前回に引き続き、平成27年8月2日の「中国電力株式会社 水力発電所見学ツアー」(主催は益田市教育委員会さん。正確には「益田市教育委員会 文化財課さん」、共催は中国電力 株式会社 益田電力所さん)


この日の2番目の見学地は「澄川発電所(すみかわ はつでんしょ)」…益田市の匹見町澄川にあります。


早速ですが、益田市匹見町の澄川発電所、その外観です。

澄川発電所 外観


澄川発電所ができたころの我が国「日本」


澄川発電所が完成したのは昭和18年(1943年)とのことです。(今年(2015年で72歳ですネ)

時代は戦時下(太平洋戦争)、この年の4月には 山本五十六大将が米軍機の攻撃で戦死、12月には旧帝国陸軍による初めての学徒出陣といった出来事がありました。


因みに、ここ益田市関連では、この年(昭和18年)の1年前の昭和17年(1942年)に「高角橋」が完成しています。
※初期(扛上(こうじょう)並びに、継ぎ足し工事)の「高角橋」ですョ!!

ご参照⇒益田市の土木遺産 鉄筋コンクリートの橋「高角橋」(益田市 高津)


澄川発電所にはこれまで3回以上、来ているのですが、このサイトでは一度も取り上げたことがありません。

その理由は、この外観から(勝手に)「比較的新しい発電所なんだろう」と思い込んでいたためです。

そして、自分の中では澄川発電所に「歴史的建造物」という価値を感じていませんでした。

ところが、今回のツアーで、澄川発電所が完成したのは昭和18年(1943年)…戦時下、大変な時代背景のなかで建設されたということを知ったとたん見る目がかわってきました。


さて、もう一度、澄川発電所の外観を見てみましょう。

澄川発電所 外観2


建物的には、デザイン面で特筆するところはありません。

この「デザイン面でに注目すべき点がない」というところが、澄川発電所本館がつくられた時代背景…戦時下であることを物語っています。今回、見学させていただいた、他の2つの発電所(豊川発電所、匹見発電所)に比べ、とても「地味、質素」な感じがします。

ですが…このことをもってして、建築「様式」…建築デザイン界の述語「モダニズム建築」として「価値づけ」をするのは、ちょっと無理がありますね。(ぱっと見は、似てますが…w)

万一、納得できないなら「モダニズム建築」として有名な世界の建造物の「画像」を見てみることをおススメします。

(※あわせて、当時に建てられた他の発電所などの画像なども探してみてください。例えば(1920年代築になりますが)広島県の大久野島の(ディーゼル)発電場(鉄骨造(S造))跡」をみても、外観は(質素な)「箱」です。この有名な建物をもってしても、(それを)「モダニズム建築じゃ!!」という表現で語る人はおらんのです。)

くどいようですが…)澄川発電所にはモダニズム・・・といった設計者の「意図」はなく、歴史的(背景)…「必然」があったのです。

今回の参加者、益田市民(年配の女性)の「つぶやき」…

「そりゃ、戦時中じゃけぇ、デザインとか必要ないけぇね~!!」

というお言葉には、とても共感できました。


澄川発電所…その内部に感じた魅力

今回、初めて澄川発電所の内部を見せていただきました。

早速ですが画像です。

※前回の豊川発電所と同様に、発電機等の発電施設の撮影は中国電力株式会社さんより「禁止」とされています。


澄川発電所 内部1


中に入って初めてわかりました…「澄川発電所」が国登録有形文化財とすべき本来の理由が…


「こっ、これは、本当に価値ある建造物じゃ!」と評価を大きく上方修正しました。

澄川発電所 内部2


この建物は昭和18年(1943年)頃の日本の鉄筋コンクリート構造…※当時の日本のRC構造の「粋を結集した建物」なんですね。


※RCとは:Reinforced-Concreteの略。Reinforced(強化・補強された)-Concrete(コンクリート)といったところでしょうか。


澄川発電所 本館(登録有形文化財 第32‐0171号)の「証(あかし)」

澄川発電所にあった、登録有形文化財(文化庁)の証です。
前回の豊川発電所:第32-0170号の連番であることがわかります。


澄川発電所 登録有形文化財 益田市

次回は、「この建造物は貴重な国民的財産です」について、もう少し詳しく澄川発電所 本館内部の魅力について画像満載で解説することにしませう。

★澄川発電所の場所(益田市匹見町澄川)