益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

4月の万葉植物園の黄色と鯉のぼりの風景(益田市の県立万葉公園にて)

益田市の高津地区にある県立万葉公園

その中には「万葉植物園」と呼ばれるエリアがあります。
現地の案内板をみると「万葉植物園」には万葉の歌に登場する130種類以上の植物が植栽されているそうです

万葉植物園 益田市高津s


4月12日 日曜日、地方選挙の投票をすませた後、ここ「万葉植物園」を訪れました。


この日、益田市の天候は曇りでしたが、明るさはまずまず。


「さて、今日は「万葉植物園」ではどんな花がみれるかいのう!?」


「やすらぎの家」でお茶を御馳走になり「万葉植物園」に向かいました。

最初に目に入ったのは「ミツマタ(三椏)」の花

益田市万葉植物園ミツマタの花


地味な淡い黄色…でも、なんとなく暖かさを感じます。

益田市万葉植物園ミツマタ


万葉名は「さきくさ」という説明が見えます。(ちなみに「さきくさ」は「百合」(ささゆり)という説もあります。)

次は「ヤマブキ(山吹)」…まわりには他の花色がないため、この黄色(の花)は眩しく感じられます。

益田市万葉植物園ヤマブキ3


数年前に世界遺産「石見銀山」の「大久保間歩ツアー」にいった時、
現地のガイドさんが「ヤマブキが多くある場所は鉱物資源が多いといわれています。」とおっしゃっていたことを思い出しました♪

益田市万葉植物園ヤマブキ2


ちなみに益田市でヤマブキの野生種を楽しむなら、匹見川の上流、特にその支流では、豪華な花景色を楽しめます。(おすすめは能登川…その水源近くには丸山銅山跡があります。)


この日の「万葉公園」散策では、「ミツマタ(三椏)」と「ヤマブキ(山吹)」か…と帰ろうとしたところ、ふと、足もとを見ると、かなり小ぶりでしたが「黄色い花」が!!

益田市万葉植物園西洋カタクリ4

カタクリ…花色は黄色…「西洋カタクリ」の花を発見しました♪

益田市万葉植物園西洋カタクリ


おまけ画像…西洋カタクリの蟻つき画像↓(わかります?蟻の存在w)

益田市万葉植物園西洋カタクリ3

2015年4月12日(日)の「万葉植物園」では3種類の植物の花を楽しむことができました。

花色はすべて「黄色」。なんか意味あるんでせうか!?


★スペシャルおまけ画像。

帰り道、駐車場に向かう途中で見つけたのですが、林の中に青と赤の縦に長い物体が見えました。


一体なんだろう…島根県立万葉公園の隠しオブジェ?と不思議に思い近づいてみたら…

益田市万葉公園鯉のぼり


ムムム!? これは5月のアレでは?

益田市万葉公園鯉のぼり2


「鯉のぼり」が2匹。
・・・益田市の県立万葉公園の名物風景「鯉のぼり」…総勢60匹を超える「鯉のぼり」が天空を泳ぐ姿は、なかなかの迫力です。

さて、この2匹の「鯉のぼり」・・・今年の4月21日  4月22日の出番まで、じっと、林の中に潜んで待っているのか・・・
はたまた、万葉公園の鯉のぼり、もしかして園内の雑木に実る…「鯉のぼりの木」があるのか!?(笑)

徳川夢声の幼少期の生い立ちと柿本神社での画像

先日、益田市立図書館で偶然、『石見益田人名風土記』という本をみつけました。

『石見益田人名風土記』…この本は著者は高橋正喜氏、昭和42年(1967)7月25日に「益田郷土史会」により発行されたものです。益田市の歴史に関わる様々な人物に関して記述されています。


その中の一人に「徳川夢声(とくがわむせい)」の名がありました。

以下その内容(引用)です。

徳川夢声(とくがわむせい) 

名は駿雄と言い明治27年4月13日益田折戸住警察官福原庄次郎(下本郷福原家生まれ)の子として出生し4才の時、津和野へ移住し間もなく上京した夢声は、始め無声映画の活動弁士として世に出た。

而し映画の世界も急速に進んで、「トーキー」の時代となるや映画俳優に転向した。

更に、テレビラジオの名漫談家として名声を博し其の間5度益田に帰省しているが、偶々昭和40年11月3日筆者等が、郷土史家の矢富熊一郎先生の顕彰碑を柿本神社の境内へ建立し、除幕式へ招待せられ、夢声は祝辞を述べている。

