益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

益田市の秘境「蛇瀧」の伝説と今(真砂地区)

益田市の真砂地区の日晩山(ひぐらしやま:標高744m)の山麓にある滝…「蛇瀧」

蛇瀧伝説とは!?

早速に【蛇瀧伝説】から…

その昔、滝壺に大蛇が住んでいて両岸の山は、大木がおい繁り昼間でも薄暗く村人から恐れられていたが、宝暦3年の夏大洪水に見まわれ、滝壺が流され濁流と共に大蛇は海へ流された。


村人達はこの大蛇をあわれみ、此の処へ観音堂を建て霊をなぐさめた。
そして大蛇は観音様の権化(ごんげ)として、下流の田畑を潤す神として崇(あが)められ、現地には農耕の菩薩として馬頭観音が祀(まつ)られており、古来信仰の対象となっており、下流の村人達が年1回の大祭、泥落しを兼ね報恩会(え)として盛大に行った。

往時は神楽芸能、盆踊り等の奉納や接待もあり、近郷の老若男女が参詣し大変賑わった。

又、断崖は、向かいあってそびえ立ち、左側の壁には大蛇が登ってつけたと言う跡が残っている。

(島根県・益田市・真砂地区活性化協議会)


「村人にとって恐ろしかった大蛇がナント!洪水で流された…そしたら、村人は、その(恐ろしい)大蛇のことを憐れんでここに観音堂を建て大蛇の霊をなぐさめた」

というお話し。


蛇瀧の入口

さて!これが実際に蛇瀧の入口から撮った画像です。巨大な岩の割れ目が
(正直これほどのものがここ益田市の真砂地区にあるとは…)
蛇瀧前~1

「…又断崖は、向かいあってそびえ立ち…」です。


因みに、この日(2009年03月23日)は水量、ほとんどありませんでした。

画面中央奥左に建設用の足場でつくられたルートを進みます。
※足場に向かう手前数メートルは一人がやっと歩ける狭さ…かなりの注意が必要です!

この割れ目を上から見たところ…
蛇瀧上~1

【上記「蛇瀧伝説」引用もとの看板です:島根県・益田市・真砂地区活性化協議会】


益田市の蛇滝

益田市で漂流エピソード。日本海の対馬海流が10人の命を救ったお話

時は昭和20年(1945年)舞台は益田市の鎌手地区にある大谷海岸。

終戦間近、昭和20年8月14日夜9時頃、高島付近を漂流していたアメリカ兵10人が地元大谷の漁船団に救助されたそうです。
益田市大谷海岸の奇跡


助けられたアメリカ兵はB29爆撃機の乗組員。同年8月8日に長崎県の壱岐島のあたりで墜落したということ。
益田市大谷海岸の奇跡のお話し

ちょっと、文章の部分を拡大してみましょう。

漂流アメリカ兵上陸地 益田市大谷海岸


なんとゴムボートで漂流6日間…対馬海流に乗り益田市沖まで流れついたというわけです


長崎県の沖になる壱岐(島)から益田市沖の高島まで、直線距離で約200キロメートル強。6日間ですから対馬海流にのって1日あたり30~40キロメートルをプカプカと益田市沖の高島まで。

下の画像は大谷海岸から見える高島(益田市)
益3891~1


まさに海流のおかげで命を救われた話です。


で、益田市の大谷はパニック状態になったとも。

しかも、翌日(昭和20年8月15日)正午には昭和天皇による玉音放送というタイミング、超デリケートな時期の出来事です。


でもさすが益田市の人々。多分漂流者アメリカ人10名への対応は「適切」だったのでしょう。なぜなら、
救助されたマーティン・ザップさんが60年たった平成17年の8月14日に、79歳のおからだでこの地、大谷を訪れたというではないですか(案内板参照)


そして、

「島根県益田市の人ニ救助サレテ ‘マーティン’ラッキー」と。(思ったことでしょう…多分)



MAP・場所:益田市マーティン エピソード看板


編集後記

益田市大谷海岸から

命を救われた彼ら米兵には当時の益田市の地に「まほろば」を感じたことでしょう♪(おっと!彼らアメリカ人だから「サンクチュアリ(sanctuary)」かな?)
画像:益田市大谷海岸から冬の益田市沿岸と夕日を撮影(撮影日:2009年1月6日)