益田市の歴史・風景体験レビュー

益田市(島根県の西部)の資史料をもとに益田市の歴史・風景の魅力と課題をフィールドワークで体験レビュー。
 

国登録有形文化財「匹見発電所」の建造法は?(益田市匹見町)

8月2日の益田市教育委員会さん主催、中国電力 株式会社 益田電力所さん共催の

「中国電力株式会社 水力発電所見学ツアー」

このツアーは、益田市の国登録有形文化財(平成27年3月26日に文化庁により認定)である、匹見川沿いの3つの水力発電所を見学するというものでした。

今回は、その最後の見学地「匹見発電所 (ひきみ はつでんしょ)」です。
(所在地:益田市匹見町匹見イ1702-3)


早速ですが、匹見発電所 本館の遠景(外観)です。

国登録有形文化財 匹見発電所 遠景

益田市の匹見発電所は、国登録有形文化財(文化庁)である前に、社団法人 土木学会の「日本の近代土木遺産 現存する重要な土木構造物2800選」に掲載されています。

「日本の近代土木遺産 現存する重要な土木構造物2800選」での
匹見発電所に関する掲載内容は

RC建造物(切妻屋根)ランクC


<土木学会での評価理由>

ピラスターで区分された壁面のデザイン
・当時の発電機・水車が現役使用


↑この内容…太赤字強調した部分について後程、あらためて語ります♪


匹見発電所をこれまでで最も間近で見れた!!


今回は、(残念ながら)匹見発電所の内部については見学できませんでした。…ですが、これまで4回匹見発電所を訪れたなかで、もっとも近くで本館を撮影できました。(なぜなら、中国電力 株式会社 益田電力所さんがゲート内に入れてくれたからです♪)

匹見発電所 本館(登録有形文化財 第32‐0172号)の「証(あかし)」

匹見発電所にあった、登録有形文化財(文化庁)の証です。

匹見発電所 登録有形文化財 第32-0172号


今回、見学させていただいた中国電力さんの益田市にある3つの発電所

・豊川発電所:第32-0170号
・澄川発電所:第32-0171号
・匹見発電所:第32-0172号

連番となっています。

そして、そこでの益田市教育委員会の文化財課さんのご担当者さんの説明・解説の中で驚愕の情報がありました!!


匹見発電所 本館はコンクリートブロック造り!?

益田市教育委員会の文化財課さんの説明・解説の内容(要旨)に、

「匹見発電所 本館は鉄筋コンクリート(RC)造といわれていたのですが、コンクリートブロックを積み上げた…コンクリートブロック造りだということがわかりました。」


というくだりがありました。

「エッ!?」…と、思いました。そして以下の疑問が…


・匹見発電所 本館は鉄筋コンクリート(RC)造でなく

コンクリートブロック造り…しかもコンクリートブロックを積み上げたもの、…それは古代の石造りの建物のように…?


・「どんな形状のコンクリートブロックなのだろうか?」
・「鉄筋・鉄骨なしなの?」

さらに!! 

コンクリートブロック造りなら、土木学会さんがピラスター(付け柱)といった部位は、
(ピラスター、付け柱ではなく)躯体としてのコンクリートブロックでできた「柱」となるわけです。


おおっ、またマニアック!フェチな疑問…「謎」が…♪

是非とも、この疑問・謎を解明したいものです。


匹見発電所正面の画像にヒントが!?


匹見発電所 本館正面の画像を撮っていました。

匹見発電所 正面

この画像の中に、一部「破損」箇所があることを自宅のPCで確認できました。
で囲んだ部分です↓

匹見発電所 正面s


拡大したのがコチラの画像↓

匹見発電所 正面ss


う~んっ、いわれてみれば、独立したブロック(パーツ)のようにも見えますネ。
実際どうなんでしょうかねい?

