益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

益田市のプチ秘境

鑪崎「神代の肌hornfels」 (人形峠からの日本海(益田市 飯浦町))

益田十景の一つ「人形峠からの日本海」に関連した話題。
今回、ここからの風景、「鑪崎(たたらざき)」で新たに地質学的発見をしたので投稿しました。

その名は「鑪崎(たたらざき)」


その場所とは「鑪崎(たたらざき)(益田市 飯浦町)」です。

地元の案内看板には
「鑪崎-神代の肌を残す景勝の岬‐」
持石海岸から西前方に見える恐竜の尾鰭(おびれ)に似た奇岩、洞窟で形成されている岬で、島根
県の最西端になる。近くには製鉄との関わりを彷彿させる鑪遺跡がある。
とあります。(白須鑪遺跡と呼ばれているらしい)

鑪崎(たたらざき)益田市飯浦町


この「鑪崎」、現地に陸路で行く方法がいまだわからず、いつも遠く「人形峠」からの観察(鑑賞)です。

今回のタイトル:鑪崎の「神代の肌」…新たな地質学的な発見とは!?


先日、別な目的で鑪崎周辺をズームアップして撮影していたら、偶然カメラの液晶モニターに映り込んできた風景がありました。と同時に案内板にて「鑪崎」が「神代の肌」と呼ばれる理由がわかりました。
鑪崎(たたらざき)指定 益田市飯浦町
赤い〇で囲んだ部分…縞々の独特の岩肌模様…これって、萩市須佐町の広義のホルンフェルス(hornfels)と同様のものですよネ!!…ナルホド♪神代の肌」…自然が作ったバーコード(いったいどんな情報が込められているのでせうか♪)

ホルンフェルス(hornfels)は変成岩の一種。熱による変成(接触変成作用)によって生じる接触変成岩。(ウィキペデイアより)

ズームアップして撮影した画像がコチラ↓
鑪崎(たたらざき)ホルンフェルス益田市飯浦町

やはり萩市須佐町の広義のホルンフェルス(hornfels)…独特の縞々模様…天然のバーコードですw

おまけ画像…最高倍率で撮影したものも掲載しておきます↓ 



鑪崎(たたらざき)ホルンフェルス最高倍率 益田市飯浦町 


鑪崎の「神代の(岩)肌」hornfels


広義のホルンフェルスは益田市のお隣、山口県萩市の「須佐のホルンフェルス」が(「日本の地質百選」でもあり)全国的にも有名です。しかし!ここ益田市の鑪崎にも「神代の肌」とたとえられ広義のホルンフェルス(hornfels)断崖が存在していたのです♪

Tips…鑪崎の「神代の肌 hornfels」を観察するには(条件)

これまで何十回も当地、益田十景の一つ「人形峠からの日本海」を、(いろいろな角度で)眺めているのに、今回になって初めて「鑪崎-神代の肌‐広義ホルンフェルス(hornfels)断崖」の発見となったのには理由がありました。

人形峠から鑪崎を観察する「時間帯と天候」です。ズバリ、晴れた日の午前中がおススメです。この日はわけあって、午前中、10時頃にこの地(人形峠)に訪れました。日差しが強く、くっきりと「鑪崎」の岩肌を照らし出してくれていました。ちなみに午後、夕方では、太陽が「鑪崎」の後方となるので、全体が黒っぽくなり、ホルンフェルス(hornfels)の縞々模様がわかりずらいのです。

というわけで、鑪崎の「神代の肌」広義のホルンフェルス(hornfels)の縞々模様を観察するには、晴れた日の午前中に人形峠におこしくださいませw


実は、鑪崎は島根県の指定文化財【名勝及び天然記念物】


実は鑪崎は島根県の指定文化財なのです。昭和33年8月1日に「鑪崎及び松島磁石」として島根県の指定文化財【名勝及び天然記念物】に指定されたいます。(案内板に書いときゃいいのにw)

