益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

人形峠の駕籠立からの冬の日本海の景色(益田市 飯浦地区)

益田市の飯浦(いいのうら)地区の「人形峠」。
人形は「じんぎょう」と読みます。

日本海に臨む断崖絶壁。

画像は人形峠(じんぎょう峠)の車で行ける最高地点「駕籠立(かごたて)」断崖上から撮影したもの…
屏風岩と呼ばれる大岩とその周辺の様子です。

人形峠 駕籠立から日本海



この日の日本海は荒れ模様。迫力あるシーンがとれました。

人形峠 日本海 荒波 松


日本海の荒波が凄い!それを迎えうつ岩
そしてなにより…こんな激しい環境に耐える「岩の松の木」が凄すぎる


強風の中、決死の?撮影場所はここ(赤い矢印辺り)

人形峠 撮影地点


(画像手前の線路は山陰本線です)

今回の撮影場所「駕籠立(かごたて)」…地名の由来を説明してくれる看板がありました。

駕籠立 人形峠 益田市


駕籠立(かごたて)
西は、飯浦港、三生島、鈩崎(たたらざき)(県指定天然記念物)、東は、小浜海岸、三里ヶ浜、遠く鎌手海岸、高島が一望できる景勝地で、「人形峠からみた四季の日本海」として、益田十景に選ばれている。
藩政時代、津和野藩主が、飯浦視察の時、「駕籠」を止めて、この素晴らしい景色をながめながら、しばし休息したということから「駕籠立」と言う。

【画像は2008年12月撮影】

太陽の光に恵まれた時に撮影した同地の画像。
人形峠「駕籠立」からの屏風岩【2014年2月19日再撮影】
人形峠 駕籠立てより屏風岩

匹見発電所:益田市に現存する日本の近代土木遺産(益田市 匹見町)

益田市には社団法人 土木学会の「日本の近代土木遺産 現存する重要な土木構造物2800選」に掲載されている土木構造物、土木遺産が3つあります。

1つめは平成23年度に「土木学会選奨土木遺産」に認定された『高角橋』(一級河川「高津川」にかけられた橋です。)
2つめは益田市 猪木谷町にある『豊川発電所
3つ目は益田市 匹見町の『匹見発電所』です。

ご存知でしたか?

今回は『匹見発電所』をとりあげます。

匹見発電所1


匹見発電所(益田市匹見町)RC建造物(切妻屋根)ランクC

この、匹見発電所につながる細い道を歩いてみました。
木々がトンネル状に茂る薄暗い道をしばらく進むと…

匹見発電所 益田市 匹見町2


突然の、この光景に、「まるで、異なる世界に迷い込んでしまったのでは?」という感じになりました。

さて、アングルをかえて遠くから「匹見発電所」を見てみましょう。

匹見発電所3遠景



最近は環境に溶け込むような「デザイン」が重視されますが。
当時のモダン…「電気」その「発電所」…当時の人々に感情移入すれば、このデザインも受け入れる事ができますよネ♪

MAP・場所:匹見発電所




ちょっと調子にのって…♪
匹見発電所4遠景 空想版


空想モードで画像編集してみました。

◆匹見発電所について
完成年:昭和3年7月(1928年)…益田市の3つの近代土木遺産では最も古い(建造)物です。
発電能力は(現在)最大1870kW

土木学会による「現存する重要な土木構造物2800選」にて土木遺産として選ばれた理由・評価は

・ピラスターで区分された壁面のデザイン
・当時の発電機・水車が現役使用


日本の近代土木遺産-現存する重要な土木構造物2800選-[改訂版]
編集者:土木学会 土木史研究委員会 
発行者:社団法人 土木学会

平成21年4月30日 改訂版・第2刷発行より引用


【ことば】ピラスター:ピラスターとは「付け柱」のこと…だそうです。


当時の発電機・水車が現役使用…って凄いと思いませんか?
近づくと(豊川発電所と異なり)発電機の大きな唸りの音が聞こえました。


【まとめ…益田市の日本の近代土木遺産-3件】
①高角橋 益田市 RCローゼ(下路) ランクB⇒平成23年度土木学会選奨土木遺産に昇格 完成年:昭和17年
②豊川発電所 益田市 RC建造物(ろく屋根) ランクB …完成年:昭和3年9月
③匹見発電所 益田市 RC建造物(切妻屋根) ランクC…完成年:昭和3年7月