澄川発電所は、なぜ鉄筋コンクリート製なのか考えてみた(益田市匹見町澄川)

国登録有形文化財である澄川発電所(益田市匹見町澄川)は、「なぜ鉄筋コンクリート構造(RC構造)でつくられたのでしょうか?」

澄川発電所 本館が完成したのは、昭和18年(1943年)

澄川発電所 外観&内部

実は、この前年の昭和17年(1942年)に益田市の高津にある「高角橋」が完成しています。


高角橋も鉄筋コンクリート構造(RC構造)なのです。
高角橋は平成23年度に「土木学会選奨土木遺産」となっています。

水神社から高角橋


高角橋も、今回の澄川発電所も「鉄筋コンクリート構造(RC構造)」。これは偶然でしょうか?
この時期は「鉄筋コンクリート構造(RC構造)」が流行っていたのでしょうか?


答えは、時代背景…戦時中にあります。

軍事物資である鉄は、建設資材として十分に使えなかったと考えられます。


実は、岡山県岡山市に「大原橋」という昭和17年(1942年)に完成した橋があります。

「大原橋」は「高角橋」と同じ年に完成した橋です…

「大原橋」について、岡山県土木管理課が運営している「おかやまの歴史的土木資産」というサイトがあります。この「17.大原橋」に関する説明文のなかに、

「鉄筋コンクリートのアーチ型の橋が9つ連なり、その東には鉄橋がつながっています。」

とありました。

鉄筋コンクリートのアーチ型の橋が9つ連なり…」の様子。

よくみると、見た目(形状)が「高角橋」とかなり似ています。

※下の画像(キャプチャー)は、「おかやまの歴史的土木遺産 17.大原橋」のページです。(画像をクリックすれば、本ページの内容が見れます)
 

http://www.civil.pref.okayama.jp/hyakusen/spot/spot017.html


「おかやまの歴史的土木遺産 17.大原橋」…岡山県教育委員会さんの解説文を読んでみましょう。

大原橋は、岡山市玉柏から牟佐(むさ)に向かう県道が旭川を渡る地点に架けられている長さ430m余りの橋です。

昭和9年の室戸台風によって、以前の木橋が流され、昭和11年に新しい橋の工事が始まり、総工費28万円をかけて昭和17年に完成しました。

鉄筋コンクリートのアーチ型の橋が9つ連なり、その東には鉄橋がつながっています。

もともとの計画は、全部鉄橋を架ける予定だったのを、太平洋戦争が起こったため、鉄不足となり、コンクリートに変更されたともいわれます。

ローゼと呼ばれるこうした形の橋が9つ連なるのは、戦前のものとしては日本一で、見事な景色を作り出しています。
 
出典:「あなたの街の近代化遺産ガイドブック」岡山県教育委員会

※参照: ⇒おかやまの歴史的土木遺産 17.大原橋


岡山の「大原橋」の「もともとの計画は、全部鉄橋を架ける予定だったのを、太平洋戦争が起こったため、鉄不足となり、コンクリートに変更されたともいわれます。

実は「高津町誌」に、「高角橋」も計画当初は「鉄橋」でつくられる予定であったということがうかがえる表記があります。

※参照(過去記事)⇒高角橋は計画当初「 鉄筋コンクリート橋」ではなかった!?

http://masuda.blog.jp/archives/1000357411.html

スイマセン!話しが、だいぶ高角橋等に偏ってしましましたが、澄川発電所も同様の背景により、「鉄筋コンクリート構造(RC構造)」で建てられたと考えらます。

時代背景、戦時中、鉄不足ということから、この時期、建てられた構造物は「鉄筋コンクリート構造(RC構造)」にするという方針があったのでしょう。

国登録有形文化財「澄川発電所」のRC構造を見学(益田市匹見町澄川)

