益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

益田市のプチ秘境

染羽天石勝神社の「幻の滝」を発見!?(益田市染羽町)

益田市の『染羽天石勝神社(本殿は国指定重要文化財)』には、かつては「滝」があったという話、皆さんは、ご存知ですか?

「『染羽天石勝神社』にはのう、昔は滝があったんじゃけぇ」

これは、今は亡き父と6年くらい前に、私が、初めてここ『染羽天石勝神社』に参拝した時に聞いた話です。


「そりゃ、すごいのう!…滝はどこにあったんじゃ?」

と(父に)尋ねたところ、


「そりゃ、知らんが…」と、なんとも、信憑性の無い話だと思いましたが、

ただ、もしも「滝」があったとすれば…それはそれで、凄い!と思いつつ、数年を過ごしていました。


このたびの一連の『染羽天石勝神社』見学参拝投稿特集の初日だったのですが。

家に帰って、どうしても「滝」のことが気になったので、

思い切ってw「染羽天石勝神社」にお電話して聞いてみました。

「お忙しいところ恐れ入ります。『染羽天石勝神社』について教えてほしいことがあるのですが…」


お応えいただいたのは、おそらく、『染羽天石勝神社』の宮司様だと思われます。

「ハイ、何でしょう?」


「実は、『染羽天石勝神社』には、かつて「滝」があったという話を聞いたのですが、どこらへんに(滝は)あったのですか?」

すると、


(染羽天石勝神社)本殿の右!」…と4文字。実にシンプルなご回答をいただきましたw

「ああ、そうですか!すると、まさか、あのチョロチョロと水が流れ落ちてる場所のことでしょうか?」


「そうそう」…と、また4文字のシンプルなご回答。


「分かりました!ありがとうございました!」


というわけで、数日後、ふたたび、益田市の『染羽天石勝神社』に見学参拝したわけです。


そして、益田市の『染羽天石勝神社』現地にて以前、「滝」があったという場所がコチラ!

染羽天石勝神社の幻の滝(益田市染羽町)


この日も、水量こそ少なかったのですが、プチ滝的状態でした。

滝の高さは、ざっと、2~3メートル。本格的な「滝」を想像していた人には、物足りないかと思います。ですが、水琴のような音が本殿まわりでささやくように聞こえてくる。この風情は、なかなかのものです。

お昼近かったのですが、ちょうど滝壺(?)に日光が差し込んでスポットライトのようでした(よかった♪)

益田市 染羽天石勝神社の滝壺


水がはねている様子。わかりますよネ!?

水量さえあれば、庭園などに見る、ミニ滝の部類になるでしょう。


益田市の神社境内に「滝」があるのは、(私が知る限り)『染羽天石勝神社』のみです。


次回は、
⇒益田市の『染羽天石勝神社』の(幻の)「滝」の名前と歴史について
です。

益田市の「洞ノ鼻」の風景と地名の謎(鎌手地区)

以前、このサイトで益田市の高島と伊勢島(岩礁)と本土の3つが確認できる画像を投稿したことがあります。

※参照⇒益田市高島の「お伊勢物語」の内容を比較してみた(冒頭部編)
リンク先の記事の後半に掲載している画像です。

実は、この画像の撮影場所から、

益田市のプチ秘境、プチ絶景といえる、とても美しい風景をみつけました。


洞ノ鼻」とよばれる場所です。

益田市 洞ノ鼻の風景1

撮影場所は、お隣の、浜田市三隅町岡見の源田山(標高263m)の麓の道路からです。
益田市 洞ノ鼻の風景2


岩場と砂浜がコンパクトにまとまっていて素敵ですネ♪

「洞ノ鼻」の地名の由来について考えてみた。

「洞ノ鼻」の地名にはどんな由来があるのでしょうか?
「鼻」というのは一般的に海に突き出した部分(地形)をいいますので特に疑問はないのですが…


「洞」について連想できる単語(熟語)は「洞窟」、「洞穴」です。
そう思って、上の画像をみたところ…(もうお気づきの人もいるでしょうけど…)

益田市 洞ノ鼻の洞


ここに「洞窟」「洞穴」のようなものが確認できます。白い粒のように見えますが、海までつながっている穴にも見えます。(もしかしたら、ただの白いゴミかもしれません!?)