尚夢声は昭和36年当時益田市制10周年記念行事の一つとして、市長伊藤正男の依頼を受け秀作

「石見益田は日本一よ」

の益田音頭を作詞している。

【石見益田人名風土記】 180~181ページより引用


この本での「徳川夢声」に関する内容と、

以前投稿した

⇒徳川夢声のCD。そして生誕地の案内板を発見(益田市本町)

で掲載した「徳川夢声生誕地」という案内板(平成18年3月 益田市教育委員会 設置)

徳川夢声 生誕地

を比較してみると、内容に違いがみられました。


『石見益田人名風土記』では

明治27年4月13日益田折戸住警察官福原庄次郎(下本郷福原家生まれ)の子として出生し4才の時、津和野へ移住し間もなく上京した夢声は・・・

一方、「徳川夢声生誕地」の案内板には、
一才で母の郷里津和野町へ転居。三歳で祖母、母と共に上京。


津和野へ移住(転居)、そして上京した時期がともに異なります。
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※追記(2015年4月14日)
徳川夢声の幼少期の生い立ちについては、
濱田研吾氏の書籍『徳川夢声と出会った』(晶文社 発行:2003年12月25日)で調べてみました。

今回参照したのは書籍『徳川夢声と出会った』の最後にある「資料編 徳川夢声略年譜」です。
本件と該当する部分を抜粋引用します。


・1894(明治27)年
 4月13日、島根県美濃郡益田町イ85に生まれる。本名、福原駿雄。

・1895(明治28)年
 父庄次郎の転勤により津和野へ転居。

・1897(明治30)年 3歳
 母ナミと祖母フサに連れられ上京。

以上、『徳川夢声に出会った』(晶文社 2003年12月)「資料編 徳川夢声略年譜」188ページより

この徳川夢声略年譜によれば、津和野に転勤したのは、1歳の時となります。父庄次郎の転勤により津和野へ転居とあります。(因みに、益田市教育委員会による案内板には「母の郷里津和野へ転居」とあります。)

上京したのは1897(明治30)年 徳川夢声が3歳の時となっていています。

※以上、2015年4月14日の追記です。
書籍『徳川夢声と出会った』の「資料編 徳川夢声略年譜」を当該情報を見る限りでは、益田市教育委員会による案内板の内容は合致しています。
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また、益田市に帰郷した回数についても、「石見益田人名風土記」では「テレビラジオの名漫談家として名声を博し其の間5度益田に帰省しているが・・・」とあり、「徳川夢声生誕地」の案内板には、「上京後、益田へも度々帰郷した。」

「石見益田人名風土記」では「5度」とはっきりとした回数の記載がされています。

※この内容に違いに、(個人的に)特に大きな問題を感じているわけではありませんが、一応、比較資料になればと思い投稿しています。

益田市で撮影された徳川夢声


また、『石見益田人名風土記』では「徳川夢声氏」が写っている、とても珍しい画像1枚がありました。

柿本神社での徳川夢声19651103


この画像(写真)は徳川夢声氏が昭和40年11月3日、矢富熊一郎先生の顕彰碑の建立、除幕式の際、祝辞を述べている光景です。(矢富熊一郎先生の顕彰碑は高津柿本神社入口の鳥居を向かって左側奥にあります。)

高津柿本神社で撮影されたようですネ。柿本人麿(柿本人麻呂)が描かれた掛け軸が中央に、その右に徳川夢声氏の姿が見えます。

益田市内で撮影された徳川夢声氏の写真(画像)はとても珍しいのでは?と思いました。

それ以上に、あの徳川夢声氏がいったいどんな祝辞を述べられたのか?…その内容は?そしてどんな語り口調だったのか?そして「間」はどんな塩梅で・・・とても興味がわきます。

春の白い日本海と海岸浸食と観音岩の風景(益田市の浜辺より)

今回は久しぶりに益田市の風景画像を。
益田市の三里ヶ浜の『観音岩』付近で撮影した「白い日本海」の風景です。
白い日本海の風景(益田市)20150407

季節感があるようでないような感じです。曇り空と逆光のため、海面は白くミルク状に見えます。

撮影日は2015年4月7日…春の日差しは暖かいのですが、時々、日本海からの冷たい北風で、まだまだ「寒く」感じた日でした。

この場所からのこのような(白い日本海の)風景は、訪れた人に何らかの美的なものを感じさせるようで(私もそうですが)結構スマホとかで撮影している人を見かけます。

さて、ここに来たなら、報告をしたい事が2つ!!