前回に引き続き、益田市の匹見町澄川にある中国電力澄川発電所(すみかわ はつでんしょ)」について、


今回は、澄川発電所 本館の内部を見てみましょう。


澄川発電所 本館内部の画像です。

澄川発電所 内部1


鉄筋コンクリート構造(RC構造)です。
太い柱、屋根、屋根(天井)を支える梁…すべてが「鉄筋コンクリート」でできています。
とても重厚な感じがしますね。

せっかくなんで、今回の見学会で、鉄骨造り(S造)ということがわかった
豊川発電所の内部構造と比較してみてください↓

登録有形文化財 益田市 豊川発電所本館内部 文化庁


豊川発電所は、躯体が「鉄骨造(S造)なので、今回の澄川発電所の内部構造に比べ、かなり華奢な感じがすることがわかると思います。ちなみに、前回の投稿で取り上げた、広島県の大久野島の(ディーゼル)発電場跡」(1920年代築)も↑豊川発電所(昭和3年(1928年)9月に完成)同様の鉄骨造(S造)です。

我が日本での、昭和時代初期の比較的大きな建造物は、戦前である1920年代では鉄骨造(S造)が主流だったのに、1941年以降…戦時下になると鉄筋コンクリート構造(RC構造)となる傾向があるように思われます。

なぜだかわかりますか?
(そのあたりは、今後の投稿でw)

澄川発電所の天井に思う

話を澄川発電所の内部構造にもどしましょう。


澄川発電所 内部2


壁や柱は白く塗装されていますが、
天井と梁は打放しコンクリート(コンクリート面がむき出し)となっています。

この天井部を拡大してみましょう。

澄川発電所 天井 木枠跡


型枠(木製)のあとが見えます。わかりますか?


では、ちょっと画像を加工してみましょう。

澄川発電所 天井 木枠跡s


どうでしょうか? 型枠…木の板があったと思われる「筋」が見えますよネ。

澄川発電所の内部、特に鉄筋コンクリート構造(RC構造)を見ていると、以前どこかでみたような気がしてきました…「高角橋」です。


高角橋と澄川発電所…同じRC構造


澄川発電所 本館が完成したのは、昭和18年(1943年)この前年昭和17年(1942年)に益田市の高津にある「高角橋」が完成しています。

どちらも鉄筋コンクリート構造(RC構造)です。

高角橋の橋桁を下から見てみましょう。

高角橋 橋桁 下から

そして橋脚

高角橋 橋脚


橋脚を拡大してみると、コンクリートの型枠(木枠)の跡(縦の筋)があります。

高角橋橋脚表面


RC構造の型枠(木枠)について


参考までに、当時のRC構造の型枠(木枠)の現場写真を掲載しておきます。

高角橋 新橋台?橋脚型枠 2益田市

この画像は昭和26年(1951年)7月に完成した高角橋の「扛上竝びに継足工事」(嵩上げ工事とか延長工事とかいう表現をみますが、「扛上竝びに継足工事」が正式名称です)の際、撮影されたものです。

※扛上(こうじょう)、竝びに(ならびに)と読みます。

この画像は、昭和26年(1951年)7月に完成した高角橋の「扛上竝びに継足工事」の際の須子側の新しい「橋台」であろうと推測しています。(橋脚とは構造が異なります。)

…ちなみに、かなりマニアックですがw木枠の方向が初期高津の橋では「縦」であるのに対し、「扛上竝びに継足工事」の際には新規の橋脚・橋台とも「横」となっています♪…トレビアレベルのかなりマニアック…フェチな情報です。)

高角橋の「扛上竝びに継足工事」の時期は、終戦後となりますが、当時のRC構造の基本技術はさほど変わらなかったのではと思い、掲載いたしました。(ご了承くださいまし)

澄川発電所も、段階的に鉄筋の周りに木製の型枠を組み、コンクリートを養生しながら建てられていったのです。

国登録有形文化財「澄川発電所」の内部を見学(益田市匹見町澄川)

前回に引き続き、平成27年8月2日の「中国電力株式会社 水力発電所見学ツアー」(主催は益田市教育委員会さん。正確には「益田市教育委員会 文化財課さん」、共催は中国電力 株式会社 益田電力所さん)