【追記】3月2日(月)・・・洞ノ鼻の「洞」が(上の画像より多少)わかりやすい、画像を2月8日(日)の撮影記録で発見!!しました。

洞ノ鼻 洞の穴 益田市の風景


2015年の2月8日。益田市の日本海はとても風が強く、かなりの時化だったわけですが、何の偶然か?確かに貫通した「洞(穴)」とみられるものが(こちらの画像の方が)よく確認できますネ♪

岩山を貫通した「穴」・・・これが、「洞ノ鼻」の地名の由来に関係しているのでしょう♪…「洞」がある「鼻」というわけです(多分)

※もう少し暖かくなったら、実際に現地(洞ノ鼻)で確認してみたいと思います。

「洞ノ鼻」について地元、益田市の人に聞いてみた…

実はここ「洞ノ鼻」について地元、益田市のいろいろな方にたずねてみたのですが(たまたまでしょうけど…)誰もご存じありません。

ただお一人、(高津の)釣り好きの方に聞くと、この場所自体は(釣り場として)よくご存知で


「ああ、あそこは、わしらぁが「二つ岩」ちゅうて呼んどるとこじゃぁ…二つ大きい岩山があるろう!? じゃけえ「二つ山」ちゅうんじゃあネ。

ふ~ん…あそこは「洞ノ鼻」ちゅうていわれとる場所なんかネ?初めて知ったのう…」

という益田市の貴重な釣り場情報も知ることができました♪

「洞ノ鼻」は、地元の釣り人には「二つ山」とよばれているのですネ♪・・・「二つ山」・・・わかりやすいですよネ。

洞の鼻(益田市鎌手地区)場所地図(googleマップより)

益田市高島の「お伊勢物語」の内容を比較してみた(高島脱出編)

益田市の土田海岸沖2㎞にある「伊勢島(いせじま)」
益田市の伝説「お伊勢物語」で、高島から泳いできた、お伊勢(イセ)が命をおとしたといわれる島(岩礁)です。

伊勢島と鳥の群れ 益田市の風景

「お伊勢物語」の内容は、


①『まんが日本昔ばなし』
②『石見舟歌に生きる「おイセ」の物語』(益田市鎌手にある案内板)
③『謎の高島<復刊>』
④『益田の民話』


それぞれで、異なった描写がされています。今回はお伊勢が津田村への望郷の念がピークに達し、高島から三里(12㎞)はなれた津田村まで「泳ぎ出す」…高島脱出という行動に出るまでの内容(プロセス)について比較してみました。


地元、益田市での「お伊勢物語」では・・・

高島の風景 益田市


一周一里(約4㎞)といわれる高島の周りの海を3周(四里、約12㎞)泳げれば津田村まで戻ることができる。それを知ったお伊勢は、三周泳げるかどうかを試す。」というくだりがあります。


実は、『まんが日本昔ばなし』の「お伊勢物語」では、この内容(情報)はありません。


①『まんが日本昔ばなし』の「お伊勢物語」

(お伊勢は、毎日、毎日、迎えの船を待っていた。そして、ある日、あん様に「父母に会いとうなりました。すぐ帰ります。」と手紙を残し家を出た。)

その朝は、そのころにしてはめずらしく海は凪いでおった。
きのうと同じように海鳥が楽しげに舞い。
津田の村に向かって羽ばたいていった。

お伊勢は海に入ると、津田に向かって力いっぱい泳ぎだした。
海辺で育ったお伊勢には、三里はなれた津田村まで泳ぐ自信があった。…
(『まんが日本昔ばなし』No.0958の「お伊勢物語」)


以下②案内板『石見舟歌に生きる「おイセ」の物語』、③『謎の高島<復刊>』では、表現こそことなりますが、

高島の周りを三周泳いぐことができた。そして、喜びのあまり、そのまま津田村に向かって泳いで行った。

という内容は共通しています。


②益田市の鎌手にある案内板、『石見舟歌に生きる「おイセ」の物語』

石見舟歌に生きるおイセの物語(拡大)




ある日、島の周囲は一里(4キロ)あり、三周できると対岸に泳ぎつけることに気づいた。
波静かな日、おイセは試みに泳いだところ、島を三周することができた。
「これで帰ることができる」という喜びに疲れも忘れ、
そのまま対岸を目指し泳ぎ始めた。


③矢富熊一郎先生の著書『謎の高島<復刊>』

謎の高島




(それは)島の周囲が一里、対岸荒磯までの距離が、三里ほどあるのだから、
島の周囲を泳いで三周することが出来たら、対岸への到着は、大成功だと信じたからである。
腕に覚えのある彼女は早速これを決行にうつした。
ある天気静穏な日を選び、先ずその準備行動として、遂に島を泳いで三周することに成功した。

喜びに身をふるわせた彼女は、前後を忘れるほどの有頂天さであった。そして疲労の事も何も考えないで、そのまま対岸目指してまっしぐらに突進した。…

(『謎の高島<復刊>』第二章「高島の一瞥とおいせの伝説」P8より引用)


高島の周りを三周泳いぐことができた!! そして、喜びのあまり、そのまま津田村に向かって泳いで行った。…お伊勢はよほど望郷の念が強かったのでしょう。そしてとても嬉しかったのでしょう。


④『益田の民話』では、「三周泳ぐことができた、そして、そのまま津田村に向かって泳ぎ始めた」のまえに、泳力をつけるために毎晩トレーニングしていたという内容があります。


④『益田の民話』(2002年3月「益田の文化を育てる会」)

益田の民話 益田市の伝承・伝説資料



どれくらい泳げばよいかけんとうがつかない。
そこで島の人に、「自分の親もとまでは何里ぐらいあるんじゃろうかねえ」
と聞いたところが、「まあ、三里じゃろうねえ。」というんじゃあ。
「三里じゃとすると、この島が一里じゃから、三回泳いでまわれたら家に帰れることになる。」と思ったお伊勢さんは、それから毎晩泳ぐ練習をして、とうとう島を三周することができたんじゃ。

「これなら大丈夫。」と、うれしさのあまりそのまま親もとの方角に向かって泳ぎ出した。…

(『益田の民話』P50~51「お伊勢島」より引用)

※万一、今回の記事をここまで読んでいただけた方がおられたら…

「エッ!? アンタは、 お伊勢が「毎晩泳ぐ練習をして…を知ってほしくて、この記事を書いたんか?