MAP・場所(航空写真):「鑪崎(たたらざき)」



※益田十景「人形峠からの日本海」については以下の投稿をご参照くださいまし。
>>「人形峠からの日本海」益田十景 Ver.2014年5月1日

二見海岸の謎と山陰本線(※益田十景「人形峠からの日本海)


益田市の自然の風景、なかでも「海」に関しては、人形峠からみえる日本海の風景は最高です。

「人形峠からの日本海」として益田十景にもなっています。

※参照>>「人形峠からの日本海」益田十景 Ver.2014年5月1日

『二見海岸』の風景をフィーチャー♪


今回は、益田市の戸田方面から「人形峠」に向かう道の途中から鑑賞できる『二見海岸』を撮影してみました。
二見海岸 人形峠 益田十景 益田市

人形峠の高さを表現するため縦撮りでもう一枚!

二見海岸 益田十景 人形峠 縦


『二見海岸』を象徴する『二見岩』…岩のオブジェです♪

二見岩 益田市


※今回の撮影地点からの『二見岩』↑
比較※「人形峠からの日本海」益田十景 Ver.2014年5月1日掲載画像↓…人形峠側から撮影
※夫岩(たぶん)の松が見える画像が「表(おもて)」でしょうネ。

二見岩


一般的に夫婦岩といわれる岩の別名として「二見岩」と呼ばれるようです。(三重県や青森県、岩手県にも同名の岩があります)

『益田市の二見海岸』の謎


二見海岸は私のお気に入りの益田市内にある海岸の一つです。ですが…実は一度もこの海岸にいったことはありません。

なぜなら、この『二見海岸』へつながるルート(道)が未だわからないのです…。

「道なんぞ無くとも藪でも林でも、なんとか歩いて行けよ!!」というお声も聞こえてくるような気がしますが…

撮影地点と『二見海岸』の間には山陰本線が通っているのです。

二見海岸前 山陰本線 旧国鉄色車両 益田市

おおっ!!キハ40系、国鉄色の車両だ!!

MAP・場所(航空画像):益田市の二見海岸


「謎の高島」のカナダ山と高島灯台(益田市 沖)

益田市の沖10数kmの日本海に浮かぶ島「高島(たかしま)」


益田市の大浜の港から約12kmにある高島(現在は無人島)

高島に関する貴重な著作、矢富 熊一郎先生の「謎の高島」によると、
画像左端の小高い所は「カナダ山」とよばれているそうです。

謎の高島 益田市


上の画像左端の小高い所…「カナダ山」
わかりましたか?以下、益田市の高島「カナダ山」です。(撮影場所は益田市の大谷海岸)

高島 カナダ山 益田市


さて、もう一度、最初の画像、益田市の大浜の港から約12kmにある「高島」の画像

謎の高島 益田市


高島の(画像)右側の高い所にポツンと白い物体…みえますか?

最高倍率でこの部分を撮影してみました。↓

高島 灯台 益田市

おわかりでしょうか!?…灯台です。

「高島灯台(位置:北緯34度50分06秒 東経131度50分19秒)」です。

この島は、現在、無人島ですが、1975年(昭和50年3月末日)まで人が暮らしていました。

近くて最も遠い?益田市のプチ秘境「高島」


私が幼いころから、一度は訪れてみたいと思っている益田市の「高島」。
距離として10数㎞という近さにもかかわらず、その思いはいまだかなっていません。

近くて最も遠い益田市のプチ秘境スポットといえます。(私にとって…)

益田市の高島の面積は東京ドームの何個分か?