この日の2番目の見学地は「澄川発電所(すみかわ はつでんしょ)」…益田市の匹見町澄川にあります。


早速ですが、益田市匹見町の澄川発電所、その外観です。

澄川発電所 外観


澄川発電所ができたころの我が国「日本」


澄川発電所が完成したのは昭和18年(1943年)とのことです。(今年(2015年で72歳ですネ)

時代は戦時下(太平洋戦争)、この年の4月には 山本五十六大将が米軍機の攻撃で戦死、12月には旧帝国陸軍による初めての学徒出陣といった出来事がありました。


因みに、ここ益田市関連では、この年(昭和18年)の1年前の昭和17年(1942年)に「高角橋」が完成しています。
※初期(扛上(こうじょう)並びに、継ぎ足し工事)の「高角橋」ですョ!!

ご参照⇒益田市の土木遺産 鉄筋コンクリートの橋「高角橋」(益田市 高津)


澄川発電所にはこれまで3回以上、来ているのですが、このサイトでは一度も取り上げたことがありません。

その理由は、この外観から(勝手に)「比較的新しい発電所なんだろう」と思い込んでいたためです。

そして、自分の中では澄川発電所に「歴史的建造物」という価値を感じていませんでした。

ところが、今回のツアーで、澄川発電所が完成したのは昭和18年(1943年)…戦時下、大変な時代背景のなかで建設されたということを知ったとたん見る目がかわってきました。


さて、もう一度、澄川発電所の外観を見てみましょう。

澄川発電所 外観2


建物的には、デザイン面で特筆するところはありません。

この「デザイン面でに注目すべき点がない」というところが、澄川発電所本館がつくられた時代背景…戦時下であることを物語っています。今回、見学させていただいた、他の2つの発電所(豊川発電所、匹見発電所)に比べ、とても「地味、質素」な感じがします。

ですが…このことをもってして、建築「様式」…建築デザイン界の述語「モダニズム建築」として「価値づけ」をするのは、ちょっと無理がありますね。(ぱっと見は、似てますが…w)

万一、納得できないなら「モダニズム建築」として有名な世界の建造物の「画像」を見てみることをおススメします。

(※あわせて、当時に建てられた他の発電所などの画像なども探してみてください。例えば(1920年代築になりますが)広島県の大久野島の(ディーゼル)発電場(鉄骨造(S造))跡」をみても、外観は(質素な)「箱」です。この有名な建物をもってしても、(それを)「モダニズム建築じゃ!!」という表現で語る人はおらんのです。)

くどいようですが…)澄川発電所にはモダニズム・・・といった設計者の「意図」はなく、歴史的(背景)…「必然」があったのです。

今回の参加者、益田市民(年配の女性)の「つぶやき」…

「そりゃ、戦時中じゃけぇ、デザインとか必要ないけぇね~!!」

というお言葉には、とても共感できました。


澄川発電所…その内部に感じた魅力

今回、初めて澄川発電所の内部を見せていただきました。

早速ですが画像です。

※前回の豊川発電所と同様に、発電機等の発電施設の撮影は中国電力株式会社さんより「禁止」とされています。


澄川発電所 内部1


中に入って初めてわかりました…「澄川発電所」が国登録有形文化財とすべき本来の理由が…


「こっ、これは、本当に価値ある建造物じゃ!」と評価を大きく上方修正しました。

澄川発電所 内部2


この建物は昭和18年(1943年)頃の日本の鉄筋コンクリート構造…※当時の日本のRC構造の「粋を結集した建物」なんですね。


※RCとは:Reinforced-Concreteの略。Reinforced(強化・補強された)-Concrete(コンクリート)といったところでしょうか。


澄川発電所 本館(登録有形文化財 第32‐0171号)の「証(あかし)」

澄川発電所にあった、登録有形文化財(文化庁)の証です。
前回の豊川発電所:第32-0170号の連番であることがわかります。


澄川発電所 登録有形文化財 益田市

次回は、「この建造物は貴重な国民的財産です」について、もう少し詳しく澄川発電所 本館内部の魅力について画像満載で解説することにしませう。

★澄川発電所の場所(益田市匹見町澄川)