あっ、はい、実は、『益田の民話』P50~51「お伊勢島」の内容こそが、私が記憶していた「お伊勢物語」だったのです。

私が小学生のころ、学校で見た「劇」での「お伊勢物語」の内容です。


※実は私、この劇をみて、長いこと

「お伊勢物語」は益田での本当の出来事だと思っておりました。


長文おつきあいいただき本当にありがとうございました。

益田市高島の「お伊勢物語」の内容を比較してみた(冒頭部編)


益田市の伝承・伝説で『まんが日本昔ばなし』にも取り上げられた「お伊勢物語」

前回は、益田市の土田海岸の沖約2㎞にある「伊勢島」の姿を中心にした内容を投稿しました。

※前回の内容はコチラ⇒益田市沖の伊勢島と『まんが日本昔ばなし』お伊勢物語の姿を見る

今回は、『まんが日本昔ばなし』を含めた3つの「お伊勢物語」の内容…微妙な内容の違いをとりあげます。

まずは、『まんが日本昔ばなし』の「お伊勢物語」
まんが日本昔ばなし~データベース~サイトで『まんが日本昔ばなし』での「お伊勢物語」を知ることができます。
※ご参照:『まんが日本昔ばなし』データベース

http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=958

実際に『まんが日本昔ばなし』No.0958の「お伊勢物語」放送日:1987年06月13日(昭和62年06月13日)をご覧になった事がある方はご存知だと思いますが、


冒頭部では、主人公である「お伊勢」がおかれていた状況(津田の村でとても貧しい家に育っていた)と高島に嫁ぐまでの経緯(いきさつ)がとても可哀そうなものとして具体的に描写されています。


・「お伊勢」の家は「(津田)村で一二を争うくらい貧しかった」
・一生懸命育てた作物(大根)も、みんなカラス達が先に齧っていく。(このシーンは特に可哀そう(涙))
・「お伊勢」は家族(老いた父母、幼い弟妹)の事を考えると、自分は一刻も早く嫁いでいかなければと感じていた…「口減らし」のためである。
・ある日、「お伊勢」の嫁ぎ先が決まる…(益田市沖の)「高島」だった。定期的な船の交通などなく、高島へ渡ってしまえば簡単には家族に会いに戻ることはできないという場所だった。


以上が『まんが日本昔ばなし』の「お伊勢物語」での内容だったわけですが、

益田市の鎌手にある案内板、『石見舟歌に生きる「おイセ」の物語』

石見舟歌に生きるおイセの物語(拡大)


また、
矢富熊一郎先生の著書『謎の高島』

謎の高島


さらに、
益田市内のいろいろな民話をあつめた大型本『益田の民話』(2002年3月「益田の文化を育てる会」)

益田の民話 益田市の伝承・伝説資料


以上、地元益田市の資料3つのには、一切、お伊勢が嫁ぐまでの情報、具体的な説明、描写はないのです!!


★順を追って確認してみましょう。

案内板『石見舟歌に生きる「おイセ」の物語』の冒頭は、

 津田村の娘おイセが高島の若者に嫁いだ。


矢富熊一郎先生の著書『謎の高島』の「おいせの伝説」の冒頭は、

ある年おいせと言う女が対岸の津田からこの島へ嫁いだ。


書籍『益田の民話』の「お伊勢島」での冒頭は、

お伊勢さんちゅう娘(むすめ)さんが、あの海の向こうに見える高島にお嫁にいったんじゃ。


「お伊勢物語」の地元、益田市の資料すべて、「お伊勢物語」の冒頭は、共通して…(いきなり)「「お伊勢」が高島に嫁いでいった。」という感じで始まっているのです。


あっ、今回の投稿、
『まんが日本昔ばなし』のストーリーテラーが素晴らしい!(脚本家の小国英雄 的な起承転結の構成で見事!)ということを、ことさら強調するものではありません。

むしろ、益田市の一次「的」伝承・伝説情報が、物語の「起」部が、なんで、こんなに、異常にシンプルなのか…

私は気になりました。

あなたはどうですか?…どんな、空想、仮説が湧きましたか?