1つは、益田市の海岸浸食の件。2015年4月7日時点では…↓
海岸浸食 益田市

おおっ、海岸浸食進んでいます。おわかりですか?比較用に約5ヶ月前の2014年11月4日に撮影した同じ場所の画像を掲載します↓
益田市 観音岩 海岸浸食 現場
 

上下の画像を比較すると、浸食された面の縁とポール(島根県と書かれているのですが)との距離が狭くなっていること(後退していること)に注目してください。

あと数回、時化れば、・・・単純に上の画像との時間軸(5ヶ月)で推測すれば、今年の9月ごろまでに、このポール&ロープ地点は崩落するでしょうネ。

さて、ここに来たなら、報告をしたい事2つ。の2つ目。

益田市の浜の画像といえば「観音岩」。益田市の風景の象徴的な…天然オブジェの一つです。
観音岩の風景 益田市20150407


夕焼けとセットではないので、ただの「岩」画像ですが…この日の観音岩には黒い鵜達が、(この季節は、いつものように)鎮座していました。

で、たまにウミネコが、ちゃちゃを入れる的に現れるところが面白かったのう♪

観音岩の鵜とウミネコの風景20150407

おしまい・・・・・・

『妙義寺太鼓橋(石橋)』と桜の風景(益田市七尾町)

益田市七尾町の妙義寺(山号は万歳山)へ向かう参道には石でできた橋があります。


妙義寺太鼓橋」と呼ばれているそうです。


今回はこの「妙義寺太鼓橋」と桜の風景。

益田市妙義寺太鼓橋 top

橋の向こうに1台の白の軽トラ(偶然、写りこんだののですが…)そのさらに奥には、妙義寺の山門がみえます。


江戸時代に架けられたというこの石橋の両側に満開の桜。撮影したのは2015年4月2日とても良い天気だったのですが、青空の色は薄く…空は白く霞んでいました。(で、いまいちな画像になってしまいました)

益田市妙義寺太鼓橋 上

『妙義寺太鼓橋(石橋)』と「桜の花の門」…かなりリッチな気分にさせてもらえました♪

もともとこの石橋が架けられている場所は「池」だったそうです。

しかしながら、近隣の民家の下水が流れ込んでいて「臭い!」ということで、現在のような空池にしたと聞きました。


また、益田市誌 (昭和50年12月20日発行)上巻873~874ページに「妙義寺の石橋」に関する説明と白黒写真があります。

益田市誌によると
この石橋の長さは約6メートル、幅は約2メートル。
本来「須佐石(山口県の須佐町産出の御影石)でできていた」そうです。

しかしながら、(近年、改修?工事が施されたそうですが)現在では桁石に須佐石とは異なる御影石が使われていることに気づきました。

益田市誌に掲載されている画像↓(昭和50年以前の撮影だと考えられます)を見てください。

益田市誌 妙義寺 太鼓橋 古写真

今とは、なんか姿・形・・・特に欄干のライン、雰囲気違いませんか?
昔↑は「弧」を描いてますが、今↓は「への字」に見えます。

比較 妙義寺 太鼓橋 改修後s


そのあたりは、別途、『妙義寺太鼓橋(石橋)』見学記として投稿しますネ。

益田市の水源地 七尾公園の桜「2015」の風景 益田十景

本日(2015年4月2日)、益田市の水源地 七尾公園の桜を見に行きました。

時刻は午後1時過ぎ。平日にもかかわらず100人以上(駐車場は水源地、住吉神社も満車状態)の益田市民が満開状態の桜を楽しんでおられました。

益田市七尾公園 桜並木20150402


益田十景…七尾公園。満開の桜の中で、くつろぐ益田市民の方々

七尾公園桜20150402


住吉神社への石段がはじまる鳥居周辺の桜の風景。とてもリッチですネ。

益田市住吉神社鳥居と桜


※東側の空の青はいい色でした♪

2015年3月末ごろからいっきに開花したようです。
ちなみに、今年3月25日の益田市の水源地 七尾公園の様子がコチラ↓

益田市七尾公園20150325s


そして本日(2015年4月2日)の桜の様子です↓(ほぼ同じ地点から撮影です)

益田市七尾公園 桜20150402


わずか一週間程度でこの景色の変化…桜って凄いのう…

というわけで・・・

益田市の水源地 七尾公園の桜「2015」も、とても綺麗でしたよ♪


・・・で終わるのも、ちょっと…と思ったので、

益田市の水源地内の池の周りの画像を…

1つ目は、益田水源地の名物オブジェ…『進撃のエビス小僧

益田市水源地 エビス小僧s


進撃のエビス小僧』・・・ミカサがいうように「人間の比率で考えればあの魚(鯉?)を持ち上げられると思えないけど…」それを捕獲して嬉しそう、

でも、その喜びもつかの間、首や胴に巻きついた糸で?少し苦しそうにも見えます。

この糸、話題の「進撃の巨人」の調査兵団の仕業?…を意図したものか…益田市の水源地も、なかなかトレンディですね(笑)

2つ目は、水源地の事務所入り口両サイドの「樅(モミ)の木」

樅と桜と青空…元気でます!!

