2つの「柿本人麿伝承岩」

益田市の戸田地区には柿本人麿伝承岩とよばれる大きな岩が2つあります。
2つの岩は「足型岩」と「聖なる岩」とよばれています。
私、ここにはかれこれ、4~5回は訪れていますが、

毎回疑問に思うこと…

「どういう理由で『足型岩』とか『聖なる岩』とよばれるようになったのか?」
>>「柿本人麿伝承岩」(足型岩・聖なる岩)を探る(益田市 小野地区)

と疑問を抱えつつも、とりわけ深く調べるわけでなく、気づけば5年近くたっていましいた。

今回、やっと「柿本人麿伝承岩」(足型岩・聖なる岩)の伝承の
内容わかりました♪今回は、まず「足型岩」について情報をシェアすることにしました。

「柿本人麿伝承岩」についての「伝承」…「足型岩」

まずは、「足型岩」の画像。撮影は2014年5月

柿本人麿伝承岩 足型岩 全体 益田市 小野地区


この画像を撮影した時点で、私が「足型岩」について知っていたことは、
人麿の「足型岩」は、

人麿の「幼少時の足跡の窪み」がある岩…ということ。のみでした。
(「伝承」としては少し魅力を感じませんネ)


(上の画像で、「幼少時の足跡の窪み」ってわかりますか?…実は、私、この画像の撮影時、初めてそれらしき窪み(2か所…両足分)に気づきました。 この記事の最後に拡大画像を掲載しておきます。)

「足型岩」の伝承とは!?

つい先日、私が尊敬する知人から「益田の民話」という絵本を貸してもらい、偶然にもその絵本の中に「足型岩」の伝承の記述があったのです!!

内容(要約)は以下のとおりです。
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足跡は人丸が9歳のころとのこと。
家の人と草刈りに行ったときはいつも(この)岩の上で遊んでいたと。
そして、一仕事終えた家の人が、人丸に「もう帰ろう」と。
すると、人丸さんは「おい」と叫んで手を三つ叩いたら…なな、なんと!!

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…続きは以下の「益田の民話」サイトで確認してくださいまし♪
⇒益田の民話「人丸さん」
(書籍は益田市の図書館とか高津公民館にあるはずです。)

【参照書籍「益田の民話」(2002年3月25日 益田の文化を育てる会)P35「人丸さん」より」】

「足型岩」の足型について

(今回は、あくまで、私なりの解釈ですョ)

おまけ画像として、私が「これが足型だろうなぁ」と感じた部分を拡大して掲載しておきます。

柿本人麿伝承岩 足型岩 足型部拡大 益田市 小野地区

あなたには見えましたか?

◆もう一つの伝承岩:「聖なる岩」
>>柿本人麿伝承岩その2「聖なる岩」についてはコチラ

編集後記…「ひとまろ」は「人麻呂」?「人麿」?
益田市では柿本人麻呂は柿本人麿と表記することが一般的です。
その理由について、地元、島根県や益田市で著名な歴史家の方々の説を耳にします。
ですが、わたくし的には腑に落ちる説明はありません。

ただ、私がいろいろ益田市の歴史、特に高津柿本神社を調べていくうちに、(現時点では仮説ですが)ヒントをみつけました。
今しばらく時を要すると思いますが、いずれこのサイトで公開しますネ♪