益田市の高島の面積は約0.39km²で東京ドーム(0.047km² )の約8.3個分となります。(ちなみに、竹島は女島、男島の2つの小島と周辺37の岩礁を含めた総面積約0.21km²・・・東京ドーム約4.5個分です。)

【編集後記】
今日の益田市は午前中の雨から、お昼ごろには日本海側は綺麗に晴れ、青空が広がりました。
降り続いた雨で、空気が洗われたせいでしょうか?「高島」がとてもくっきりと見えたので撮影しておきました。

・矢富 熊一郎先生の著書「謎の高島」については、折をみてご紹介いたします。

MAP:高島(島根県 益田市)


「柿本人麿伝承岩」(その2.聖なる岩)(益田市 小野地区)

前回に引き続き益田市の小野地区にある「柿本人麿伝承岩」について、
柿本人麿伝承岩とよばれる2つの大きな岩。「足型岩」と「聖なる岩」
「足型岩」については前回の投稿をご参照ください。
>>「柿本人麿伝承岩」の秘密(その1.足型岩)(益田市 小野地区)

「聖なる岩」の場所と画像


さて、今回は「聖なる岩」について
この岩は、「足型岩」から、500m。元気な人で徒歩5~6分程度の場所にあります。
(上り坂で、未舗装ですが、道幅は広いです。)
※参照ページ↓
>>「柿本人麿伝承岩」(足型岩・聖なる岩)を探る(益田市 小野地区)

「聖なる岩」はこんな感じです。(2~3年ぐらい前に撮影した画像です。)

聖なる岩と筆柿 益田市 戸田


>>「聖なる岩」の傍の「筆柿」の謎(益田市 戸田)

「聖なる岩」の伝承について


今回も「益田の民話」より知ることができました。(以下、抜粋要約)

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今から1300年以上前(…つまり7世紀ごろ。)
この地に突如、7~8歳の子どもがあらわれた。
その子は、「家もなく、両親もない。和歌の道のみ知っている。」と。

ある日、近くの山へ連れて行ったとき、その子はこの岩にあがり、
手に持った鎌の先で歌のようなものを刻んだという…

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【参照書籍「益田の民話」(2002年3月25日 益田の文化を育てる会)
P36~P37「人麿が鎌で刻んだ岩」より】

なるほど!そういうこと(伝承)だったのですネ。

次回、この「聖なる岩」に行ったときには、人麿さんが幼いころ鎌で刻んだという歌(のようなものが)見つかるかもしれません。※人麿さんの時代からして(まだ平仮名がなかったころだから)「漢字」で刻まれているはずです。

編集後記…益田市のような地方・無名の郷土歴史の学び方

益田市のように、地方で無名の地域では歴史的なもの伝承・伝説的なものに触れる機会がかなり少なくなります。しかも現状の益田市の地元メディアでも露出度はかなり低いため一般の益田市民には「知られざる」ものとなる傾向があります。

ただ、歴史的な遺跡や伝承物の意味や価値は、歴史的な情報(伝承)を何かのはずみで(笑)知ることができれば、不思議と目にはいってくるもので…地元、益田市の歴史からはじまり郷土に対する愛情も芽生えてくる市民もいるはずです。 


いいかえれば、いくら「歴史的価値がある」というモノでも、歴史的な情報(伝承)について、「無知」「未知」であれば、これといって、深く感じるものがありません。

実は、前回の「足型岩」も、事前に「9歳ごろ足跡のような窪み」という情報を得て、やっと、目に入ってきたんです。今は「なぜ、ここで、こんな伝承が生まれたのか…!?」その背景を探ることも私にとってはテーマになっていますよ♪(5年かかりました(汗)) …要は「きっかけ」ですネ。

「柿本人麿伝承岩」の秘密(その1.足型岩)(益田市 小野地区)

2つの「柿本人麿伝承岩」

益田市の戸田地区には柿本人麿伝承岩とよばれる大きな岩が2つあります。
2つの岩は「足型岩」と「聖なる岩」とよばれています。
私、ここにはかれこれ、4~5回は訪れていますが、

