前回に引き続き、益田市の匹見町澄川にある中国電力「澄川発電所(すみかわ はつでんしょ)」について、
今回は、澄川発電所 本館の内部を見てみましょう。
澄川発電所 本館内部の画像です。
鉄筋コンクリート構造(RC構造)です。
太い柱、屋根、屋根(天井)を支える梁…すべてが「鉄筋コンクリート」でできています。
とても重厚な感じがしますね。
せっかくなんで、今回の見学会で、鉄骨造り(S造)ということがわかった
豊川発電所の内部構造と比較してみてください↓
※豊川発電所は、躯体が「鉄骨造(S造)」なので、今回の澄川発電所の内部構造に比べ、かなり華奢な感じがすることがわかると思います。ちなみに、前回の投稿で取り上げた、広島県の大久野島の(ディーゼル)発電場跡」(1920年代築)も↑豊川発電所(昭和3年(1928年)9月に完成)同様の鉄骨造(S造)です。
我が●日本での、昭和時代初期の比較的大きな建造物は、戦前である1920年代では鉄骨造(S造)が主流だったのに、1941年以降…戦時下になると鉄筋コンクリート構造(RC構造)となる傾向があるように思われます。
なぜだかわかりますか?(そのあたりは、今後の投稿でw)
澄川発電所の天井に思う
話を澄川発電所の内部構造にもどしましょう。
壁や柱は白く塗装されていますが、
天井と梁は打放しコンクリート(コンクリート面がむき出し)となっています。
この天井部を拡大してみましょう。
型枠(木製)のあとが見えます。わかりますか?
では、ちょっと画像を加工してみましょう。
どうでしょうか? 型枠…木の板があったと思われる「筋」が見えますよネ。
澄川発電所の内部、特に鉄筋コンクリート構造(RC構造)を見ていると、以前どこかでみたような気がしてきました…「高角橋」です。
高角橋と澄川発電所…同じRC構造
澄川発電所 本館が完成したのは、昭和18年(1943年)この前年昭和17年(1942年)に益田市の高津にある「高角橋」が完成しています。
どちらも鉄筋コンクリート構造(RC構造)です。
高角橋の橋桁を下から見てみましょう。
そして橋脚
橋脚を拡大してみると、コンクリートの型枠(木枠)の跡(縦の筋)があります。
RC構造の型枠(木枠)について
参考までに、当時のRC構造の型枠(木枠)の現場写真を掲載しておきます。
この画像は昭和26年(1951年)7月に完成した高角橋の「扛上竝びに継足工事」(嵩上げ工事とか延長工事とかいう表現をみますが、「扛上竝びに継足工事」が正式名称です)の際、撮影されたものです。
※扛上(こうじょう)、竝びに(ならびに)と読みます。
この画像は、昭和26年(1951年)7月に完成した高角橋の「扛上竝びに継足工事」の際の須子側の新しい「橋台」であろうと推測しています。(橋脚とは構造が異なります。)
…ちなみに、かなりマニアックですがw木枠の方向が初期高津の橋では「縦」であるのに対し、「扛上竝びに継足工事」の際には新規の橋脚・橋台とも「横」となっています♪…トレビアレベルのかなりマニアック…フェチな情報です。)
高角橋の「扛上竝びに継足工事」の時期は、終戦後となりますが、当時のRC構造の基本技術はさほど変わらなかったのではと思い、掲載いたしました。(ご了承くださいまし)
澄川発電所も、段階的に鉄筋の周りに木製の型枠を組み、コンクリートを養生しながら建てられていったのです。
コメントする