【ことば】RC:土木用語「RC」とは…Reinforced-Concreteの略…鉄筋コンクリート

(直訳で「補強をほどこしたコンクリート」)

【画像撮影日2012年5月】

水仙の里(益田市鎌手地区)の魅力

水仙の里(益田市鎌手地区)


水仙の里(益田市鎌手地区)」では鎌手海岸の「唐音の蛇岩(からおとのじゃがん)」に向けて面積約2ヘクタールの丘陵に約100万株のニホンスイセンがびっしりと育っています。

ここの水仙は地元の鎌手地区で約20年前から植え付けを始め、今のスケールになったそうです。


以前に「唐音の蛇岩(からおとのじゃがん)」を訪れた時はまだ、丘陵は伐採されたて。海が見える場所にはまだ水仙はポツリ、ポツリと自生している程度でした。まさか、「水仙の里」がこれほどスケールアップしているとは!驚きです。


ここ「水仙の里」では、こんな感じの可憐な水仙たちが

水仙アップ


草原のようにみえる斜面にびっしりと育っています。
(海に突き出した「黒い岩場」の部分には国指定天然記念物「唐音の蛇岩」があります。)

水仙の里 全体


全体画像は1枚の画像ではおさまらなかったので、2枚の画像を合成しました。(「広~い」ということをお伝えしたいわけです。)


撮影した前日の大風でスイセン達はかなり傷めつけられたということでしたが、風の影響が少なかったと思われる場所を見つけました。
それがこの画像です。「水仙の里」のほんの一部ですがゴージャスでしょ♪

水仙の里 満開


上の方に見える樹木が反り返っているのがわかりますか?…凄い風力だったんですね。
【画像は2009年02月03日撮影】

MAP・場所:水仙の里と唐音の蛇岩(益田市鎌手地区)


米原恭庵の「自信」と「勇気」に学ぶ(益田市 染羽天石勝神社 内)

益田市の染羽天石勝神社内では、地元の歴史上の偉大な人物を知ることができます。


その人の名は「米原恭庵」。・・・皆さんご存知でしたか!?


米原恭庵は、江戸時代の医師で、嘉永二年(1849年)、彼が二十一歳のときに高角村(現高津町)で流行したという痘瘡(天然痘)に対し(下記の資料から判断して)おそらく日本人として初めて「牛痘」を施し、その被害を抑えたという方です。

まずは、社団法人 益田市医師会による米原恭庵頌徳碑(よねはらきょうあん しょうとくひ)


米原恭庵頌徳碑 益田市 染羽天石勝神社内

米原恭庵頌徳碑

 米原恭庵は若くして医学を志し、十七歳で江戸に上り西洋法内外科及び牛痘種法等を修学。二十一歳のとき当時の高角村(現高津町)で痘瘡(天然痘)が流行したため、私財を投じて五百余名の地元民に牛痘を施し、大成功を収めこの災疫から救った。

 ジェンナーの種痘法後五十年を経た嘉永二年(1849年)7月17日に、オランダのモーニッケが長崎で日本初の牛痘接種に成功しているが、そのわずか二ヵ月後に僻地に住む恭庵が新しい種痘法を実施したことになる。益田医師会は、全国に先駆け牛痘接種を断行し、防疫に貢献した米原恭庵翁の功績をたたえ遺徳を敬仰し頌徳碑を建立した。
 右側後方の碑は恭庵翁が自ら業績を刻み建立したといわれる種痘記念碑である。


