益田七尾山 住吉神社の歴史

益田市の住吉神社はいつごろ誰によって「この地(益田市の七尾山)」に建造されたのでしょうか?
拝殿そばにある「益田七尾山 住吉神社御神徳記」内の「御鎮座」の部分によると

住吉神社 御鎮座
(益田七尾山)住吉神社の御鎮座は益田越中守兼高 源頼朝に帰し 源義経に属して 一ノ谷 壇ノ浦の参戦において偉功を立て 石見の守護とな て第八十二代 後鳥羽天皇の御世 建久三年景勝の地当七尾山に築城と共に御鎮座…

とありました。

益田市誌(上巻)にもっと詳しい経緯が記されていた!!

益田市誌(上巻:昭和50年12月20日発行)にて、もっと詳しい経緯がわかりました。

藤原(御神本)国兼が初めて石見の国司として石見国へ赴任の際、海を航して下向したが、途中大時化に出遭い身の危険を感じた彼は、海神の住吉神社に航海の安全を祈った。無事着任することが出来たので、住吉ノ神の加護を感謝した国兼は、これを勧請して※上府の地に社を建造した。建久年間益田の地に転じた兼高は、七尾城の中腹にこれを移転して、城山鎮護の神とし、祖神国兼を祀る御神本神社を益田大谷、祇園神社を七尾場内に奉斎した。

出展:益田市誌 上巻(昭和50年12月20日発行)
P421 歴史篇 第5章 鎌倉時代 第9節 鎌倉期の社寺と文化 住吉神社 より

おおもとは「上府の地」で建造された

上記益田市誌からの引用文にあるように。(益田七尾山)住吉神社は、当初、藤原(御神本)国兼により「上府の地」で建造されたということです。
「上府の地」とは現在の浜田市上府町です。上府は「かみこう」とよみます。


その後、御神本国兼の曾孫にあたる益田兼高により、現在のこの地、益田七尾山に移転されたことがわかりました。


浜田市上府町(かみこう町)の場所はコチラ↓

MAP・場所:浜田市上府町(かみこう町)

編集後記…益田氏について
私は益田氏についてはあまり関心がなかったのですが、益田七尾山 住吉神社についていろいろと調べるうちに大変興味がわいてきました♪
今回は(本文では取り上げていませんが)、益田氏の祖先にあたる御神本国兼が現在の浜田市の上府(かみこう)に国司として赴任していた事がわかりました。さらに「御神本」という姓(私はかねてからこの「御神本」という姓に興味を持っていましたが)実は「地名」であったこともわかりました。