毎回疑問に思うこと…

「どういう理由で『足型岩』とか『聖なる岩』とよばれるようになったのか?」
>>「柿本人麿伝承岩」(足型岩・聖なる岩)を探る(益田市 小野地区)

と疑問を抱えつつも、とりわけ深く調べるわけでなく、気づけば5年近くたっていましいた。

今回、やっと「柿本人麿伝承岩」(足型岩・聖なる岩)の伝承の
内容わかりました♪今回は、まず「足型岩」について情報をシェアすることにしました。

「柿本人麿伝承岩」についての「伝承」…「足型岩」

まずは、「足型岩」の画像。撮影は2014年5月

柿本人麿伝承岩 足型岩 全体 益田市 小野地区


この画像を撮影した時点で、私が「足型岩」について知っていたことは、
人麿の「足型岩」は、

人麿の「幼少時の足跡の窪み」がある岩…ということ。のみでした。
(「伝承」としては少し魅力を感じませんネ)


(上の画像で、「幼少時の足跡の窪み」ってわかりますか?…実は、私、この画像の撮影時、初めてそれらしき窪み(2か所…両足分)に気づきました。 この記事の最後に拡大画像を掲載しておきます。)

「足型岩」の伝承とは!?

つい先日、私が尊敬する知人から「益田の民話」という絵本を貸してもらい、偶然にもその絵本の中に「足型岩」の伝承の記述があったのです!!

内容(要約)は以下のとおりです。
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足跡は人丸が9歳のころとのこと。
家の人と草刈りに行ったときはいつも(この)岩の上で遊んでいたと。
そして、一仕事終えた家の人が、人丸に「もう帰ろう」と。
すると、人丸さんは「おい」と叫んで手を三つ叩いたら…なな、なんと!!

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…続きは以下の「益田の民話」サイトで確認してくださいまし♪
⇒益田の民話「人丸さん」
(書籍は益田市の図書館とか高津公民館にあるはずです。)

【参照書籍「益田の民話」(2002年3月25日 益田の文化を育てる会)P35「人丸さん」より」】

「足型岩」の足型について

(今回は、あくまで、私なりの解釈ですョ)

おまけ画像として、私が「これが足型だろうなぁ」と感じた部分を拡大して掲載しておきます。

柿本人麿伝承岩 足型岩 足型部拡大 益田市 小野地区

あなたには見えましたか?

◆もう一つの伝承岩:「聖なる岩」
>>柿本人麿伝承岩その2「聖なる岩」についてはコチラ

編集後記…「ひとまろ」は「人麻呂」?「人麿」?
益田市では柿本人麻呂は柿本人麿と表記することが一般的です。
その理由について、地元、島根県や益田市で著名な歴史家の方々の説を耳にします。
ですが、わたくし的には腑に落ちる説明はありません。

ただ、私がいろいろ益田市の歴史、特に高津柿本神社を調べていくうちに、(現時点では仮説ですが)ヒントをみつけました。
今しばらく時を要すると思いますが、いずれこのサイトで公開しますネ♪

「聖なる岩」の傍の「筆柿」の謎(益田市 戸田)

このサイトでは以前、地元の柿本人麻呂(柿本人麿)伝説に纏わるスポットとして、
益田市の戸田地区の、とある山の中腹にある「聖なる岩」を取り上げたことがあります。
※参照 >>「柿本人麿伝承岩」(足型岩・聖なる岩)を探る(益田市 小野地区)

今回は、その岩の傍らにある「筆柿」の画像を発見したので投稿しておきます。

※出処は私のデジカメのSDカード内です。

筆柿 聖なる岩 益田市 戸田


「筆柿」は小ぶりな柿の実です。形が筆の穂先のように見えますネ。

画像の記録によると2010年1月。結構、古い画像です。早生種だという「筆柿」。時期的に終わり頃でした。
3個(3粒)残っています(最後まで残っている3粒は…かなり渋いものだったのかもしれませんねネ。)

モノクロ、シルエット風に撮れていて、なかなか味のある画像だと(自画自賛ですが(汗))思います。

益田市で「筆柿」といえば、戸田柿本神社の拝殿、向かって右にある「御神木」の「筆柿の木」は、地元益田市では結構、有名です。


ですが、「聖なる岩」といわれる柿本人麻呂(柿本人麿)の伝承岩の傍にある「筆柿」は、もっと神聖さがあるように感じられます。 …皆さんいかがでしょうか?