もしよろしければ、コメントくださいまし♪


わたくし的視点では、あまりにもシンプルすぎる冒頭部の話は、

当時の益田あたりでは、津田村の貧しさは周知のとおりで、あえて具体的に表現しなくても…当時の地元益田では語り継がれるうえでは、十分理解されていたのでは…と。

高島と伊勢島と洞の鼻のこの風景…距離観。もしかしたら「お伊勢物語」は、実話ではないか?とも思えてきました。(高島から手前の砂浜まで約10㎞…ちなみに、高島から津田の海岸までは約12㎞)

益田市 高島 伊勢島 洞の鼻

益田市の「高島」と「伊勢島」そして「洞ノ鼻」付近の海岸(砂浜)の風景(撮影は2015年2月14日)

伊勢島が何処なのかわからん!という方向けに(説明付きで↓)
益田市 高島 伊勢島 洞の鼻 説明


※次は⇒益田市高島の「お伊勢物語」の内容を比較してみた(高島脱出編)です。

益田市の唐音の蛇岩(国指定の天然記念物)岩の大蛇の風景

益田市の鎌手にある「唐音の蛇岩(からおとのじゃがん)」6年ぶりに訪ねてみました。
「唐音の蛇岩」は益田市役所のHP文化財課の表を見ると現在では益田市内で唯一の国指定の天然記念物であることがわかりました。

ちなみに「唐音の蛇岩(からおとのじゃがん)」が国指定の天然記念物に登録されたのは1936年(昭和11年)12月16日ということです。

「唐音の蛇岩」は益田市の「唐音水仙公園」の先にある海岸(岩場)内にあります。

唐音海岸


『唐音の蛇岩』の場所について


益田市民でも、結構、よく間違えてるのですが…
『唐音の蛇岩』とは、ここに見える岩場(唐音の海岸)全体のことではありません。この岩場(唐音の海岸)内↓の赤線部分に「唐音の蛇岩」を見ることが出来ます。

唐音の蛇岩 国指定天然記念物 説明

当然、上の画像の赤矢印部分(白い棒のように見える物体)まで歩いていく必要があります。

赤矢印の先(白い棒のように見える物体)は標柱……「国指定天然記念物  唐音の蛇岩」と記載されています。

唐音の蛇岩 益田市の国天然記念物 説明


上の画像内の2本の赤い点線------の間が「唐音の蛇岩」です。
このさき(黄色→)の先はというとこの岩場を反対側の入江に向かって横断し、

唐音の蛇岩s1


その先海中まで続いています。

唐音の蛇岩2s


(今回は、海がとても荒れていたので、海中の「唐音の蛇岩」の風景を撮影することはできませんでした。)


『唐音の蛇岩』の案内板を読む


最後にこの「唐音の蛇岩」の案内板につて

唐音の蛇岩 説明板 益田市教育委員会


平成22年10月 益田市教育委員会 作成
案内板がリニューアルされていました。
以前の「唐音の蛇岩」の案内板はコチラ↓
※ご参照⇒唐音の蛇岩に感じる神秘(益田市鎌手地区)

※3年前に新しくなった案内板。その内容は↓

唐音の蛇岩 説明板 内容 益田市教育委員会


白い部分、白いテープで隠してありますが
古第三紀漸新世…「今から約3,000年前」…
正しくは「約3,000万年前」で「」が抜けてるだけです。

「唐音水仙公園」(益田市鎌手地区)を訪ねてみた風景 2015年2月

益田市鎌手地区にある「唐音水仙公園」…「水仙の里」とよんでいる鎌手地区で水仙が一番たくさん植えられている場所です。

当地の名称については、キーワード「水仙」と国指定天然記念物「唐音の蛇岩(からおとのじゃがん)」の「唐音」をセットにしたというのは、なかなかナイス!!な発想だと思います。


前回は、「唐音水仙公園」の風景…概観的な内容でした。

※ご参照⇒益田市の「唐音水仙公園」を6年ぶりに訪ねた風景(鎌手地区)

今回は、公園内の「水仙の花々」について語ろうと思います。

早速ですが2015年2月8日(日)の「唐音水仙公園」の水仙咲きあふれているだろうと思っていた丘陵の様子を2枚…

8s

そして…

8

当初、益田市の情報によると「唐音水仙公園」の水仙の見ごろは2月中旬くらいまで聞いていたのですが、実際には「唐音水仙公園」の丘陵地帯に水仙の花であふれるであろう風景は…とっくにピークを過ぎておりました(ガックリ…

ただ、誰を責める気もおこらない理由として…この日の気温は(車の外気温度計で3℃) 日本海から切り裂くような冷たい疾風…当然、荒波、その波頭から塩分を存分に含んだミスト(霧)と化し…動くことができない、植物、「水仙」達に容赦ないストレス(塩害)を与える…と考えると、そもそもココは日本水仙には過酷な環境ではないのでしょうか…