社団法人 益田市医師会


「右側後方の碑」、恭庵翁が自ら業績を刻み建立したといわれる「種痘記念碑」。

種痘記念碑 益田市 染羽天石勝つ神社内


私が米原恭庵に感じたのは(牛痘接種は)当時の段階ではおそらく「効果がわかかっていても、それ(新しいこと)を実行(行動)するには相当な「自信」と「勇気」が必要であっただろう!!」ということです。


【ことば】頌徳(しょうとく):徳をたたえること。


【時代】嘉永2年
「嘉永」は江戸時代徳川幕府時代の元号。ちなみに嘉永2年の4年後(嘉永6年 1853年)は、アメリカの東インド艦隊率いるペリー提督の来航があった。

といえば時代の雰囲気はお分かり頂けるでしょう。

【ジェンナーについて(ついでに調べました)】


 エドワード・ジェンナー(Edward Jenner、1749年5月17日 - 1823年1月26日)は、イギリスの医学者。天然痘ワクチンを開発したことで知られる。

 この時代、イギリスでは天然痘はしばしば流行していた。これに対する予防法としては18世紀初頭に、天然痘患者の膿疱から抽出した液を健康な人間に接種するという方法がアラブ世界からもたらされたが、この予防法では接種を受けた者の2パーセントは重症化して死亡するなど、危険を伴うものであった。

 ジェンナーが医師として活動していた頃には、牛痘にかかった人間は、その後天然痘にかからないという農民の言い伝えがあった 。

 天然痘に比べると、牛痘ははるかに安全な病気であった。ジェンナーはこれが天然痘の予防に使えないかと、1778年から18年にわたって研究を続け、1796年5月14日、ジェームズ・フィップス(w:James Phipps)という8歳の少年に牛痘を接種した。

 少年は若干の発熱と不快感を訴えたがその程度にとどまり、深刻な症状はなかった。6週間後にジェンナーは少年に天然痘を接種したが少年は天然痘にはかからず、牛痘による天然痘予防法が成功した。一部の伝記や偉人伝等では「自分の息子に試した」「フィップスはジェンナーの実の息子」と記述されている場合があるが、自分の息子に試したのは、この牛痘接種の7年前の天然痘接種であり、混同して言い伝えられているものである。

 1798年、これを発表し、その後、種痘法はヨーロッパ中にひろまり1802年、イギリス議会より賞金が贈られたが医学界はこの名誉をなかなか認めなかった。また一部の町村では、牛痘を接種すると牛になると言われて苦労したが、接種を「神の乗った牛の聖なる液」と説明したと言われる。しかしその後の天然痘の大流行を機にジェンナーの種痘法は急速に普及し、彼は「近代免疫学の父」と呼ばれるようになった。その後天然痘ワクチンは改良されて世界で使われ、1980年には天然痘の根絶が宣言された。

鳥の習性にも造詣が深く、カッコウの托卵や鳥の渡りを研究した事でも知られている。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

※本題とはそれますが・・・ジェンナーといえば小学校のころに読んだ「わが子の腕に…」という超インパクトのあるキャッチコピーによる記憶があったのですが・・・

1796年5月14日、ジェームズ・フィップス(w:James Phipps)という8歳の少年に牛痘を接種した。(略)
 一部の伝記や偉人伝等では「自分の息子に試した」「フィップスはジェンナーの実の息子」と記述されている場合があるが、自分の息子に試したのは、この牛痘接種の7年前の天然痘接種であり、混同して言い伝えられているものである。(以下略)」

という事だったようです。(知りませんでした)

でも、ジェンナーの偉大な業績(結果)からして、誰の腕で実験しようと(いい意味で)どうでもイイこですよね。


【画像は2010年1月撮影】

豊川発電所:益田市に現存する日本の近代土木遺産(益田市 猪木谷)