国登録有形文化財「豊川発電所」の内部を見学(益田市猪木谷)

8月2日、益田市でごく最近、国登録有形文化財(文化庁)となった、匹見川沿いの3つの水力発電所の見学ツアーに参加しました。


このツアーの事を教えてもらった際、「発電所」って…外観ならば、いつでもみれるけれど…内部はそうそう見学できるものではない!と感じ、スグに益田市教育委員会文化財課さんへ電話申し込みしました。

(本ツアーについて、いち早く教えてくれた、益田市の高津公民館(高津地区振興センター)の「J1さん」には本当に感謝しています♪)

(さて、あらためまして)今回、参加させていただいた、

「中国電力株式会社 水力発電所見学ツアー」について

このツアーの主催は益田市教育委員会さん、共催は中国電力 株式会社 益田電力所さん。


内容は、益田市の匹見川沿いの、「豊川発電所」「澄川発電所」「匹見発電所」の3つの発電所(水力発電所)の各本館を半日で、見学するというものです。


この3つの発電所は、今年(平成27年)3月26日に国登録有形文化財(文化庁)に認定されています。


豊川発電所 本館(登録有形文化財 第32‐0170号)念願の内部を見学♪

今回の主な投稿内容は、最初の見学地「豊川発電所(益田市猪木谷町)」についてです。

早速ですが、豊川発電所 本館…その内部の様子。発電設備は撮影禁止です

登録有形文化財 益田市 豊川発電所本館内部 文化庁指定s


豊川発電所の外観↓は重厚な鉄筋コンクリートづくりを思わせますが


益田市 中国電力 豊川発電所2


内部は、学校の体育館のような感じですネ。


登録有形文化財 益田市 豊川発電所本館内部 文化庁指定s


豊川発電所 本館(登録有形文化財 第32‐0170号)の「証(あかし)」

豊川発電所(登録有形文化財 第32‐0170号)益田市 猪木谷


豊川発電所 本館、正面向かって右のピラスター(付け柱)下部に設置されています。

豊川発電所 本館の特徴について

この豊川発電所 本館は「土木学会」により『日本の近代土木遺産』の「ランクB」としても認定されています。


この土木学会での「記載内容」をもとに、豊川発電所 本館の「特徴」について解説してみます。


形式:RC建造物(ろく屋根)

ランク:B

評価情報:デンティルモールディング、3分割されたアーチ窓、明確なピラスター=華やかなイメージ(見方によっては桃山発電所を思わせる)/当時の発電機が現役使用


『日本の近代土木遺産(改訂版)―現存する重要な土木構造物2800選』
(土木学会出版、2005年)より引用


デンティルモールディング(dentil molding)
・3分割されたアーチ窓
・明確なピラスター(付柱)

と聞き慣れない用語がありますので、実際の豊川発電所の画像でその部位を示してみました↓。


豊川発電所 評価情報s


用語 ※
デンティルモールディングとは!?
dentil molding
dentil…歯型の飾り(四角い部分が歯のようにみえる)
molding…化粧縁
以上、あわせて、「歯型の飾りによる化粧縁」といったところでしょうか。



RC建造物?ろく屋根?…なのだろうか?

