先日、益田市立図書館で偶然、『石見益田人名風土記』という本をみつけました。

『石見益田人名風土記』…この本は著者は高橋正喜氏、昭和42年(1967)7月25日に「益田郷土史会」により発行されたものです。益田市の歴史に関わる様々な人物に関して記述されています。


その中の一人に「徳川夢声(とくがわむせい)」の名がありました。

以下その内容(引用)です。

徳川夢声(とくがわむせい) 

名は駿雄と言い明治27年4月13日益田折戸住警察官福原庄次郎(下本郷福原家生まれ)の子として出生し4才の時、津和野へ移住し間もなく上京した夢声は、始め無声映画の活動弁士として世に出た。

而し映画の世界も急速に進んで、「トーキー」の時代となるや映画俳優に転向した。

更に、テレビラジオの名漫談家として名声を博し其の間5度益田に帰省しているが、偶々昭和40年11月3日筆者等が、郷土史家の矢富熊一郎先生の顕彰碑を柿本神社の境内へ建立し、除幕式へ招待せられ、夢声は祝辞を述べている。

尚夢声は昭和36年当時益田市制10周年記念行事の一つとして、市長伊藤正男の依頼を受け秀作

「石見益田は日本一よ」

の益田音頭を作詞している。

【石見益田人名風土記】 180~181ページより引用


この本での「徳川夢声」に関する内容と、

以前投稿した

⇒徳川夢声のCD。そして生誕地の案内板を発見(益田市本町)

で掲載した「徳川夢声生誕地」という案内板(平成18年3月 益田市教育委員会 設置)

徳川夢声 生誕地

を比較してみると、内容に違いがみられました。


『石見益田人名風土記』では

明治27年4月13日益田折戸住警察官福原庄次郎(下本郷福原家生まれ)の子として出生し4才の時、津和野へ移住し間もなく上京した夢声は・・・

一方、「徳川夢声生誕地」の案内板には、
一才で母の郷里津和野町へ転居。三歳で祖母、母と共に上京。


津和野へ移住(転居)、そして上京した時期がともに異なります。
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※追記(2015年4月14日)
徳川夢声の幼少期の生い立ちについては、
濱田研吾氏の書籍『徳川夢声と出会った』(晶文社 発行:2003年12月25日)で調べてみました。

今回参照したのは書籍『徳川夢声と出会った』の最後にある「資料編 徳川夢声略年譜」です。
本件と該当する部分を抜粋引用します。


・1894(明治27)年
 4月13日、島根県美濃郡益田町イ85に生まれる。本名、福原駿雄。

・1895(明治28)年
 父庄次郎の転勤により津和野へ転居。

・1897(明治30)年 3歳
 母ナミと祖母フサに連れられ上京。

以上、『徳川夢声に出会った』(晶文社 2003年12月)「資料編 徳川夢声略年譜」188ページより

この徳川夢声略年譜によれば、津和野に転勤したのは、1歳の時となります。父庄次郎の転勤により津和野へ転居とあります。(因みに、益田市教育委員会による案内板には「母の郷里津和野へ転居」とあります。)

上京したのは1897(明治30)年 徳川夢声が3歳の時となっていています。

※以上、2015年4月14日の追記です。
書籍『徳川夢声と出会った』の「資料編 徳川夢声略年譜」を当該情報を見る限りでは、益田市教育委員会による案内板の内容は合致しています。
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また、益田市に帰郷した回数についても、「石見益田人名風土記」では「テレビラジオの名漫談家として名声を博し其の間5度益田に帰省しているが・・・」とあり、「徳川夢声生誕地」の案内板には、「上京後、益田へも度々帰郷した。」

「石見益田人名風土記」では「5度」とはっきりとした回数の記載がされています。

※この内容に違いに、(個人的に)特に大きな問題を感じているわけではありませんが、一応、比較資料になればと思い投稿しています。

益田市で撮影された徳川夢声


また、『石見益田人名風土記』では「徳川夢声氏」が写っている、とても珍しい画像1枚がありました。

柿本神社での徳川夢声19651103


この画像(写真)は徳川夢声氏が昭和40年11月3日、矢富熊一郎先生の顕彰碑の建立、除幕式の際、祝辞を述べている光景です。(矢富熊一郎先生の顕彰碑は高津柿本神社入口の鳥居を向かって左側奥にあります。)

高津柿本神社で撮影されたようですネ。柿本人麿(柿本人麻呂)が描かれた掛け軸が中央に、その右に徳川夢声氏の姿が見えます。

益田市内で撮影された徳川夢声氏の写真(画像)はとても珍しいのでは?と思いました。

それ以上に、あの徳川夢声氏がいったいどんな祝辞を述べられたのか?…その内容は?そしてどんな語り口調だったのか?そして「間」はどんな塩梅で・・・とても興味がわきます。