今回も益田市の染羽天石勝神社(式内社)その本殿(国指定重要文化財)に関する話題です。
今回は、染羽天石勝神社本殿「蟇股(かえるまた)」について。
「え?蟇股(かえるまた)?何それ?」って人も多分多いでしょう。
「蟇股」は神社建築様式の細部における名称の一つです。
早速、実際に染羽天石勝神社本殿の「蟇股」を見てみましょう。
本殿正面の画像です。
で、こういった形状の部分が「蟇股」とよばれる部分です。染羽天石勝神社の本殿正面部には手前と奥に計6つの蟇股が施されています。(最初の画像をご参照ください)
「なぜ、蟇股というんじゃ?」という人もいるでしょうが、それは後で説明します。
実は、今回、益田市の染羽天石勝神社本殿の正面奥の「蟇股」である発見をしました♪
久々の発見です!!早速どうぞ!
わかりますか?
何かの花が咲いている木の中央部に「朱色で久」の字が忍ばされているではありませんか?
念のためちょっと目立つように画像加工しました。
益田市の歴史にかかわる「久」の字の意味、わかりますか?
益田市民や益田市ご出身の方ならわかりますよネ!!
ヒントはこの家紋↓です。(画像は染羽天石勝神社の拝殿(神楽殿)の屋根の頂部)
「上ぼり藤に久」の家紋です。
益田氏の家紋ですネ。また、益田氏の旗紋は「久文字」と称されたように
「久」は益田氏のシンボル的な文字なんです。
ちなみに、本殿正面奥の三つの蟇股はすべて同じデザイン。
すべて中央部に「久」の字が忍ばされています。
染羽天石勝神社本殿を撮影した日、(今回の投稿2番目の画像にあたりますが)正面手前の中央の蟇股のデザインは何だろう?と悩んでいた際、偶然発見しました。(正面手前の中央の蟇股のデザインについては今も不明です…)
ご神職様も「(「久」の字、初めて気づいた!!」といっておられました♪
さて、話は「蟇股(かえるまた)」に、またかえりませうw
蟇股とは大蛙(おおがえる)が股を広げて、とび立つ直前の姿勢から名付けられたそうです。
もともと、上部の荷重を支える構造材ですがだんだん飾り的なものになっていったといいます。
特に、室町時代になると、蟇股の内部彫刻が発達し多様化したということです。
(参照…寺院・神社・住宅の見学必携〔総合編〕著者:下村健治 平成10年10月 株式会社 コロナ社)
では、(この際ですので)益田市の染羽天石勝神社の本殿すべての蟇股をご覧いただきましょう。
まずは本殿正面中央
本殿正面(向かって)左
本殿正面(向かって)右
本殿正面の左右の蟇股のデザインは同じようです。(破損がいくつか見られます)
次に、本殿側面(向かって左側面)…まずは左側面全体のお姿
身舎(おも)の壁に2つ(2種)の蟇股が施されています。
向かって左の蟇股…植物の葉、笹でしょうか?
想像ですが、男爵益田氏の家紋が「九枚笹」と聞きますので「笹」も益田氏にゆかりがあるものかもしれませんネ。
最後に向かって右の蟇股…ことらには魚の姿2匹、鮎でしょうか? 鮎の遡上の様子にも見えませんか!?
激しい流れに逆らって川をのぼっていく鮎は「逞しく生きる」という面で、シンボリックな存在だったのかもしれません。
また「鮎の遡上が多い年は秋の収穫も豊作になる」という話もあるようですので…
この魚、鮎だったらいいなぁ♪
※今回は本殿背面(後ろ面)と右側面は確認していません(おそらく右側面は左側と同じ様子だと思います。)
コメント
玄人はだしならぬ
神職はだしですね!
yamaseichan様へ
いつもコメントありがとうございます。
益田市にもどったころは、神社の事についてはほとんど何もしりませんでした。
前のブログからなんですが、
神社や歴史的建造物に関する投稿をするようになって、
(いろいろ調べつづけているうちに)
だんだん詳しくなったというか、「調べ方」がわかってきました。
益田市には映画館はありませんがw
古い神社やお寺はまだまだ、たくさんありますので
参拝、見学先はまだまだあるようです。
染羽天石勝神社についてはあと数記事投稿する予定です♪
今後ともどうぞ、よろしくお願いいたします。