唐音の海岸 波煙 益田市 唐音水仙公園


それでも、ここは「益田十景」。部分的ですが…可愛い「水仙の花」を楽しめました。

「唐音水仙公園」の日本水仙(益田市鎌手地区):2015年2月8日s


「唐音水仙公園」の日本水仙(益田市鎌手地区):2015年2月8日s1



あっ!!せっかくなんで…「唐音水仙公園」のトリビア…マニアックな情報を2つご提供しましょう♪

★まず1つ目

「唐音水仙公園」は「日本水仙」を繁殖させているといいます。ですが、国指定天然記念物「唐音の蛇岩(からおとのじゃがん)」の手前の小高い山(標高3~5m程度)の西側の斜面には、ちょっと変わった「水仙」の花の群落があります。(これは6年前も気づいていました…そして今回も同じ風景がありました。)

八重咲き 水仙


八重咲き水仙」です。…スイマセン「八重」らしさがわかりませんネ↑。
でも、「唐音水仙公園」のポピュラーな日本水仙↓と比べてみると、あきらかに「花姿」が異なることはご理解いただけると思います。

「唐音水仙公園」の日本水仙(益田市鎌手地区):2015年2月8日


比較してみてください。

★そして2つ目!

「唐音水仙公園」道(益田市鎌手地区):2015年2月8


この画像は、海側、「唐音の蛇岩(からおとのじゃがん)」を背にして撮ったのですが、出発した駐車場へ新たにルートができています。(勝手ですが…山道ルートと名付けさせていただきました。)

※行きはコンクリート舗装、帰りは山道ルート(ただし、未舗装)で。「唐音水仙公園」のいろいろな景色・風景を楽しむことができるようになりました。
※ただし山道ルートは未舗装(滑りやすい)のでグリップのいい「靴」を着用した方がいいですよ!!

※来年もしくは今年の年末は、益田市の「唐音水仙公園」に関して、親切かつ正確な情報を提供してくれる、鎌手公民館(鎌手地区振興センター)とは、情報提供を細かく求め、「唐音水仙公園」の丘陵地帯が「日本水仙」で純白となった風景情報を提供しますネ♪

益田市の「唐音水仙公園」を6年ぶりに訪ねた風景(鎌手地区)

益田市の鎌手地区にある『唐音水仙公園』…本日(2015年2月8日)実に6年ぶりに訪ねてみました。

まず気づいたのが『唐音水仙公園』という名称。6年ぶりだったので、この日ここに再度来るまで、「水仙の里」という名称で記憶していました。

益田市の水仙の里「鎌手」にある『唐音水仙公園』
益田十景「鎌手の水仙の里からみた高島」として取り上げられています。

このサイトでは「水仙の里(益田市鎌手地区)の魅力」というタイトルで2009年02月03日に撮影した画像をもとに当地の風景を投稿しています。
ご参照⇒水仙の里(益田市鎌手地区)の魅力

まずは、「唐音水仙公園案内板」(入口にあたる場所、駐車場のそばに設置してあります。)
平成22年8月に設置されたもののようです。

唐音水仙公園 案内版 益田市


6年前の当地の情報では、面積約2h(ヘクタール)の丘陵に約100万株ということでしたが、平成22年8月のこの案内板が作成された時点で面積3h(ヘクタール)約200万球と規模が大ききくなっていることに気づきました。


まず、驚いたことは、この「唐音水仙公園案内板」がある場所…駐車場から、この公園の全体の風景を眺めることができるよう、海の方向の雑木林が伐採されていたこと。

唐音水仙公園 風景 益田市20150208


ちなみに6年前は、駐車場からは、本公園の風景は見ることはできませんでした。そのため、当時は本公園と海岸、国の天然記念物「唐音の蛇岩(からおとのじゃがん)」までの風景を1枚の画像におさめることができず(撮影スポットがなかった)、2枚の画像をつなぎ合わせた記憶があります。
(上のリンク先記事「水仙の里(益田市鎌手地区)の魅力」には当時作成した画像があります。)


※今回撮影した『唐音水仙公園』の画像↑を見ていただければお分かりのように2015年2月8日時点では「水仙」の花のピークは過ぎていたようです。

でも、せっかく来たのだから…6年ぶりに歩いてみることにしました。(↓この坂を下ります。)

唐音水仙公園 風景 遊歩道 益田市

トイレのわきの細い小道(コンクリート舗装になってました…ただ、単管でつくった簡易「手すり」は低すぎて役に立たず、この下りは膝にこたえました…杖(つえ)は必須ですネ)を歩いて下った場所、6年前は水仙ではなく水田跡だったところがビッシリ水仙の花でうまっていました。

唐音水仙公園 風景 益田市 水仙20150208


「おお、ここらへんの方がまだ元気な水仙があるのう♪」…水仙の、ほのかで上品な香りが漂っています。

唐音水仙公園 風景 益田市 水仙b20150208


『唐音水仙公園』のメインでは、今回は、元気な水仙の花は「ほぼ期待できない」とわかっていたので数枚、撮影しておきましたw

つづく…

編集後記

ちなみに、『唐音水仙公園』は水仙や「唐音の蛇岩」の日本海の海岸風景はもちろん、いろいろな野鳥がたくさんいることが分かりました。この小道を進むだけでも濃い青で輝く、珍しい山鳥をみかけましたよ(撮影は間に合わなかったですが…)