聖なる岩と筆柿 益田市 戸田


画像の大岩の左にある、Y字型の木が上記画像の「筆柿の木」です。

実は、この「聖なる岩」という「岩」が、益田市の戸田の歴史上、一体何の由緒があって「聖なる」モノなのか…?

今もって不明なのです。

しかし、このたび「聖なる岩」の由緒について、来月(平成26年5月)にでも、具体的な史料が復刻されるという事で、現在益田市の郷土史家達には静かな話題となっております。

私も、このサイトでレポートする予定です。
楽しみにしていてくださいネ。

※追記:2014年8月21日
「聖なる岩」の謎…地元の伝承がわかりました!!
>>「柿本人麿伝承岩」(その2.聖なる岩)(益田市 小野地区)

「柿本人麿伝承岩」(足型岩・聖なる岩)を探る(益田市 小野地区)

益田市の戸田から、有名な「中垣内の棚田」へ通じる道を進んでいく途中、道路右側に

二つの柿本人麿伝承岩 入口」(ひとまろの里小野推進(協)作成)という地図付きの案内板があります。

二つの柿本人麿伝承岩 看板 益田市小野地区


二つの柿本人麿伝承岩 地図

「柿本人麿の伝承岩」は、「足型岩」と「聖なる岩」の2つ。
早速、この看板地点から未舗装の山道を歩いて進んでみました。

まずは「足型岩

足型岩


案内ボードは、立てかけてある状態なので、この岩が「足型岩」であると断定できない状況でした。
とりあえず、別角度からも撮影。…正直、「足型岩」と呼ばれる所以はわかりません。

◆追記(2014.8.19)「足型岩」伝承の内容がわかりました!!
>>「柿本人麿伝承岩」の秘密(その1.足型岩編)(益田市 小野地区)

足型岩2


そして、「足型岩」から上り坂、山道を進むこと約500m(と案内看板に書いてあります。)

柿本人麿伝承岩の2つ目「聖なる岩」です。この岩についても、何故!?「聖なる岩」と呼ばれるのか…その理由は分かりませんでした。(調査・探索意欲が湧いてきました♪)

柿本人麿伝承岩 「聖なる岩」


そしてここには「筆柿」という柿の木がありました。
筆柿とは、「筆の穂先の形」の様な「柿の実」がなることから
名付けられたそうです。

この「聖なる岩」の目印はこの黄色い看板(手書き)

柿本人麿伝承岩の2つ目「聖なる岩」 黄色い看板

「聖なる岩」は「ひとまろ岩」ともよばれているようですネ!?
ちなみに、この看板を見落とせば…「聖なる岩」へたどり着くことはまず不可能なので注意が必要ですよ!!
【画像は2010年1月に撮影】

MAP・場所:柿本人麿伝承岩。入り口看板付近


「人形岩眺望所」奇岩!人形岩を観賞するなら(益田市人形峠)

人形峠(益田市 飯浦町)のピークにある「駕籠立て(かごたて)」という展望ポイント。
西は、飯浦港、三生島、鈩崎、東は三里ヶ浜、遠く鎌手海岸、高島…
季節や時々の天候、日本海の様子…風景が様々に変化するで、いつも何か新しい発見がある場所です。


さて、人形峠東側の眼下の岩場の中に「人形岩」という「奇岩」があることをご存知でしょうか?

