益田市の高津柿本神社の前身となる「松崎の社殿」は1608年(慶長13年)に再建されたという記録があります。
この再建は、初代石見銀山奉行・大久保長安が携わり、長安からの奉納品「銅製六角釣灯籠」が現在も残っています。

大久保長安の奉納品「銅製六角釣灯籠」については、以前投稿しています。
>>益田市の高津柿本神社の歴史(後篇)「大久保長安 奉納 銅製六角釣灯籠」画像付

大久保長安奉納銅製六角釣灯籠s


「銅製六角釣灯籠」という名称ですが、札には『金燈篭』とかかれています。
奉納時は、金色に輝いていたことが想像できます。

今回、あらためて、この「銅製六角釣灯籠」を取り上げたのは、『高津町誌』から高津柿本神社にかかわる、ある伝説を知り「何か関係がありそう!?」と思ったからです。

その伝説の名は「龍燈の松」。なんと、この物語には「黄金の燈籠」が取り上げられているのです!!


~龍燈の松~
 柿本人麿公、鴨島に隠退後、公に歌道を学ぶために龍女―龍宮の姫―が仕えて居た。公の歿後、柿本神社の前身たる廟所(びょうしょ)鴨島へ建立せられた時、龍女は故師追慕(ついぼ)の至情(しじょう)から黄金造りの燈籠を一基献納した、萬壽(万寿)三年の大津浪で鴨島が姿を消した時、御神體とその燈籠とは高津海岸、松崎の松梢に懸って居た。松崎への社殿再建後、暫く奉務者のなかった頃、黄金燈籠は紛失してしまった。
 
 その後、柿本神社となって現地に遷されてから後、毎年節分の夜、社後の老松の頂きに燈がみえるやうになった。それは彼の龍女が故師に捧げる誠心であった。故老の中にこの燈を見たといふ人が少なくない。その松を龍燈の松と言ひ傳へて居る。

高津町誌(昭和13年9月1日)
第16章傳説 第1節 郷土の代表的傳説(ニ)燈籠の松より

松崎への社殿再建後、暫く奉務者のなかった頃、黄金燈籠は紛失してしまった。という部分を時間軸で整理してみると。
 

・「松崎への社殿再建後」とは建久年間(1190年~1198年)の出来事。
・「暫く奉務者のなかった頃」とは文禄年間(1592年~1596年)の事であろうと考えられます。

・そして(本記事の冒頭)大久保長安の「銅製六角釣灯籠」奉納が慶長13年(1608年)

以上の観点から(ここからは)私の想像です。

・この伝説話の中の「龍女―龍宮の姫―が仕えて居た~黄金造りの燈籠紛失」までの話は「独立して慶長年間以前に存在」していたのではないか!?
・紛失した黄金燈籠を補うという意味も込めて、奉納品が「銅製六角釣灯籠」となったのではないか?


と考えてみました。いかがでしょうか?

最後に…後半部の伝説話…。

柿本神社となって現地(高津柿本神社)に遷されてから後、毎年節分の夜、社後の老松の頂きに燈がみえるやうになった。それは彼の龍女が故師に捧げる誠心であった。故老の中にこの燈を見たといふ人が少なくない。その松を龍燈の松と言ひ傳へて居る。

について、現在では高津柿本神社の本殿の周辺は、随分樹木が減り、松の木は存在しませんが。

昭和の初めごろの画像には、まだ松の木らしき樹木の存在がわかります。
>>高津柿本神社の昭和10年頃の姿(画像)(益田市 高津柿本神社)

この画像を元にした「龍燈の松」(空想画)をつくってみました。

龍燈の松 高津柿本神社 伝説 イメージs


ただ、この伝説、後半部、「龍燈の松」については、ネットで検索すると類似した話がありました。(興味のある方は「龍燈の松」で検索してみてくださいネ)

推測するに、後半部は、(前半の伝説に)江戸時代の高津柿本神社時代に追加されたお話しだと思われます。