭和3年7月(1928年)というので今年で86歳!!
86年も前から現在も稼働中ということなので、発電量は安定しているのでは?
と考えられますよね。

また、匹見発電所は日本の近代土木遺産のランクCとなっています。
近代土木遺産等に関する詳しいことは、以前の投稿をご参照くださいませ。

※参照⇒匹見発電所:益田市に現存する日本の近代土木遺産

自然の緑の中にベージュがかった白の壁に淡いピンクの屋根。

「匹見発電所」をずっと眺めていると…(前回の投稿と同じく)今回も、やってみたくなりました。

近代土木遺産をリソースにしたわたくし的、現代アートです。

匹見発電所deアート


益田市の高津柿本神社の建造物を屋根から学ぶ(解答編)

益田市の高角山に映える柿本神社の建造物の屋根

前回の投稿:「益田市の高津川と高角橋ごしに高津の柿本神社を眺めたら」の記事の中で、「高角山 正一位柿本神社」…高津柿本神社の社殿を含めた建物・屋根がたくさん、写っている画像を掲載しました。

高角橋と高津柿本神社

そして、この画像から、
それぞれの「屋根」の本体(建造物)の名称がわかりますか?」という問題を出しました。今回はその解答編となります♪
※ご参照⇒益田市の高津川と高角橋ごしに高津の柿本神社を眺めたら

屋根から学ぶ高津柿本神社(解答編)


上に掲載した画像のなかで柿本神社をクローズアップし、各建造物の名称を朱色で記載しました。

高角橋と高津柿本神社 解説s

この画像で確認できたのは全部で7つの建造物

本殿、拝殿(幣殿と一体)、宝物殿、儀式殿、楼門、社務所…それと登廊(のぼりろう…拝殿~本殿をつなげる階段部の屋根)です。

「楼門の左下にも屋根らしきものが見えるんじゃが…?」
「おっ、気づきましたネ♪」

実は、この部分は「連鳥居」を保護する「透明のトタン屋根部」なので建造物に含めませんでした。

新たな高津の柿本神社に関するクエスチョンです♪


実は、今回の建物以外に(私が知る限り)益田市の高角山 正一位柿本神社(高津柿本神社)には、主要な建物が4つあります。


あと4つ…みなさんご存知ですか?(解答はまた後日…)

編集後記:各建物に関する記事

今回、確認できた建物の中には以前投稿(画像あり)したものがあります。
本殿
拝殿①
拝殿②(拝殿・幣殿)内
楼門(ろうもん)
よかったらご参照くださいまし♪

益田市の高津川と高角橋ごしに高津の柿本神社を眺めたら

「高津川」と「高角橋」と「高角山 正一位柿本神社」

益田市を流れる清流日本一の「高津川」
高津川下流にある土木遺産「高角橋」
そして…益田市、いや、島根県、いや、日本の至宝の一つ
高津の「高角山 正一位柿本神社

これら、益田市が誇るBIGキーワードが3つもそろった画像を撮影できました。

高津川と高角橋と高津柿本神社

いかがですか?
・清流日本一の「高津川
・JSCE土木学会の「選奨土木遺産」…「高角橋
そして、柿本人麻呂公(益田市では柿本人麿という表記も混在)を祀る
・「高角山 正一位柿本神社(高津柿本神社)
凄い画像ですよね!…だって、わたくし達が暮らす益田市のBIGキーワードが3つもそろった画像ですよ♪

「う~ん…ごちゃごちゃしとって、ワシには何がなんやらようわからん?」
「え~?…マジですか?」

確かに、益田市のキーワード欲張りすぎたかも!?…ですが、!わたくし的には大変に気に入った画像なんです。

高角山 正一位柿本神社(高津柿本神社)


特に「高角山 正一位柿本神社」…高津柿本神社の社殿を含めた建物・屋根がたくさん、そして複雑に写っていているのが素敵です♪
高角橋と高津柿本神社
※ 本殿、拝殿、楼門… あなたは、高津柿本神社の建物・屋根…どれがどの屋根だかわかりますか?
解答編は後日あらためてこのサイトで…♪
編集後記:撮影場所近くでもすごい画像が!?