実は、この岩は「見る場所」があります。

人形道を「駕籠立て(かごたて)」から、戸田方向にしばらく下ると海側に「人形岩眺望所」という案内看板(画像付き)があります。

人形岩眺望所 案内看板


ここが「人形岩」のベストビューポイントです。


ここから撮影した「人形岩」の画像です。

人形岩 益田市人形峠 海岸



高さは海面から頭のてっぺんまでで7.8メートルとのことです。


本体が黒色、肩から腰にかけて白っぽい茶の着物を羽織っている…どことなく高貴な人物がくつろいでいる雰囲気…感じませんか?

と、気持ちが和らぐような表現になりましたが…

この日の撮影現場は、陽の光にこそ恵まれていましたが、日本海からの北風と荒波の濤声…自然の力に圧倒されていました。

人形峠 夫婦岩 益田市


人形峠「駕籠立て」から小浜方面に「人形岩眺望所」過ぎ、さらに小浜方面に下った所からの見える「夫婦岩」とその周辺の海の風景。(夫婦岩は私が付けた名前です。)
【画像は2014年02月19日に再撮影】

人形峠の駕籠立からの冬の日本海の景色(益田市 飯浦地区)

益田市の飯浦(いいのうら)地区の「人形峠」。
人形は「じんぎょう」と読みます。

日本海に臨む断崖絶壁。

画像は人形峠(じんぎょう峠)の車で行ける最高地点「駕籠立(かごたて)」断崖上から撮影したもの…
屏風岩と呼ばれる大岩とその周辺の様子です。

人形峠 駕籠立から日本海



この日の日本海は荒れ模様。迫力あるシーンがとれました。

人形峠 日本海 荒波 松


日本海の荒波が凄い!それを迎えうつ岩
そしてなにより…こんな激しい環境に耐える「岩の松の木」が凄すぎる


強風の中、決死の?撮影場所はここ(赤い矢印辺り)

人形峠 撮影地点


(画像手前の線路は山陰本線です)

今回の撮影場所「駕籠立(かごたて)」…地名の由来を説明してくれる看板がありました。

駕籠立 人形峠 益田市


駕籠立(かごたて)
西は、飯浦港、三生島、鈩崎(たたらざき)(県指定天然記念物)、東は、小浜海岸、三里ヶ浜、遠く鎌手海岸、高島が一望できる景勝地で、「人形峠からみた四季の日本海」として、益田十景に選ばれている。
藩政時代、津和野藩主が、飯浦視察の時、「駕籠」を止めて、この素晴らしい景色をながめながら、しばし休息したということから「駕籠立」と言う。

【画像は2008年12月撮影】

太陽の光に恵まれた時に撮影した同地の画像。
人形峠「駕籠立」からの屏風岩【2014年2月19日再撮影】
人形峠 駕籠立てより屏風岩

水仙の里(益田市鎌手地区)の魅力

水仙の里(益田市鎌手地区)


水仙の里(益田市鎌手地区)」では鎌手海岸の「唐音の蛇岩(からおとのじゃがん)」に向けて面積約2ヘクタールの丘陵に約100万株のニホンスイセンがびっしりと育っています。

ここの水仙は地元の鎌手地区で約20年前から植え付けを始め、今のスケールになったそうです。


以前に「唐音の蛇岩(からおとのじゃがん)」を訪れた時はまだ、丘陵は伐採されたて。海が見える場所にはまだ水仙はポツリ、ポツリと自生している程度でした。まさか、「水仙の里」がこれほどスケールアップしているとは!驚きです。


ここ「水仙の里」では、こんな感じの可憐な水仙たちが

水仙アップ


草原のようにみえる斜面にびっしりと育っています。
(海に突き出した「黒い岩場」の部分には国指定天然記念物「唐音の蛇岩」があります。)

水仙の里 全体


全体画像は1枚の画像ではおさまらなかったので、2枚の画像を合成しました。(「広~い」ということをお伝えしたいわけです。)