この日(2015年2月8日)の益田市は朝から曇りと小雪がちらつく暗い日曜日…でも海の方は青空がでて明るくなっていたので午後になって『唐音水仙公園』に行くことに決めました。

現地は、日本海側に青空も見えて、時々(逆光ですが)日がさす、という「奇跡的な風景」だ!と自分を励ましまして遊歩道を進みましたw

唐音海岸から「魚待ノ鼻」と「高山」の風景

魚待ノ鼻と須佐の高山の風景 益田市唐音海岸より


唐音海岸から「魚待ノ鼻」方面を撮ってみました(画像左上に見える構造物は「魚待鼻灯台」です。)

右にうっすらと見える山は萩市須佐町の「高山」です。

この日はとても波が荒く「怖い」雰囲気でしたが、時々さす日差しで、海面が水飴のようにみえたりして、結構いい感じでした♪

※今回(2015年2月8日)の『唐音水仙公園』公園内の遊歩道では、行も帰りも「人類」は私だけでしたw。

益田市の比礼振山(権現山)より高島(たかしま)の風景

益田市の比礼振山(権現山)からの風景…益田十景について続けますw

今回は「高島」…比礼振山(権現山)山頂から見島(山口県萩市)までの距離約70㎞(yahooMAPでの計測)と比較すれば…比礼振山(権現山)山頂からは直線距離で約18㎞(yahooMAPでの計測)ですので、被写体としては楽です…かなりw。

高島は(わたくし的には)近くて遠い「益田市のプチ秘境」です♪

早速ですが、益田市の比礼振山(権現山)からの風景…「高島」について

まずは、大草町の田園風景とあわせて、益田市の日本海沖の「高島」の姿

益田市の比礼振山(権現山)より高島と大草町の風景


次に、「魚待ノ鼻」…唐音の蛇岩、水仙の里とかがある鎌手の海岸の先にある「高島」の風景(…だんだん近づいてきましたw)

益田市の比礼振山(権現山)より高島


高島は、島根県益田市の大浜漁港から、約12kmにあります。

よく見るとポツンと白い構造物が見えます。何だかおわかりですか?
矢印&○囲みしておきました。(老眼の方のために…)

益田市の比礼振山(権現山)より高島灯台の風景


益田市民で釣りが好きで、高島に詳しい方なら容易な問いかけですが…これは「高島灯台」(位置:北緯34度50分06秒 東経131度50分19秒)です。

倍率MAXで撮影

高島灯台


こ、これは…ハッティフナット(Hattifnatt)…ムーミンのニョロニョロじゃあ、あ~りませんか!?

益田市の三里ヶ浜で夕方になれば、「高島灯台」からのピカッと閃光が確認できます。

高島は、今は「無人島」ですが、1975年(昭和50年3月末日)まで人が暮らしていました。


我が益田市の至宝!歴史的にも最高の名誉市民である「矢富 熊一郎」先生の著書
「謎の高島」には、益田市の沖に浮かぶ「高島」について、とても貴重な情報、てんこ盛りです♪


益田市の比礼振山(権現山)より、益田十景シリーズが落ち着いたらw
(いずれ)特集しましょう♪

※次回は、益田市の比礼振山(権現山)より高島(たかしま)の風景内で発見した「あの岩」についてです♪
【撮影日は2015年2月1日 デジカメはCOOLPIXP600 です】

益田市飯浦港 かつての「松島」と磁石岩の貴重画像を発見

益田市の飯浦港に「松島」とよばれる小さな岩山があります。
現在、「松島」はコンクリートによる人工的な構造物で陸地と結ばれているようですが、「島」と呼ばれているので、かつては飯浦港内に独立した「岩の小島」として存在していたのかもしれません。今回は益田市の飯浦港の「松島」について昔の画像をもとにいろいろと調べてみました。

松島 益田市飯浦港内


1.なぜこの島を「松島」と呼ぶのか?


この岩山はなぜ「松島」と呼ばれるのでしょうか?

上の画像にあるように、現在この「松島」には細い松の木が数本確認できます。

※ご参照⇒益田市飯浦港の「松島」…磁石岩の今

ですが、これくらいの松の木なら、益田市の海岸の大小無名の岩々にて結構見ることができますよネ。


実は先日、益田市誌にて、この「松島」の古い画像が掲載されていることを発見し…この岩山が「松島」と呼ばれていることに納得できました。

松島 益田市飯浦港 益田市誌より

出処:益田市誌 上巻(昭和50年12月20日発行)
P93 自然篇 第二章 地理 第四節 海岸 三 鼻と湾
写87 飯浦の松島と三生島 より

「これぞ『松島』!!」と感じませんか!?