撮影日:2014年9月11日
撮影場所は、ダイワボウレーヨン(株) 益田工場工務のでっかい煙突の近くです。
ダイワの煙突 益田市
晴れた日、青空の午前中が撮影チャンスです!!
実はこの大きな煙突…最近、改良というか「改造」されたのですよ!ご存知でした?
ダイワボウレーヨン…(私が子どもの頃は「大和紡績」…「だいわぼう」と呼んでいました。)

益田市の魚待鼻灯台の(ほぼ)真北に…あの島がある

益田市の灯台といえば、前回の投稿でご紹介した「高島灯台」と今回とりあげる「魚待鼻灯台(うおまちのはなとうだい)」

この画像は大浜港のそばの大谷海岸から撮影した「魚待鼻灯台」です。↓

魚待鼻灯台 益田市

「魚待鼻灯台」は、かなり特殊な位置にある!!


実は、「魚待鼻灯台(益田市)」の「ほぼ真北」に「竹島(島根県 隠岐の島町)」があるのです。
竹島と魚待鼻灯台の位置(東経)を調べたところ、

※竹島(島根県 隠岐の島町)
北緯37度14分30秒
東経131度52分00秒


※魚待鼻灯台(益田市)
北緯34度45分05秒
東経131度52分04秒

東経、僅か04秒の差です。


方位角による距離の計算をしたら、魚待鼻灯台~竹島までは約276.3kmでした。当然ですが…陸上からはお互い見えませんネ。

今回、益田市の「魚待鼻灯台」を撮影した場所
大谷海岸には太平洋戦争時のエピソードがあります。
>>益田市で漂流エピソード。日本海の対馬海流が10人の命を救ったお話

【編集後記】

この位置関係を発見したきっかけは、「高島灯台」の位置にありました。
当初は、「高島灯台」の真北に「竹島」…という話にしたかったのですが、「魚待鼻灯台」の方がより東経値が近かったので、こんな記事に仕上げました。

「高島灯台」の位置については、↓こちらの記事内に記載しています。
>>「謎の高島」のカナダ山と高島灯台(益田市 沖)

※なお、今回最初の画像でご紹介した「魚待鼻灯台(益田市)」の鼻のむこうには、
益田十景でもある「水仙の里(益田市鎌手地区)」がありますョ。

MAP・場所・航空写真:益田市の魚待鼻灯台


益田市「櫛代賀姫神社(式内社)」の本殿、懸魚と狛犬

益田市の式内社「櫛代賀姫神社」4回目の投稿です。

櫛代賀姫神社の本殿(明和2年(1765)造修築)は、平成25年6月1日に国登録有形文化財(建造物)に登録されたことでも話題になりました。

本殿の外観等は、以前の投稿
>>櫛代賀姫神社 その1(益田市内の式内社を訪ねて)
の後半部分で取り上げています。

今回は、益田市の「櫛代賀姫神社」にて私が興味を持ったコト2点。
1つめは本殿の「懸魚」、もう一つは「狛犬」です。

まずは本殿の「懸魚(けぎょ)」
懸魚 櫛代賀姫神社 益田市

櫛代賀姫神社の本殿屋根の切妻部分には懸魚が3つ施されています。ちなみに破風の頂部にある懸魚は「拝懸魚(おがみけぎょ)」といいます。「拝懸魚(おがみけぎょ)」の斜め下方左右の懸魚は「降懸魚(くだりけぎょ)」といいます。

(因みに、2つの「降懸魚(くだりけぎょ)」は本殿の桁の木口を保護という役割があります。画像をよくみれば、ご理解できると思います。)

「拝懸魚(おがみけぎょ)」を拡大してみてみましょう。
猪の目懸魚 櫛代賀姫神社 益田市
ハート形にくりぬかれている部分(2か所)があります。(わかりますか?)
このような加工をされた懸魚は形状的に「猪目懸魚(いのめけぎょ)」と呼ばれます。