益田市には『日本の近代土木遺産(改訂版)―現存する重要な土木構造物2800選』(土木学会出版、2005年)に掲載されている土木構造物が3か所あります。

①高角橋 益田市  RCローゼ(下路) 土木学会選奨土木遺産(平成23年にランクBから昇格)
②豊川発電所 益田市 RC建造物(ろく屋根) ランクB
③匹見発電所 益田市 RC建造物(切妻屋根) ランクC

今回は「豊川発電所(益田市 猪木谷)」について
「豊川発電所」は匹見川ぞいで益田市の猪木谷にあります。


早速ですが、中国電力 豊川発電所の画像です!(場所はこのページの最下部の地図をご参照くださいまし)

 益田市 中国電力 豊川発電所1


「中国電力 豊川発電所」の文字看板がなければ…ぱっと見、とある宗派の礼拝堂のような感じですネ。

これまで…何百回とは言いませんが少なくとも30回以上はこの「豊川発電所」のそばの道(国道488号線)を車で往来しています…にもかかわらず…「豊川発電所」…目に入りませんでした。


豊川発電所 益田市 RC建造物(ろく屋根)

気になる言葉:「ろく屋根」とは…

陸屋根(りくやね、ろくやね)とは屋根の形状の一つ。傾斜の無い平面状の屋根のこと。平屋根(ひらやね)ともいう。「陸」とは「平ら」との意味であり、その逆は「不陸」(ふりく)という。普通、陸屋根を有する建築物の上の平面部を屋上という。(以下略)

フリー百科事典 ウィキペディアより引用

「豊川発電所」 を前後から見ると、「ろく屋根」という感じではありませんが、左右側面から見ると、実際の屋根は平らであろうと推測できます。おそらく、前面、後面には「不陸」(ふりく)に見せるための巧妙なデザインがほどこされているのでしょう。(きっと)

ところで、「豊川発電所」 について「益田市誌」で調べたところ、完成したのは、昭和3年(1928年)9月(当時の電気会社「出雲電気 株式会社」により建設)
豊川発電所の(完成)当時の発電能力は3,720KW (昭和10年9月に4,670KWに増大)


当時としては島根県下で最大の発電所
だったそうです。


画像です(右斜め前から撮影してみました。夕暮れ前での撮影で少し光不足でした。…でもそのぶん味わいはあるかも!?)

益田市 中国電力 豊川発電所2



大きさはざっとこんな感じ…国道488号線沿いにあるのですが…〒日本郵便さんの配達の(ピカピカで綺麗な)赤い車がたまたま通過したので…比較・想像してくださいね!(赤と白系のコントラストが結構ステキです)

益田市 中国電力 豊川発電所 日本郵便 比較


そして、斜め後ろ(匹見川方向から)撮影

益田市の豊川発電所 斜め後ろ


この画像ならここが「発電施設」とうことがわかりますネ。


さて!益田市の「豊川発電所」
『日本の近代土木遺産(改訂版)―現存する重要な土木構造物2800選』(土木学会出版、2005年)
による見どころは3+1!

①デンティル・モールディング
②3分割されたアーチ窓
③明確なピラスター=華やかなイメージ(見方によっては桃山発電所を思わせる)

上記3点を集約した画像

日本の近代土木遺産 益田市 豊川発電所


さらに+1…当時の発電機が現役使用!!

ということでした。
「日本の近代の土木遺産」って身近で、かつ奥深いので…結構ハマりますよ♪
【画像は2011年10月撮影】

MAP・場所:豊川発電所


竹田番匠、竹藤九衛門のお墓について(益田市 横田町)

竹田番匠、竹藤九衛門のお墓が益田市にあることをご存知ですか?
竹田番匠とは九州岡藩(大分県竹田市)の御用大工の棟梁の総称をさしていて、かつては、飛騨の匠と同様に優れた大工さん(名工)のことをいうそうです。(※「竹田番匠」は「タケタバンジョウ」と読むそうです。)

