益田市の高津町にある、島根県の文化財の柿本神社(かきのもと神社)


柿本神社は、万葉の歌人である柿本人麿(かきのもとひとまろ)をまつっている神社です。

柿本人麿は、天武天皇、持統天皇、文武天皇朝に宮廷歌人として仕えていたといいます。
そして、ここ益田市には神亀元年(724年)、益田市沖にあったという鴨島という島で亡くなられたという「伝説」があります。

柿本人麿は諸説があり現在でも、特定できないという謎だらけの人物。だから、生誕地とか没した場所とかについては具体的な「一次資料」…つまりは考古学での「木簡」レベルの品が出てくるまでは、決して特定できないわけです…現在の、「証拠」のレベルは、空想というか妄想によるもので、議論の価値を感じていません。

さて、今回、ご紹介するのは、高津柿本神社に実存する「楼門(ろうもん)」について語る事にしませう。

高津柿本神社 楼門 光


               撮影:2015年4月21日

柿本神社楼門(ろうもん)は本殿、拝殿に向かう石段の中ほどに建立されています。

高津柿本神社 楼門



※楼門について調べてみました。


「楼門(ろうもん)」 とは、2階建てで1重目には縁のみを持ち、最上重に屋根を持つもの。楼門は、二階造りの門のことで、二重門も本来は楼門といった。2重の屋根のあるものとそうでないものがあるため現在は、楼門と二重門に分類されている

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

柿本神社楼門


柿本神社楼門(向かって右斜め前より撮影)

柿本神社楼門 斜め右より


この楼門の傍に「柿本神社楼門由緒」という説明看板があります。

柿本神社楼門由緒


柿本神社楼門由緒より一部引用

   現在の柿本神社は、津和野藩主亀井茲政が、延宝9年(1681)、高角山に本殿、拝殿、楼門を建立したことから始まる。楼門は神聖な神社への出入口で、殊に入念に建造されている。これは偏に津和野藩主亀井茲政の崇敬が、篤かったことが伺える。

  この楼門は、初層と上層からなり、二層とも桁行3間、梁間1.5間の三間楼門で、屋根は瓦葺きの入母屋造りである。上層には四方に切り目縁の床を張った廻縁を付け。勾欄を組み、組物は出組で、蝦尾を思わせるこぶし鼻と、柱頭の装飾的な木鼻が特徴的な折衷様式の門である。


まさに匠の技による堅牢かつ豪華なつくりの楼門です。
しかも、かなりの歴史と由緒があるようです。

益田市を代表する歴史的建造物であることは間違いありませんね♪

柿本神社 鳥居と楼門


                【撮影:2009年4月】