懸魚の目的は、風雨から守るために設置されています。そのため、風化も進みやすい物です。

益田市の「櫛代賀姫神社」は、海(日本海)のすぐ近くの小高い山(丘)の上にあるので、この懸魚には通常より風雨の負荷も厳しいことが考えられます。・・・そのためでしょうか?
※櫛代賀姫神社の懸魚には(通常ではみられない)左右に薄い板で(支持)補強が施されています。

懸魚について長くなりました。

最後にどうしても掲載したかった画像1点。

益田市の「櫛代賀姫神社」の本殿前の「狛犬」です。塀の隙間からの撮影です。
櫛代賀姫神社 本殿 懸魚 狛犬

「櫛代賀姫神社」の鳥居のそばにある狛犬には大きさを感じました。
本殿の狛犬には「守護」のパワー、凄みを強く感じることができます。

高角橋は計画当初「 鉄筋コンクリート橋」ではなかった!?

平成23年度にJSCE土木学会の「選奨土木遺産」に認定された「高角橋」

この橋は、土木学会の視点による評価には(私も土木業界にいたので)なるほど!!
と感銘を受ける内容です。
※ご参照>>益田市の土木遺産 鉄筋コンクリートの橋「高角橋」(益田市 高津)

今回は、タイトルにもしましたが、高角橋の計画段階でのエピソード。

高角橋


益田市の高角橋は当初計画は「 鉄筋コンクリートの橋」ではなかった!?…超トリビア的話題です。
(実は、高津柿本神社についてディープに調べていたら偶然発見しました)


昭和13年9月1日発行の『高津町誌』の最後の最後に、その記述がありました。

第二節都市計画及び高角橋(785ページ)

(ニ)高角橋
大正十年、工費四万一千圓を投じて改架せられたる高角橋は、木橋にして腐朽甚だしきにつき、昭和十一年七月之を撤去し、約七十米下流に假橋を設けられたが、近々十三万圓の工費を以って新式の鐵橋を架設せらることゝなった。竣工の暁には一大偉觀を呈するであろうことが想像せられる。 
昭和13年9月1日発行の『高津町誌』(786ページより)

昭和13年頃は高角橋は「新式の鐵橋」でつくられる予定であったようです。

この件につて『益田市誌』をたよりに、高角橋の架設の記録をみると。

昭和十四年十月から工事に着手し、十七年十月には二三万円の巨費を投じて、鉄筋コンクリート・ローゼ桁、延長一九五m、有効幅員五mの近代的な頑丈な橋が完成した。

益田市誌 下巻 昭和53年6月30日発行(424ページより)

いかがでしょうか?「鉄橋」であろうが「鉄筋コンクリート」であろうが堅牢な橋ができたという結果では、何の問題は無いのです。…が!!

『高津町誌』では、近々十三万圓の工費
『益田市誌』では、二三万円の巨費

当初予算13万円⇒23万円…約1.8倍の工事費。

…私的には戦時中、時代的に「鉄」不足、コンクリートの養生のための工費、追加があっても、それを「可」とした時代背景があるのでは?と考えています。(現時点での考察はまだ浅いと思いますが…投稿しました)

高津柿本神社「本殿」を観賞(桧皮葺・唐破風造の向拝…様式:中山造)

「柿本神社本殿」の説明板(益田市教育委員会による)を読み、好奇心が芽生え、

1.高津の「柿本神社」建立に関する歴史(起源~現在地)的情報
2.柿本神社本殿の島根県指定有形文化財…建造物的価値の情報
3.社宝(重要美術品認定の『御法楽御短冊』)に関する情報