撮影した前日の大風でスイセン達はかなり傷めつけられたということでしたが、風の影響が少なかったと思われる場所を見つけました。
それがこの画像です。「水仙の里」のほんの一部ですがゴージャスでしょ♪

水仙の里 満開


上の方に見える樹木が反り返っているのがわかりますか?…凄い風力だったんですね。
【画像は2009年02月03日撮影】

MAP・場所:水仙の里と唐音の蛇岩(益田市鎌手地区)


知られざる滝…能登の大竜頭(益田市能登地区)

益田市の美都町から野々峠を通過して能登地区方面に下っていくと巨大な岩塊を流れ落ちる滝があります。


「能登の大竜頭」
とよばれているようです。

能登の大竜頭1


(当初この地は私と父だけの秘密の秘境と思っていました)


2009年04月に再度訪れたところ…

「能登の大竜頭」という立て札が設置されていました。

能登の大竜頭 立て札


大竜頭の読み方について…「大竜頭」の読み方については、公式の文書等での確認はできていません。


ネットで「大竜頭」と検索したところ…

益田市の奥匹見峡(おくひきみきょう)に、大竜頭(だいりゅうとう)

と呼ばれる滝があるということはわかりました。


能登の大竜「」と呼んでいるのは、この滝の流れよりも、むしろ、この巨大な岩に因んでいるように思えます。
(上からしか見ることができないのですが落差は10~15メートルはあるようです。)


巨大な岩の塊に沿って流れ落ちる滝…その岩肌は本当に滑らかです。


数百年、いえ、もしかしたら数千年の能登川の流れが、この「能登の大竜頭」の巨大な岩塊の表面を磨いてきたのでしょう。

能登の大竜頭2


いつかまた、ここ「能登の大竜頭」を訪れる事があれば、是非とも滝の下方から写してみようかと。


ところで、「能登」川、下流のにある「能登(地区)」という地名…なぜここ島根県の益田市で「能登」なのか…
不思議ですよね!?


【画像は2009年04月に撮影】

MAP:能登の大竜頭


四つ山(よつやま)展望(益田市 仙道)

四つ山(よつやま)は益田市の仙道にあります。
山の大きさとしては標高200m程度ということでさほどの高さではありません。

四つ山 益田市 仙道


その名「四つ山(よつやま)」のとおり、仲良く四つ同じような高さの山が並んで見えます。

上の画像は県道309号沿いで見つけた「四つ山展望所」から撮ったものです。

四つ山展望所


車で「四つ山」を鑑賞するならこの「四つ山展望所」が一番かと(駐車スペースも確保できますし)
※案内看板を見てみましょう。

四つ山展望所 看板


白い南天の伝説」…面白そうですね。


「島根県の公式サイト」でも益田市の「四つ山」情報探してみたところ。


「みんなで作る身近な自然観察路」の中に「四つ山探勝路」というコンテンツがありました。


この山は、鎌倉時代中期に益田氏によって築かれた山城といわれ、東の尾根筋に接した一の岳を主郭として、西に二の岳、三の岳、四の岳にそれぞれ砦が築かれた郭跡が見られる。どの山も岩山で急峻な地形と崩れやすい地質のため、当時の戦いにおいては攻めにくい要害強固な山城であったと想像される。この城の城主には、益田兼弘、三隅氏の臣である須懸氏が伝えられる。

※島根県庁公式サイトの「みんなで作る身近な自然観察路」内「四つ山探勝路」より引用)

四つ山の頂上に一つづつ砦(とりで)があったのか
夜にこの4つの頂から「かがり火」が煌々と…想像するだけで堅牢な要塞的なムード

最後に、場所を変えて別角度から一枚(地元の農道より)

四つ山 農道より


四つの山が、本当にきちんと仲良く横一線に並んでいるのがよくわかりますね。


【画像撮影は2008年12月】

MAP・場所:四つ山(益田市仙道)