益田市水源地 樅と桜と青空とs20150402

本来、樅の葉色はもっと濃い緑ですが、花が咲いていたので、枝先あたりが黄緑色に輝いてみえます。(こちらも満開です♪)

益田市水源地 桜20150402


益田市の水源地 七尾公園の桜「2015」は今週の週末(4月5日、6日)がギリギリ…ラストチャンスかもしれません!?(雨が降れば、かなり厳しいかも!?)

徳川夢声のCD。そして生誕地の案内板を発見(益田市本町)

皆さんは徳川夢声(とくがわ むせい)という人物をご存知でしょうか?


私は、益田市の「郷土の偉人」として名前は知っておりましたが、徳川夢声さんがなぜ益田市の偉人なのか?

その理由については昨年、この本(CD付)のCDを聞くまで知りませんでした。

徳川夢声の小説と漫談これ一冊で

徳川夢声…本名は福原駿雄(明治27年(1894)~昭和46年(1971))は益田市生まれの芸能文化人という肩書です。

芸能文化人・・・?」って方もいるでしょうから、ここは益田市立歴史民俗資料館のパンフレット「郷土の偉人」・・・益田が誇る三偉人の足跡から引用してみます。

益田の三偉人 パンフ



芸能文化人 徳川夢声
活動写真弁士。テレビ草創期にラジオ・テレビ・映画等で幅広く活動しました。(明治27-昭和46年)

益田市立歴史民俗資料館のパンフレットより引用


わかります?徳川夢声さんのコト・・・w

徳川夢声さん益田の生まれではありますが、生後1年くらいで、益田の地から離れています。


で、話は最初の…「この本(CD付)のCDを聞くまで知りませんでした。」に戻ります。


この本とは、『徳川夢声の小説と漫談これ一冊で(清流出版 (2009年11月))


私がこの本を購入したのは2013年5月(なぜ購入したのかは記憶にありません)


で、初めて、付録(?)のCDを聞いたのは昨年(2014年)・・・季節の記憶はありませんが、とても退屈だった、とある日の深夜。気まぐれでこの『徳川夢声の小説と漫談これ一冊で』のCDを聞きました。


徳川夢声SP版音源集


CD最初は、二十五時   オデオン(昭和5年)

~柱時計が時を告げる音~

いわゆるレトロな音楽(ノイズ満載)を交え、徳川夢声の語り。

「二十五時」は超短編の集合体。柱時計の時を告げる音が話の区切りを意味します。


冒頭の話。

とある酔っ払いがこのレトロな音楽を大きな声で鼻唄う…

それを警官らしき者が高圧的に尋ねる…職務質問。


「こらこら、こら! 今頃なんという馬鹿な声を聞かせておる!何時と思っておる? うんっ!? 住所は何処か? 職業は何をしておる! 月収は幾らとっとる!?」

という世相…当時の警官の権力風を感じる頭ごなしの口調。
「月収は幾らとっとる!?」というある面、脈絡のない質問。

話中、話しと話しの間にある、巧雑入り混じる微妙な「間」


ついつい聞き入ってしまう…これぞ夢声の「間」


まさに夢声の「間ジック」


とまぁ、こればかりは実際にCD聞いてもらう方が理解しやすいでしょうネw。

※文字を読むことが苦手!ってかたでも、CDにはこれだけの作品が収録されています。

徳川夢声の小説と漫談これ一冊で 裏

★漫談 全7話 (CD)
二十五時  オデオン(昭和5年)
新四谷怪談  コロムビア(戦前)
名人会・大藪先生の話  テイチク(昭和17年)
押しが第一  ポリドール(戦前)
湧き立つ感謝   コロムビア(戦前)
日本伝承童話「こぶとり」   ポリドール(昭和29年)
日本伝承童話「ぶんぶく茶釜」  ポリドール(昭和29年)

益田市立図書館には本書は2冊あり、そのうち1冊は貸出可だということなので、興味のある方は、まずは、借りて聴いてみては?・・・購入するにしても、漫談CDだけでも(本書の価格からして、)十分な価値はありますよ♪


ところで、
益田市には「徳川夢声生誕地」という説明板があります。
場所は、益田市立歴史民俗資料館の前の道を挟んで向こう側、益田小学校の敷地内に設置されています。

徳川夢声 生誕地


かの「益田音頭」の作詞は徳川夢声さんだったようです♪