国登録有形文化財である澄川発電所(益田市匹見町澄川)は、「なぜ鉄筋コンクリート構造(RC構造)でつくられたのでしょうか?」
澄川発電所 本館が完成したのは、昭和18年(1943年)
実は、この前年の昭和17年(1942年)に益田市の高津にある「高角橋」が完成しています。
高角橋も鉄筋コンクリート構造(RC構造)なのです。
高角橋は平成23年度に「土木学会選奨土木遺産」となっています。
高角橋も、今回の澄川発電所も「鉄筋コンクリート構造(RC構造)」。これは偶然でしょうか?
この時期は「鉄筋コンクリート構造(RC構造)」が流行っていたのでしょうか?
答えは、時代背景…戦時中にあります。
軍事物資である鉄は、建設資材として十分に使えなかったと考えられます。
実は、岡山県岡山市に「大原橋」という昭和17年(1942年)に完成した橋があります。
「大原橋」は「高角橋」と同じ年に完成した橋です…
「大原橋」について、岡山県土木管理課が運営している「おかやまの歴史的土木資産」というサイトがあります。この「17.大原橋」に関する説明文のなかに、
「鉄筋コンクリートのアーチ型の橋が9つ連なり、その東には鉄橋がつながっています。」
とありました。
「鉄筋コンクリートのアーチ型の橋が9つ連なり…」の様子。
よくみると、見た目(形状)が「高角橋」とかなり似ています。
※下の画像(キャプチャー)は、「おかやまの歴史的土木遺産 17.大原橋」のページです。(画像をクリックすれば、本ページの内容が見れます)
「おかやまの歴史的土木遺産 17.大原橋」…岡山県教育委員会さんの解説文を読んでみましょう。
大原橋は、岡山市玉柏から牟佐(むさ)に向かう県道が旭川を渡る地点に架けられている長さ430m余りの橋です。
昭和9年の室戸台風によって、以前の木橋が流され、昭和11年に新しい橋の工事が始まり、総工費28万円をかけて昭和17年に完成しました。
鉄筋コンクリートのアーチ型の橋が9つ連なり、その東には鉄橋がつながっています。
もともとの計画は、全部鉄橋を架ける予定だったのを、太平洋戦争が起こったため、鉄不足となり、コンクリートに変更されたともいわれます。
ローゼと呼ばれるこうした形の橋が9つ連なるのは、戦前のものとしては日本一で、見事な景色を作り出しています。
出典:「あなたの街の近代化遺産ガイドブック」岡山県教育委員会
※参照: ⇒おかやまの歴史的土木遺産 17.大原橋
岡山の「大原橋」の「もともとの計画は、全部鉄橋を架ける予定だったのを、太平洋戦争が起こったため、鉄不足となり、コンクリートに変更されたともいわれます。」
※実は「高津町誌」に、「高角橋」も計画当初は「鉄橋」でつくられる予定であったということがうかがえる表記があります。
※参照(過去記事)⇒高角橋は計画当初「 鉄筋コンクリート橋」ではなかった!?
◆
スイマセン!話しが、だいぶ高角橋等に偏ってしましましたが、澄川発電所も同様の背景により、「鉄筋コンクリート構造(RC構造)」で建てられたと考えらます。
時代背景、戦時中、鉄不足ということから、この時期、建てられた構造物は「鉄筋コンクリート構造(RC構造)」にするという方針があったのでしょう。
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