以前の投稿で、益田市の蟠竜湖には江戸時代に「水神社」があったということをお伝えしました。
(高津町誌(復刻版)によると明和四(1767)年に建てられたということです)
※参照⇒蟠竜湖には昔、神社があった(益田市 蟠竜湖 水神社跡)
今回は、この蟠竜湖の「水神社」のその後について。
高津町誌での水神社に関する記述を今一度、見てみましょう。
水神社跡
所在地 高津町大字高津字水神堂
史実の大要及考證資料唯心居士の疏通せる沖田灌漑用水の水源は沖田山の背後なる湖水 蟠龍湖より流出せる者にして、此の湖水の守護を祈願する為に津和野藩主の命により小祠を建て、明和四亥年來神主兩人立会ひ毎年祭事を行へり。
祠は湖の中央築堤の上方鬱蒼たる松林中にありて此所より湖水全部を観眺すべく風光幽閑なる位置なりしが、神社整理に依り明治39年鍋島山八幡宮に合祀す。
現状 松林繁茂せる平坦面積二十坪許りの山地あり。
(高津町誌(復刻版)107~108ページ)
「神社整理に依り明治39年鍋島山八幡宮に合祀す。」とあります。
この鍋島山八幡宮…当初はどこにあるのかさっぱりわかりませんでした。
ですが、地元の先輩に詳しい方がいて、その場所について知ることができました。
場所は、高津柿本神社のすぐそば…ただし、現在その場所には明治39年に「水神社」が合祀されたという「鍋島山八幡宮」はありません。
「鍋島山八幡宮」…せめて神社跡でも!!と思ったのですが…
実は、「鍋島山八幡宮」があった山そのものが現在は存在しないのです!!
昭和40年前後に「鍋島山八幡宮」があった山は(土木工事にて、人の手で)崩されたということなんです。
「えっ、高津柿本神社の傍に、もう一つ別な山があったん?」
と不思議に思う人もいるでしょう。
益田市の高津公民館にて、昭和3年(1928年)頃の高津川の写真に、「鍋島山八幡宮」が写っているものを見つけました。
※高津公民館さんには許可をいただき掲載しています。
「えっ!?、どこ?」と思われる人もいるでしょうから「矢印」つけておきます。
具体的な場所は、現在の高津柿本神社の下にある広い駐車場あたりということです。益田市高津公民館(高津地区振興センター)と高津柿本神社の間に小山があったんですネ…
ちなみに上の写真を撮影したであろう場所(近く)で撮影した今の画像がコチラ↓
(現地は草ぼうぼうなので、河原までいけませんでした。堤防からの撮影ですのでカメラアングルはかなり異なります)
「鍋島山八幡宮」があった「鍋島山(鍋山)」の姿はありません。
「じゃあ、今、『鍋島山八幡宮』はどこにあるのか?」
高津柿本神社の楼門前から向かって右側にすすんだところに移築されています。
「(鍋島山)八幡宮が見つかったってことは、水神社もここ↑に?」
という疑問が浮かんでくるのですが…今のところわかりません。
ですが…最近になって、益田市高津の高津川沿いに独立して「水神社」の祠があることが分かりました。
次回は、高津川沿いにある「水神社」の祠についてです♪
※つづきはコチラ!!(↓)
⇒鍋島山八幡宮にあった「水神社」と「川丁の水神社」(益田市 高津)
場所:(鍋島山)八幡宮