私なりに詳細に調べた内容を特集しています。

今回は、
2.柿本神社本殿の島根県指定有形文化財…建造物的価値の情報 

  本殿は正面三間、側面三間の入母屋造妻入(いりもやづくりつまいり)、桧皮葺(ひわだぶき)で、唐破風造(からはふづくり)の向拝(こうはい)を有し、津和野の方角を向いています。 
  殿内は亀井家の四ツ目結び紋を配した板扉によって外陣と内陣に区切られ、内陣の中央後方に須弥壇(しゅみだん)があり、向唐破風造屋根を戴く厨子が置かれています。

さて、本分前半(赤字)部分を要所ごとに分解してみました。

①本殿は正面三間、側面三間の入母屋造妻入(いりもやづくりつまいり)
②桧皮葺(ひわだぶき)で、
③唐破風造(からはふづくり)の向拝(こうはい)を有し、
④津和野の方角を向いています。

では、益田市「高津の柿本神社 本殿」の画像を見てみましょう。

高津 柿本神社本殿 


①「入母屋造妻入(いりもやづくりつまいり)」なのか?
妻入り:屋根の面からみて、横の壁に入り口を持つもの…当初、高津柿本神社の本殿は「春日造り」では?と思いましたが。本殿の後ろ側にも庇が施されており(※神社としては、珍しい)入母屋造と(私も)判断しました。

※構造様式的には神社建築様式というより、寺院建築様式に近いものが感じられます。「向拝」部を除けば、京都、往生極楽院(三千院)の阿弥陀堂に似ています。

※あるいは、神社建築様式「中山造」の可能性も…岡山県津山市「中山神社」をはじめとした当地の神社の本殿の建築様式と特徴が一致しています。(中山神社では唐破風造(からはふうづくり)の向拝(こうはい)もあります。)

※本当に注意深く観察するとわかるのですが、構造的には錣葺屋根です。(元来は錣葺(しころぶき)だったのかもしれません。)

いずれにしても、高津柿本神社「本殿」は大変珍しい建築様式といえます。

②の「桧皮葺(ひわだぶき)」…冬の寒い時期に撮影したせいか、「とても暖かそう」に感じました。

③「唐破風造(からはふづくり)」の「向拝(こうはい)」…は専門的で難解でしたが、よく調べてみると「唐破風造(からはふづくり)」は形状的な特徴。そして「向拝(こうはい)」は社殿の屋根の中央が前方に張り出した部分であることが分かりました。文字による説明だけでは(多分)分かりにくいと思いますので補足画像を掲載します。

※「桧皮葺(ひわだぶき)」

桧皮葺(ひわだぶき)


「桧皮葺」の屋根…見ているだけで、まるで、毛皮のような柔らかい暖かみを感じる質感です。
これだけの「桧の皮」を確保できたこと…かつての津和野藩がいかに森林資源が豊かであったことか想像できます。(一方、今後は、修復等では大変、苦労する事だろう…という予測もできますネ)

補足的画像③「唐破風造(からはふづくり)」の「向拝(こうはい)」について

高津柿本神社 本殿 解説 


補足的用語:さらに、向拝の手前には独立した「階隠し」(はしかくし)の形状も「唐破風造」であることが確認できます。

本当に、凝った造りです。まさに、益田市の至宝の一つと言えるでしょう!!

私は、これまで、神社に関わる建築用語は己の無知ゆえ、あまり気にしませんでしたが、今回気合いを入れて調べ、地元、益田市の「高津柿本神社 本殿」を眺めさせていていただき、その建造物的価値に気付きました。

  人は知る(認識する)ことにより、全く新たな価値に気づく事がある!…それが地元で卑近なモノやコトであれば、なおさら感動は高まるものだ!。とつくづく思いました。


◆本殿は「津和野の方角を向いています。」か?

最後は…

④について…高津柿本神社本殿の建築的技法には関係ないのですが…本殿が「津和野の方角を向いています。」は疑問です

本殿が向いている方向は、東西南北の「南南東」です。津和野は(高津柿本神社から「青野山」が確認できるので、その方向を頼りにすると)南南西側、となります。
唯一、④の記載…高津の柿本神社が「津和野の方角を向いています。」という表記については疑問です?