国道191号線を益田市から津和野方面に向かう途中の、益田市横田町。

益田市市街地方面から(津和野町に向かって)来た場合、高津川にかかる橋、「神田橋」の手前、国道の右側に「竹田番匠の墓」という案内の立札があります。(少し分かりづらいかもしれません)


その先に「竹田番匠の墓」という案内板があり、竹田番匠 竹藤九衛門についての益田市誌(昭和50年発刊)での記事が引用されています。

竹田番匠の墓 看板 益田市


竹田番匠の墓

 
ここに眠る竹田番匠は竹藤九衛門で、壇の医師、松本裕庵の知遇をうけ、向横田(むかいよこた)の丸山八幡宮を改築し、亨保元年壇の地で客死した。

竹田番匠とは九州岡藩(大分県竹田市)の御用大工の棟梁の総称で、飛騨の匠に比肩されるといわれる名工のことである。

(昭和五十年発刊益田市誌より)


神田の田植え囃子の歌詞にも次のようにあります。

「宮島様の御※普請には、どなたが棟梁なされた。飛騨の匠に竹田の番匠、両人棟梁なされた」

「向横田(むかいよこた)の丸山八幡宮を改築し、亨保元年壇の地で客死した。」

亡くなったのは享保元年(西暦で1716年)とのこと。(「壇」というのは、当地(向横田)にある地名です。)
そしてこれが、竹田番匠、竹藤九衛門様のお墓です。


竹田番匠、竹藤九衛門の墓 益田市

竹田番匠、竹藤九衛門さんが手がけたという益田市向横田(むかいよこた)の丸山八幡宮
なんでも、釘を一本も使わないという凄技で建てられたと言いますから…興味が湧きませんか?



【益田市横田町の竹田番匠に関する資料…『ふるさとの歴史と伝説』(著者 石川 寿保 氏)】

この益田市横田町の竹田番匠に関する資料は、私が調べた限りでは、益田市誌(昭和50年発刊)と、
「ふるさとの歴史と伝説」(著者:石川 寿保 氏) にて知ることができました。
(竹田番匠 竹藤九衛門には弟子善右衛門という人がいたようですね)


(※因みに、この本は、益田市の図書館にあるそうです)


◆「ふるさとの歴史と伝説」のデータ

書籍名:ふるさとの歴史と伝説
著者名:石川 寿保
昭和53年2月1日(1987)


・高城地区に於ける人文地理の概要
・柿本人麿の妻と高津川
・和泉式部と鏡の釣井
・向横田城址
・近世以降
・部落の取り決め十二題
・渡場問題と同盟休校事件
 
・県道の誘致とその後の経過
・愛宕神社
・忠魂山系の経営
・向横田節について
・高城地区の旧家について
 松本家の人々
 1.竹田番匠の塚と弟子善右衛門 
 2.歌人松本郷三の作品 
 3.松本淳三の短歌とその生涯

石川氏、坂根氏、齊藤氏、柳井氏、宮崎氏、横田氏、岡本氏、湖氏、広瀬氏、その他の旧家

参考文献外
あとがき

石川氏の著書「ふるさとの歴史と伝説」ですが、益田市の横田町に関するいろいろ興味深い情報が満載です。
できれば復刻してもらいたいものです…


【ことば…※普請(ふしん)について

普請(ふしん)とは、普く(あまねく)請う(こう)とも読み広く平等に奉仕(資金・労力・資金の提供)を願う事であり、社会基盤を地域住民で作り維持していく事を指し、現在では公共の社会基盤を受益する共同の人々または公共事業により建設(建築と土木を併せ建設という)および修繕、維持する事。
端的にいえば互助活動や相互扶助や自治としての建設(修繕、模様替も含まれる)の為の労力や資金の提供を求める事をさす。建設と言う言葉自体が明治時代に外来語を翻訳した時に出来た和製熟語でありそれ以前は普請と言った。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

【画像は2009年6月撮影】