かつては、一本の大きな松の木が育っていたようです。樹形も趣がありますネ。

(余談になりますが、画像奥の「三生島」の頂にも数本の「(松の)木」があるように見えます。)

2.小野村誌での「松島」の記述をみる


先ごろ復刻された「小野村誌」 P18に「松島」に関する記述がありました。

「松島」
飯浦西ノ浜海岸ニ斗出(突出)セル小島ニシテ、巌上ニ 一老松アリ、島ノ名之ヨリ起ル、又島頂ニ磁石岩アリ、ヨク鉄ヲ吸引ス、蓋(けだ)シ磁鉄鉱ノ成分ヲフクメルタメナラン(以下略)

『小野村誌(復刻改訂版)』平成26年3月30日発行 
編者 小野の歴史を残す会  
発行所 小野地区振興センター

第二章 社寺及旧蹟勝地 第三節 旧蹟、勝地 P18より

巌上ニ 一老松アリ、島ノ名之ヨリ起ル」…やはり、この画像の松の木が「松島」の由来であったことがわかります。

3.かつての「磁石岩」の画像も発見!!


また、益田市誌には、「松島の磁石石(じしゃくいし)」として以下の画像も掲載されていました。

松島の磁石石  益田市飯浦港 益田市誌より


出処:益田市誌 上巻(昭和50年12月20日発行)

P93 自然篇 第一章 地質 第四節 天然記念物 二 『鑪崎および松島の磁石石』
写5 松島の磁石石 より

磁石「岩」という表記が益田市の他の資料で一般的だったような気がしましたが…益田市誌には磁石「石」とあります。実際、この画像を見ると、松島という「岩山」全体というより「頂の石」に磁性(磁力)が備わっていたようですネ。
画像(写真)ですので当然「磁力」を感じることはできませんが…今や貴重な画像です。
益田市飯浦港の松島の「磁石石」には現在は磁性(磁力)はないということです。ちなみに、地元の方によると…「あの石(磁石石)は、だいぶ前じゃが、松島から落ちた…ちゅうことじゃったでぇ」というお話も伺いました…

益田市の鑪崎「神代の肌」と須佐町のホルンフェルスの風景比較

鑪崎…神代の肌ホルンフェルス(hornfels)


以前、このサイトで益田市の飯浦町の鑪崎の岩肌について、「鑪崎「神代の肌hornfels」 」というタイトルで投稿をしたことがあります。


益田市の鑪崎は陸路で探索できるルートがわからないので未だ現地にて探索調査をすることができていません。…その分、鑪崎には(私にとって)未知なる場所としての魅力があります♪

益田市の飯浦町の鑪崎のホルンフェルスを確認したのも、たまたま午前中に人形峠を訪れ、鑪崎の岩肌が日に明るく照らされた刹那「おやっ?」と思ったのがきっかけ。デジカメの望遠機能、最高倍率で鑪崎の岩肌を撮影したあと自宅のPCのモニターで確認できたのです。
その画像がコチラです↓

益田市飯浦町の鑪崎の岩肌hornfels

参照⇒鑪崎「神代の肌hornfels」 (人形峠からの日本海(益田市 飯浦町))
この岩肌のデザイン、山口県萩市須佐町のホルンフェルス(hornfels)と似た岩肌ですよね!
(ただ注意してほしいのは…山口県萩市須佐町のホルンフェルス(hornfels)として有名な縞模様の断崖は、正確には広義でのホルンフェルス。厳密なホルンフェルスの定義としては異なるものです。が、まぁ、萩市が修正しない限りは、益田市のこれもホルンフェルス(hornfels)と呼ばせていただいちゃっていいんじゃないでしょうか!?)

最高倍率での鑪崎の岩肌ホルンフェルス(hornfels)
益田市の鑪崎の岩肌hornfels最高倍率

山口県萩市須佐町のホルンフェルス(hornfels)の岩肌


「須佐町のホルンフェルス(hornfels)という岩肌をワシは知らん!!」
あっ、そうですか♪
そんな人のためにこの夏撮影した老舗(?)須佐町のホルンフェルス(hornfels)…厳密な定義のうえでのホルンフェルス(hornfels)ではないようですが・・・画像を今回掲載します。益田市の飯浦町の鑪崎のホルンフェルスと比較してみてください。
萩市須佐町のホルンフェルス(hornfels) 

たまたま観光客が映り込んでいた画像もあったので…
萩市須佐町のホルンフェルス(hornfels) 人

人の姿と比較すれば、山口県萩市の須佐のホルンフェルス(hornfels)のスケールがわかるのではないでしょうか?

ホルンフェルス…益田市の鑪崎と萩市の須佐町を比較して


益田市の鑪崎のホルンフェルス(hornfels)と須佐のそれを比較してみたところ、さすが、老舗というべきでしょうか?須佐のホルンフェルスの岩肌の方がはっきりしていますネ。
バーコードリーダーで読んでみたら…もしかして神々のメッセージがあるかも!?