益田市の土木遺産 鉄筋コンクリートの橋「高角橋」(益田市 高津)

益田市高津川下流にかかる「高角橋」。平成23年度にはJSCE土木学会の「選奨土木遺産」に認定されています。

土木学会選奨土木遺産とは

土木遺産の顕彰を通じて歴史的土木構造物の保存に資することを目的として、平成12年に認定制度を設立いたしました。推薦および一般公募により、年間20件程度を選出しています。【JSCEのHPより引用】

JSCEのホームページによると、高角橋の評価的表現については
「全国的にも大規模で、かつ島根県では唯一のRCローゼ桁橋で、高津川に映る5連のアーチが美しい橋です。」と記述されており、益田市の「高角橋に関する説明」資料等にも類似した表現を目にします。

高角橋20150311

ですが。単に「5連のアーチ」が特徴というのなら、岡山市の旭川にかかるRCローゼ「9連のアーチ」の大原橋が規模的に大きいわけで、「高角橋」は、二番手のような感じです。…よね!?

実は、私が有する土木学会の資料によると「高角橋」の評価については以下のような記載がありました。
・5連の下路アーチは大原橋に次いで多い
・アーチリブの窪みがアクセントになる。
日本の近代土木遺産」現存する重要な土木構造物2800選[改訂版] 
平成21年4月30日 土木学会より(※当時の高角橋の評価はランクB。)

この「アーチリブの窪みがアクセントになる」というこそ!特筆して欲しい事項かと思います。
実際にご覧ください!!
高角橋 アーチリブの窪み


コンクリート素材にかかわらず「アーチリブの窪み」をもたせることで、立体感や奥行きを感じることができます。…これは、岡山市の大原橋のような一般的なコンクリート造りの構造物には無い、造詣的「趣」を施したデザイン上の工夫といえます。
よくみ見ると、この「窪み」は「」まで連続性をもって施されています。高角橋の設計者のこだわり、とか、遊び心が感じられ、実にイイですネ。

もちろん、橋の内側だけでなく、外側にも同様に「アーチリブの窪み」は施されています。

高角橋 5連のアーチ 土木学会的解釈


益田市 高角橋 アーチリブの窪みデザイン

「アーチリブの窪み」…私自身、『日本の近代土木遺産」現存する重要な土木構造物2800選[改訂版]』 から、その事を知るまでは、日常的な「高角橋」であるがゆえ、「地元の古いコンクリート橋」…程度の認識でした。
ところが、この(マニアックな)情報を知り意識して、益田市の高角橋を見てみると…
「アーチリブの窪み」が施されたデザイン…シンプルだけど何か洗練された美しさを感じます。
(RC構造物での「デザイン面の仕上げ」の造りは、益田市の豊川発電所や、匹見発電所にも感じられるものがあります。)
もしかしたら、高角橋のデザイン…「アーチリブの窪み」の施し。・・・「そがぁ~な事は、ワシはとうに知っとったでぇ!」的な人もおられるでしょう。でも、もし、「知らなかったぁ!!」という方であれば、今度、この「高角橋」を近くで見る時には、これまで気付かなかった「高角橋の美しさ」を知ることができると思いますヨ。

※ご参照(平成27年8月17日追記)
JSCE 土木学会 選奨土木遺産
選奨土木遺産選考委員会により、平成23年(2011年)に選奨された益田市の高角橋に関するページ
画像をクリックすると、JSCE土木学会さんのホームページ内の「高角橋」に関する内容を確認できますよ♪

http://committees.jsce.or.jp/heritage/node/663


MAP:高角橋

ところで、高角橋の素材は「鉄筋コンクリート製」

ここで、疑問がおこりませんか?

なぜ、鉄橋ではなく鉄筋コンクリート橋なのか?

…かなり前に調べてみたのですが…高角橋が造られた時代背景昭和17年(1942年)は
第二次大戦(太平洋戦争)中「ミッドウェー海戦」があった年です。

「鉄」は非常に貴重…戦前・戦中の軍需物資であったわけです。