さて、もう一度、豊川発電所(本館)内部の構造(画像)を見てみましょう。

登録有形文化財 益田市 豊川発電所本館内部 文化庁指定s


豊川発電所本館の「躯体」は「鉄骨」であることがわかります。
屋根は、鉄トラス梁
の上部、天井材コンクリート板(?)が敷かれているように見えます。

(内部をみて気付いたのですが、外観でRC建造物に見えたのが実は鉄骨造(S造)のようです。)


鉄骨造(S造)なので、外観で重厚に見えた外壁は「かなり薄い!」・・・なぜなら外壁は躯体強度に関係ないからです。

(鉄骨造(S造)…それゆえ、今回の3つの発電所の中で一番広い内部空間を得ることができています。)



登録有形文化財 益田市 豊川発電所本館内 屋根 トラス梁


また、土木学会出版の書籍では「ろく屋根(陸屋根)」とありますが 鉄トラス梁の形状からして、切妻的な傾斜が施されていることがわかりました。(天井のコンクリート板?の存在…もしかしたら、屋根部は改築されたのかもしれませんネ)

豊川発電所について過去の投稿記事
⇒豊川発電所:益田市に現存する日本の近代土木遺産(益田市 猪木谷)


豊川発電所は、昭和3年(1928年)9月に完成(「出雲電気 株式会社」による)したといいます。
・・・今年、平成27年(2015年)で実に87歳となるんですネ♪


帰りがけ、豊川発電所から国道に向かう坂道の上に祠があることに気づきました。

益田市 豊川発電所の傍の祠


お地蔵さんが三尊。うち二尊は自然石のように思われます。

益田市 豊川発電所 近くのお地蔵さん三尊

益田市の捩れて咲く花(捩花)…知ると見えてくるという不思議

捩花(ねじばな)という花をご存知ですか?私は、つい最近知りました。


この捩花という花(植物)の形(画像)…その異形性、初めてみた時は衝撃でした。


なんと(小さな)花が螺旋状に並んで咲いているではありませんか?

いや~っ、これは大変珍しい花(植物)なんだろうなぁ…


「これまで、こんな花、見たことない!!

益田市とかでは見れんのだろうなぁ、きっと…」


と思っておったのですが、


捩花(ねじばな)という花の「存在」を知ると見えてくるですネ。


益田市でも咲いていたんです!!捩花。

益田市の捩花2


捩花なんですが・・・ウィキペディアによると「ラン科」だそうです。

ネジバナ(捩花、学名:Spiranthes sinensis var. amoena)は、ラン科ネジバナ属の小型の多年草。別名がモジズリ(綟摺)。

生育環境
日本全土、ヨーロッパ東部からシベリアにかけて、温帯・熱帯アジア全域、オセアニアなどに広く分布する。

ラン科ではめずらしく、芝生や土手、都市公園等の人間の生活圏に近い所で普通に見ることができる。この為、ともすれば花の綺麗な雑草として扱われ、芝刈り機で刈り取られてしまう。


※引用元⇒捩花 ウィキペディア(wikipedia)


「ラン科ではめずらしく、芝生や土手、都市公園等の人間の生活圏に近い所で普通に見ることができる。」


ハイ!最初に発見したのは益田市の「風の丘広場」の芝生の中で咲いていました。

(ただ、昨日、益田市の「風の丘広場」では自走式芝刈り機で丈の高い植物はバリバリ、除草されてますので、おそらく見ることはできないでしょう)

因みに、

捩花の別名はモジズリ(綟摺)…(縦糸)を(こすりあわせる)といったところでせうか?
これはこれで、いいネーミングですネ。


今回の撮影したのは、益田市のとある旧道です。

益田市の捩花

生育環境・・・日本全土…日本全土?となれば益田市のどこかに咲いていてもおかしくない!?

そう思うと、目に入ってくるんですネ(つくづく人間って不思議なものだと…自らを持って感じました…フフフっ♪)


さて、今回、「捩花」を知ったきっかけは、


益田市ご出身の、益高の超先輩(私が生まれる前に、益高を卒業されておられる)のブログ


★銀河管弦楽団の日常生活★の投稿記事

⇒今年も咲いた

から知ることができました。↑こちらの捩花の画像は、とてもきれいですよ。

ありがとうございました♪