MAP・場所:ホルンフェルス(hornfels)(山口県萩市須佐町)



人形峠「駕篭立て」で奇怪体験…それは人形鼻(益田市 )

益田市「人形峠」の「駕篭立て」で奇怪?体験

益田市の人形峠「駕篭立て」。人形峠「駕篭立て」からの風景は、このサイトでも何度か投稿しています。
実は、この人形峠「駕篭立て」で私は以前、かなり不思議…というか奇怪(きっかい)な体験をしています。今回はそのことについてのお話しです。

人形峠「駕篭立て」に無人の車が…

それは、人形峠「駕篭立て」。ある夏の日の日曜日の午前中。
自宅。目覚めると窓の外は、澄んだ空気・青空の日でした。「おおっ、今日みたいな日には人形峠『駕篭立て』からは益田市沖の日本海での綺麗な風景が撮れる!!」と確信。人形峠「駕篭立て」に撮影を発起し出発しました。

20分後、人形峠「駕篭立て」に到着。見れば、珍しく、先客。自家用車2台。
「ああ、益田市の方が、「駕篭立て」からの風景を楽しんでいるのだろうなぁ…」

…私と同趣向・同類の人がいる。ふふふっ♪

「これは人形峠「駕篭立て」からの風景について薀蓄談義でも交わせそう♪」と胸をふくらませつつ、2台の車に近寄ったところ…
なんと、2台の車とも無人…周りにも人の気配は全く無し。
「なんでじゃ!?」…私はとても恐ろしい気分になりました。

だって、こんな場所で、無人の車2台…どう考えても変ではありませんか!?↓

DSCN4690

まさか!?と思い…人形峠の絶壁の下を覗いてみました。…幸い、それらしき痕跡はありませんでした。一応、安心はしましたが、この奇怪な状況。私はすぐさま撮影をとりやめ、その場を立ち去りました。

手がかりは「がまかつ」…現場は「人形鼻」!!

その後、この日の私の恐怖体験について、何人かの益田市民に伝えたところ、誰も相手にしてくれません。

ですが、つい先日、今年の9月になって、とある人から今回の真相の一部始終を知ることができました。

なんと!!「車の主(ぬし)は釣り人じゃ!!」という証言

「その車の主は釣り人じゃ、奴らは、人形鼻までおりて釣りをしとるんじゃ」
「人形鼻?…マジですか?「駕篭立て」からは、だいぶ急斜面を下らないと…?」
「人形鼻まで、おりることは…ワシら釣り好きには大した事ではないけぇのう…」


…「エッ!?『ワシら『釣り人』には(人形鼻まで下りることは)大した事ではない』って…ということは、「あんた」、あそこ(人形峠)から人形鼻まで釣りのために、こんな急斜面↓をおりたことがあるかい!?しかも釣り道具担ついで…」

DSCN4845

これぞ人形峠、無人の自家用車の真相。人形鼻…魚(うお)への「先払いの「任侠」の姿勢…といふべきか
…」わが益田の釣りキチ様には…(謹んで)参った、本当に参ったのう。

編集後記…釣り人のガッツに感動!!

私は当初はびっくりし、強い恐怖心が芽生えました。
ただ、後で思い出してみると…無人
の車の1台に「がまかつ」のステッカーが貼ってあった事を思い出し…一人「苦笑い」しましたとさ♪

最後に人形鼻の釣りポイント


人形峠「駕篭立て」から決死の思いで下りてきて…なおさら、こんな場所で釣りをする!!…これが当たり前だそうです…「がまかつ」のステッカーを車に貼ってる人たち凄い!!
DSCN4844

MAP・場所(航空画像):人形鼻


益田市の飯浦沖の「三生島」を空から見ると

三生島(サンショウジマ)はどんな形なのか?


益田市の飯浦沖の「三生島」。この島の特徴はなんといってその形、「▲三角形」ですね。飯浦港や人形峠から、そして少し離れて持石海岸からみても「三角形」はっきり確認できます。「三生島」のことを「おむすび島」と呼んでいる人もいるようです。

益田市の「三生島」をいろいろな場所から撮影してみた


実際に、「三生島」を三か所から撮影した画像です。

まずは、益田市「飯浦港」の防波堤より。

三生島 飯浦港より

次に「人形峠」から
三生島 人形峠より

最後に「持石海岸」から
三生島 持石海岸より

「三生島」は実際はどのような形をしているのでしょうか?


一体、益田市の「三生島」はどのような形状をしているのでしょうか?
「そりゃ、三角形じゃろう!。あんた今、言ったじゃないか?」

ハイ確かに。…でも、それはこの島を横から見たとき…しかも陸地からです。
この「三生島」の3Dの形状…つまり立体的な形状が気になりました。


「三生島」の3Dの形状を確認するなら


「三生島」の3Dの形状を確認するなら…
「そりゃ、地元の漁師さんに頼んで、船で見るのが確実!!」
ですよね~…でも私には、そんな「財力」はありません。ハイッ!!
というわけで、「三生島」の航空写真で検証してみましょう♪

航空画像:三生島



おおっ!!三角錐です!!
四角錐なら「海上ピラミッド」的に表現しようと思いましたが…三角錐のほうがナチュラルのような気がします。(かなり、どうでもいい話にここまでお付き合いいただき感謝いたします♪)